福島レポート

2018.05.12

心の中にも安全な場所をつくるということ

前田正治氏インタビュー / 服部美咲

インタビュー・寄稿

東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、福島県が2011年から実施している県民健康調査の一環として、「こころの健康度・生活習慣に関する調査」が行われている。これは、主に避難指示が出た区域などの住民を対象に、住民の健康を「こころ」と「からだ」の両方の面から見守りながら、必要なケアを提供するための調査である。アンケート調査の結果、支援の必要があると判断された場合には、電話などにより支援が行われることもある。

調査の結果、地域の精神保健疫学調査において、うつ病や不安障害など、こころの健康状態を判定する尺度「K6」が13以上(重篤な心理的苦痛がある状態)とされたのは、2011年では14.6%、2015年においても日本人の平均の約2倍の7.1%になることがわかった。近年はこの数字の改善傾向も停滞しはじめている。

今回は、先進国の国民の健康に関わる最大の問題のひとつともいわれるうつ病、またPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども含む「こころ」の側面から、震災と原発事故後の福島の住民の健康について考える。福島県立医科大学医学部・災害こころの医学講座で、2013年10月から主任を務める前田正治教授にお話を伺った。

「見える」災害と「見えない」災害

――震災や原子力災害によるストレスとは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。

まず、「見える」「見えない」という軸で考えると、今回の震災と原発事故には大きく分けて2つの特徴があると言えます。

「見える」という特徴が顕著だったのが、地震とそれに伴う津波などの自然災害です。震災直後にはこれらのショッキングな映像が、テレビやインターネットなどを通じて拡散されました。このことは、実際の被災地からの距離にかかわらず、日本全体に大きな衝撃と不安を与えました。

これに類した現象として、ベトナム戦争の際に、戦場の様子がテレビで生中継されて世界中に大きな影響を及ぼしたことが知られています。ベトナム戦争が「Televized war(テレビ化された戦争)」だとすると、今回はインターネットも加わった「Televized disaster(テレビ化された災害)」だといえるのかもしれません。

一方、「見えない」という特徴が顕著だったのが、原子力災害、とりわけそれにともなう放射線の問題でした。放射線は目に見えません。見えないけれど「怖いものだ」というイメージだけはある。これがいわば「あいまいな恐怖」を生み出しました。この「あいまいな恐怖」が、地震や津波など自然災害の映像の拡散による衝撃が全国的に(世界的に)広がっていたこともあってか、あいまいなまま大きく広がってしまったという側面もあるのかもしれません。

原子力災害の持つ「あいまいさ」は放射線への恐怖や不安にとどまりません。たとえば津波に襲われた土地は、被災直後であれば誰が見てもここがそうだとわかりますし、復旧の状況もまた、見ればある程度はわかります。しかし原子力災害の場合、まず「どこが被災地なのか」という境界があいまいです。線量の高低も、その地点に実際に測定器を持ってこなければわかりません。また、たとえ線量そのものが十分に低くても、風評被害が起こればそこもまた被災地です。

原子力災害は人が起こした災害である上に、「どこからどこまでが被災地なのか」という線引きも、人がしなくてはならない場面が多くなります。

「なぜ私がこんな目に遭うのか」という理不尽さへの怒りが、自然ではなく人間に向かってしまう。そしてそういった怒りや悲しみが、たとえば不信感や恨みとして噴き出している場合もあると思います。

――人間関係が深くかかわる事件や事故によるトラウマは、とくに深刻化しやすいという専門家もいます。

「交通事故や犯罪被害によるPTSDの発症率は、自然災害そのものによるPTSDの発症率よりも高い」という研究が多くあります。自然災害が起こると、「みんなで力を合わせて前に進もう」という、コミュニティがもともと持っている力がうまく機能して、レジリエンス(心の回復力)が高まる場合が多くあります。しかし、たとえば交通事故などの人がからむ事故の場合にはこういった特徴がありませんので、PTSDの発症率は高くなります。そして、もっともPTSDの発症率が高いのは、戦争や犯罪被害に巻き込まれたケースです。

つまり、「人」という要素がからめばからむほど、PTSDの発症率は高まると考えられます。人がからむと、多かれ少なかれ、当事者が、他者を責める一方で自分をも責めてしまうんですね。他者への怒りと自責感は表裏一体ですから。見落とされやすいことですが、「持続する自責感」というのはPTSDの重要な症状のひとつでもあります。そしてこれは抑うつ症状にもつながります。

福島第一原発事故の後、「私が避難しなかったせいだ」とか逆に「私が避難したせいだ」とか、自分を強く責めてしまう例もよく見られますね。

――医療従事者や自治体職員など、自身も被災されながらも被災者の心身のケアをなさっている方々の心の健康について、以前前田先生が講演でおっしゃっていたことが印象に残りました。

被災地の医療従事者や被災自治体職員の心の健康問題は、今非常に深刻です。自治体職員の約18%がうつ病に罹患していることもわかっています。

ぼくがこの問題に気づいたきっかけは、被災地の医療従事者の状況を知ったことでした。たとえば、ある被災した病院が再開したときに、原発事故直後に避難した人としなかった人が同じ職場で働くことになりました。原発事故直後に避難したスタッフは、「逃げた」という言葉で自分を責めていました。一方で、避難しなかったスタッフもまた、人員も食料も極端に不足している中で大勢の患者さんのケアをするという大変な苦労を経験しています。スタッフの中には、家も家族も津波によって失ってやむなく避難した人もいました。そのスタッフさえも「私は逃げたのではないか」と自分を責めていましたね。

被災自治体職員の多くが、自分自身も被災者なんです。それでも、この人員不足の中、住民の不安や不満、怒りなどに日々対応し続けています。さらに、「住民がこれほどがんばっているのに、自分が辛いとは言えない」という思いから、自分自身の辛さを誰かに相談することすら難しいという状態にも陥りやすい。住民の目を気にして、休みをとることをためらってしまうような人も多いようです。

職業人としての責任感の強い人ほど、こういった状況が深刻化しやすいのかもしれません。しかし、自分のためだけではなく、住民の支援を長く続けるためにも、しっかり休んで心身のケアに努めてほしいと思います。

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前田氏

――「避難するかしないか」という葛藤でいえば、避難指示が出なかった地域から避難された方もまた苦しまれていますね。

とくに遠くの地域に個別で自主的に避難された方にとって、「もしかしてそこまで心配しなくても良かったのかもしれない」と思い直すことは苦しいことでしょう。避難先の地域コミュニティに溶け込んで日常生活が送れていればまだいいのですが、それがうまくいかずに孤立しがちな生活を送っているような場合は、ますます苦しいでしょうね。

「線量も十分に低いし、なんら心配なく故郷で生活できるのだ」ということを今理解したとしても、「今さら故郷に戻ったら、周囲にどんな目で見られるだろうか」という不安もあると聞きます。自主避難の場合、一人ひとりが判断するという部分が大きいので、それ自体が家族間の軋轢を生むこともあります。また、家族内でそれぞれが別の選択をするようなケースもあるでしょう。

もちろん、避難せずにとどまった場合も、事故の直後はもちろん、今でも多くの葛藤や不安を抱えて生活されている方もいます。とくに若い母親は「避難しないという選択が正しかったのだろうか」と不安になったり、何かのきっかけでそれが自責感になったりして苦しむケースもしばしばみられます。

こういったケースでは、周囲の人たちと思いを分かち合うなど、コミュニティの本来の自助的な機能をうまく働かせて、孤立感や自責感を最小限に食い止める対策が必要だと思います。

福島における「こころ」の問題の深刻さ

今、福島で起きている非常に深刻な問題は、放射線そのものの影響ではなく、精神保健上の問題です。よくリスクコミュニケーションなどの際、放射線による健康リスクと喫煙による健康リスクなどが比べて語られます。しかし、むしろ考慮されるべきなのは、避難した場合と避難せずにとどまった場合、あるいは帰還するかどうか、というところでのメリット・デメリットなのではないでしょうか。先の見えない避難がもたらす精神保健上の健康リスクというのは、凄まじいものがあります。

――精神保健上のリスクとは、具体的にはどのようなリスクでしょうか。

最大のリスクの一つは、うつ病の発症です。うつ病は、身体症状に比べて軽くとらえられがちですが、とんでもありません。場合によっては命にもかかわるとても深刻な病気です。世界保健機構(WHO)も、うつ病は先進国ではもっとも健康に影響を及ぼす病気であるとしています。

福島の人たちが味わった「故郷を失う」という体験は、強い喪失体験です。これはうつ病発症の大きな原因になりえます。もちろん、原発直後に避難を選ぶことは、人の感情としてもごく自然なことだと思います。ただ、長期間の避難にはかなり大きな精神保健上のリスクが伴うことも事実です。

通常の引っ越しでさえもうつ病発症のきっかけとなる要素のひとつですが、避難や移住はもちろん通常の引っ越しとは比較にならないほどのストレスになりえます。震災直後の一時的な避難ももちろんですが、長期避難はより深刻なストレスをもたらすでしょう。避難そのものもそうですし、また慣れない避難先での人間関係がストレスを生む場合もあります。

――福島第一原発事故の後の福島の住民の苦しさというのは、外に伝えづらいものですね。

日本は不幸にも地震などの災害が多く、そのために「被災のナラティブ(被災について自らの体験として語ること)」とでもいうべきものを持っています。言い換えると、自然災害は日本人にとって「語ること」がしやすい部分があるのかもしれない。しかし、原発事故による被災体験は、なかなか他の人に伝えづらいですね。

これは、原子力災害という目に見えない災害による被害特有の葛藤かもしれません。伝えることの難しさのために、住民がやがて多くを語らなくなってしまう。住民が語らなくなってしまうと、外から忘れられる気がしてね。それが辛いですね。忘れられてしまうか、逆に偏見だけが残るか。

この偏見の問題は深刻です。当初は車のナンバープレートに「福島」とあるだけで騒がれるようなこともありました。このために、県外に避難した人は福島から来たことを隠して生活していたということまであったと聞きます。

2011年の冬には「わざわざ偏見の問題を指摘するとかえって偏見が起こる」という声もありました。そういった理由からこれまで本格的に対策されないままだったのかもしれませんが、結果的には偏見は終息せずむしろ固定化の方向に進んだように見えます。

――風化によって偏見だけが残ってしまうとすれば、それは深刻な問題ですね。

放射性物質じゃなくても、「目に見えない何かが体に入ってきた」という印象を被害者や周囲が持つような事件や事故は、とてもネガティヴな感覚をもたらすようです。ぼくはもう「汚染」という言葉自体、あまり使わないほうがいいんじゃないかとすら思う。

抑うつ傾向と「リスク認知」との深い関係

一般的に、PTSDの治療でCBT(認知行動療法)という心理療法が有効であるケースがあります(注1)。

(注1)認知行動療法:自分自身のものの考え方の傾向・現実の受け取り方(認知)をよりストレスの少ない方向に導くための心理療法。うつ病や不安障害、PTSDなどのさまざまな状態に効果を示すということがわかっている。(『心の健康』厚生労働省

今回の場合で言えば「メリット・デメリットを比較して考えてみる」ということを実際に試して、不安が減ったかどうか自己分析してみる。それからリラクゼーションも大切なことです。そのためにももっとも大切なこととして、夜はしっかり眠ること。「夜も眠らずに悩む」というようなことはしないということが大切です。

帰還した住民のうち、抑うつ傾向が強い人の要因を調べたところ、放射線のリスク認知(リスクの大きさについての受け止め方・考え方)と抑うつ傾向との間には深い関係があるというデータが出ました。もちろん放射線への不安から抑うつ傾向が強くなっている人もいるでしょうけれど、むしろPTSDなどの影響で抑うつ傾向が強くなってしまったがためにリスク認知が低下している人が多い可能性が高いです。さらに、この二つがお互いに増幅し合っているとも考えられます。

一般的に、抑うつ傾向が強くなると、さまざまなことを悲観的に考えるようになります。強い抑うつ傾向の影響で、放射線による健康リスクを過大に感じてしまっているという可能性は十分に考えられます。つまり、強い抑うつ傾向がリスク認知にも影響を与えているという可能性です。

もちろん、放射線について不安を感じることそのものは当然のことであって、なんら病的なものではありません。ただし、睡眠が取れなくなっているとか、放射線以外のこともまた悲観的に考えてしまう傾向が強いといった状況であるならば、気をつけなければならないでしょう。

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PTSDは心の中の「安全な場所」を壊してしまう

抑うつ傾向を強める原因はさまざまです。将来を見通せないとか、環境の変化、また被災地の場合はいわゆる「復興疲れ」のようなものも重なっているでしょう。あるいは、避難先にいる間はそれほどでもなかった人が、帰還したら「震災や原発事故当時のイメージを繰り返し思い出してしまう」という、PTSDによるトラウマ反応から抑うつ傾向を強めてしまうこともあります。もちろん、はじめに放射線の影響を心配したことが原因で抑うつ状態に陥ってしまった人もいるかもしれません。いくつものデータからは、多くの被災者にはさまざまな悩みが重なっていることがうかがえます。

PTSDのトラウマ反応というのは、安全な場所を安全だと感じられなくするという特徴があります。たとえば、ぼくらは今突然この部屋の天井が落ちてくると思いながら話していないでしょう。でもPTSDのトラウマ反応が起こると、「今にもこの天井が頭の上に落ちてくるんじゃないか」という不安に飲み込まれてしまうような状態になります。

つまり、PTSDは、人間の心の中に本来あるはずの「安全な場所」という大切な感覚を壊してしまうんです。心の中の「安全な場所」が壊れてしまうと、線量の数字が下がっても、それだけでは十分な心理的効果が得られなくなってしまいます。客観的に安全な場所であろうとも、それを「安全な場所だ」と本人が認知できなくなっている状態です。

多くの被災者は、放射線のことだけではなく、たくさんの生活上の悩みを抱えています。あまりにも悩みが多すぎて、またそれぞれの悩みが深すぎて、結果的に自らの心の健康を損なうほど悩んでしまう場合も少なくありません。うつ病は、自殺という非常に悲しい結果をもたらすこともあります。福島の震災関連自殺の突出した多さを考えても、このことには十分に気をつけなければなりません。

放射線による健康影響について不安に感じるのは人間として当然のことです。その上で、PTSDや抑うつ状態などの要因がリスク認知に影響して、本人を過剰に苦しめているなら、それもまた丁寧にケアされるべきです。

「次世代への影響は考えられない」ことをきちんと伝える

――「放射線への過剰な不安による苦しみ」という状況を避けるために、何かできることはあるでしょうか。

まずは放射線についての最低限の基礎知識を伝えることはとても重要です。たとえば、ぼくは次世代への影響についての不安がいまだにこれほど強い(注2)ということが一番深刻な問題だと考えています。これは偏見や差別に結びつきやすい誤解だからです。

(注2)平成28年度福島県民健康調査「こころの健康度・生活習慣に関する調査」報告より。 質問項目:「子や孫ら次世代以降の県民に影響が起こる可能性について」「非常に高い」あるいは「高い」があわせて約38%。

今、放射線被曝による影響そのものではなく、「自分が福島で生まれ育ったということが、県外の人からどのように見られてしまうのか」という不安によって苦しんでいる福島の人が少なくありません。

「なんらかのリスクが次世代にまで受け継がれる」と誤解されることは、その人の人生にとって非常に大きな苦しみでしょう。たとえば「あなたは子どもを産めるのか」などと言われたり、ましてそのことで本人が不安に思ったりすることは、その人をものすごく苦しめます。

ですから、「放射線による次世代への影響について、福島に生まれ育ったからと言って特別に心配することはないんだ」ということは、専門家がきちんと伝える必要があります。福島県内だけではなく、県外にもしっかり伝えていかなくてはならないと思います。

そして、放射線への不安があるとして、その先の「じゃあどうすればいいのか」ということを、みんなで考えていく必要があります。

たとえば、交通事故の多い地域に住む人が、それだけが理由で移住することはあまりないでしょう。私たちは、つねになんらかのリスクと共に生活しています。問題は「リスクがあるかないか」ということではなく、「そのリスクがどれくらいの大きさなのか」ということです。「それまでの生活を犠牲にしてまで避けるべき大きなリスクなのかどうか」という視点が大切です。

――まずは基礎知識を正しく、わかりやすく県内外に伝えていくことが大切ですね。

それから、県外から支援というかたちで福島にかかわろうとするときにも、十分な配慮が必要だと思います。たとえばある県外の支援団体が、原発事故の後「福島の子どもが外で遊べなくてかわいそうだ」と考えて、福島の子どもたちを招待して遊ばせていたんだそうです。子どもたちは、大人たちのそうした思いとは関係なく、楽しく遊んで福島に帰ってきます。子どもたちが楽しそうだということで、支援団体の人たちは純粋に「自分たちはいいことをしているんだ」と思っていたそうです。

ところがある年、同じように福島の子どもを県外で遊ばせていたところ、ある人が「あなたたち福島の子どもは、放射能で体が毒されていてかわいそうだ」と子どもたちに向かって言ったんだそうです。そしてキノコを煮たようなものを配って、「これを食べれば放射能が体から流れ出るから」と食べるように薦めたんですね。

子どもたちは、「私たちは、そんなにけがれていると思われているのか」と非常に大きなショックを受けて、静まり返ってしまったそうです。泣き出してしまった子までいました。

この出来事がきっかけで「『福島の子どもはかわいそうだ』と思うことが、逆に福島の子どもを傷つけていた」と気づいた支援団体の人もいたようです。

「福島の子どもたちがかわいそうだ」という思いは、むしろ彼ら支援者なりの善意だったのかもしれません。でも、そういう「善意」は、子どもたちに「自分はけがれている」(「スティグマ」=負の烙印)という感覚を背負わせてしまう結果につながりかねない。

――そういった「スティグマ」の感覚は、子どもにとってはとても苦しいものでしょう。

子どもたち自身、そしてそのお母さんたちにとって、そういったスティグマは非常に大きな苦しみとなることがあります。

たとえば、原発事故後の福島の子どもの甲状腺がんについての不安も、このスティグマの感覚に深くかかわっていると思います。甲状腺がんそのものの多くが命にかかわるようなものではないということは、すでに知っている人も多いかもしれません。しかし多くのお母さんたちは、甲状腺がんの予後が良いか悪いかということだけではなく、「自分のせいで子どもががんになってしまったのではないか」と自分を責めたり、「放射線の影響を体に受けたのではなどという偏見にさらされるのではないか」とわが子の将来を心配したりすることによって、非常に苦しんでいます。そういったお母さんの苦しみを察して、誰にも言えずに辛い思いをしている子どももいるでしょう。

「正しく伝える」ことと「心のケア」との双方向アプローチが大切

――「PTSDなどに由来する抑うつ傾向の強さが悲観的なリスク認知をもたらす」ということと、「本当に放射線について不安を感じる」ということとがからみあい、また増幅しあっているということですね。

だからこそ、CBTなどの心理的なケアと、放射線の基礎知識をきちんと伝えることと、双方からのアプローチをしっかり行わなければならない。

この「正しく伝える」という意味では、報道も大きな役割を担っています。

もちろん、放射線による健康影響については、きちんと科学的に研究を続けるべきだと思います。一方で、被災者がいま抱えている悩みや苦しみは非常に複雑で多岐にわたります。

そして今の福島では、放射線そのものによる影響よりは、むしろうつ病や生活習慣病などの二次的な影響のほうが大きいし、かつ非常に切迫した健康問題となっています。うつ病は命にかかわることもありますが、このうつ病のリスクが高い被災者はいまや数千人とも推定されています。報道する際にも、まずはそういった現状を把握した上での配慮が不可欠だと思います。

かつて、県民健康調査検討委員会の記者会見で、甲状腺検査にともなう住民の方々の不安が話題になった際のことを鮮明に記憶しています。ある記者が「それはたんに情緒的な問題でしょう」と言いました。この記者がもし「原発事故と甲状腺がんの発症との関係をつきとめることに比べたら、住民の不安はそれほど重要なことではない」と考えていたのであれば、これは非常に驚くべきことです。

住民の不安は、ただの一過性の情緒の揺らぎなどではありえません。それどころか、人生そのものに深い影響を与え、場合によっては命にさえかかわるうつ病の発症という深刻な状況にすら結びつくこともあるのです。

ですから、そういった住民一人ひとりの不安への配慮をせず、「甲状腺がんが新たに〇人見つかった」というような点にばかり焦点を当てるような報道姿勢には、ぼくは強い違和感を覚えます。そういった報道には、生身の被災者、ひいては人間に対するリスペクト(尊敬)を感じません。

心理的なケアをする場合にも、また正しい知識や情報を伝える場合にも通じることですが、これほどの被災を生き延び、生活する方々をきちんとリスペクトするということはとても重要なことだと思います。

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プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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