福島レポート

2018.05.12

「福島の子どもは、大丈夫です」――甲状腺検査の現場から

早野龍五×緑川早苗 / 服部美咲

インタビュー・寄稿

これまでマスメディアやインターネットなどで、「東京電力福島第一原発事故によって飛散した放射性物質の影響で、福島の子どもたちに甲状腺がんがたくさん発生している」という主旨の言説が繰り返されてきた。

しかし一方で、2016年度の県民健康調査検討委員会の中間とりまとめ報告(注1)、さらに2013年のUNSCEAR(原子放射線に関する国連科学委員会)とそれに続く白書(2017年現在で3報)をはじめ国際的な専門機関は、「福島第一原発事故後に放射線による影響で子どもに甲状腺がんが増えているとは考えられない」と公表している。(参考:「福島における甲状腺がんをめぐる議論を考える――福島の子どもをほんとうに守るために」)

(注1)県民健康調査による中間とりまとめ(平成28年3月福島県民健康調査検討委員会)。なお、その後明らかになったデータによっても、検討委員会はこの見解を変更していない。

事故後の福島に科学者として関わってきた東京大学名誉教授・早野龍五氏と、福島県立医科大学准教授・緑川早苗氏に、福島県における甲状腺検査のこれまでとこれからについて伺った。緑川医師は、福島県で甲状腺検査が開始された2011年10月から現在に至るまで、日々検査の現場に立ち続けている臨床医である。(対談2017年7月、執筆同年12月)

はじめに

2011年10月、福島県は、福島第一原発事故後の県民健康調査の一環として、事故当時18歳以下および2011年内に生まれた方約38万人を対象に、甲状腺のスクリーニング(その検査の対象となる疾患、この場合は甲状腺がんの症状や兆候は出現していない=病気にかかっていない人を対象にした検査)を開始した。検査の目的は当初「県民の不安の解消」と「県民の心身の健康を見守ること」とされていた。

1986年のチェルノブイリ原発事故の後、数千人の子どもたちが「甲状腺がん」と診断されて手術を受けた。日本人を含む世界中の医師が現地に入って検査と治療に当たったこともあり、世界中で「チェルノブイリ原発事故の後、子どもに甲状腺がんが増えている」というセンセーショナルな報道も繰り返された。その印象は人々の心に深く残り、福島第一原発事故の後、子どもの甲状腺がんを不安視する声が多くあがった。検査の要望を受け、福島県は甲状腺検査開始に踏み切った。

県が検査を委託した福島県立医科大学では、高度な設備や技術とともに、受診者の個人情報を守るための厳しい体制を整えて甲状腺検査を行っている。もし原発事故直後の段階で福島県が公式に甲状腺検査を始めなかったとすれば、甲状腺がんについて不安を抱えた多くの人々は、各自さまざまな民間の施設で個別に甲状腺検査を受けていた可能性も高い。元来甲状腺の専門医は少ないため、このような状況に陥ったとすれば、基準の不確かな検査や治療が行われたばかりか、子どもの個人情報の保護が十分に担保されなかったおそれもある。

「検査をはじめない」という選択肢はなかった

早野 2011年3月11日、先生はどこで何をしておられたか、覚えていらっしゃいますか。

緑川 秋葉原で間脳下垂体腫瘍学会に参加していました。交通機関も混乱しておりましたし、福島にはとても帰れる状況ではなく、「私はもう子どもには会えないのかもしれないな」と思いました。その後運よく帰宅することはできました。24時間くらいかかりましたけれど。

福島に帰ってからしばらくの間は、原発事故によって一体どんな影響があるのか、これから何が起こるのか、と不安な日々を過ごしていました。ただ、福島に住む一人の母親としては、「もし子どもがたくさん被曝してしまったのなら、チェルノブイリ原発事故のときと同じようなことになってしまうのかな」と、漠然と危惧はしておりました。そんななかでしたから、「甲状腺検査を手伝うように」と言われたときにも、正直なところ「それはやらなくちゃいけない」と思いました。

このときに言われた「甲状腺検査を手伝う」というのは、要するに「プローベ(=プローブ。超音波検査用の医療器具)を握れ」ということでした。検査開始当初は、プローベを握る人(超音波機器を使った検査の技術と知識を持つ医療従事者)がとにかく足りなかったんです。

検査開始当初の検査会場は公共施設で、エコー機(超音波検査機器)も6台しかありませんでした。6台のエコー機で、毎日500人から1000人を対象に超音波検査をしていました。もう、公民館にあふれるほどの方々が、毎日検査を受けに来られていました。

早野 あの当時の社会の状況を考えれば、県にとって「甲状腺検査をしない」という選択肢はなかったでしょうね。しかし実際には、そもそも福島で、初期被曝線量が非常に高いという子どもは見つかっていなかった。とりわけ、飯舘と川俣のデータは住民登録されている子どもの約30%を測定しています。(注2)。検査に従事されはじめた当初、そういった情報はすでにご存知でしたか。

(注2)Kim et al, Internal thyroid doses to Fukushima residents-estimation and issues remaining, J. Radiat. Res. 57 (Suppl 1): i118-i126, 2016

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(注2の論文より)飯舘村、川俣村、いわき市で測定された1080名の子どもの甲状腺線量測定結果

(ただし、上掲図表中横軸の数値を甲状腺等価線量に換算した場合、0.2μSv/時が、1歳児の甲状腺等価線量100mSvに相当する)

緑川 毎日検査の現場でプローベを握りながら、一方で放射線を専門とされる先生方から放射線のことを学んでいました。そして、少しずつ「どうやら、それほどたくさんの被曝をした人はいないようだ」ということがわかってきました。同時に、「じゃあ、甲状腺の検査をする意味はどこにあるの?」という疑問も湧いてきました。

早野 ああ、そうだったのですね。それほど被曝をしなかったらしいということもご存知で、そういった疑問まで抱えられながら、日々プローベを握られていた。

緑川 甲状腺検査を始めるということ自体は決まっていました。そして検査会場には毎日、不安を抱えたたくさんの住民の方々が、「この子の甲状腺を検査してほしい」と受診に来られるんです。プローベをあてようとすると、多くのお子さんたちは怖がって泣き叫びます。私は、そうやって泣いた子を押さえて検査をしていました。

お母さんたちには、「お子さんをこんなに泣かせながら無理やり検査をするのはよくありませんから、せめていったん外に出て、気分転換して、お子さんの気持ちが落ち着いたら検査を再開しましょうか」と声をかけるようにしていました。

でも、お母さんたちは必死です。「いいえ、泣かせてもいいから、押さえつけてもいいから、今すぐ検査してください!」とおっしゃる。

そんなやりとりを、毎日していました。そして「本当に、この子たちにこんなに辛い思いをさせなければいけないようなことなのだろうか」という思いがふくらんでいきました。

この検査はなんのために行われているのか

2011年10月から2014年3月までに実施された甲状腺検査を「先行検査」と呼ぶ。チェルノブイリ原発事故後甲状腺がんが増加するまでに相当年数がかかったという知見から、この時期の甲状腺の状態は、原発事故とそれによる放射線被曝の影響を考慮する必要がない状態であると考えられる(ベースライン)。一方、2巡目(受診者にとっては2回目)以降の甲状腺検査を「本格検査」と呼ぶ。

福島県県民健康調査における甲状腺検査は、県民の不安を解消するという目的とともに

「先行検査と本格検査との結果を比較することにより、甲状腺の状態への放射線影響を把握するための調査」という側面を持つとも考えられている。

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緑川 「福島の子どもの甲状腺に、放射線による影響はありません」と科学的に言えるようになることには大切な意味があると思っています。

一方で私たち臨床医は、日々患者さんと向きあいながら仕事をしています。この検査でも、現場で毎日子どもたちやお母さんたちと向き合うことが私の仕事でした。そして、検査やその結果についての過剰な心理的負担を減らすことが私の役割だと考えていました。

早野 過剰な心理的負担を減らすためには、検査やその結果について丁寧な説明をする必要がありますね。しかし、当初先生は1日に1000人近くのお子さんを検査しておられた。毎日1000人近いお子さんたちやお母さんたち、お一人おひとりに対して、そういったことを行うのは非常に難しいことだったのではないでしょうか。

緑川 はい、非常に難しいことでした。しかも、一次検査(超音波検査)の結果は、判定委員会を通して後日確定するという流れになっておりますので、そもそも検査の場で結果についての詳しい説明をすることはできません。また、プローベを握る人たち各自が説明をするということにしてしまうと、すべての場面で全員が適切な対応をすることができるとも限りませんので、かえってよくない効果が出てしまう可能性も考えられました。そういったさまざまな状況から、「検査をしてすぐにその場で受診者に説明することは控えましょう」という方針がありました。

検査を受ける子どもたちやお母さんたちのご心配やご不安を思うと、心苦しかったです。せめて、「この検査がそもそもどんなものなのか」、また「検査の結果をどう受けとめればいいのか」、そういった基本的なことを、しっかり説明できる機会が欲しかった。それは、当時の私にとって、切実な願いでした。

2013年になって、検査会場ですぐにというのではなく、「別途きちんと場を設けて説明会を開きましょう」ということになりました。そこでさっそく、まずはお母さんたち向けの出張説明会を始めました。

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早野氏

子どもたちは甲状腺検査の目的を知らない

福島での甲状腺検査の一時検査結果はA、B、C判定に分類される。このうち二次検査が不要とされるA判定がさらに2つに分類されている。A1は「嚢胞(のうほう)や結節が認められないもの」、A2は「5.0mm以下の結節や20.0mm以下の嚢胞を認めたもの」である。

「嚢胞」とは比較的一般に多く見られる液体が溜まった袋状のもので、検査結果には「検査所見」として記載はされるものの、がん化することはない。成長期の子どもでは嚢胞が出たり消えたりしやすいため、検査を受けた時期によって判定が変わることもある。2012年後半、「嚢胞」という初めて見る言葉を不安視する声もあり、一部誤解を招くような情報も錯綜し、混乱した時期もあった。

なお、5.0mm以下の結節についての二次検査(精密検査)は控え、次回検査(これは、「現時点ではとくに精密検査や治療の必要がない」という意味である。福島県では、現在定期的に甲状腺検査を行っているため、こういった表現になる)としている。また、中に一部細胞がともなう(「充実部分をともなう」という)嚢胞は「結節」(細胞のかたまり)として扱う。ただし、この場合は含まれた細胞の大きさではなく、液体を含んだ嚢胞そのものの大きさで判定するため、A2あるいはB(5.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞)の判定となっても実際には問題がない場合が多い。

早野 通常病院を受診される方は、なんらかの症状が出たからいらっしゃるわけですね。そして甲状腺がんについていえば、そういった方の数はあまり多くない。これまでに無症状の子どもに対する甲状腺の大規模なスクリーニングはされていませんから、やってみてどれほど見つかるかはそもそもあまり予想できそうもありません。もしかしたらもう少し少なく見積もられた方もいらっしゃったかもしれません。

ところが、実際に先行検査をしてみると、かなり多くの甲状腺がんないしがんの疑いがある方が見つかった。そしてそれが発表されるたびに新聞やテレビが大きくそのことを報道しました。この時期、先生はどんなお仕事をされていたのでしょうか。

緑川 精密検査(二次検査)をお勧めすることになっているB判定の方は、先行検査で2000人以上おられました。ですが、実際に甲状腺がんと診断されたのはこのうちの5.6%でした。つまり、多くのB判定の方は悪性ではなかったということです。でも、B判定のお知らせを受け取られた方は、もう「悪性に決まっている」と思い込んで、二次検査を受けに来られるんです。

たとえば、小学生が診察室に入ったとたんに「うわーっ」と泣き崩れることがありました。私の当時の仕事は、そういった場合に、泣いている子どもを検査室から連れ出して、とにかく落ち着けるような部屋に行って、今その子が感じている不安や恐怖など、なんでも話せるような時間をつくることでした。今は看護師さんたちがなさっている、甲状腺検査の「こころのケア・サポート」に近い役割かもしれません。

早野 2014年の医事新報では検査のあり方に言及され、また2016年3月に福島県立医科大学で開かれたシンポジウムでは「子どもたち自身が甲状腺検査を受ける理由を知らない」というところまで踏み込んでお話しになりましたね。県から委託を受けて検査をされているというお立場上、なかなか勇気の要ることだったろうと思います。こういったことをおっしゃるようになった背景には、長い間、子どもたちやお母さんたちのさまざまな思いと向き合ってこられたということも関係しているのでしょうか。

緑川 はい、子どもたちやお母さんたちと過ごす時間を積み重ねていくにつれ、やはりこの検査による子どもたちの心や体への負担が心配になっていきました。たとえば、二次検査では、超音波検査のほかに血液や尿の検査をします。もっと詳細な検査が必要な場合は、細胞診(穿刺吸引細胞診)をすることもあります。本来、この細胞診という検査は、なんらかの症状が出た方や、手術が必要になるかもしれない兆候があった場合に行われるものです。それも、受診者にとってのメリットとデメリットを緻密に考え抜いた上で、非常に慎重に行われるべきだと言われている検査です。

ところが、福島県ではスクリーニングの結果、無症状の方にもこの細胞診を行っています。しかも、対象は子どもです。細胞を採取するためとはいえ、子どもにとっては、首に針を刺されるということは大人以上に怖いことでしょう。

子どもたちを対象にした説明会(出前授業)で、「甲状腺はどこにあるかということを知っている?」という質問をすると、子どもたちの多くは「ここ!」と言いながら正しく自分の甲状腺のある場所を触ります。でも、「じゃあ、どうしてその甲状腺の検査をするのかわかる人はいる?」という質問をすると、これはいないんです。「わかるよって言う人に『説明して』って言わないから、わかる人は手だけ挙げてみて」と質問のしかたを変えてみても、やはり滅多に手は挙がりません。

この検査が始まって6年が経ちましたが、今もって子どもたちは、なぜ自分たちが甲状腺検査を受けているのかを知らないんです。

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緑川氏

「一生気づかずに過ごしたかもしれない」

甲状腺がんの中には、小さいまま一生症状が出ないタイプのものも少なくない。また、がんを切除する手術には一定のリスクがともなう。場合によっては、関連学会が定めた診断や治療の基準に照らして、経過観察(手術をせずに、長期間甲状腺の状態を定期的に観察し続ける)を選択するのが望ましいとされることもある。

しかし、長期にわたって定期的に通院しながら、普段の生活の中でがんについて気にしてしまうことは、患者やその家族にとっては大きな心理的負担となりえる。実際、福島の甲状腺検査でがんと診断された場合に、経過観察を選択する例はこれまでも多くない。2017年11月の甲状腺検査評価部会でも、「子どもが甲状腺がんの診断を受けた場合に、実質半世紀以上もの間経過観察するという選択は現実的ではない」という委員からの指摘もあった。

早野 先生は子どもたちやそのお母さんたちに、普段どのような説明をなさっておられるのでしょうか。とりわけ、「福島の子どもがそもそもそれほど多くの放射線に被曝していないようだ」ということであれば、これほど多くの甲状腺がんが診断されている理由についての説明を求められた場合、どのようにお答えになっているのでしょうか。

緑川 そもそも甲状腺がんの特徴として、剖検(他の要因で亡くなった人の死後解剖検査)をしたらとてもたくさん見つかるということがあります。これはつまり、「生涯にわたって、自分の甲状腺にがんがあることを知らないまま、普通に生活を送っている人が、とてもたくさんいる」ということです。ですから、無症状で検査をしたら、その「一生気づかなかったかもしれない甲状腺がん」が見つかることはあるんですよ、と、お母さんたちには説明しています。そして、最近はこのことについて、子どもたちに対する出前授業でも、少し触れています。苦しいことですけれど。

早野 そうですか。それはとても苦しいでしょう。

緑川 個別の対話であれば言えることは多いですから、お母さんと1対1で向き合って説明するときには以前からご説明することはありました。ですが、たくさんのお母さんたちに向けての説明会でこのような説明をするようになったのは、1年ほど前からです。そして今年(2017年)の4月からは、たくさんの子どもたちに向けての出前授業の中で、「検査で見つかることのある甲状腺がんは、もしかしたら検査をしなければ一生気づかずに過ごしたものかもしれません」というお話はしています。

学校検査で「受けない」という意思表示は難しい

甲状腺がんに限らず多くのがんの発症には、加齢や遺伝、生活習慣など、さまざまな要因が影響する。がんの発症に対するそれらの影響の大きさと比べた場合、低線量被曝の影響は非常に小さく、見分けることが難しい。とくに、被曝線量が低いほど、その影響は他の要因による影響にかくれ、観測することはより困難になっていく。

既に2014年には、公衆衛生学の専門家である東京大学大学院教授・渋谷健司氏が2014年6月の甲状腺検査評価部会で「現行の甲状腺検査のやり方を見直してほしい」と発言し、福島で行われている甲状腺のスクリーニング検査の問題点とともに、福島の子どもの初期被曝が健康に影響を与えるほどの線量ではなかった可能性を指摘していた。

UNSCEAR2016年白書によれば、「福島第一原発事故による甲状腺量の推定値はチェルノブイリ周辺が受けた線量よりも大幅に低いため、チェルノブイリ原発事故後に発生したような放射線被ばくによる甲状腺がんの大きな過剰発生は考慮しなくともよい」という。

さらに、2017年10月に開かれた県民健康調査検討委員会において、国際医療福祉大学クリニック院長・鈴木元氏が、原発事故直後の福島の子どもの被曝線量をより正確に評価し直す研究の中間発表を行った。この中間発表によると、子どもの甲状腺がんを誘発するリスクのあるヨウ素131などの放射性物質による初期の内部被曝(1歳児)は、原発周辺13市町村でも平均5~39mSvであり、同地域におけるUNSCEARの2013年報告書による1歳児の甲状腺等価被曝の推計(47~83mSv)より大幅に低い可能性が出てきたという。

なお、現在甲状腺の内部被曝を抑えるための安定ヨウ素剤の服用の目安も、IAEA(国際原子力機関)によって「(甲状腺にヨウ素を吸収しやすい)1歳児の甲状腺等価線量が50mSvを上回ると予想される場合」とされている。

早野 原発事故直後の放射性ヨウ素をはじめとする内部被曝が十分に少なくおさえられたこと、そもそも放出された放射性物質の量が多くなかったこと、またスクリーニングの方法や原発事故直後の牛乳などの食品出荷規制の徹底など、チェルノブイリ原発事故と福島第一原発事故とでは、事故後の状況が非常に違うということがわかっています。

チェルノブイリ原発事故後の周辺住民の甲状腺等価被曝線量は、福島の場合とは桁違いに高かった。そして、最終的にはCardis(Elizabeth Cardis・国際がん研究機関 放射線・がん研究主任)らが線量応答(放射線被曝線量と見つかった甲状腺がんの症例数との関係を表すグラフ)の線を「エイヤ」と引いて、「今見つかっているのはチェルノブイリ原発事故由来の甲状腺がんである」としたわけです(注3)。

(注3)Risk of Thyroid Cancer After Exposure to 131 I in Childhood, E. Cardis et al., JNCI: Journal of the National Cancer Institute, Volume 97, (2005) Pages 724–732,

しかし、そもそもの住民の被曝が事故直後においても十分に低かったとすれば、このままスクリーニングを続けても、おそらく被曝線量の影響は見えてこないでしょう。では、この検査は一体なんのためにやっているんだろうか。

緑川 いずれにしても、「この検査を本当に必要としているのは誰なのか」ということについては、議論されなければいけないとは思っています。

現在は、福島県の事故当時18歳以下(および2011年内生まれの方)だったすべての住民に対して「あなたは甲状腺検査の対象です」というご案内をしています。当初は現在と違って、「検査に同意しません」という選択肢が明示されていないかたちでしたけれど。それでも、これは「検査を受けるかどうかはご自身が自由に決めていい」という検査ですから、検査を受けるかどうかの判断材料となる検査のメリットやデメリットなどを、正しく丁寧にお伝えする努力を続けなくてはいけないと感じています。

早野 高校を卒業して県外に出られるような年齢に達した方の受診率が大きく下がっているようですね。これは何が原因になっているのでしょうか。

緑川 そもそも、甲状腺検査の受診率がこれほど高い(約70~80%)のは、福島県内の高校生までの検査が学校検査であるということが大きな理由だと思います。現在、甲状腺検査は学校の授業時間をお借りして行っています。受診の意思確認の書類には「検査に同意しない」という項目もありますが、授業時間に行われる検査で、「自分の子どもだけは受けさせません」という意思表示は、心理的になかなかしづらいのではないでしょうか。

また、「学校の授業時間を使って検査をする」ということによって、学校保健法で受診が規定されている心電図検査や検尿などと同じように「受けるのが当然の検査なのだ」という、いわば暗黙の了解ならぬ「暗黙の誤解」も生じているようです。こういった理由もあって、対象者のうち学校検査を受ける年齢の方の受診率は著しく高いです。一方で、学校を卒業した年齢になったとたん、急激に受診率が下がります。たとえば、現在の18歳以上の方の受診率は2割を切っています。

早野 卒業したために学校検査がない方々の8割は検査を受けないという状況があると。これは、自ら検査を受けにいくほどの不安を持たない方が、現在全体の8割いらっしゃるということでもありますね。原発事故から6年以上が経って、当時と今とでは住民の不安の状況が変わってきたということはありますか?

緑川 お母さんたちについては、少し変わってきたようにも感じます。甲状腺検査の結果を説明したときに「私たちは、それほどたくさんの放射線には被曝しなかったんですよね」とおっしゃる方も多くなってきました。一方で「とにかく、放射線のことはもう話題にせず、心の奥にしまっておきましょう」という、少し違った理由で不安を口になさらない方もいらっしゃいます。

子どもたちは、どちらかといえば「正しく理解して不安ではなくなった」というよりは、お母さんたちが放射線のことを話題にしなくなった様子を察して、自分もその話題に触れないようにしよう、と考えている様子がうかがえます。子どもは大人たちの間の空気を読みますので。でも、子どもたちに向けた出前授業の後に、感想や質問を自由に書いてもらうと、「普段は言えないけれども、次に原発が爆発したらどうなるのか」というようなことを書く子が一定数います。あるいは「福島から出たら、私は差別されるんですか」という不安を書いてくる子もいます。

検査のメリット・デメリットを丁寧に説明する

ヨーロッパでは、2008年に低線量影響研究における高度専門家グループ(HLEG)を設置し、その報告を受けて2009年には国際的・学際的組織として「学際的欧州低線量イニシアチブ(MELODI)」が設立されるなど、低線量被曝に関する研究やそのための人材育成に力を入れている。

こういった背景もあって、2015年、EUは、福島県立医大の持つ知識や情報とヨーロッパで研究・蓄積されてきた知見とをあわせて活用しながら、原子力災害後の被災者の健康管理やリスクコミュニケーションを行うことを目的とした「SHAMISENプロジェクト」を立ち上げた。

早野 SHAMISENプロジェクトの勧告では、「原子力災害があっても、システマティックに(大規模な、ある集団全体を対象とした)甲状腺スクリーニングをすることは推奨しない」などの提言が出されました。これらの勧告は、現場の先生から見た場合に妥当なものでしょうか。

緑川 私は前向きに評価しています。希望者を対象とした甲状腺検査を行う場合には、受診者が判断するために十分な情報を提供すべきであるという勧告もまた妥当だと思います。こういったさまざまな国際的・学際的な専門機関の意見や勧告が、今後住民の健康を考えるために十分活かされることを期待します。

早野 ぼくは、今福島で行われている甲状腺検査が、形式上だけではなく、本当に受けたいと希望される方が安心して受けられるようなものになるといいと思っています。

住民が不安に思ったときに「検査をしてほしい」といつでも言える仕組みがあって、そして充実した設備で安心して検査を受けられる。そういったサービスとしての検査ならば継続してもいいのかもしれません。しかし、今行われている検査はそうではないですね。

緑川 検査のありようを考えていく上では、内心不安に思っている人がいれば、いつでも安心して検査を受けられるようにすることと、検査を受けたいと希望される場合には、いわゆる過剰診断が起こる可能性や、もし甲状腺がんが見つかった場合の選択肢についてなど、必要な情報を十分に説明できるようにすることが、まずとても重要だと思っています。

早野 学術的には、実際にこれだけの大規模な検査をした結果、ここまでに得られたデータをなんらかのかたちで後世に残すことは必要なのかもしれません。しかしその一方で、無症状のうちに検査を受けた結果、実際に手術を受けられた方がおられる。これは、一人ひとりの方にとっては一生の問題です。こういった方々やその家族に対して、どのようにされることが望ましいでしょうか。

緑川 「甲状腺がんが治った」ということは、「甲状腺がんにかからなかった」ということと同じではありません。手術をして摘出をすれば、体から甲状腺がんはなくなります。でも、「自分はがんにかかった」という記憶は、ときに原発事故の体験と結びついて残ります。あるいは、そのことを人生の大切な場面で、何度も思い返すことになるかもしれない。このことが、思いも寄らないような場面で、人生に大きな影響を及ぼしてくるような例も、私は実際に見ています。

一人ひとりにあわせた一貫したケアが継続的にできる仕組みが切実に必要だと感じています。

「福島の誇り」を守る

2012年11月から翌1月にかけて、環境省は福島県以外の三地域(青森県弘前市、山梨県甲府市、長崎県長崎市)において、男女合わせて4365名を対象に、福島県内で実施されているものと同様の機器と手法を使って甲状腺検査を実施した。

ただし、この当時福島で行われていた甲状腺検査は、(そもそも放射線被曝影響は考慮される必要がないとされた)先行検査であった。このため、いわゆる「三県調査」と福島の先行検査の結果との比較のみをもって「福島における子どもの甲状腺がんは放射線被曝影響ではない」と断言することまではできないという指摘もある。しかし、この三県調査の結果、他県でも甲状腺がんが1例(福島の先行検査と同じ割合)見つかったほか、子どもの甲状腺に嚢胞が見つかる割合についても福島と他の地域との間に差がないことがわかり、当時嚢胞が見つかるということについて住民が抱いていた不安や混乱が徐々に収束へ向かうきっかけとなった。

早野 最近でも、さまざまな立場の方が「福島で見つかる甲状腺がんが放射線の影響かどうかを調べるために、県外でも子どもの甲状腺検査を行って比較してみるべきだ」とおっしゃることがあります。この考えについては、どのように考えておられますか。

緑川 いいえ、それは決してやってはいけないことです。「受診者の同意をとればいいのではないか」とか「十分に倫理的な配慮をすればいいのではないか」ということで、「他県でも同じように甲状腺のスクリーニングを行ってはどうか」とおっしゃる方はたしかに少なくありません。「福島以外の地域でも同じように検査をしてみたら、同じように甲状腺がんが見つかったから、福島の甲状腺がんは放射線の影響じゃなかったことが証明されましたね」と言えたとしましょう。けれども、それによって福島の住民が喜ぶでしょうか。「ほかの地域の子どもたちに甲状腺がんがたくさん見つかりました」と聞いて、福島の人々は本当に喜びますか。

早野 ああ、それはきっと喜ばないでしょうね。

緑川 お母さんたちに向けた説明会でも、「もし、今福島でしているのと同じような甲状腺検査を、他県でやったら、どんな結果が想定されますか」という質問はときどき受けます。「他県でも、福島で見つかっているのと同じように、甲状腺がんが見つかると思いますよ」とお答えすると、「だったら、他県でも福島と同じように、甲状腺検査をやってもらうことはできないんですか」とおっしゃる方はおられます。そのお気持ちはとてもよくわかるんです。

福島で行われていることと同じ検査を、他県でやってもらったら、たしかに福島と同じようにたくさん甲状腺がんが見つかるでしょう。そして、同じようにたくさんの子どもたちが手術を受けることになるでしょう。そして、「福島で今見つかっている甲状腺がんが放射線の影響で特別に増えているものではない」ということが証明されるでしょう。そういう結果を、私たち福島の住民が「それはよかった」って喜んで聞いてしまったら、福島の人々は、長い間に、とても大切なところで、さらに深く傷つくんじゃないでしょうか。

私は、説明会でそうお答えしています。「お母さん、そんな結果を喜んで聞いてしまったら、福島の誇りが失われるよね」って。そうすると、お母さんはじっと考えて、頷かれるんです。「先生、そうだね、福島の誇りが失われるよね」って。

私は三県調査に深く関わりました。青森では4回ほどプローベも握っています。そして今、説明会でもあのときの結果を使わせてもらっています。ですが、私は三県調査をしていただいてしまったことを、深く後悔しています。あんな検査をしていただかなければ、「嚢胞は心配のないものだ」という事実すら、住民に伝えられなかったなんて。

甲状腺検査が生み出す住民の不安

甲状腺検査の本格検査は、原発事故当時18歳以下および年内に生まれた方が25歳になるまでおおむね2年ごと、それ以降は5年ごとに実施される計画がされている。甲状腺を含む多くのがんは(症状の有無にかかわらず)加齢とともに増加するため、今後福島でのスクリーニング検査対象者の年齢が高くなれば、甲状腺がんの発見数は大きく増加することが予想される。

しかし、韓国で乳がん検診とともに甲状腺のスクリーニングを行った結果、発見された甲状腺がんの数はそれまでの約15倍に増えたものの、甲状腺がんによる死亡率に変化がなかった(注4)。この結果から「福島で、今後30代以降を対象に甲状腺のスクリーニングを行うようになれば、一生症状の出ない(命にかかわることのない)タイプの甲状腺がんが非常に多く発見される可能性がある」と過剰診断の危険性を指摘する専門家は多い。

 

(注4)Lee JH, Shin SW, Overdiagnosis and screening for thyroid cancer in Korea. Lancet 384(9957):1848, 2014

Ahn HS et al, Korea’s thyroid-cancer “epidemic”-screening and overdiagnosis. N Engl J Med 371(19):1765–1767, 2014

Vaccarella S et al, Thyroid-Cancer Epidemic? The increasing impact of overdiagnosis. N Engl J Med 375(7); 614-417, 2016

Lin J S et al, Screening for thyroid cancer updated evidence report and systematic review for the US preventive services task force. JAMA 317(18): 1888-1903, 2017

早野 科学では、「ゼロです」ということの証明はできません。でも、今後、初期被曝の推定などさまざまなデータが明らかになっていって、放射線の被曝による健康影響は統計的にもゼロに近いということは言えるようになるでしょう。ぼくは甲状腺についての専門家ではありません。でも、今福島の甲状腺検査で見つかっている甲状腺がんは、放射線被曝によるものではない。そのことは、すでに明らかですね。

緑川 いまや国内外にかかわらず、多くの専門家はそのようにおっしゃっていますね。

早野 「放射線による影響で福島の子どもに甲状腺がんが増えているわけではない」ということは、科学的にはもう十分すぎるほどはっきりしています。これはつまり、「本来見つからないで一生を終えたかもしれない甲状腺がんを、この検査はたくさん見つけてしまっている」ということでもあります。そして、がんは加齢とともにたくさん見つかる病気であることはよく知られていることです。つまり、このまま検査を続けて、対象者の年齢が上がっていけば、当然甲状腺がんの発見される数は増えていきますね。

そのように、一生症状が出なかったはずのものもたくさん含んだ甲状腺がんをどんどん見つけていくということは、住民のためになることなのでしょうか。

緑川 他県の医療機関で、「事故当時福島にいた」ということを理由に、通常の患者さんとは異なる手術をされそうになった例もあると聞きます。このように、この検査が受診者に与えうるデメリットは多岐にわたります。そういうことをしっかり考えて、十分に議論して、この検査は評価されていかなければならないと思います。

そして議論の結果、もし「この検査が住民のためになっていない」という結論になれば、これまで検査や治療を受けてきた多くの方々を、少なからず傷つけることになります。ですから、検査の今後を議論するにしても、まずは今まさに傷ついている人、そしてこれから深く傷つくかもしれない人たちのケアを十分にできる仕組みを作ることが非常に重要だと考えています。

早野 現場で先生方がそういったこまやかな心配りをなさっている一方で、現場から離れた検討委員会の記者会見などでは怒号が飛び交うような状況もあります。その上、福島で見つかった子どもの甲状腺がんについて、テレビも新聞もいわゆる両論併記をします。メディアによっては、「多くの専門家や国際機関がこう言っています」ということと、「とある一人の学者がこう言っています」ということとを、ほぼ同じ時間や紙面の大きさを使って報道をする。そういう報道によって、「まだ甲状腺がんと放射線の影響との関係はわかっていない」と、多くの方々が思っておられます。

また、テレビや新聞を含め、あたかも原発事故由来の甲状腺がんが見つかってほしいかのように振舞っておられるメディアの方が一定数おられることも事実です。

緑川 そういった振舞いを見ると、まるで福島がそういう土地になってほしいかのようだと感じることもあります。

早野 Google Trendsで「内部被曝」と「外部被曝」という検索ワードの数を比べると、「外部被曝」のワードが検索される数は原発事故直後からずっとそれほど多くはないです。「内部被曝」のワードが検索される数はそれに比べればまだ多いのですが、それでも原発事故以降徐々に減ってきてはいる。しかし、「甲状腺がん」のワードが検索される数は減っていない。

おまけに、ところどころ顕著なスパイク(この場合、「甲状腺がん」というワードが検索される数が急増し、グラフに一時的な上昇が見られること)が見られます。このスパイクは「甲状腺がんが新たに〇〇人見つかりました」などの報道があると起こっているようです。かつ、「甲状腺がん」のワード検索のほとんどが、福島県内からのアクセスであることもわかります。このことから、原発事故から6年以上が経過し、放射線についてのさまざまな心配が少しずつ落ち着いてきたにもかかわらず、こと甲状腺がんに対する不安だけは相変わらず落ち着いていない、ということが言えます。

緑川 住民の不安の解消や心身の健康を見守るためにやっているはずの甲状腺検査そのものが、新たな不安の原因のひとつになっているのかもしれないんですね。

早野 少なくとも、「このデータがそういう側面があることを示している」ということは言えますね。

「スクリーニング」のメリット・デメリット

国内外の専門家のほとんどは「福島における甲状腺のスクリーニング検査で発見されている甲状腺がんは、原発事故由来の放射線被曝によるものではない」という点で合意している。一般的にスクリーニングには、がんや生活習慣病など、無症状のまま悪化することのある疾患を早期に発見し、それによる死亡率を下げるというメリットもある。

しかしその一方で、一見(がんなどの)対象疾患に見えるものの、精密検査をした場合にそうではなかったもの(偽陽性)を発見したり、今回甲状腺がんにおいて問題となっているような「一生無症状のまま(命にかかわることのない)であった可能性の高いもの」を多く発見したり(過剰診断)などのさまざまなデメリットもある。こういったデメリットは,不要な精密検査(医療被曝を含む)や治療による体への負担に加え、とりわけ対象が子どもであれば、その精神的負担は深刻な問題となる。

住民の甲状腺がんに対する過剰な不安を解消し、また自分自身や家族が検査を受けるかどうかを判断するためには、甲状腺がんという病気そのものの特徴を正しく伝えること、そしてスクリーニング検査という手法そのものの持つメリットとデメリットなどの情報を広く周知することが重要である。これは、国や県だけではなく、テレビメディアや新聞など県内外の報道機関などにとっての急務であろう。

「福島の子どもたちは大丈夫です」

対談の後、緑川医師にコメントを求めた。

「福島の子どもたちは大丈夫です。それが、私がはじめから信じて、なによりも守らなければいけない言葉です。」

これが、福島の甲状腺検査の現場で、福島の子どもたちと向き合い続ける医師の言葉である。

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プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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