2013.05.02

繊細で微妙な「地位の差」を捉える

『教室内カースト』著者、鈴木翔氏インタビュー

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「教室内カースト(スクールカースト)」という言葉を知っているだろうか。クラスのそれぞれの生徒がランク付けされた状態を、インドの身分制度になぞらえ表現したものだ。「いじめ」が複雑化する中で、その背後にある「地位の差」に注目するのは若手教育社会学者の鈴木翔氏だ。「なぜあのグループは“上”であのグループは“下”なのか」、同学年の子どもたちの中に存在する「カースト」について鈴木氏に話を聞いた。

どうして研究されていないのか

―― 「教室内カースト(スクールカースト)」が話題ですね。この本は鈴木さんの修士論文をベースにしていると伺いました。まずは、このテーマを研究しようとしたきっかけを教えて下さい。

そもそも、「スクールカースト」という言葉を知ったのは、後輩の卒論指導をするチューターをしていたことがきっかけです。その当時、担当している後輩が、「mixiの人間関係はなぜそんなに面倒なのか」というテーマで論文を書こうとしていたんです。

その子が行っていたインタビュー調査の中には、「中学校の友だち、高校の友だち、大学の友だちとバイトの友だち、それぞれで微妙にキャラが違うのに、同じコメント欄で相手にしなければいけないから」mixiの人間関係が面倒なんだという発言がありました。

別にいじめられていたというわけではなくても、「この発言を中学の友だちに読まれるのははばかられる」というような、そういう面倒くささってあると思うんです。ぼくもそれに納得し、そのような中学・高校における「微妙な人間関係の面倒くささ」って、だれか研究していないのかと一緒に資料を集めている中で、「スクールカースト」という言葉に出会いました。

「スクールカースト」というのは、定義ははっきりしていませんが、なぜだかわからないけど、同学年なのに、感じる階層や、地位の差のことです。

「今、言われると地位の差って意識していたよね」と、その後輩と話し合いました。その卒論では、スクールカースト自体には踏み込みませんでしたし、当時はぼく自身も違う研究をしていたので、そのときはそれで終わってしまいました。しばらくして、自分の研究に一段落がついたとき、ふと「スクールカースト」のことを思い出したんです。

実際に文献を調べてみると、「いじめ」についてはよく言及されているのに、スクールカースト的なことも、スクールカーストそれ自体も、研究されていませんでした。扱っていても、「心が汚れているからだ」とか、「学級を壊せば解決する」といった感じなんですよね。後者についてはもっともですが、政策上は難しそうです。

実際に、ネットの匿名掲示板などではスクールカーストについて熱い議論が交わされています。どうして皆が認識しているのにも関わらず、研究が進んでいないのか疑問に思い、誰も研究しないなら自分の手で研究してみようと思いました。

―― その前は、どのような研究をされていたんですか?

「障害者もののドラマはなぜ感動するのか?」という研究をしていました。また、計量分析を使って、恋愛の研究もおこなっていました。

「スクールカースト」にしても、「恋愛」にしても、居酒屋などでずっと話を続けられるような気になるテーマだけど、実際にはだれも検証していないことに、ぼくは非常に興味があって。自分の気になったことや、考えてもわからないことを知りたいんです。それについてすでに自分の納得できる答えが出ているならいいんですが、もし自分が納得しないなら、研究したいと感じますね。学術的に解明されていることって、その分野の主流なところに偏っていて、解明できていないことが多いと思うんです。

「スクールカースト」をあぶりだす

―― 「スクールカースト」を調査するに当たって、どのような研究方法を取ったのでしょうか?

最初の研究計画としては、フィールドワークのつもりだったんです。

実際に中一のクラスに入ってやりました。一緒に授業を受け、休み時間にちょっと話を聞いたりして。女子なんかは、この前まで仲がよかった子同士が、いきなりしゃべらなくなったりとかするので、「どうしてなのかな」と、話を色々聞いていました。

その学校は「いじめも不登校もゼロ」とうたっていました。でも、傍から見ても幅を利かせているグループとそうでないグループがいましたし、そういった様相が生徒からも聞かれました。

しかし、一週間くらいで学校から、「これ以上の調査は難しい」と言われてしまったんです。その頃は、フィールドワーク以外にもさまざまな研究方法を勉強していました。そこで、インタビューや計量分析の手法も使って、この二つを組み合わせて研究しようと思いました。

―― 研究をしていて苦労したことはありますか。

まずは、データの収集ですね。今回の質問紙調査では、分析に適した質問項目を数多く含んでいる神奈川県のデータを使いましたが、もっと多様な地域についてもデータを集める必要があります。

それと、先生に対するインタビューでは苦戦しましたね。当時は「スクールカースト」という言い方ではなく、「クラスの中で、だれが上で、だれが下っていう地位の差はありますか。」という聞き方をしました。口には出しませんが、表情から嫌そうな感じが読みとれたり、怒って帰られる先生もいらっしゃいました。

―― 先生というのは、「スクールカースト」をどう理解しているのでしょうか

今回インタビューした先生たちは、スクールカーストを「地位の差」ではなく、「能力の差」であると捉えています。たとえば、「コミュニケーション能力の低い人間はいくら成績がよくても社会でやっていけない」という言説ってよくありますよね。それと同じ感覚で捉えているのではないでしょうか。

教師と生徒の間で、スクールカーストの認識に齟齬があると感じます。生徒側は明らかにスクールカーストを感じているし、スクールカーストが上位の生徒たちは、「先生に権力をおすそ分けしているんだ」と思っています。一方、先生は「こいつ人づきあいが上手い生徒だな」と、コミュニケーション能力の高い生徒を使って授業を回しやすくしています。お互いwin‐winの関係なんです。だからスクールカーストが維持され、強化されているという可能性はありますね。

―― 学生へのインタビューも難しかったのではないですか?

この研究では、大学生にインタビューをおこないましたが、とてもやりやすかったです。スクールカーストからはもう卒業しているので、話したくなる話題なのかもしれません。長いと5時間以上しゃべっていた人もいます。夢中になりすぎて、敬語じゃなくなる子もいたくらいです。一緒に、なぞ解きをしている感覚でした。

―― 「スクールカーストを感じなかった」という学生はいたのですか?

インタビューをおこなった限りでは、学生の多くはその存在を認めていましたね。ですが、学会や大学の発表では「なんの話をしているのかわからない」という人はいました。

これは、ぼくの憶測なので、きちんと調査をしないとわかりませんが、東大や学会に来る方たちというのは、少し特殊だと思うんです。だいたい「わからない」と発言される方は、男子校や女子高で中高一貫のトップ校だった人が多かったんですね。そうなると、受験という明確な目標がある分、そうではない学校よりも、人間関係に目が向きにくいのかもしれません。

―― スクールカーストがどこで発生するのかは興味深いですね。

もしかしたら、異性の目がないと、ゆるくなる可能性はありますよね。でも、話を聞くと、全国どこでもある程度、普遍的な感覚になっているようです。どこの地域出身の人でも、実際にこのテーマで話が弾むことも多いわけですし。

suzuki

「靴ひもがほどけても、足を止めてくれなかった」

―― スクールカーストというのは、宮台真司さんが言う「島宇宙」とは違うものなんですか?

宮台真司さんは、さまざまな仲良しグループが存在し、それぞれが独立していることを「島宇宙」と呼んでいます。それらはお互い干渉しあうことがなく、力関係が対等だと位置づけられています。しかし、「スクールカースト」は、フラットな関係である「島宇宙」とは違い、地位の差が存在します。

そして、今回の研究で、スクールカーストが構造的な問題であることも浮かびあがってきました。自然に上位にいた人気者の人もいたと思うんですが、努力して、カーストをのぼりつめた人たちは「上位層」なりの役割を演じることに重荷を感じていました。自分の地位を維持するために、下位の人をしかたなく「いじら」なければいけない。そうなると、個人の問題ではなく、構造的な問題だといえるでしょう。

―― 「いじめ」と「スクールカースト」はなにが違うのですか。

最近のいじめの多くが、微妙なラインでできていて。みんな上手いんですよね。「いじられ」なのか、「いじめ」なのか、区別がつかないラインで攻撃する。「いじられて、オイシイじゃん」の一言で「いじめ」はなかったことになってしまうんです。でも、いじめのラインって人それぞれで、同じことをされても「いじめ」と思う人もいれば、そう思わない人もいます。

「めっちゃ笑いを取ってやった!」と喜んでいる人もいれば、「笑われてしまった」と傷つく人もいて、そのラインも曖昧で。結局、本人が「いじめられている」と認識するかどうかなんです。しかも、「見下されている」と感じていても、そこから、「いじめられている」と声をあげるまでには勇気がいると思うんです。

殴る蹴るといった暴力が絡むものであれば、しかるべき場所に相談したり、通報したり、できることが沢山あります。ですが、今のいじめは分かりやすいものばかりではありません。だからこそ、「いじめが何か」という定義を考えるのではなく、そもそもなぜ、「いじられる」と「いじる」という構図ができてしまうのか。そのことにスポットを当てるべきなのではと思います。

インタビューをしたある女の子が、「中学の頃、自分の靴ひもがほどけたときに、一緒に歩いていた子たちが足を止めてくれなかった。でも、他の子の靴ひもがほどけたときはみんながぴたっと止まって待っていた。」という経験を話してくれました。彼女は別にいじめられているわけでもないし、そんな認識もないんですけど、「見下されている」とはその当時感じていたようです。

スクールカーストってそういうことだよ、とぼくは思いました。この話はとても些細なことのように聞こえます。でも、中学の頃の話のはずなのに、彼女はそれを今でも思い出して苦しくなるそうです。自尊感情に影響しているといえます。

そんな小さなことが積み重なって来たときに、確固たる上下の関係ができて、「コイツにはなにをしても許される」と、どんどん行為がエスカレートしていく可能性があるのかもしれません。

―― 権力の上位と下位を分ける要因はなんなのでしょうか。

計量分析した結果、一番関連が強かったのは容姿についての自己評価でした。それと、学力、コミュニケーション能力、自分の意見を押し通す能力などが関係ありました。

でも、容姿って難しくて。とくに、女子は容姿で左右される部分が大きかったのですが、女子の場合は化粧や髪型で変わることができるじゃないですか。女子の場合の「容姿」はその意味合いが強いと思うんです。

かわいいからスクールカーストが高いというよりも、スクールカーストが高いからこそ、派手目の化粧をしてもいいし、髪を染めてもいい。先生に怒られても「いいじゃんこのくらい、自毛です~」というやりとりができるんじゃないかとか。「意見を押し通すこと」ができるからこそ、なにをやっても許されるのかもしれません。

かといって、スクールカーストが下の子が急に意見を押し通すと、「空気が読めない」と言われてしまうので、「意見を押し通す」ということが要因なのか、現時点では、スクールカーストができあがった後に聞いているんで、発生原因については、まだよくわかりません。

できあがる過程って、すごく繊細で微妙な感じだと思うんですよ。クラス替えとかめちゃめちゃ緊張するじゃないですか。だれと友だちになるかって、死活問題だったと思うんです。自分の体験ですが、すごく周りを見ていました。

いろんな軸があっていい

―― 鈴木さん個人は、スクールカーストについてどのように感じていますか。

完全に、それがなくなることはないと思っています。でも、カーストの軸が変わればいいなと思います。

研究の結果を見ると、どの場面でも、上位グループが仕切っていることがわかりました。サッカーの授業のときに、サッカーが上手い生徒が仕切るのは良いと思うんです。でも、数学の時間は数学の得意な人が仕切る、文化祭の看板を作るなら、絵の上手い人が仕切ればいいと思うんです。でも、一貫して同じグループが仕切ってしまうことが問題だと思います。

その軸が拡散していけばいいなと。やっぱり、そうでないと学校はつまんないだろうと思いますし。自分が下にいかないために、いろんな戦略を行使したりして、それは必要のない努力なのでは、と思うんです。

指導教員の本田先生は「わたしはコミュニケーション能力なかったから」とよく言うんですけど、先生を見ていても、コミュニケーション能力が低いとは思わなくて。むしろ学生たちとうまくコミュニケーションがとれていると思いますし、人気もあります。

過去にカーストが上位だったり、下位だったりしても、大学に入れば見分けがつかなくて。むしろ、高校のときに「コミュニケーション能力」の差ってなかったんじゃないかってぼくは感じるんです。発揮できる場所が制限されていただけで、高校時代に友だちが一人もいなかったと言う人でも、接しやすい人も沢山います。

それぞれの人が、本当は発揮できるものを持っているのに、なぜか発生した「スクールカースト」に縛られていて。だとしたら、そんな状態って、望ましくないですよね。みんなが、「あいつはこれを言ってもいいキャラだけど、オレは駄目だ」とか考えずに、素直に面白いことを言える環境だったらいいですよね。

今悩んでいる君にも手に取ってほしい

―― 本を出版してどんな反響がありましたか。

よくあった感想は、「学術的にスポットを当てていて面白い」「調査対象が少ないよね」「自分の経験が昇華されたようでうれしい」というものでした。面白いなと思ったのは、「(教室内カーストは)権力で成り立っているというよりも、下位の人の過剰な謙遜で成り立っている」という、Twitterでの大学生のつぶやきです。同じデータを見ても、いろんな意見があるんだと感じましたね。

後輩からは、「こういう新しいことを研究でやっていいんですね」と言われました。なので、後輩たちに「新しいことやってもいいんだ」とか、「本当に気になったことを研究してもいいんだ」と思ってもらえてうれしいですね。

―― この本をだれに読んで欲しいでしょうか。

元は論文なので、少し難しいかもしれませんが、中高生から読めるように噛み砕いて書いたつもりです。

書き直して、すごく勉強になりましたね。論文の場合は言葉や概念を、たとえば、そのまま「島宇宙」って括って引用していれば成り立ってしまう面があります。ですが、自分の頭の中の中学生に「島宇宙」って概念を言ってみても、「は?なにそれ?」と言われてしまうんで(笑)。何度も噛み砕いて簡単なことばで説明する作業で、自分の中で意外と理解していない部分を発見することができました。

とくに、先行研究の章は中高生にとっては難解かもしれませんね。ですが、研究者の方や学術研究の対象としても読んで欲しかったので、欲張った結果こんなかたちになりました。

学生や、研究者だけではなく、興味がある方全員に、手に取ってもらえればいいですね。不思議に思っている人や居酒屋で話し足りない人とかにも読んでもらって、「ああこうだったのか」とか「これは違うんじゃないか」と、考えるきっかけになってもらえればうれしいですね。

プロフィール

鈴木翔教育社会学

1984年秋田生まれ。群馬大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科を経て、現在、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学中。専攻は教育社会学。

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