2013.12.26
ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か
前回は、ソ連型システムの時代のハンガリーの体制批判経済学者、コルナイさんの言っていたことに基づき、ソ連型システムがなぜうまくいかなくなったかを見ました。
リスクと決定と責任がズレていると、リスクを無視した無責任な決定がどんどんとなされてしまう。リスクと決定と責任を、できるだけ一致させるような仕組みにすることが、ソ連型システム崩壊にともなう転換に課せられていた本当の課題だったのだ。その点から言うと、西側資本主義世界でもこれと同じ課題はたくさんあるのに、ソ連崩壊の教訓にのっとったつもりで、かえってこれと逆行するような誤解した政策が新自由主義サイドによって推進されてきた……ざっとこのようなことを見ました。
さて、同じくソ連型システム批判と言えば、西側においては、最も根源的な批判をしてきた人として、誰もが筆頭にあげるのが、自由主義経済思想の巨匠、フリードリッヒ・ハイエク(1899-1992)でしょう。
今回は、ハイエクのソ連型システム批判の要点を検討する中から、やはり、新自由主義側の人々が、ソ連崩壊の教訓にのっとったつもりで、かえってハイエクによるソ連批判が最もよくあてはまるようなことをやってしまっていることを確認したいと思います。キーポイントはここでも、
リスクと決定と責任
そして
予想は大事
です。
連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
第一回:「『小さな政府』という誤解」
第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から」
第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か」
第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』」
第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」」
第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1」
第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2」
第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3」
自由主義の巨匠ハイエク
ハイエクは、中欧オーストリア帝国の帝都ウィーンで生まれました。ウィーンは、今日的な、数学の微分概念を使う自由主義経済学(「新古典派」と呼ばれます)の創始者の一人、メンガーがいた街で、メンガーの弟子たちによって、「オーストリア学派」と呼ばれる経済学者グループが作られていました。オーストリア学派は、自由主義志向がとくに強いことが特徴の一つです。ハイエクも、第一次大戦を経た帝国崩壊後の小国オーストリア共和国の首都になったウィーンで、オーストリア学派の経済学者として活躍を始めます。
その後1931年に、ファシズムが台頭してきた故国を後にしてイギリスのロンドン大学に移りました。当時は大不況の最中でしたけど、イギリスには、不況からの脱却のために国家が積極的に経済に介入すべきだと提唱するケインズがいて、ほどなく一躍ヒーローになっていきます。それに対してハイエクは、経済自由主義を擁護してケインズとたたかう役回りになっていきました。
そんな中で、1944年に『隷属への道』を出版して、ファシズムとソ連型システムを根源的に批判。評判を呼んでベストセラーになりました。第二次世界大戦後の1950年には、ソ連との冷戦が激化するアメリカのシカゴ大学に移ります。シカゴでは、やはり自由主義経済学の泰斗であるフランク・ナイトらがシカゴ学派と呼ばれるグループを創始していて、ハイエクはその一画に加わることになります。後に、このシカゴ学派から、1980年代以降ケインズ派の天下を打ち倒していく、フリードマンやルーカスなどのバリバリの市場自由主義の経済学者が出ています。
ハイエクはその後、1960年代に西ドイツに移り、生涯徹底した自由主義思想を説き続けました。
「社会主義経済計算論争」
さて、そのハイエクによるソ連型システム批判ですが、基本的な論点が打ち出されたのは、いわゆる「社会主義経済計算論争」においてです。
この論争は、ロシアにソビエト政権ができて、世界中でこれに影響された運動が盛り上がっていた頃、オーストリア学派のミーゼスが、「社会主義の経済計画なんて無理だ」と文句をつけたことから始まりました。市場がなければ生産手段に適正な価格が付けられないから経済計算できないというわけです。
これに対して、ランゲというポーランド出身の社会主義者の経済学者が、「いや社会主義の経済計算は可能だ」と反論しました。この人は、社会主義側の教祖マルクスの労働価値概念は全然使っていなくて、経済学の手法としてまったく主流の、非常に優秀な新古典派一般均衡論使いなのですが、にもかかわらず「マルクス主義者」を自認しています。戦後、居並ぶ普通のマルクス経済学者など役に立たなかったのでしょう。スターリン一派に重用されて、故国の共産党独裁政権下ですすんで経済運営を担ったので、私を含め多くの人のランゲに対する評価は微妙になっていますが。
このランゲが社会主義経済計算論争で言ったのは、計画当局が計算上の価格を企業や消費者などの人々に提示して、それに基づいて人々がいろいろなものの欲しい量や提供したい量を当局に表明し、そのギャップを見てセリのように当局が計算上の価格を上下させるというような「試行錯誤」によって、必要なものが必要なだけ生産される計画がちゃんと計算できるというものでした。これは、当局のコンピュータの中の計算手続きの話だと解釈することもできますが、後には、実際に市場での売り買いで価格が動く、いわゆる「市場社会主義」の話とも解釈されるようになりました。
これは、これ自体ではまったくもって完璧な答で、この論争は一旦はランゲの勝利とみなされました。ところがこの論争にハイエクが参戦し、全然違う論点で、「社会主義経済計算」はやはり不可能だという反批判を行ったのです。それは、人々が何をどれだけ欲しいとか提供したいとかいう膨大な情報を、当局がどうやって集めることができるのか、ということです。それらは各自の身の回りの、そこにしかない情報で、当人にも意識すらされてないかもしれない。そんなものを集めるのは無理だと言うわけです。
実はランゲのイメージした経済モデルは、新古典派の創始者の一人のワルラスが作った、主流経済学標準バリバリの一般均衡論モデルそのものから直接出てくるものです。普通の新古典派が資本主義経済の働き方を表したものとみなしているモデルを、社会主義経済の経済計画の作り方として解釈し直したものだと言えます。ということは、この理論の大前提をひっくり返すようなハイエクの批判は、そもそも主流経済学の大前提をもひっくり返すことになってしまいます(この問題を主流派経済学がとりあげることができるようになったのは、ずっと後年ゲーム理論と呼ばれる分野が発展してからになります)。
それゆえハイエクは、主流新古典派の経済理論から一歩身をおいた孤高の経済思想家として、これ以降、自由主義経済思想を説き続けることになります。
あれこれの現場の知識は外から把握できない
ハイエクはその後1945年にこの論争をふりかえって自分の考えを論文にまとめています。これが、1949年出版の『個人主義と経済秩序』の第4章に収められていて、私たちはこれを日本語版の『ハイエク全集』(春秋社)の第3巻で読むことができます。
ハイエクはそこで、次のように書いています(ページ番号は、日本語版全集のページを表すことにします)。
……合理的経済秩序の問題のもつ独特な性格は、まさに次の事実によって決定される。すなわち我々が利用しなければならない状況についての知識は、集中され、もしくは統合された形で存在することは決してないのであり、むしろすべての個々別々の個人が持っている不完全で、かつしばしば相互に矛盾する知識の切れ切れの断片としてのみ存在するという事実がそれである。従って社会についての経済問題は……誰にとっても完全な形では与えられていない知識を、いかに利用するかという問題である。(同書108ページ)
このような知識のことを、ハイエクは「ある特定の時と場所における特定の状況についての知識」(*1)と言っています。それは例えば、教科書に書いてあるわけではなくて、現場で習熟して会得するしかない知識です。あるいは、具体的な誰彼の人間関係についての知識とか、そこここの土地勘とか、あれこれの具体的な事情のことです。
ハイエクは、この種の知識は「その性質からして統計にはならない」(*2)と言います。中央当局は経済計画を立てようとしたら、統計的情報に基づいて立てるほかないので、これらの知識は中央当局に伝えることがもともと不可能だということになります(*3)。だからこれらの情報が役に立つ使い方ができるのは、それを把握している現場の人が、すすんで決定に関与する場合だけです(*4)。
ハイエクによれば、社会の経済問題というものは、「ある時間と場所における特定の状況の変化に対する敏速な適応の問題」(*5)だと言います。「事件は現場で起こってるんだ!」というわけですね。そこで……
そのことから当然に、最終的な決定は、これらの状況をよく知っている人々に、関連する諸変化とこれらの諸変化に対応するためにただちに利用し得る資源について直接知っている人々に、任せられなければならないということになるであろう。我々はこの問題が、この種の知識のすべてをまず中央委員会に伝達し、その委員会がすべての知識を統合した後に指令を発するという形で解決されるであろうと期待することはできない。(同上書116ページ)
それを無理に中央で決めると、現場の事情を離れた勝手気ままな決定によって人々が振り回されてしまいます(*6)。それは、全体主義への道であるだけでなくて、文明を破壊し、将来の進歩を不可能にしてしまう(*7)と言います。
変化というものがなくて、前もってはっきりした長期計画を立てることができて、みんなそれを忠実に守って、それ以降は重大な経済決定をしなくてもいいというのならば、中央計画経済でもやっていけるけど、実際には、しょっちゅう無数の予期しない出来事が起こるものです(*8)。それらは統計的に相殺される性格のものではないのだから、その都度現場で適切な判断をするほかありません(*9)。
ハイエクが必要とみなした国家の役割
それゆえ、国有中央計画経済ではなく、経済活動は民間企業の自由にまかせなさいということがハイエクの主張になります。しかしハイエクだって、何もかも民間にまかせてしまうことを主張したわけではありません。国家の役割もあると考えていました。それでは、ハイエクの考える国家の役割とは何だったのでしょうか。
『隷属への道』(新版『ハイエク全集』第I期別巻、春秋社)では、第3章にそのことが書いてあります(*10)。後の1960年に出版された『自由の条件』第2部第15章(*11)(『ハイエク全集』第6巻、春秋社、1987年)でも詳しくまとめています。
ハイエクは、競争が有効に働くためには、よく考え抜かれた法的枠組みと政府の介入が必要だとして、私有財産制度や契約の自由を保証し、詐欺やごまかしを防止する役割を取り上げています。要するに民法などの取引ルールの体系のことですね。そして、通貨制度や情報伝達網、度量衡基準の設定、測量や土地登記の情報の提供、教育の支援、公衆衛生や保健サービスの提供、道路標識や信号の設置、道路の建設、労働時間の制限や働く環境の維持向上、公害や環境破壊を防ぐための生産方法の規制などの役割をあげています。
とくに、この中に労働時間などの労働基準を守らせるための規制が入っていることに注意して下さい。『隷属への道』の第9章では、国が人々に最低所得を保障することや、病気や事故や災害に備えるための保険を国家がお膳立てすることも認めています(*12)。従業員こき使い放題の自由とか、稼ぎの無い者食うべからずとか、そんな種類の「自由主義」はハイエク思想とは無縁のものです。
(*1)同上書111ページ
(*2)同上書113ページ
(*3)同上書113ページ
(*4)同上書111ページ
(*5)同上書115ページ
(*6)ハイエク『隷属への道』(新版『ハイエク全集』第I期別巻、西山千明訳、春秋社、新装版2008年、280ページ)
(*7)同上書281ページ
(*8)前掲『個人主義と経済秩序』113-114ページ
(*9)同上書114-115ページ
(*10)特に、前掲『隷属への道』41-46ページ
(*11)同書124-141ページ
(*12)同書154-155ページ
前もって決まっている形式的ルール
これらの法的枠組みと政府の介入は、いったいどんな理由で必要とされているのでしょうか。戦後の西側資本主義国であたりまえになったような各種経済政策に対して、不当な介入だと敢然と反対し続けたハイエクなのですから、ではどんな基準で必要な政府介入を判断しているのか、はっきりさせてくれなければ困ります。
その理由は、『隷属への道』第6章を読むと、わかりやすく説明されています。ここでハイエクが必要とみなしている国家は、「抽象的ルール」とか「形式的ルール」と表現されているものです。まずは、章の出だしの文章がよくまとまっているので、引用しておきましょう。
自由な国家と恣意的な政府の支配下にある国家とを最もはっきりと区別するものは、自由な国家では、「法の支配」(Rule of Law)として知られているあの偉大な原則が守られているということである。専門的な表現を一切省いてしまえば、この「法の支配」とは、政府が行うすべての活動は、明確に決定され前もって公表されているルールに規制される、ということを意味する。つまり、しかじかの状況において政府当局がどのような形で強制権力を行使するか、ということがはっきりと予測でき、個人はそれをもとにそれぞれの活動を計画できるようなルールが存在しているということである。もちろん、立法者も法の運用者も、誤りやすい生身の人間である以上、この理想が完璧に実現されることはまず無理だとしても、本質的なことは、強制権力を行使する行政組織に許される自由裁量権は、できるだけ最小限におさえなければならない、ということである。(92ページ、強調は引用者)
つまり、ハイエクが必要と認めているのは、前もって明確に決まっていて、そのときそのときの状況で勝手に動かせないルールです。一方で彼が批判したのは、「自由裁量」、すなわち、そのときそのときの状況に合わせて、担当官のさじ加減で判断される政策なのです。
このルールというのも、誤解を受けがちなのですが、ハイエクは「形式的」ということを強調していて、「実体的」ルールのことではないと言っています(*13)。法律で決めて実施されるなら何でも「法の支配」だというような見方は、「『法の支配』の意味を完全に誤解している」(*14)と言います。政府の活動は、完全に合法的だけど「法の支配」に背くということはあり得ます(*15)。
彼が批判する「実体的」ルールとはどういうことか。国家があれこれ特定の目的を実現するためのルールのことです。このような法律は、「立法者が人々に彼の目的を押しつける道具になってしまう。そのとき国家は、個人がその人格の十全な発展を進めるのを助けるような功利的組織であることをやめ、一つの『道徳的』制度となってしまうのだ」(*16)と言います。
ここで「道徳的」と言っているのは、善悪の判断を国民に押しつける制度という意味で、「ナチス・ドイツや他の集産主義国家は『道徳的』であり、自由主義国家はそうではない」(*17)とされます。何が善で何が悪かは、個人の良心の自由に任されるのであり、公権力はその内容には口を出さない「功利的組織」でなければならないということは、自由な社会の「イロハのイ」であり、ここでのハイエクの主張は当然そのことをふまえているわけです。
「君が代」を歌うことを、政治家が「ルールを守れ」という理屈で強制してくるときの「ルール」というのは、まさにこの「実体的」ルールですね。立法者が特定の価値観を個人に押し付ける道具にほかなりませんから。
自生的秩序のルール=ノモスとしての法
後年1973年出版の『法と立法と自由』では、この二種類のルールにほぼ対応するものは、「自生的秩序のルール」と「組織のルール」と呼ばれています。後者は、組織内で各自に割り当てられた仕事を遂行するためのルールで、「命令に従属的にならざるをえず、命令によって残されたギャップを埋めるのが仕事になる」(*18)、「その組織の命令者が目指す特定の結果に資する」(*19)ものです。それに対して前者は、「誰もその特定のまたは具体的な内容を知りもしないし予見もしない、一つの抽象的な秩序を目指すことを意味する」(*20)とされます。
もちろん、「自生的秩序のルール」は「形式的ルール」で、「組織のルール」は「実体的ルール」です。組織がある限りその内部では後者が必要なのですが、前者の「形式的ルール」の方がそれに優越しなければならないし、世の中全体を一つの組織にしてしまうことは、全面的に「組織のルール」が支配する世の中を作ってしまうがゆえに避けなければならないということになるわけです。
そして同書では、世の中の「自生的秩序のルール」の体系が「ノモスとしての法」と呼ばれて、分析のテーマになっています。それは人々が取引を繰り返しているうちに、意図せず自然に形成されるもので、典型的には、長い年月を重ねて裁判所の判決が積み上げられている内にできあがってくる慣習法です。かつての古典的自由主義の時代のイギリスでは、こうやって自然発生的にできた「コモン・ロー」が支配していて、国王も政府も議会もそれを勝手に変えることはできませんでした。
しかし、それは本来抽象的で目に見えるものではないので、現実に適用するときには、それぞれの状況に合わせて具体的な人々を動かす具体的な文章に書かれた法令の形をとらないわけにはいきません。それをハイエクは、「テシスとしての法」と呼んでいます。こっちは「組織のルール」になるわけです。ハイエクは、あくまで「ノモスとしての法」が「テシスとしての法」よりも優位に立たなければならないとみなしているのです。
この主張も、「古くからの伝統は守らなければなりません」的な保守主義的な解釈をされがちなのですが、それは違います。この本のいたるところで、アダム・スミスの「偉大な社会」という言葉が出てきますが、これは、スミスが「見えざる手」のメカニズムを見出した、近代的な市場社会のことです。大昔の部族社会や封建社会にあてはまることを言っているわけではありません。民間人の間の自由な商取引が無数に行われるうちに形成されるルールのことを指しているのです。
だから、取引のあり方や範囲が変わっていくのに合わせて、それを司るルールも変わっていかなければなりません。ハイエクも、裁判所の判例の積み重ねでは進化の行き詰まりにおちいってしまい、まったく新しい事情に適応することが難しくなってしまうことから、立法によってルールを変える必要を認めています(*21)。私見では、EUにおける、民法的ルールの共通化の動きなどは、市場取引の範囲がヨーロッパ規模で一体化している以上、当然起こるべきことと見るのがハイエク的見方だと思います。
(*13)同上書94-95ページ
(*14)同上書104ページ
(*15)同上書105ページ
(*16)同上書98ページ
(*17)同上
(*18)ハイエク『法と立法と自由』(『ハイエク全集』第8巻、春秋社、1987年)、66ページ
(*19)同上書67ページ
(*20)同上
(*21)同上書116-117ページ
現場にはリスクがある
ではなぜハイエクは、国家の役割を、前もって決まった明確なルールに限定し、そのときどきの状況に合わせたさじ加減で判断する政策に反対したのでしょうか。ここで、キーワード「リスク・決定・責任」と「予想は大事」が登場してくるのです。
先ほど述べたように、経済のことを決めるのに必要な知識は、特定の時間や場所や人間関係に依存していて、その現場の人だけが把握できるので、その当人が自分のために最大限それを利用しようとする判断に任せてこそ、一番有効にその知識を活かすことができるということでした。しかし、その判断にはリスクがつきものなのです。ハイエクは、競争をもちろん擁護する人ですが、競争の結果がすべて才能や努力の反映などと美化することはありません。「競争において人々の運命は、しばしばその人の技術や先見性よりチャンスや幸運によって決まることが多いのである」(*22)と、あっさり突き放しています。
にもかかわらず彼は、その単なる不運の結果所得が減ってしまったのを、国が補償することには反対します。最低限所得をみんなに保障することは賛成なのですが、それとこれとは別と言うのです(*23)。
所得に格差がつくことについて、「一般にこの命題は、どうやって人々にやる気を起こさせるかという問題であるかのように議論されている。もちろんそれも重要な点だが、それが全部ではないし、また最も重要な要素でもない。『適正な誘因』とは、人々に最善を尽くさせたいのならそれなりのやりがいがあるようにしなければならない、という議論にとどまる問題ではない。より重要なことは、人々に選択の自由を保障したいのなら、つまり何をなすべきかを自ら判断できるようにさせたいのなら、それぞれの職業が社会的にどれほどの重要性を持っているかを測ってみることができる、わかりやすい簡単な物差しが人々にあたえられなければならない、ということである」(*24)と言っています。「それぞれの働きが社会の他の人間にとってどれだけ有用か」(*25)ということがそれによってわかるということです。
つまり、知識が各自の身の回りに特有で、当事者だけが把握できるからこそ、広く世の中のニーズにかかわる情報を、外から正確に把握することは誰にもできないわけです。見込みが外れてしまって売れないリスクはどうしてもある。そのリスクを自分で引き受けて判断してこそ、なるべく人々のニーズに合わせた判断が目指されるようになるわけですね。だからハイエクは、「選択することもそれに伴う危険も個人にゆだねられているあり方か、それとも両方とも個人には課されないあり方か、の二者択一である」(*26)と言います。要するに、リスク・決定・責任の一致が必要だということです。
国家は民間人の予想を確定するのが役割
そうすると、民間人のこうした営みがスムーズにいくためには、ただでさえリスクのある彼らにさらなるリスクを課してはならない、むしろ、不要なリスクが軽減できるように、なるべく不確実性を減らさなければならないということになります。これが国家の役割ということなのです。ハイエクは『隷属への道』第6章で次のように言っています。
国家は、一般的な状況に適用されるルールのみを制定すべきで、時間や場所の状況に依存するすべてのことは、個人の自由に任せなければならない。というのも、それぞれの場に立っている個人のみが、その状況を十全に把握し、行動を適切に修正できるからである。そして個人のそういう知識が自らの計画の作成に有効に使われるためには、計画に影響を及ぼす国家の活動が、予測できなくてはならない。予測できるようになるためには、国家の活動は、予期も準備もできないような現実の状況によって変わるのではない、確固としたルールによってなされなければならない。(96ページ、強調は引用者)
では逆に、国家があれこれ特定の状況に応じたさじ加減の効く判断で政策をとったらどうなるでしょうか。前に述べたとおり、中央当局は、あれこれ特定の状況に応じた情報を把握することができない中で、もとごとを決めてしまうことになります。しかもどんな状況がやってくるか事前にわかりませんので、そのときにどんな政策がとられるかも、事前に民間の人々にはわかりません。
かくして民間の人々にとって、「国家活動の効果を予想することは不可能になる。ちなみにこの場合は、前者(一般的なルールの場合──引用者)と異なり、国家が『計画』をすればするほど、個人の計画は困難になっていく、というお馴染みの事実が必ず発生することになる」(*27)ということになります。
そのうえ、あれこれの状況に直面したもとで、民間の人々ならいろいろな選択をそれぞれにする可能性があるところで、国家がその中で特定の政策を選ぶということは、特定の目的を人々におしつけることになります。ハイエクは、これは公平ではないと言います。
立法者が公平でありうるとしたら、まさにこの意味においてだけである。公平であるということは、特定の問題──決めざるをえない時にはコインを投げる必要のあるような問題──にどんな答えも持っていないということを意味するのである(*28)。(強調は引用者)
「決めざるをえない時にはコインを投げる必要のあるような問題」というのは、すなわちリスクのある問題ということです。つまり「役所はリスクのあることに手を出すな」ということです。私から敷衍して言えば、役所がリスクのあることに手を出すと、その結果はその判断に同意していない人も含む多くの人々を巻き込むことになるのに、その責任はとらないということです。せいぜい決定者が辞めるぐらいです。江戸時代なら切腹したかもしれませんし、北朝鮮では銃殺されるかもしれませんけど、だとしても、被害者が補償されるわけではありません。補償されたとしても、それは決定者の自腹で負担されるものではありません(そもそも無理)から、結局国庫の負担になって、一般国民に広く損が分散されるだけです。
野田前総理は、原発の再稼働を決めるにあたって、「総理としての責任で」とおっしゃいました。この「責任」ってどんな意味なのか、私にはまったくわからないのですけどね。万一今度原発に何か起こったときに、まだ野田さんが総理でいる可能性は、あの時点から見ても限りなくゼロでしょう。議員である可能性もほとんどない。辞めて責任をとるというわけにはいきません。ましてや自腹で被害者に賠償するはずはないし。
リスクのあることを決めても責任をとらなくてもいいのならば、どんどんリスクのあることに手を出してしまうでしょう。それでは、ただでさえリスクを抱えている民間の人々に、さらに過剰なリスクを押し付けることになってしまいます。
ハイエクの提唱する、誰にでもあてはまる一般的ルールは、逆に、人々の予想を確定させてリスクを減らすものです。「それによって人々は、生産活動をしていく上で関わりを持たざるをえない他者が、どのように行動するかを予想できるように助けられる」(*29)というものです。例えば、民法などのルールがあれば、詐欺やごまかしのリスクは減って、安心して取引できます。私有財産権が保証されていれば、あとでもうかるようになってから重税を課されたり、政府に企業を接収されたりする恐れなく、安心して事業に投資できます。
リスクのあることは、すべてそのリスクにかかわる情報を持つ現場の民間人に決定を任せ、その責任は自分で引き受けさせる。公共は、リスクのあることには手を出さず、民間人の不確実性を減らして、民間人の予想の確定を促す役割に徹する。この両極分担がハイエクの提唱した図式だと言えるでしょう。
(*22)『隷属への道』前掲書130ページ
(*23)同上書154-155ページ
(*24)同上書161ページ
(*25)同上書158ページ
(*26)同上書163ページ
(*27)同上書96ページ
(*28)同上書97ページ
(*29)同上書93ページ
役所が民間企業のようになれという誤解
さて、ハイエクは世界の政界に自由主義を広める目的で、「モンペルラン協会」を作って活動しました。また、ロンドンに作った「経済問題研究所」は、サッチャー革命の理論的拠点となりました。こうして世界中で「小さな政府」を掲げる新自由主義路線が、ハイエク思想の名の下に推進されてきました。
このような流れの中で日本でも、競争や財政削減や民営化を推進する動きが支持を集めてきましたが、はたしてそれはもともとハイエクの言っていたような根拠で理解されたものだったでしょうか。
私にはハイエクとは正反対の考え方で推進されているように思えます。
ここはやはり橋下徹さんのやられていることが典型だと思いますが、ことあるごとに「民間では……」と言って、職員を威圧したり、校長や区長を民間から公募したりしています。カジノにしろ「大阪都」にしろ、あえてリスクのあることを断行することがいいことのような姿勢をとっています。一言で言えば、役所が民間企業のようになることが、自由主義的転換の中身であるように理解されているように思います。しかもかなりブラックなやつ……。民間企業のやるようなことに役所が手を出してはならないというのがハイエクの主張だったのに。
そういえば半年ほど前、新参の岩手県議の人が、県立病院で番号で呼ばれたことに腹を立てて支払いせずに帰ったとか、自分は1万5000円以上の検査料を支払う上得意客だからカウンターに呼ばず長椅子に座っている所に来いとかいう内容のことをブログに書いて、ブログが当人への非難で「大炎上」したという事件がありました。この県議は、このあと自殺したのですが、その後もネット掲示板では、それを嘲笑する、死体にむち打つような書き込みが相次いだそうで、まったく後味が悪い話です。
憶測でしかないのですが、私はこの人は、こんなふうなブログを書いたらネトウヨの人たちから拍手喝采されると期待していたのではないかと思います。ブログでは自信満々に、自分と病院とどっちが間違っていると思うかと読者に問いかけていたそうです。つまり、県立病院は民間企業のようになるべきであって、自分は県会議員として、率先してその接客の至らなさを正したのだというつもりだったのでしょう。それが、期待に反して自分の支持者になると思った人々から中傷の嵐を受けてショックを受けたのではないかと思います。
思い返せば、十数年前の小泉さんの「改革」もそうでしたけど、権力者が、民意の支持のもとに、ハイエクの最も嫌う、何らかの特定の目的を持った判断を行い、リスクをいとわずに断行することをよしとする姿勢が横行しているように思います。十数年前は、その結果もたらされた就職氷河期で、どれだけの若者の人生が狂ったか。リストラ横行してどれだけ自殺者が出たか。でもその判断をした当人たちは、何の責任もとりません。
さて次回は、70年代までの国家主導体制からの転換に直接影響を与えた、フリードマンや合理的期待形成学派などの反ケインズ派のマクロ経済学説を検討します。また、ほぼ同じ80年代以降、ミクロ経済学分野の教科書を書き換えていった「ゲーム理論」の進展についても見てみます。キーポイントはここでも、「予想は大事」です。
連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
第一回:「『小さな政府』という誤解」
第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から」
第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か」
第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』」
第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」」
第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1」
第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2」
第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3」
(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)
サムネイル「Friedrich August von Hayek 1981.jpg」LSE Library
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Friedrich_August_von_Hayek_1981.jpg
プロフィール
松尾匡
1964年、石川県生まれ。1992年、神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。1992年から久留米大学に奉職。2008年から立命館大学経済学部教授。