2024.07.18
翔んで埼玉?(その1):「東京」と「地方」をめぐる物語
「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」。そんな過激な物言いで埼玉県民にも好評を博した映画「翔んで埼玉」は、実は埼玉愛に溢れた郷土愛の物語である。東京の圧政に耐えかねた埼玉と千葉の連合軍が、解放を求めて都庁へと攻め込むシーンは感動的だ。「翔んで埼玉」は東京一極集中是正の物語でもあるのだ。
そんな埼玉県民の聖地(あるいは首都)とされるのは池袋。そして、池袋のある自治体、豊島区は10年前に日本創成会議によって「消滅可能性都市」に認定された。その汚名を返上すべくさまざまな努力がなされた結果、消滅の危機からは脱することができたが、今度は人口戦略会議によって「ブラックホール自治体」に区分されてしまった。西口に東武、東口に西武を擁する街、池袋の悩みは尽きない。
「消滅可能性」も「ブラックホール」も、少子化の問題への対応策を考えるための問題提起という装いになってはいるが、その背後には「東京一極集中の是正」をテーマに掲げ、東京都の豊かな財源を全国の自治体に再配分することで広く遍く全国津々浦々の均霑化を実現しようという政治的な動きがある。全国知事会長を務める宮城県の村井知事からは、東京都の税収を地方の少子化対策に活用しようという声が早くも上がっている(6月24日の知事定例記者会見)。この話は年末にかけてさらに盛り上がっていくこととなるだろう。
税収に限らず、さまざまな面において、地域間格差の是正は戦後の日本政治における大きなテーマであり続けてきた。「過疎と過密の同時解消」から「国土の均衡ある発展」を経て「地方創生」へと看板は変わったが、一極集中の是正と地方分散を求める動きは連綿と受け継がれている。都市と農村、東京と地方の格差是正を求める動きだけをとってみれば、自民党は保守政党というよりは立派な社民主義政党であったのだ。
もっとも、「東京一極集中の是正とはどういうことなのか」となると、途端に話がややこしくなる。それは一極集中是正の対象となる「東京」の意味が実はあいまいで、さまざまな色合いや意味合いを持つからだ。「東京」と「地方」の物語を描くにあたって、まずは、東京とは一体どこなのか、何なのかということから話を始めることとしよう。
地理的な範囲としての「東京」
「東京」と聞いたときに思い浮かべるのはどこだろう。もちろん、人それぞれにさまざまであるが、まず思い浮かぶのは東京駅だ。駅を出ると、そこには大企業の本社が集まる丸の内のオフィス街が広がり、駅の南側には東京中央郵便局があり、その先に、かつては東京都庁があった(現在は東京国際フォーラムになっている)。
もっとも、東京都にある23の区を「自治体」と捉えて(実際、区長は公選制であり区議会もある)、「県庁所在地」を探すと、東京の中心は都庁のある新宿ということになる。都庁は新宿区の南西の端に近いところにあるが、そこは東京都の昼間人口の人口重心である中野区南台に近接しているから、都庁が東京の中心ということもできるだろう(夜間人口の人口重心はそこから少し西の杉並区成田東。いずれも総務省「国勢調査」による)。
本稿の主題である地域間格差という点からはどうなるかというと、実はこの点でも東京の範囲はさまざまにある。一極集中是正の対象とすべき「東京」は、狭いほうからいくとまずは都心3区(あるいは都心5区)となる。都心3区(5区)とその他の区の間の格差については、それぞれの区の財政力の格差が均されるよう、都区財政調整交付金という制度によって都税の実質的な再配分が行われている。これは国税を原資として全国の自治体に配分される地方交付税交付金の東京都版のようなものだ。
少し範囲を広げて東京都全体の地図を見ると、格差是正の対象とすべき「東京」は東京都特別区(23区)となる。都区部と都下の市町村の間の格差は「三多摩格差」と呼ばれ、その是正は長年にわたり都政の重要な政策課題とされてきた。小池知事も「多摩格差ゼロ」を公約に掲げている。この点については、多摩地区におけるインフラの整備などが進められてきたが、鉄道網や道路網の整備による交通アクセスの改善には、まださまざまな課題がある。かつては下水道整備の遅れが多摩格差の象徴としてクローズアップされることもあった。
もう少し範囲を広くとって首都圏の地図をながめると、そこには東京都と隣接する3県(埼玉県・千葉県・神奈川県)の間の格差がある。東京の都心には多数の企業が立地し、地方財源としての法人関係税(法人住民税、法人事業税)が東京都に多く収められる一方、隣接する3県は東京のベッドタウンとしての役割を求められ、住宅開発などに伴うインフラ整備に多額の財源の投入を迫られてきた。このような不均衡を均すため、1970年代には大都市事業所税の導入に向けた検討が進められたこともあった。
この点については目下、東京都が進めている私立高校の授業料無償化のことが大きな問題となっている。都内在住であることが無償化の要件となっているため、同じ高校に通っていても住んでいる場所が都内かそうでないかによって授業料の負担が異なることになるためだ。東京都と隣接する3県の間には財政力に格差があるから、隣接する3県が東京都と同じ基準で対象者に給付を行うことも難しい。この点に関しては今年の5月に埼玉県の大野知事から懸念が表明された。
もっとも、「地方」からみると、これらの3県も含めた1都3県(あるいはそれに茨城県南部を含めた範囲)からなる圏域全体を「東京」ととらえる見方もあるだろう。東京一極集中がもたらす弊害としてラッシュ時の電車の混雑や長い通勤時間のことが指摘されることがあるが、通勤・通学で最も大変な思いをしているのは、都内在住者というよりは隣接する3県(埼玉・千葉・神奈川)に住んで東京の都心に通ってくる人達であったりもする。
一極集中の是正といっても、是正によって得られた成果が東京都から埼玉県への行政機関の移転だったり(さいたま新都心)、東京都から茨城県への大学の移転だったりする(東京教育大学を筑波大学に改組)ということであれば、「地方」の側の望みがかなったことにはならない。となれば「東京」は埼玉と千葉と神奈川を含めた1都3県すべて(あるいはそれに茨城県南部も含む圏域)と捉えるべきということになる。なお、多極分散型国土形成促進法(昭和63年法律第83号)では、「東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県及び茨城県の区域のうち、東京都区部及びこれと社会的経済的に一体である政令で定める広域」が「東京圏」と定められている。
イメージあるいは心象風景としての「東京」
「東京」の地理的な範囲がさまざまであるのと同じように、東京がもつ意味合いは時間を通じても変化してきた。ここではそれぞれの時代の流行歌を参照しつつ、その経過を振り返ってみることとしよう[歌詞の引用については書籍など他の著作物からの引用よりも慎重な取り扱いが求められるため、引用を必要最小限にとどめることをご理解ください。それぞれの歌の歌詞は、曲名で検索をすると、Uta-Net(https://www.uta-net.com/)などから容易に取得することができます]。
「東京は人を吸い込むブラックホール」。今年の4月に人口戦略会議から公表された報告書をきっかけに、テレビのニュースでは、東京の都区部にあるとされる「ブラックホール」をめぐってさまざまな解説が行われた。「東京はブラックホール」という話の当否はともかく(この点については後述)、毎年、たくさんの若者が進学や就職のために東京にやってくる。このような「民族大移動」はさまざまなドラマを生み、東京への憧れや望郷、都会の孤独などをテーマとする流行歌がいくつも生まれた。
このような人口移動にはプッシュとプルの要因があるが、プッシュの要因に基づく人口移動としてすぐに想起されるのは集団就職だ。高度成長期には農村に過剰人口が残る中、東日本では東京に、西日本では大阪に向けて、中卒者を中心とする広範な人口移動が生じた。職を求める農家の次男・三男と、働き手を求める都会の雇い主の間をつないで就職の斡旋を体系的に行う取り組みが集団就職であり、地方から東京・大阪へと就職のために向かう人たちの輸送を計画的に担ったのが、国鉄による集団就職列車の運行であった。
当時、東北地方の各地から就職列車に乗って東京へ向かうと、到着するのは上野駅となる。降り立つのは上野駅の18番線ホーム。集団就職で上京する人たちは「金の卵」と呼ばれたが、勤め先での仕事や暮らしは決して楽なものではなく、上野駅は「くじけちゃならない人生」が始まる場所であった(井沢八郎「あゝ上野駅」)。
少し時代が下って1970年代半ばになると、東京を「美し都」「花の都」として描く歌が登場する(マイペース「東京」)。この歌は東京に暮らす恋人(女性)のことを想う男性の視点から東京をながめたものであるが、太田裕美「木綿のハンカチーフ」には、「都会」に暮らす恋人(男性)を想う女性が描かれている(ただし、歌詞からは「都会」が東京であるかはわからない)。
そこにあるのは、「はなやいだ街」に暮らし「木枯らしのビル街」で働く男性と、素朴な地方の暮らしの中にいる女性の気持ちが、少しずつ次第にすれ違っていく、切ない物語だ。男性の心を捉えたのは別の女性ではなく、都会そのもの。「毎日愉快に 過ごす街角」から「ぼくは帰れない」と告げる男性は、いつの間にか「ブラックホール」に飲み込まれてしまったのかもしれない。
もっとも、そのように華やいだ「花の都」としての東京は、コインの一面に過ぎない。1976年に発売された内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」には、無機質で温もりのないコンクリートジャングルと、そのもとで暮らす人々の孤独、都会の空虚感がほのかな希望とともに描かれている。「空が哭いてる 煤け汚されて」という歌詞は、美濃部都政の「東京に青空を」というフレーズを想起させる。1960年代から70年代にかけての東京は、工場の煤煙や光化学スモッグに悩まされ、交通戦争と向き合い、超過密の中を生き延びていかなくてはならない大変な場所でもあった。
1980年代に入ると、好景気に沸き国際金融都市になることを夢見た平成景気、バブルの頃の東京の姿を予見していたかのように、斬新な歌が登場する(沢田研二「TOKIO」)。「海に浮かんだ 光の泡だと」という歌詞は、世界都市・東京の重要な拠点となるはずだった臨海副都心のこれまでの経過を暗示しているようだ。有り体に言うと、1年延期されて2021年に開催された「Tokyo 2020」は、途中でバブルがはじけて中途半端になってしまった臨海副都心開発の不良債権処理のようなイベントでもあったのだ。
「トホホだよ、カンチがいなくちゃ」。リカがカンチに向かってそう言っていた頃(「東京ラブストーリー」、フジテレビ、1991年)、平成バブルは突然に終焉を迎えた。「スーパー・シティ」として舞い上がるはずだった東京の空には不良債権という暗雲が垂れ込め、青島都知事のもとで都市博(世界都市博覧会)は中止になり、代わりに(?)豊島園で「とし博」(としまえん博覧会96)が開催された。 2002年にリリースされた桑田佳祐「東京」には、陰鬱な曲調と歌詞のもとに雨の東京が描かれている。そこにあるのは、「東京砂漠」に通じるような、都会の孤独と虚無感だ。
もっとも、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と、大きな金融機関が相次いで破綻をきたし、日本全体が金融システムのさらなる不安定化に怯えていたちょうどその頃(1997年)、東京には転機が訪れる。都区部(23区)の人口が転出超過から転入超過に転じたからだ。東京は常に人が集まる場所のように思われているが、23区の夜間人口(常住地による人口)についていうと、1963年から96年までは転出超過であったから、転入超過への転換は大きな変化であった。その後、最近時点まで23区への転入超過が基調的に続き、都心回帰の動きがすっかり定着した。
オフィス需要の増加を見込んだ再開発も活発に行われ、2000年代には丸ビル(丸の内ビルディング・2002年8月竣工)、六本木ヒルズ(2003年4月竣工)、東京ミッドタウン(2007年1月竣工)、新丸ビル(新丸の内ビルディング・2007年4月竣工)などが相次いでオープンした。
2017年にリリースされた「TOKYO GIRL」は、Perfumeの持つ近未来的な雰囲気も手伝って、未来へと進んでいく東京の雰囲気を鮮やかに描き出している(ミュージックビデオをみると、単に明るいというよりは、光と影のコントラストが強調されているようにも見えるが)。思えば、この曲は「東京タラレバ娘」(日本テレビ・2017年・東村アキコ原作)の主題歌だったから、「東京」をめぐる物語は、ここでも「ブラックホール」と微妙に交錯することになる。
令和の「日本列島改造論」
冷静にデータをながめれば、「出生率の低い東京に若者が集まる」という話はほとんど都市伝説であるということがわかるが(次の項に説明があります。委細については下記記事をご参照ください。「東京は「ブラックホール」なのか(その2)」(https://synodos.jp/opinion/society/29131/))、にもかかわらず、「東京=ブラックホール」論は特に疑問を持たれることなく一般に広く受け入れられている。というのは、この議論が、東京について多くの人が思い描くイメージとぴったり合うからだ。
「東京は出生率が低い」ということが報じられる際に思い描かれるのは、通勤ラッシュで超満員の電車や、手狭であるにもかかわらず高い住宅、どこにいっても混雑している街、緑が少なく潤いのない生活環境といったものであろう。「東京=ブラックホール」論が世に広まるきっかけとなった日本創成会議の報告書(いわゆる「増田レポート」)には「人口過密の大都市では、住居や子育て環境等から出生率が低いのが一般的」、「人口過密の大都市は 、住居や子育て環境や地域での孤立などから出生率が低いのが一般的」とあって、この説明に即していえば、過密に起因する劣悪な居住環境や生活環境が出生率の低下をもたらしているということになる。
このような東京のイメージは、「東京に青空を」というキャッチフレーズを掲げ、公害対策などを進めた美濃部都政の頃の東京の姿に重なる。急増する人口に対しインフラや住宅の整備が追いつかず、公害対策の遅れもあって、当時の東京の都市環境は劣悪なものであった。通勤電車は超満員で最混雑時の混雑率は200%を超え、駅のホームでは「押し屋」と呼ばれる人たちが乗客を車内に押し込んで、なんとかドアが閉まるようにしていた。光化学スモッグは大きな被害をもたらし、小学校や中学校では校庭での体育がしばしば中止となった。工場の煤煙や排水の問題も深刻で、夏に隅田川を渡る総武線の車内には悪臭が漂った(当時は国電にクーラーがなかったため、温度を下げるべく、乗客は窓を開けて外気を取り入れていた)。
同じ頃、地方では出稼ぎにとどまらず離農、離村をして家族全員で都市へ移転する動きが強まり(挙家離村)、過疎が深刻な社会問題となりつつあった。「過疎」という言葉が政府の公式の文書に初めて登場したのは、1966年の経済審議会地域部会の報告書においてである。
「巨大都市は過密のルツボで病み、あえぎ、いらだっている反面、農村は若者が減って高齢化し、成長のエネルギーを失おうとしている。都市人口の急増は、ウサギを追う山もなく、小ブナを釣る川もない大都会の小さなアパートがただひとつの故郷という人をふやした」「明治百年をフシ目にして、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットに変わった。国民がいまなによりも求めているのは、過密と過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである」。
『日本列島改造論』(田中角栄著、日刊工業新聞社)に示されたこの認識は、「東京=ブラックホール論」の起点となった「増田レポート」の問題意識にそのまま引き継がれている。
「東京=ブラックホール」論を超えて
日本創成会議と人口戦略会議の報告書の趣旨を踏まえて「ブラックホール」を「過密」、「消滅可能性」を「過疎」と読み替えれば、そこから導かれるのは、「過密と過疎の同時解消」というビジョンであり、それを支えるアイデアが、出生率の地域差(高低)を踏まえた人口の適正配置ということになる。
だが、ここで留意が必要なのは、「出生率の低い東京に若者が集まる」という事象は、若者が東京に集まったことの「結果」として生じているものであるということだ。東京の出生率が低いと言われるときに参照されるのは合計特殊出生率という指標であるが、その数値を算出する際の「分母」(15~49歳の女性人口)には未婚の女性も含まれる。
そうなると、進学や就職で未婚の女性が大量に流入する地域では、20代の年齢層の女性の出生率が計算上低くなり、その結果、15~49歳の各年齢層の女性の出生率の総和として計算される合計特殊殊出生率も自ずと低くなる。逆に、進学や就職を機に女性が大量に流出する地域では合計特殊出生率の数値自体は総じて高くなる(もっとも、出産可能年齢の女性が大量に流出してしまうため、出生数は出生率の高さから期待されるほど高い水準にならないことになる)。
これらのことをきちんと認識せず、出生率の地域差をもとに東京一極集中や地方分散について論じると、議論がかえって混乱してしまう。少子化への対応も東京一極集中の是正も重要な政策課題であるが、両者はひとまず分けて考えるほうがよいだろう
出生率のことはしばらく措いて、首都直下地震のことなどを考えた場合にも、さまざまな都市機能が東京に過度に集中することはやはり好ましくない。いざとなったときに東京の高次の都市機能を適切に代替することができるよう、大阪の拠点性をさらに高め、国土の「2眼レフ構造」の確保について改めて検討を進めていくことが望まれる。
暮らしの豊かさや生活のゆとりということを考えた場合にも、適度な分散を進めていく必要がある。そのためには、地方中枢都市(札幌・仙台・広島・福岡)をはじめとする地方都市の整備を進め、それぞれの地域が自立した経済圏・生活圏として発展していくことが求められる。
東京圏においても、東京の都心への過度な集中は避け、さいたま市、千葉市、横浜市などが高次の都市機能を適切に分担する体制を整えていく必要がある。コロナ禍のもとで得られた大事な教訓は、通勤や通学などの人流が東京の都心へと集中する都市構造のままだと、感染症の拡大などで人流を抑制しないといけない場合に移動が大きく制限され、さまざまな業務の継続に大きな支障が生じるおそれがあるということであった。この点からすると、さいたま市、千葉市、横浜市などが東京の都市機能を分担することは、予見しがたいショックに対する強靭性を高めるという点からも重要ということになる。
プロフィール
中里透
1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。