異なることがうれしい――写真展『なにものか』オープニングトーク

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写真家・齋藤陽道氏は2014年11月から1年間かけて、京都、広島、福島、高知の4つ(※)のアール・ブリュット美術館を巡った。

 

 「そこにまつわる施設、ひと、食事、空気、土地に触れながら、ふくらんでいくばかりのわからなさと、そことは別のところでより明晰になってくる直感との間で共鳴するリズムにうながされるまま10体のなにものかを形にした。」

 

と書く彼は、いったい何と出会い何を撮影したのか――

 

 2015年11月8日(日)~11月23日 (月・祝)、3331 Arts Chiyoda 1F〈3331ギャラリー〉にて、日本財団の主催により、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」関連企画として、齋藤陽道展「なにものか」が開催中だ。今回は、齋藤陽道氏と長津結一郎氏(TURN展事務局/NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表理事)による、オープニング筆談トークの模様を抄録した。(2015年11月8日、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」第3回東京フォーラム「ONE DAY TURN PARTY」より)

 

(※)みずのき美術館(京都府)、鞆の津ミュージアム(広島県)、はじまりの美術館(福島県)、藁工ミュージアム(高知県)の4館。

 

 

言葉よりも先に、『行ない』がある

 

長津 さて、今日は齋藤陽道さんの展覧会『なにものか』のオープニングおめでとうございます。

 

齋藤 ありがとうございます。一年越しのプロジェクトでした。4つのアール・ブリュット美術館をめぐっての滞在製作。初めての体験でした。どうにかなってよかったです……。

 

長津 よかったー。みなさんの中で、もう展示を見た人はどれくらいいますか?…ありがとうございます。半分くらい手が上がりました。さて、どこから話せばよいのか。

 

齋藤 今回は新作写真展というよりも、ぼくが写真を通して何をみたいのか、何を信じたいのか、その源泉にいたるための途中報告展、という思いです。

 

長津 展示を見せていただいた印象としては、すごく言葉が多かったり、いろんな出来事の痕跡が色濃くのこっている。写真を見ること、それ自体が製作のプロセスを追体験するような時間だなって思いました。

 

なので、まずは撮影をしている中でどんなことがあったのか、お話を聞かせてください。

 

 

鞆の津の「なにものか」

鞆の津の『なにものか』(撮影:齋藤陽道)

 

 

齋藤 今回、特に印象的だったことが、京都のみずのき美術館での福村さんとの出会いでした。

 

福村さんは、みずのき美術館の母体になっている社会福祉法人が運営している福祉施設に40年間いる人です。そして今ぼくがこうして書いているような、言葉をもって……いない方です。こう言ってしまうのも何か違う気がして、とても迷いますけれどね。

 

福村さんは名刺を集めるのが好きだということで、ぼくにも名刺を求められました。でもその時、名刺を持っていなくて、手書きで書いた名刺を渡したんです。すると福村さんもご自分の名前を手書きで書いてくれたんですね。こんな感じで。

 

 

福村さんが名刺に書いた文字

福村さんが名刺に書いた文字

 

 

「t」や「T」の形に似ていて、でもそのどちらでもない文字。それをオレンジ、青、赤の3色で重ねて書かれたんです。ぼくらが普段目にする文字ではないけれど、確かな確信を持って書かれた字です。そのときの出来事がすごく印象的に残っています。

 

みずのきでは、タテ100センチはある大きな仮面の「なにものか」を制作しました。そのとき仮面の原型はできていて色塗りをどうしようと考えていたのですが、名刺のやりとりで直感がおりてきて、福村さんに色塗りをお願いをしました。このときの強い直感というのも、不思議です。繰り返し言いますけれど、言葉はまったく交わしていないんです。

 

どこから来たのだろうと思う。また、ぼくは何を見てそう感じたのだろうと思う。幾重にも色を重ねてぬっていました。その色を塗る流れを映像にもしています。スライドではなく、映像での作品公開は今回が初めてです。映像も奥が深くて、もっとやってみたくなりました。

 

いがらしみきおさんの『I(アイ)』というマンガがあるのですが…。そのなかでも印象的なエピソードがあってそのことを思いだしました。この「アイ」の字も実は主人公のただの落書きのような、でもたしかな確信をもって書かれた意味のない記号であって、それを見る側が勝手に意味を見いだす、というエピソードなんですね。

 

 

いがらしみきお作「アイ」

いがらしみきお作の漫画・「I(アイ)」

 

 

文字を見るときぼくらはそこから意味を見いだして……それがコミュニケーションすることだと思っていたけど、福村さんの名前の文字が書かれているのを見たとき、意味よりもまっさきにその「行ない」がくっきり見えたんですね。言葉の意味や理由よりも、まず最初にあるものは、人が人に向ける「行ない」だった。

 

普段、ぼくも聞こえないということで音や情報から取り残されるから、言葉じゃないものを信じたいといつも思いつづけていて。その願いと、「人と人との間にはまず最初に行ないがある」という気づきとが結びついたとき、嬉しかったです。

 

意味のしっかりした言葉を、しっかりと理解できることがコミュニケーションのすべてだと思ってしまうと、ぼくはなにもできなくなってしまいます。けれど、「行ない」のほうに焦点をあてることによって、ぼくにも声を見ることができるようになれると思いました。【次ページへつづく】

 

 

みずのきの「なにものか」

みずのきの『なにものか』(撮影:齋藤陽道)

 

 

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vol.264 

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