2014.07.08

EUとウクライナ危機――解決に向けた手探り

東野篤子 ヨーロッパ国際政治

国際 #ウクライナ#EU

ウクライナにおいては、2014年5月25日の大統領選挙でのポロシェンコ氏の選出と同6月7日の新政権発足を経ても、安定化に向けてまだ多くの課題が残されている。6月下旬に設定されていた一時停戦も6月30日には期限切れを迎え、国際社会はウクライナ情勢の成り行きを固唾を飲んで見守っている。

EUのバローゾ欧州委員長が今回の一連のウクライナ危機を「ベルリンの壁崩壊以降、最大の脅威である」と評していることからもうかがえるとおり、EUは同国における一連の問題に対して重大な懸念を抱いている。ウクライナはEU加盟国と国境を接しており、EUにとって同国の安定化は、EU自らの平和と安定と切っても切り離せない。このためEUは、ウクライナをEUの近隣諸国のなかでも最重要と見なし、長年にわたって同国に対する関与を続けてきたし、今回の危機に際しても仲介や調停を試みてきた。

しかし同時に、EU・ウクライナ関係の構築や、それがEU・ロシア関係に与える影響等をめぐってはEU内部でも見解が分かれており、今回の件に対するEUの果たしうる役割を疑問視する声もある。また今回のウクライナの混乱は、EUの同地域への関与のありかたを根本的に問い直す契機ともなる可能性がある。

そこで本稿では、EUとウクライナの関係およびEUの対ウクライナ政策に焦点を当ててみたい。具体的には、これまでEUがどのようにウクライナに対する関与を行ってきたのかを振り返ったうえで、今回の危機に対するEUの対応について考察してゆくこととする。

ここでの主な議論は以下のとおりである。冷戦後のEUの拡大とともに、EUのウクライナへの関心は徐々に高まりを見せ、EUが展開してきた近隣諸国政策において、ウクライナは常に中心的な地位を占めていた。しかしこの一方で、EUの対ウクライナ政策は金額的にも内容的にも十分ではなく、また必ずしも同国のニーズに合致するものではなかったという問題を抱えていた。今後、EUがウクライナ危機に対して建設的な貢献をなしうるか否かは、いかにウクライナの現状に即した支援を実施していくのか、ポロシェンコ新政権と親ロシア派勢力との和平協議の実施をいかに推進するか、そして、EU内部でのロシアに対する立場の違いをいかに乗り越えつつ、ロシアとの間で地に足のついた対話を進めていくかにかかっている。

EU・ウクライナ関係の軌跡

EUとウクライナとの関係は、1998年に発効したパートナーシップ協力協定(PCA)を出発点としていた。PCAは旧ソ連諸国とEUとの間で締結された協定で、ウクライナ以外にはアルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、モルドヴァとの間で締結されていた。

ところがこの協定は、冷戦終焉後にポーランドやハンガリーなどの中・東欧諸国との間で次々に締結されてきた連合協定(いわゆる「欧州協定」)と比べ、著しく限定的な内容となっていた。このためウクライナの歴代政権はEUに対し、PCAよりも踏み込んだ関係を構築するよう、繰り返し要求していた。これに対してEUは、ウクライナはまずはPCAの内容を着実に実行に移すべきであると応じ、同国との関係強化には長らく積極的な姿勢を見せていなかった。

EUの消極的な姿勢の背景には、同国の様々な問題に対するEU諸国の警戒があった。ウクライナをはじめとした旧ソ連諸国は長らく、不法移民や麻薬、組織犯罪や環境汚染の輸出元と見なされてきた。したがってEUとしても、ウクライナを積極的にヨーロッパに取り込むよりも、同国から発生する不安定要素がEU域内に流れ込むのをいかに防いでいくかという点により強い関心を抱いて来たのである。

しかしEUは2000年代に入ると、それまでの消極姿勢を脱し、ウクライナとの関係構築に積極的な姿勢を見せるようになる。それは三つの重要な転機を背景としていた。

第一の転機は、ハンガリーやポーランドなどをはじめとした中・東欧の10カ国のEU加盟交渉が1998年以降順次開始され、2004年および2007年にはEUへの加盟を果たしたことである(いわゆる「東方拡大」)。この拡大によってウクライナは、新規加盟国のポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアと国境を接することになり、まさにEUの境界線に位置することになった。

こうした新規EU加盟国にとっては、ウクライナを安定化し、同国との良好な政治・経済関係を維持していくことは最重要課題であった。このためこの東方拡大と前後して、旧ソ連諸国向けの政策の検討がEU内部で始まり、2003年の「欧州近隣諸国政策(ENP)」として結実した。このENPは、当面はEU拡大の対象とはならないような、EU周辺諸国(当初はウクライナやモルドヴァ、グルジアなどの旧ソ連諸国だけが対象とされる予定であったが、のちにモロッコなどの地中海諸国もこの枠組みに加わった)との関係強化をはかるというものであった。また、2003年末に発表された「欧州安全保障戦略」においても、ウクライナを中心としたヨーロッパの近隣諸国の安定が、自らの安全保障に直接かかわる問題であるとの認識がはっきりと示された。

第二の転機は2004年の「オレンジ革命」であった。「親欧的」なユーシェンコ政権の成立はEUでも大いに歓迎され、ウクライナとEUとの関係を一段と強化することが新政権を支援する最良の方法であるという認識がEU内部に広まった。しかしその一方、ユーシェンコ政権がEUへの加盟希望も頻繁に表明するようになったことは、EUにとって悩ましい問題でもあった。当時進行中であった中・東欧への拡大で、すでに「拡大疲れ」が顕著であったEUにとって、ウクライナの加盟を検討する余力は残されていなかったのである。このためEUは苦肉の策として、ウクライナのEU加盟問題は当面検討しないことを明言しつつ、ウクライナの長年の要望に応えるかたちで、前述のPCAの後継となるような新たな連合協定交渉の開始に向けて動き出したのであった。

第三の転機は2008年のグルジア紛争であった。ENPの対象国であったグルジアがロシアと武力衝突に至ったという事態は、ヨーロッパ近隣諸国の安定と平和の実現を最大の目標として掲げてきたENPの存在意義をも揺るがすことになった。さらに、グルジアの次にはウクライナがロシアの攻撃対象となるかもしれないとする危機感も、EUの一部で存在していたともいわれている[*1]。こういった背景のもと、スウェーデンとポーランドが旗振り役となって、ENPにすでに参加している旧ソ連諸国との関係構築に焦点を絞った「東方パートナーシップ(EaP)」(2008年に基本合意)の構築が加速されることになった。このEaPはENPを補完するものとして位置づけられ、EUと対象国間で様々な協力を行うと同時に、対象国をEUのガバナンス基準に近付けるための支援を行うことになった。

[*1] たとえば当時の拡大担当欧州委員であったオッリ・レーン(Oli Rehn)は、グルジア紛争勃発直後にそういった認識を示していた。 ‘L’ombre russe sur la sommet UE-Ukraine’, L’express, 9 septembre 2008.

前述のEU・ウクライナ連合協定はこのEaPの枠内で扱われることになり、2008年に交渉が開始された。新しい連合協定は「政治対話と外交・安保政策」、「司法・自由・安保」、「経済・部門協力」、そして「深く包括的な自由貿易協定(DCFTA)」という、4つの柱で構成された。このDCFTAは連合協定の一部ではあるものの、連合協定とは別途交渉を行って締結されるものである(EUの公式文書を見ると、ウクライナとの自由貿易に関する取り決めが「DCFTAを含む連合協定」という、若干長々しい名称となっているのはこのためである)。通常の自由貿易協定の要素に加えて、対象諸国の通商関連法制をEU基準やEU法の体系(EUの用語でアキ・コミュノテールと言われる)に近付けるための支援措置が含まれているのが、DCFTAの特徴の一つである。

EUの対ウクライナ政策とその問題点

EUの対ウクライナ政策は、上記の三つの転機に後押しされる形で比較的順調に発展してきた。地政学的にもエネルギー安全保障の観点からも、ウクライナがEUの近隣諸国政策の最も重要な対象となるという点については、EUでほぼコンセンサスが形成されていた。またポーランドをはじめとした中・東欧諸国に加え、フィンランドやスウェーデン、ウクライナと同じく旧ソ連諸国であったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などが、ウクライナとの関係構築に非常に意欲的な姿勢を見せていたことも追い風となった。

ただし、ドイツやオランダ、ベルギーなどのEU加盟国は、この問題に消極的な姿勢を見せていた。これらの諸国は、ウクライナとの関係構築を急げば、結果的に同国のEU加盟問題にも踏み込まなければならなくなる恐れがあるとみていた。さらに、EUがウクライナに対して将来的な加盟の可能性を提示すれば、ロシアを刺激することになりかねず、ひいてはEU・ロシア経済関係に悪影響を及ぼしかねない懸念も根強かった。

とはいえEU全体としては、ウクライナとの関係構築の長期目標を「EUとの経済的統合と政治的連合」と設定することで、同国の加盟は当面は想定し得ないという方針を貫いていた。そしてこうした状況に対し、ウクライナ政府が特段の不満を表明することもなかった。2010年にヤヌコヴィチが大統領に就任した際には、親ロシア派の大統領の登場を警戒する声がEU内部でも上がったが、当時のヤヌコヴィチは連合協定交渉を継続することを約束していた。

しかし、一見スムーズに策定・実行されていたかのように見えるEUの対ウクライナ政策は、実際には少なからぬ問題を孕んでいた。それはなんといっても、ENPおよびEaPの枠組みで実施されるEUの対ウクライナ支援が、金額的にも十分なものとはいえなかったうえ、内容的にもウクライナが長らく抱えていた問題に深く切り込むには至らなかったという点に尽きる。

EUが毎年公表するウクライナに関する年次報告書では、同国の財政状況や産業構造、腐敗や汚職等の諸問題に対するきめ細かい指摘が見られ、EUが同国の抱える問題を一定程度正確に把握していたことがうかがえる。しかし、EUが実際に多くのエネルギーを注いだのは、ティモシェンコ元首相の釈放等に代表される人権問題であった。人権問題への取り組みは、確かにEU外交の極めて重要な要素ではあるものの、ティモシェンコ問題への執着がEUの対ウクライナ政策を、バランスを欠いたものとした側面は否定できない。またそもそもEUは自らの金融危機の影響で、対外支援に多くの資金を費やすことができる状況にはなかった。

もちろん改革の成否の責任は第一義的にはウクライナ国内の当事者たちにあることはいうまでもないが、ENPの開始から10年以上、さらにENPを補完するEaPの開始から5年以上が経過してもなお、同国の改革がほとんど成果を見せるに至らなかったことは、EUの対ウクライナ関与の限界と問題点を浮き彫りにするものでもあった[*2]。危機勃発後の2014年3月27日に欧州委員会が公表した報告書(「ウクライナにおけるENPの実施:2013年の進捗と行動に向けての勧告」)では、同国の改革に対し、「経済パフォーマンスが貧弱」、「ビジネス環境がお粗末」などの厳しい文言が連ねられていたが、それは裏を返せば、EUによる対ウクライナ政策が限定的な成果しか出すことが出来ていなかったことの証左に他ならない。

[*2] 以下の論考では、ウクライナの窮状に最も即した支援を行ってきたのは、米国でもEUでもなく(その善し悪しはともかくとして)ロシアであったことが、詳細な事例とともに説得的に示されている。蓮見雄『誰がウクライナを救うのか?――経済面から冷戦後最大の東西危機を解剖』(時事通信社 e-world Web新書)、2014年3月26日。

さらに言えば、EUの対ウクライナ政策が十分ではなかったことの背景の一つとして、連合協定締結のプロセスそのものが対象国の改革を促進してきたという側面を、EUが過信してしまったという側面も否定できない。というのも、これまで中・東欧諸国や旧ユーゴ諸国との関係構築において、連合協定はそれ自体でひとつのハイライトであったという経緯があるからである。

EUへの接近を希望する国々は同協定の締結を強く求め、その交渉・締結・署名に至るプロセスと並行して強力に国内改革を推し進めてきた。域外国にとって連合協定そのものが強力なインセンティブとして機能した例を何度も目の当たりにしてきたEUが、ウクライナに対しても同様の期待を抱いたとしても不思議はない。

たしかに一口に連合協定といっても、対象国からの強力な加盟希望に対する一種の妥協策として提示された例(中東欧諸国)、EU自らが積極的に提示した加盟展望を具体化するための手段として用いられた例(旧ユーゴ諸国)、そして加盟の可能性は否定しながらも、関係強化の一手段(あるいは象徴)として用いられた例(ウクライナをはじめとしたEaP対象諸国)といったように、その内実は様々であった。しかし同時に、いわゆる連合協定締結の過程で要求される各種の改革を対象国が着実に実行に移していけば、それが結果的にEUとの関係強化につながるという共通点も存在していた。しかしウクライナの状況は、連合協定締結プロセスによる予定調和的な改革を期待するには、あまりに多くの問題を抱え過ぎていたのである。

このようにしてEUの対ウクライナ政策による支援は、同国を重要視してゆくとのEUの方針には沿いつつも、実際には同国の根本的な改革をけん引するに至らなかったという矛盾を抱えていた。こうした状況の中、不安定な政治経済状況に対するウクライナ国内の不満は次第に蓄積され、2013年以来の危機を迎えていくのである。

ウクライナの混乱とEU

DCFTAを含む連合協定交渉は紆余曲折を経ながらも進展し、2012年には仮署名にこぎつけていたが、ヤヌコヴィッチ大統領は2013年11月21日、連合協定への署名プロセスの一時停止を決定した。国家安全保障上の関心と、ロシアおよびCIS諸国との「失われた貿易」を立て直すためということがその理由であった。

その数ヶ月前の同年6月に実施されていたEU・ウクライナ協力理事会では、ウクライナ側は連合協定の早期締結に向けての意欲を示していたため、EUはヤヌコヴィッチ大統領の決定を衝撃を持って受け止めた。EUは11月28-29日にリトアニアのヴィルニュスで開催されたEaP首脳会議の場で、ヤヌコヴィッチ大統領に対し、連合協定の署名を進めるよう要求する。同大統領はこれに対し、連合協定を署名する意図があることは再確認したが、その時期を明確化することはなく、同会合でのウクライナとEUとの交渉は決裂した。

この時期から「ユーロマイダン」をはじめとしたウクライナ国内の「親EU派」の抗議活動が激化する。EUは2014年2月21日、ヤヌコヴィッチ大統領と反対勢力が政治危機を脱するための合意に達するよう仲介を行ったが、翌22日にはヤヌコヴィッチ大統領が国外逃亡し、議会が大統領を解任するという事態に至った。23日には、政党「祖国」の幹部であったヤツェニュクを新首相とする暫定内閣が成立した。さらに、クリミア自治共和国が徐々に武装勢力に占拠され、3月16日の「住民投票」を経て、同18日にはロシアとクリミア共和国およびセバストポル市との間でロシアとの編入条約が署名された。

この一連の出来事に対し、EUは主に以下の3つの行動を持って対処しようとした。第一に、ロシアによるクリミア編入に対する非難および各種の制裁措置である。EUは、3月18日のファンロンパイ欧州理事会議長とバローゾ欧州委員長の声明、および3月20―21日の欧州理事会での声明において、クリミアにおける違法かつ正当性のない住民投票も、その結果も承認しないこと、ウクライナの主権、領土的一体性と独立は尊重されなければならないこと、ロシアのクリミア編入は承認せず、今後も承認しないこと等を表明した。

これに加え、「ウクライナの領土保全、主権および独立を傷つけ、脅かす行動」をとった人物に対し、資金凍結(2014年3月より順次開始、7月1日現在で61名および2企業が対象)や渡航禁止等の措置を発動した。さらに同欧州理事会では、当初6月3日にソチで開催が予定されていたEU・ロシア首脳会議もキャンセルとし、EU加盟国とロシアとの間の二国間の首脳級会合も当面取りやめることを決定した。

第二に、ジュネーブ共同宣言の策定への参画である。ロシア、ウクライナ、米国、EUは、ウクライナ情勢の打開を目指して2014年4月17日に7時間にもわたる外相級協議を行い、同宣言を打ち出した。同宣言では、すべての当事者があらゆる暴力や挑発を避けること、違法な集団を武装解除し、違法に占拠した建物などは正当な所有者に返還することなどを取り決めた。しかし武装解除の範囲や解釈をめぐっては米ロ間の認識に乖離が存在したうえ、ウクライナ暫定政権による親露派強制排除は継続され、同宣言は短期間のうちに形骸化した。

第三に、ウクライナに対する財政支援と連合協定の内容の前倒し実施である。EUはロシアによるクリミア編入と前後して、ウクライナに対する関税を一時的に撤廃しつつ、ウクライナ暫定政権との間で連合協定の政治協力関連部分の署名を実施した。またDCFTAに関しても、5月25日の大統領選挙を経て成立する政権にDCFTA部分に関する決定をゆだねるとの暫定政権の意向を受け入れつつ、大統領選実施以前から暫定政権側との間でDCFTA早期署名に向けた実質的な準備を進めた。ポロシェンコ新大統領は就任直後、同国議会での演説で「私は(連合協定署名のための)ペンをすでにこの手に握っている」と語り、EUとウクライナは6月27-28日の欧州理事会の際に、DCFTAを含む連合協定に正式に署名した。

なお、ウクライナ情勢への対応は日本とEUとの対話においても重要なテーマとなっており、安部総理大臣のブリュッセル訪問の際に行われた2014年6月7日の日・EU首脳会談の際にも、ウクライナ問題が協議された。ここでは、日本とEUがウクライナ問題に連携して対応することを確認し、ロシアに対して状況悪化を回避するよう要請している。

EU・ウクライナ・ロシア ――危機の本質と今後――

果たしてEUは今後、ウクライナ危機を収束させるにあたり、役割を果たすことができるのだろうか。

現在のウクライナにおける最大の問題は、ドネツク州を中心とした親ロシア派と政権側の抗争の長期化である。ポロシェンコ新政権と親ロシア派武装集団は6月下旬、一時停戦を延長しつつ和平協議に向けた調整を進めていた。

EUは一時停戦中に実施された6月27日の欧州理事会において、親ロシア派勢力に対する影響力の行使をロシアに対して改めて要求した[*3]。結果的に、この一時停戦は期限切れを迎えたものの、現段階ではドイツとフランスが、長期間の停戦の実現に向けた調停に乗り出している。7月2日にベルリンで実施された独仏ロとウクライナの4カ国による外相会談や、翌3日独仏ロ首脳会談および独仏ウクライナ首脳会談(双方とも電話会談)では、停戦再開の必要性やOSCEによる監視活動の強化などで原則的に合意したと報じられており、対話の機運は途切れてはいない。

[*3] なお同欧州理事会では、6月30日までに新政権側と親ロシア派との間で本格的な和平協議が開始されなければ、ロシアに対して一層の制裁措置をとる用意があることを明らかにしていた。しかしEUは翌日の7月1日、親ロシア派勢力に拘束されていたOSCE監視員4名が解放されたこと等を理由に、制裁実施を少なくとも当面は見送ることを決定している。

ただしこのように、ドイツやフランスが必ずしもEUの枠組みに依らずに停戦を主導するスタイルは、2008年のグルジア紛争時の停戦プロセスを彷彿とさせるものであり、EUそのものが直接的に役割を果たす余地は相対的には少なくなろう。同国の警察および軍隊の改革を支援するための文民ミッションをEUが派遣する構想が6月23日のEU外相理事会で基本的に合意されているが、これも激しい戦闘状態に直接貢献することが期待されうるものでもない。

さらに、ロシア・ウクライナ間で長年の懸念となってきたガス価格交渉についても、EUは新政権発足後も継続的に仲介を行ってきたが、ウクライナがガス料金の滞納分をロシアに対して支払わず、さらにロシアが提示した将来のガス供給価格案を拒否したため、ロシアはついに6月16日、同国に対するガスの供給を停止した。EUはウクライナの債務を肩代わりする意思は持ち合わせておらず、この点に関してもEUが果たしうる役割は限られよう。

そうであるとすれば、EUの今後の行動はまず、ウクライナ(およびウクライナを中心としたEUの近隣諸国)の安定化にいかに長期的にかかわっていくか、そしてロシアからの猜疑心をいかに取り除いていくかにつきる。それには、今回の一連の危機の本質を正しく理解したうえで、適切な手段を地道に講じていく以外にない。

まず、ウクライナへの対応である。前述のとおり、EUのこれまでの最大の関心は、ヤヌコヴィッチ元大統領によって棚上げされた同国との連合協定署名を推進する(あるいは事実上の実施を進める)ことにあるように見受けられた。この行動の背景には、連合協定の棚上げこそが今回のウクライナの一連の危機を招いた最大の原因であり、この鎮静化のためにはその正式署名と実施を進めることが最も効果的であるという認識が存在していると思われる。

しかし、連合協定署名延期やEU・ウクライナ関係をめぐる国内対立は、現在の同国の危機の原因のほんの一部に過ぎないこともまた、各種報道等によって明らかになりつつある。これらはたしかに抗議活動の悪化と政権崩壊を促進するひとつの契機とはなったものの、最大の原因はすでに述べたように、同国の長期にわたる経済的低迷や改革の停滞、汚職や腐敗、ヤヌコヴィッチの失政等に対する不満であった。EUが同国の危機の鎮静化に対して何らかの貢献を行おうとするのであれば、まずは連合協定問題と危機との連関を正しく認識する必要があるであろう。

むしろ問題は、今回のウクライナ危機勃発後にポーランドのシコルスキ外務大臣が鋭く指摘しているとおり、「EUは近隣諸国に対する自らのソフト・パワーと魅力をあまりにも過信しすぎていた」、「我々は、対象国の政治的発展も、第三国(注:ロシア)が与える影響も考慮せずに、こういった自由貿易協定(注:DCFTAを含む連合協定)を何年もかけて交渉するといった古臭いやり方がまだまだ通用すると思ってしまっていた」ことにあったといえるだろう。とりわけ、加盟を前提としない場合の連合協定プロセスの改革促進効果については、これまでも疑問視する声があったのであり、この点を今後しっかりと再検証していく必要がある。

とはいえ2014年6月27日の欧州理事会で、ウクライナのみならず、モルドヴァおよびグルジアとの連合協定も当初の予定を大幅に前倒しして正式署名がなされ、このことが同会合のひとつのハイライトとして扱われたことからもうかがえる通り、こういった内省がEU近隣諸国政策の刷新に反映されるにはまだ多くの時間を必要とすると思われる。

次に、EUによるロシアへの対応である。これも複数の論点が複雑に絡み合っており、現状の正確な把握とそれに基づいた対応を困難にしている。EUはたしかに一貫して、クリミア編入をめぐる一連のロシアの対応を強く非難してきた。

しかしこれをもって、EUとロシアがウクライナをめぐって激しい綱引き(tug of war)を繰り広げていると見ることは一面的に過ぎるであろう。EUはウクライナの重要性は十分に認識しており、かつクリミアの違法な編入は容認できないとの立場をとっているものの、ロシアとのあいだでウクライナを奪い合う意思は持ち合わせていないからである。

むしろEUはかねてから、ウクライナとの間でENPやEaP、その枠内での連合協定などを推進する際に、それがロシアに対する挑戦と受け取られかねないことに神経を尖らせてきた。欧州委員会のEaP公式文書は明らかにロシアを念頭に置きつつ、同政策が対立的(confrontational)な性質を有するものではまったくないという点を随所で強調してきた。実際、クリミア編入のような武力による現状の変更はEUとしては断固と容認できないことをロシアに対して訴えていくことと、EU・ウクライナ関係の強化がロシアの孤立化を意図したものではない旨をロシアに対して丁寧に説明していくことは、EUにとっては完全に両立可能なのである。

仮に今回の危機が、EU・ウクライナ関係の強化に対するロシアの懸念によって悪化したという側面があるのであればなおさら、EUがロシアの「誤解」を地道に解いていくことが極めて重要となる。ポロシェンコ新大統領はEU加盟希望について頻繁に発言してはいるものの、現実的には、EUとウクライナが今後どのように経済関係を強化しようとも、同国のEU加盟が現実味を帯びることは(少なくとも短期的には)想定しにくいし、(本稿の検討の対象外ではあるものの)ウクライナのNATO加盟の可能性も極めて小さくなりつつあるというのがヨーロッパの一般理解である。こうしたEUの認識をいかにロシアに理解してもらうかが重要なカギとなろう。

ロシアが5月25日のウクライナ大統領選挙の結果を事実上承認したことにより、クリミア編入後凍結されていたEUとロシアとの対話も再開しつつある。とりわけ、2013年6月のEU・ロシア首脳会議以降行われてきていた、ウクライナとのDCFTAがロシア・ウクライナ経済関係にいかなる影響を与えるのかについての共同検討プロセスは、EUとロシアとの認識の共有に向けて重要な役割を果たしうる。同プロセスは、2014年3月のロシアによるクリミア編入を受けていったん凍結されたものの、両者はこれを2014年7月以降再開することで基本合意している。

また、EUの対外行動局は2014年6月12日、「ウクライナ、EUのEaPおよびEU・ウクライナ連合協定に関するよくある質問」と題する、24ページにわたる広報文書を発表し、EUとウクライナとの関係が他国の利益を侵害するものではない旨をここでも強調しているが、これなどもロシアを強く意識した広報戦略とみてよいであろう。

しかし同時に、今後のEU・ロシア関係の構築は、とりわけ中欧の新規加盟諸国を中心に、ロシアに対する脅威認識と警戒感がかつてないほど高まっているという状況のもとで進められざるを得ないという状況にある。ポーランドのシコルスキ外相はロシアによるクリミア編入に触れ、「以前我々は、チェチェンやグルジアを例外と見なすことが出来た。今は違う。これがひとつの潮流なのだ」と語っている。こうした諸国のロシアへの脅威認識は、当然のことながら、今後のEUにおける対ウクライナ政策にも反映されていくことになる。今後のEUは、ウクライナの安定化への貢献と、EU内部における対ロシア認識の相違の克服等のあいだで、極めて難しいかじ取りを迫られていくことになろう。

サムネイル「Euromaidan」Raphaël Vinot

https://flic.kr/p/oeEX1z

プロフィール

東野篤子ヨーロッパ国際政治

筑波大学人社系国際公共政策専攻准教授。慶應義塾大学法学部卒業、慶應義塾大学大学院修士課程修了、英国バーミンガム大学政治・国際関係研究科博士課程修了(Ph.D)。OECD日本政府代表部専門調査員、広島市立大学国際学部准教授などを経て現職。専攻は国際関係論、ヨーロッパ国際政治。主な関心領域は、EUの拡大、対外関係、国際統合理論。著作に、『解体後のユーゴスラヴィア』(共著・晃洋書房、2017年)、『共振する国際政治学と地域研究』(共著・勁草書房、2018年)等、訳書に『ヨーロッパ統合の理論』(勁草書房、2010年)。

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