2022.12.06

岐路に立つ日本の安全保障政策――重要なのは防衛費を増やすことではなく、どう配分するか

加藤博章 国際関係論、国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策

政治

防衛費増額問題が世間を賑わせている。岸田政権は、来年度予算での防衛費増額を公言している。中国の台頭による東アジア安全保障環境の緊迫化、ウクライナ戦争による国際環境の変化などが理由だ。一方、日本は財政赤字に苦しんでおり、右肩上がりの経済成長はもはや望めない。こうした中で防衛費をどう増やすのかということが課題となっている。

緊迫化する安全保障環境を見ると、防衛費の増額は避けられないと見るべきだろう。しかし、防衛費増額よりも重要なのが防衛費を如何に配分するかという問題だ。ここでは、これまでの防衛費の流れを振り返りながら、防衛費が如何に配分されてきたのかを検討していく。

小泉政権以降減少し、第二次安倍政権で増額へ

防衛費増額問題が議論されているが、実は日本の防衛費は増え続けている。2012年に発足した第2次安倍政権以降、日本の防衛予算は右肩上がりを続けている。日本の防衛費が大きく減少したのは、小泉政権の発足以降のことである。

小泉政権は聖域なき構造改革を掲げ、規制緩和と同時に歳出削減を重視していた。特に2004年に成立した平成17年度以降に関わる防衛大綱(16大綱)では、自衛隊の組織・装備の抜本的見直しと効率化がうたわれ、防衛費を抑制する方針が取られている。当時は弾道ミサイルの脅威が大きく取り上げられており、アメリカから弾道ミサイル防衛システムを導入することになっていた。しかし、弾道ミサイル防衛システムは高額であり、防衛費の膨張を防ぐために自衛隊のスリム化が求められたのである。小泉政権から第一次安倍政権へと政権が交代しても、防衛費は引き続き減り続け、第二次安倍政権が発足する2012年まで減少し続けることになる。

2012年に政権の座についた安倍晋三は、緊迫化する国際環境を踏まえ、防衛費の増額へと乗り出す。そして、2013年からは防衛費は右肩上がりで増加を続ける。2017年には小泉政権以前の水準まで戻り、過去最大の2021年度予算では5兆1235億円となっている。

防衛費が増えているのに、なぜ足りないのか

このように第二次安倍政権の発足後、防衛費は増額を続けており、過去最高の水準に達している。にもかかわらず、防衛費のさらなる増額が求められるのはなぜだろうか。

ひとつには緊迫化する日本周辺の安全保障環境が挙げられる。特に重要なのが中国の台頭であろう。中国は海洋進出を進めており、海軍力を増強している。同時に極超音速ミサイルなどの最先端技術の開発を進めてもいる。

コロナ禍以前から中国は海洋進出を続けてきたが、日本はその脅威を正面から受けなくてはならない位置にある。ここ数年、中国が台湾に対する武力侵攻の可能性が取り沙汰されているが、台湾は日本の与那国島から約110キロの距離にあり、中国が台湾に武力侵攻を行えば、日本も巻き込まれる可能性がある。

また、日本が実効支配する尖閣諸島について、中国は領有権を主張している。2012年に日本が尖閣諸島の国有化を行って以降、毎日のように中国海警局の船が巡回したり、了解への侵入を繰り返している。

中国に対抗するためにより一層の防衛力充実を図るという観点から、日本は防衛費の増額を続けてきた。増額分については、新しい装備品の購入や研究開発費、そして維持費などに充てられてきた。2022年度予算では装備品等購入費に8165億円、研究開発費に1644億円、維持費に1兆2788億円が充てられている。

反撃能力保有はただ兵器を買うだけではない

こうした中で、岸田政権はGDP2%の水準まで防衛費を増額することを明らかにしている。折しも、2022年末には国家安全保障戦略の改定が見込まれている。国家安全保障戦略は、外交・安全保障政策に関する基本方針を定める文書であり、10年ごとに改定される。いわば、今後10年の日本の基本方針を定めた文書となる。

今回の国家安全保障戦略策定で焦点となっているのが反撃能力、もしくは敵基地攻撃能力と呼ばれる能力の保有にどこまで踏み込むかというものだ。これは敵のミサイル基地など、日本の領域を越えて、敵国まで攻撃できる能力を指す。現状で保有しているミサイルや航空機による爆撃では、敵地に近付かないと攻撃が出来ない。また、日本はこうした能力を持たないとしていたために敵地の攻撃目標に誘導する手段なども持ってこなかった。国家安全保障戦略にこうした能力の保有を盛り込むことで、体制の整備を図ろうというものである。反撃能力の保有については、慎重姿勢を取っていた公明党も明記に同意しており、反撃能力保有に向けた動きが加速すると思われる。

反撃能力の保有はこれまでの日本の安全保障体制を大きく転換させる出来事となる。これまでの自衛隊は反撃能力を持たないがゆえに、防御に重きを置いてきた。ミサイル防衛網を整備し、イージス艦も多く保有している。こうしたことは、反撃能力を持たないが故とも言える。

反撃能力を保有することで日本の安全保障体制がどう変わるのか。この点については、国家安全保障戦略を見てみないと分からないが、議論を見ていると、兵器の購入や防衛費増額の財源に焦点が当たっており、反撃能力保有を見据えた日本の安全保障体制の転換までには至っていない。トマホークミサイルや日本が開発を進めている12式地対艦誘導弾の改良、高速滑空弾の早期配備など、反撃能力保有に向けた兵器の整備を進める。その一方で陸上配備型迎撃ミサイルシステムのイージス・アショアに代わって、イージス・システム搭載艦の整備も盛り込む。現状の体制に反撃能力をくっ付けるというだけのようにも見える。

しかし、日本にはその余裕はあるのだろうか。防衛費の増額を巡って、増税論も取り沙汰されているが、これに対しては国民の反対は根強い。朝日新聞など各社が行っている世論調査を見ると、防衛力強化については賛成と答える人が多いが、増税を支持する人は少ない。防衛力は強化してほしいが、自分達の懐を痛めるとなると躊躇している人が多いのだろう。

実際、これまで日本の防衛費増額は増税で行ってきた訳ではなく、経済成長に応じて、予算規模が膨らむのに合わせて増額されてきた側面が強い。防衛問題で増税の負担増を含むというのは、1991年の湾岸戦争の際に多国籍軍支援のための財政負担分1兆8000億円の一部として、法人税にかける法人臨時特別税と石油製品などにかける石油臨時特別税の増税を行い、約7000億円を確保したくらいなものだ。防衛問題で痛みを伴うというのはあまり経験がない。

湾岸戦争での増税の際には、当時協力関係にあった公明党の意見を入れ、防衛費を多国籍軍支援に充てるということも行われた。公明党は多国籍軍支援を防衛関係費の一部と見做していたのだ。もちろん、こうした施策を見て、アメリカは不快感を示した。日本の防衛力強化は日米同盟にとって不可欠であり、その費用を多国籍軍支援に充てるというのは本末転倒という意見だ。

湾岸戦争から30年、コミュニケーション能力が問われる政治家・実務家たち

いずれにせよ、いかなる手段で防衛費が増額されるにせよ、国民の視線が厳しくなることは避けられないだろう。折しも、ウクライナ戦争によって、安全保障問題に対する関心が高まっている。これまでは安全保障問題に関心がある、言い換えれば知識を持った人々だけを相手にしていれば良かったが、関心があるが知識のない人々にも説得力を持って語らなければならない。

筆者は大学で安全保障論を教えたり、航空自衛隊の幹部学校等で教鞭をとっているが、玄人を相手にするよりも素人を相手にする方が難しい。専門家であれば通じるような暗黙の了解が通用しないからだ。しかし、民主国家である以上、そうした人々をこそ、相手にしなければならない。

しかしながら、安全保障問題については、専門家に任せるべきとして、知識がない人を相手にしない人がいるのも事実である。例えば、中国が脅威と言えば、安全保障関係の研究者や実務家には通じるが、普通の人にはいったいどのような脅威なのかを説明しなければならない。

日本は尖閣諸島で中国と対峙していると言えば、「あんな小さな島をあげてしまえば良いじゃないか」と言われてしまうかもしれない。これまではそう言われても無視したり、冷笑すれば済んでいた。しかし、時代は変わった。

とはいえ、意識改革が進んでいるとは言えない。昨年は湾岸戦争終結30周年、今年はカンボジアPKO派遣30周年の節目の年である。未だに「日本では安全保障問題の議論が出来ない」という言説がまかり通っている。ウクライナ戦争で元自衛官だけでなく、大学やシンクタンクの研究者が連日登場し、軍事問題を解説しているにもかかわらずである。

国家安全保障戦略改定で意識は変わるのか

国家安全保障戦略改定、防衛費増額問題はこうした意識を変えるきっかけになるかもしれない。

これまでは災害派遣での自衛隊の活動など、自衛隊が実際に国民を助けることで国民の信頼を勝ち得てきた。たしかに被災者となっている人は負担を強いられたが、それは自然災害などが原因であって、自衛隊の活動が原因ではない。しかし、防衛費増額や中国との対峙では国民に負担を強いる場面もあるだろう。そうした際に国民に支えてもらうことが必要となる。

災害派遣やワクチン接種など、自衛隊に頼る場面は数多くある。海外派遣でも同じことだ。自衛隊は憲法の枠内で、制約が課されている中でも成功させてきた実績がある。しかし、その歪みが広がっていることも事実である。憲法が改正されないまま、既存の法体系の解釈変更、法改正によって行われてきた。それに加えて、現場の努力が自衛隊の活動を支えてきたと言えよう。

一方、政治家は自衛隊に命じるのみで、体制再編など、責任が生じることを避け続けてきた。防衛問題が政治問題化することを恐れたためである。そうした歪みの中で自衛隊は活動を続けている。国家安全保障戦略改定を経て、その歪みが拡大するのか、少しは是正されるのか、反撃能力獲得という安全保障政策の転換点を経て、日本の安全保障体制がどのように変わるのかが問われていると言えよう。

プロフィール

加藤博章国際関係論、国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策

1983年生まれ。関西学院大学国際学部兼任講師
名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻環境法政論講座博士後期課程単位取得満期退学後修了、博士(法学)。防衛大学校総合安全保障研究科特別研究員、国立公文書館アジア歴史資料センター調査員、日本学術振興会特別研究員(DC2)、ロンドン大学キングスカレッジ戦争研究学部客員研究員、東京福祉大学国際交流センター特任講師を経て、現職。専門は国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策。特に日本の国際貢献と援助政策、日本外交史。現在は、インドシナ難民問題と日本外交、日本の国際貢献と経済協力の連関性、国連における国際緊急援助に関心を持っている。

この執筆者の記事