2014.01.28

誰もに優しい社会をいっしょに――「障害者の権利に関する条約」批准に寄せて

青木志帆 弁護士

福祉 #社会モデル#障害者の権利に関する条約

2013年12月4日、国会は、特定秘密保護法をめぐる大混乱のなかにあった。報道も連日、大きな紙幅を割いて同法の行方を追っていたが、一方そのころ、参議院本会議では、障害者の権利に関する条約(以下、「権利条約」という)の批准承認が可決された。そして2014年1月21日には、日本は世界で140番目(EUを含めると141番目)の批准国となった。

この批准によって、同条約は憲法と法律との間に位置づけられることとなり、同条約に反する国内法を作ることは許されなくなる。同条約が国連本会議で採択されたのが2006年12月、日本がこれに署名したのが2007年9月であることを考えると、批准までにはずいぶんと時間がかかっており、それだけに、障害当事者にとっては悲願の批准であった。

悲願、ではあるのだが、この条約を日本が批准したことはもちろん、その内容も一般にはあまり知られていない。この条約を知り、遵守してもらわなければならないのは非障害者なので、この状態は非常にまずい。

さらに、この条約の対象となる「障害者」の範囲は、障害者問題に関わったことのない人一般が想定する範囲よりもはるかに広い。たとえば、「がんサバイバー(がんの急性期から復帰して寛解状態を維持している人)」や認知症患者にも及ぶ可能性を秘めている。いずれなんらかの慢性的な健康不安が発生したときでも自分らしく生きていきたいと考えるすべての人に、ちょっと関心を持っていただきたい条約である。

そこで、この条約が必要とされた背景や、内容、批准によってこれから日本が解決しなければならない課題について、基本的なところを述べる。

権利条約が必要とされた背景

この条約は、その名の通り、障害者の権利についての国際規範を示すものである。国際人権規範といえば、世界人権宣言や国際人権規約といった中核的な国際人権文書があり、後者については法的拘束力もある。それにもかかわらずなぜ、わざわざ「障害者」に特化した人権条約が必要とされたのか。

現代立憲主義のもとでは、「平等」は「実質的平等」あるいは「結果の平等」を志向するとされるものの、自由競争を前提とする資本主義社会を前提とする以上、平等の概念を考える上で、能力主義を完全に捨象することは難しい。そのために、能力差から生じる結果の不平等に対しては、平等権に基づく差別解消の枠組みではなく、社会権的、生存権的アプローチでカバーする、という社会通念ができあがった。要するに、健康で文化的な最低限度の生活を保障する「福祉的」支援の対象として把握する、ということである。このため、差別禁止事由も、人種、性別、身分といった、個々人の「能力」とはそれほど関係のない事由が並んでいる。

この状態をそのまま放置して社会が構築された結果、能力的にどうしても非障害者と差が生じる障害者は、生存権として「健康で文化的な最低限度の生活」は保障されているが、それ以上はなかなか権利として保障されているとは言いがたい。障害者のさまざまな権利――表現の自由、居住・移転の自由、選挙権、労働基本権など――は、非障害者の邪魔にならない範囲で保障されてきたにすぎないような状態だ。

福祉的支援で保護はするが、それ以上に障害者の主体的な権利主張には応えきれない。すると、非障害者の世界と障害者の世界は、やがて見えない壁で分離され、障害者はどんどん社会参加の権利も機会も逸してしまう。しかし、当然のことながら障害者も人としての尊厳を持ち、人の役に立って生きたいという自己実現の欲求がある。自分たちは「保護」の客体ではない、という思いが募る。

そこで、障害当事者たちは、社会の一員として非障害者とともに生きるために、自らを権利の「主体」と捉え、非障害者と同様の人権を保障するよう強く求めた。こうしてできたのが、「障害者の権利に関する条約」である。この条約は、けっして目新しい人権を提唱しているわけではない。これまで非障害者に当然保障されてきた諸権利を、徹底的に「他の者との平等を基礎として」保障することを要求する、差別禁止条約である。

日本の社会通念よりも広い障害

そうした背景から生まれたため、非障害者の中で共有されている概念も、障害者の目線で捉え直せば意味が変わるものがある。

(1)障害の捉え方

一般的に「障害者」という言葉から思い浮かべるのは、「目が見えない人」「足が動かない人」「知的能力に制限のある人」などだろう。そのように、「障害」の根拠をその人個人の身体の機能障害(inpariment)に求める考え方が、いわゆる「医学モデル」と呼ばれる障害の捉え方である。

医学モデルを前提とすると、社会参加への取り組みは、その機能障害を治癒して非障害者の健康状態に近づけようとする方向で行われる。ところが、そうした取り組みでは、障害者は、身体の機能障害という自分にとってなんら帰責性のない事情により、治癒するまでの間は障害のない人と一緒のサービスを受け、共に何かに取り組む、という「参加」の経験を得られない。治らなければ、一生参加できないままであるということになる。

そこで障害者は、「自分の身体」ではなく、非障害者を基準として形成された文化、慣習、規範、構造物などの「社会のありよう」の方に障害、支障がある、と考えるようになった。これが、先ほどの「医学モデル」に対して「社会モデル」と呼ばれる障害の捉え方である。

(2)「機能障害」の幅

日本の場合、「機能障害」のイメージは、障害者手帳を持っているような、「固定的かつ永続的な、身体の機能障害」であろうと思う。しかし、権利条約はそのように限局された考え方ではない。

たとえばユニークフェイス(アザや発疹、大きく変形した顔や身体をもつ人のこと)や、慢性疾患(がん、HIV、てんかん、糖尿病などの難治性疾患など)も、社会的障壁との相互作用によって社会参加を阻害する「機能障害」であると考えられている。だから私は、冒頭で「将来がんになる人も関係する」と述べたのである。この条約が対象としようとする「障害」は、日本の社会通念よりもはるかに広いのである。

合理的配慮の不提供という「状態」を含む差別

「差別」を国語辞書で引いてみる。

すると、「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと」とある。一般的に「差別」とは、このように「差をつける」「取り扱う」といった、「何らかの意図に基づいた作為」をイメージするだろう。そして、かなりの割合で「やってはならないこと」というネガティブなイメージが伴うだろう。

しかし、権利条約が社会からなくそうとする「差別」とは、そういった不法行為の加害行為の一態様としての「作為」「行為」だけではない。なんらかの社会的障壁によって、障害者の社会参加が阻害されている「状態」をも含む。それが、不作為による差別として新たに提唱される、「合理的配慮の不提供」という差別類型である。「合理的配慮の不提供」については、詳しくは、Synodosジャーナルにおいて、国際人権法の川島聡先生が執筆なさっている「障害者差別解消法Q&A」のQ14以下をご覧頂きたい。

「社会モデル」的に障害を捉えれば、これまでの社会は、「非障害者」を標準として形成されていることから、文化、規範、建造物、慣習など、ありとあらゆるところで障害者の参加が阻害されている、と考える。そうすると、非障害者と同一の待遇を平等に保障するだけでは、非障害者の環境に順応できない障害者をかえって排除する結果になる。そこで、こうした社会参加への障壁を除去するためには、障害者側から、「合理的な別異の取扱」を求めることを権利として保障しなければならない。この、「合理的な別異の取扱」のことを「合理的配慮」というのである。

ただし、「合理的」とついている以上、不合理な配慮、つまり、配慮する側にとって求められる配慮が過重な負担となる場合は免責される。これを提供しないことも、障害者の社会参加を阻害するとして「差別」に当たるのである。

非障害者とは異なる自立

「自立」を辞書で引くと、「他への従属から離れて独り立ちすること」とある。他への従属を離れるということは、自己決定に従って生活することである。

非障害者の場合、「従属からの離脱」の象徴として、独力で生活を成り立たせる状態になることを指す場合が多い。しかし、障害者に対してそのような自立を求めれば、なにひとつ自己実現できないことは容易に想像がつくだろう。まして非障害者と共に社会参加するなど到底望めない。

障害者の場合、たとえ生活費は生活保護費でまかなえたとしても、それだけでは自由に生活することはできない。それぞれの身体の機能障害に応じた支援があってはじめて、好きなときに好きな場所へ行き、好きな時間に食事を取り、好きな趣味に興じ、働くことができるようになる。障害者の自立に向けた自己決定は、非障害者とは逆に、支援や依存先を増やすことによってはじめて実現できる。

そこで、権利条約19条は、「自立」とは、障害者が必要な支援を受けて、自己決定に基づき、地域社会で自由に生活することであると示している。そのために、非障害者であれば直面しないであろう困難に対しては、支援が提供されるべきである。

批准に向けた日本の取り組み

さて、障害当事者としては、署名後すぐにでも批准し、国内的効力を発生させたいところであった。実際、2009年に一度、日本は批准しかけたことがある。しかし、できなかった。なんと、障害当事者自らが、批准に反対したからである。それは、日本が、権利条約を名ばかりのものにすることなく、きちんと実効性のある形で批准するようにとの思いから取られた戦略だった。

2009年当時、日本の障害者福祉関連法がどのような状態だったかというと、まず、障害者自立支援法に対し、全国14地裁で違憲訴訟が提起されていた。障害者に提供される障害福祉サービスは、障害者に対する「益」であるとの考えから、利用料に応じて自己負担を要求する制度であった。

これは権利条約の趣旨である「他の者との平等」や「合理的配慮」とは真逆の発想である。このような法律を維持したまま権利条約の批准を許すということは、最初から権利条約を守るつもりはない、と世界に宣言するようなものであった。そこで、(1)障害者基本法を権利条約の趣旨を反映したものに改正し、(2)障害者自立支援法を廃止し、(3)障害者差別禁止法を新たに制定する、という3つの条件をクリアするまでは、批准することはならぬ、と反対の論陣を張った。

なお、障害者自立支援法違憲訴訟は、同年12月に民主党政権が発足し、自立支援法廃止と障がい者制度改革を約束した「基本合意」が2010年1月に締結されたことから、全地裁で和解により終結するという急展開を見せた。

民主党政権下で内閣府に発足した障がい者制度改革推進会議は、この「基本合意」と「権利条約」を道標とし、障がい者制度改革の議論を開始した。

まず2011年には、権利条約の趣旨を反映した(1)障害者基本法改正が実現した。その翌年には、自立支援法の一部改正にとどまり、当初の約束である廃案は異なる形になったものの、(2)障害者総合支援法として改正された。ここまでが、民主党政権下での成果である。

ところが、2012年12月に自民党政権に交代し、(3)障害者差別禁止法が果たして成立するのかが危うい情勢となった。一応、改正障害者基本法にも、合理的配慮の不提供を含む差別を禁止する条項は新設され(第4条)、これで権利条約の差別禁止の趣旨は国内法に反映された、と言えなくもなかったためだ。

しかし、同条の文言は抽象的で、個別具体的場面での差別を解決する裁判規範性まで認められる条文ではない。きちんと権利条約の趣旨を国内法に反映させるには、どうしても「差別禁止法」という新たな法律の制定が必要であった。

そこで、「権利条約批准のために」という大義名分のもと、当事者たちの最後の粘りにより、2013年6月19日、「障害者差別解消法」(雇用の場面では「障害者雇用促進法」第34条~第36条の6)が成立した。その内容につき不十分な点が指摘されつつも、大きな一歩として評価された。

これを受け、権利条約を批准するための最低限度の準備は整ったと判断され、2013年の臨時国会で議論され、批准が承認された。憲法訴訟を起こしてまでの国内法整備に向けた当事者の努力を考えると、まさに悲願であったといえるだろう。

残された課題――日弁連会長声明

ただ、前述の3つの条件は、権利条約批准の「最低限の」条件でしかない。むしろ、権利条約に合致した社会の実現に向けた取り組みはこれからスタートする。参考として、今後の克服すべき課題につき、日弁連からの2つの会長声明を紹介する。

「障害者の権利に関する条約」の批准に際しての会長声明

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/131204_3.html

難病患者の生きる権利を支える医療費助成制度を求める会長声明

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/131219.html

以下では、この中でも特に喫緊の課題と思われる点について、少しだけ触れることにする。

意思決定支援(成年後見制度)

権利条約は、12条2項で、「締約国は、障害者が生活のあらゆる側面において他の者と平等に法的能力を享有することを認める」とした上で、法的能力の行使に際して必要とする支援を利用することができる、と定める。

日本の成年後見制度は、2000年に禁治産制度から大改正を経て現在の形になった。この制度では、意思能力の程度により、後見・保佐・補助という3類型があり、類型に応じて本人が単独でできる法律行為の範囲が異なる。ただし、現実には、一部の日常行為を除いてほとんどすべての法律行為について代理権、取消権を後見人に委ねる「後見」類型による運用が原則となっている(最高裁判所HP「成年後見関係事件の概況」)。

昨年、ダウン症患者の名児耶匠さんが、成年後見人の選任によって選挙権がなくなる公職選挙法の規定は、選挙権を保障する憲法に反する、として国に対して起こした裁判に対し、東京地裁は憲法違反の判断を示した。(東京地判平成25年3月15日、その後東京高裁で和解。)。これを受け、5月に公職選挙法の該当条文が改正され、成年後見制度開始から13年も要したが、ようやく全国の成年被後見人の選挙権が回復した。

この事件に代表されるように、現在の成年後見制度は、被後見人のありとあらゆる意思決定を被後見人に許さず、後見人が「代行」してしまう制度となっている。これに対し、権利条約は、12条に限らず、全体を通じて徹頭徹尾「自己決定」を尊重する。安易な自己決定の代替は、権利条約の趣旨に反するのである。権利条約に見合った内容とするためには、このような「代替的意思決定制度」としての成年後見制度から、「支援つき意思決定制度」への大きな転換が、可及的速やかになされる必要がある。

地域社会における自立生活~介護保障~

2011年12月13日、大阪高等裁判所で、在宅での自立生活を希望する脳性まひによる重度障害者に対し、1日18時間以上のヘルパー派遣を公費で保障するよう、市に義務付ける判決が出された。その翌年の2012年4月25日、和歌山地方裁判所で、同じく在宅での自立生活を送るALS患者に対し、1日21時間以上の介護保障を市に義務付ける判決が出された。

「自立」の部分でも述べたとおり、どれだけ重度の障害があっても在宅で自分の自己決定に基づいた生活を希望する者は多い。これらの判決は、国や地方自治体に対し、重度障害者たちの自立への意思を公的介護保障という形で支えるよう求めているのである。

しかしながら、これらの判決が出たあとも、自立生活に必要なヘルパー支給量が認められない、という事件は全国で後を絶たない。こうした状況を改善すべく、「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」が2012年11月に結成され、寄せられた相談に対し、弁護士が駆けつけて行政交渉や審査請求、訴訟を行なっている。

私もこの活動に参加しているが、これまで同会が支援に入った事件だけでも、北海道、群馬、東京、神奈川、静岡、京都、兵庫、香川、愛媛、高知、福岡、長崎、熊本、宮崎、鹿児島……と、全国津々浦々である。いずれも、「家族が面倒を見れば良い」「施設に入れば良い」「限りある財源を公平に分配すると、あなたに在宅での介護を保障することはできない」など、非障害者側の論理で行政から拒絶される事が多く、権利条約の理念とは程遠い現実にある。

慢性疾患患者(がん・難治性疾患他)の権利擁護

権利条約批准に向けた法改正の中で、改正障害者基本法は、障害者の定義を、「身体障害、知的障害、精神障害……その他心身の機能の障害(以下、「障害」と総称する)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」と改めた。これにより、ようやく身体障害者手帳の基準にうまく適合しない慢性疾患患者も、障害者としての権利保障の対象に含まれることになった。

慢性疾患患者の多くは、年金もなく、福祉サービスも受給できず、ごく一部の病気(難病、肝炎、一部水俣病、原爆症など)以外は医療費の助成もなく、生活保護以外はほとんど福祉的支援を受けることができない。しかし、上記障害者基本法改正を皮切りに、まず「難病」を障害者として捉える動きができつつある。

ただ、これまでまったく福祉の対象とされてこなかったために、当事者も支援者もどのような支援が必要であるか手探りの状態であり、支援のための法律(障害者総合支援法など)もまだまだ不十分な点が多い。また、権利条約批准と同じタイミングで、難病患者の医療費助成制度の大改革案が出されたものの、その対象となる患者の範囲設定方法、助成内容、ともに「患者が他の者との平等を基礎として社会参加できる」内容といえるかというと、極めて不十分であると言わざるをえない。

難病にかぎらず、多くの難治性疾患にとって医療費の異常な高額さが社会参加のネックになる。また客観的に認識可能な障害ではないので差別、偏見が根強い。医学の発展によりようやくつなぎとめた生命を、差別と偏見と医療費との闘いだけに費やすことのないよう、権利条約を意識した支援のあり方が求められる。

いっしょに

私が司法修習生に対して、高齢者・障害者委員会で研修をした時のことである。彼らは、知的障害者入所施設の見学の直後で、「想像していたよりも明るいところでした。入所者の皆さんの目もきらきらしていて、とても楽しそうでした」と話してくれた。そこで私は、「では、みなさんが、彼らと同じように1カ所に集められ、集団で施設での生活をせよ、と言われたらどう思いますか?」と尋ねてみた。すると、彼らの目は一瞬で曇った。

決して差別する意図があって述べた感想ではない。むしろ、障害者に関する仕事に興味を持ち、志願して研修を受講した者たちである。しかし、無意識のうちに「知的障害者は施設で生活しているもの」という社会通念ができあがっていることに気づいたのだろう。

社会的障壁の除去も、合理的配慮の提供も、既存の社会通念を破壊する作業であり、今までそのようなことを考えもしなかった大多数の非障害者にとって、一朝一夕に受け入れられる考え方ではないだろう。ただ、現状差別状態にあることが必ずしも責められることではない。この司法修習生たちのように、障害者の権利擁護に関心のある法律家の卵でさえ、無意識のうちに社会的障壁となる「慣習」に浸かっていたのだから。

大切なのは、差別状態の非難ではなく、どうすれば権利条約の趣旨を実現することができるのか、立場の違いを越えて「いっしょに」考えることだ。その過程を通じ、障害者がその能力を自由に発揮できる社会になっていくはずであり、そのときはきっと、非障害者にとっても優しい社会になっているだろう。

サムネイル「People」ThisParticularGreg

http://www.flickr.com/photos/thisparticulargreg/362937046/

プロフィール

青木志帆弁護士

大阪府生まれ。弁護士。弁護士法人青空尼崎あおぞら法律事務所(兵庫県弁護士会)、「日弁連人権擁護委員会障害のある人に対する差別を禁止する法律に関する特別部会」、「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」所属。障害者自立支援法違憲訴訟弁護団、和歌山石田訴訟弁護団、和歌山ALS訴訟弁護団などに参加。自身が難病(間脳下垂体機能障害)当事者である縁から、 難病をはじめとする「見えない障害」を啓発するポータルサイト「わたしのフクシ。」にてコラムを執筆。

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