2025.12.19

「効率性」という病――ノーベル賞経済学者が懺悔する、リベラル経済学の罪と罰

芹沢一也 SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

経済

「専門家の言うことなんて信用できない」
そう言われたとき、私たちはどう返答すればよいでしょうか。

とくに経済学者は、近年のポピュリズムの台頭の中で、激しい批判の矢面に立たされてきました。
「自由貿易は全員を豊かにする」「移民は経済にプラスだ」「技術革新は素晴らしい」。
彼らが数式とグラフを使ってそう説けば説くほど、現実に職を失い、コミュニティを破壊された人々との溝は深まりました。
そしてその怒りは、こうした経済政策を推進してきた「リベラルなエリート」全体へと向かいました。

もし、リベラリズムがふたたび未来の希望になり得るとすれば、私たちはこの「経済学の傲慢さ」と決別しなければなりません。

今回紹介するのは、2015年にノーベル経済学賞を受賞した重鎮、アンガス・ディートンがIMF(国際通貨基金)の機関誌『Finance & Development』に寄せた手記、「経済学を再考する(Rethinking Economics)」です。
https://www.imf.org/en/publications/fandd/issues/2024/03/symposium-rethinking-economics-angus-deaton

これは単なる学術的なレビューではありません。
半世紀以上を経済学者として生きてきた大家による、痛切な「懺悔録」であり、私たちが目指すべき「人間的な経済」への道標です。

権力を見落とした「技術屋」たち

ディートンはまず、現代の経済学者が陥った最大の過ちを指摘します。
それは「権力(Power)」の無視です。

権力の分析なしに、現代資本主義における不平等やその他の多くのことを理解するのは困難です。 (Without an analysis of power, it is hard to understand inequality or much else in modern capitalism.)

私たちは市場を、需要と供給が自動的に調整される中立的なメカニズムだと教わってきました。
しかし現実は違います。
賃金や価格は、誰が政治的な力を持っているか、誰がルールを決めているかによって左右されます。

かつて労働組合は、労働者のための「権力」でした。
しかし多くの経済学者(そしてリベラルな政治家たち)は、労働組合を「市場の効率を阻害する邪魔者」と見なしてきました。
ディートンは、自分もかつてはそう考えていたと告白した上で、いまは考えを変えたと述べます。

労働組合の衰退は、賃金シェアの低下、経営者と労働者の格差拡大、コミュニティの破壊、そしてポピュリズムの台頭に寄与しています。 (Their decline is contributing to … community destruction, and to rising populism.)

効率性を追い求めた結果、私たちは人々を守るための「盾」を破壊してしまったのです。

「効率的」なら何をしてもいいのか

さらに深刻なのは、経済学が「倫理」や「哲学」を捨て去ってしまったことです。
かつてのアダム・スミスのような偉大な思想家たちは、つねに「何が善き生か」を問い続けていました。
しかし現代の経済学者は、自分たちをエンジニアのような「技術屋」だと勘違いし、ただひたすら「効率性(Efficiency)」のみを追求するようになりました。

ディートンは、この姿勢がもたらした残酷な帰結を、強烈な言葉で批判します。

効率性が富の上方への再分配を伴う場合、私たちの提言はしばしば「略奪の許可証(license for plunder)」に過ぎないものとなります。 (…when efficiency comes with upward redistribution … our recommendations become little more than a license for plunder.)

社会全体で見ればGDPが増えたとしても、その利益が一部の富裕層に集中し、庶民の生活が破壊されるなら、それは「成長」ではなく「略奪」です。

問題なのは、かつては弱者の盾となるべきだった「リベラルな政治勢力(中道左派)」までもが、この経済学の論理に絡め取られてしまったことです。

1990年代以降、多くのリベラルな指導者たちは「市場の効率性」を過信し、グローバル化や規制緩和こそが正義だと信じ込みました。
そして、そこから零れ落ちる人々や、格差に抗議する声を「経済のわかっていない人たち」として軽視してこなかったでしょうか。

「成長のための痛み」として略奪を正当化するエリートたち。
それこそが、労働者たちから「裏切り者」と呼ばれ、リベラルが信頼を失った最大の理由ではないでしょうか。

「冷徹な計算」から「温かい公正さ」へ

ディートンは、かつて自分が支持していた「自由貿易」や「移民」についても、懐疑的な見方へと転換しています。
「グローバルな貧困削減のためには、先進国の労働者が多少の犠牲を払うのは仕方ない」という論理を、彼はもはや擁護しません。
自国の市民に対する義務(obligations to our fellow citizens)を軽視することはできないと気づいたからです。

これは決して排外主義への迎合ではありません。
むしろ、経済学(そしてリベラリズム)が、ふたたび「人間の顔」を取り戻すための必須条件です。

リベラリズムを未来のヴィジョンとして鍛え直すためには、私たちは「冷徹な計算」よりも「温かい公正さ」を優先させる経済観をもつ必要があります。
「効率的だから正しい」のではありません。「公正だから、誰も置き去りにしないから、その経済は正しい」のです。

私たちはあまりにも、自分たちが正しいと確信しすぎています。 (We are often too sure that we are right.)

ディートンが最後に求めたのは「謙虚さ(Humility)」でした。
経済成長のグラフを見せるのではなく、日々の生活に不安を感じている人々の隣に座り、「あなたの生活を守るための権力(組合や制度)を、一緒に作り直そう」と語りかけること。
かつてのリベラルがもっていたはずの、この素朴で力強い連帯を取り戻したとき、私たちは初めて「憎悪」の嵐を越えていけるはずです。

アンガス・ディートンの「転向」は、私たちにそう訴えかけています。

プロフィール

芹沢一也SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

1968年東京生。
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
・株式会社シノドス代表取締役。
・シノドス国際社会動向研究所理事
http://synodoslab.jp/
・SYNODOS 編集長
https://synodos.jp/
・SYNODOS Future編集長。
https://future.synodos.jp/
・シノドス英会話コーチ。
https://synodos.jp/english/lp/
著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。

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