UNSCEARの報告はなぜ世界に信頼されるのか――福島第一原発事故に関する報告書をめぐって

すべての根拠となる「知の集積」

 

1950年代のはじめ、東西冷戦下に大気圏内で頻繁に核実験が行われた。これにより、放射性物質が世界中の国や地域に大量に降下した。放射性物質による人や環境への影響を世界的に調査するため、1955年の国連総会(UNGA)で設置されたのが、UNSCEAR(「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」)である。UNSCEARは、放射線が人や環境に及ぼす影響についての重要な事項を網羅的に調査し、国連に報告するという役割を担っている。

 

2011年3月に東京電力福島第一原子力発電所の事故があり、放射性物質の飛散による人や環境への影響が懸念された。UNSCEARは同年5月に日本とドイツによる提案を受け、福島第一原発事故に関する報告書をまとめる方針を固め、国連総会で採択を受けた。UNSCEARは事故から3年を経て、「UNSCEAR2013報告書(「電離放射線の線源、影響およびリスク」)」を公開し、UNSCEARの報告書としては初めて公式に日本語訳もされた。

 

UNSCEARの報告書は、世界中で発表された約2000以上の論文を科学的に精査し、300前後にまで絞り込み、さらにとくに重要な論文を採用してまとめられたものである。

 

UNSCEARの報告書をもとに、まずICRP(国際放射線防護委員会)が勧告を出し、これにもとづいてIAEA(国際原子力機関。WHOなど放射線影響を鑑みる必要のある団体も加盟している)がガイドラインを出す。日本など各国は、これに沿ってそれぞれの国の法律や指針を作成する。

 

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つまり、ICRPの勧告もIAEAのガイドラインも、そして放射線に関する日本の法律も、UNSCEARの報告書にその根拠があるともいえる。このため、UNSCEARは政治的に中立であることを極めて厳格に求められる組織でもある。「科学に根ざし、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」というのが、UNSCEARの宣言する自らの立場だ。

 

UNSCEARは5つのグループが分担して論文を評価している。(注1)世界中から80人以上の専門家がそれぞれのグループに参加し、「UNSCEAR2013報告書」を作成した。報告書は国連総会の承認を経て、2014年4月にはウィーンで、翌5月には福島と東京で公表された。

 

(注1)(1)「ソースターム(環境を汚染する可能性のある放射性物質)が原発事故後によりどのくらい放出され、どのくらいの規模で拡散したのか」を評価するグループ

(2)「公衆(一般住民)が原発事故による放射性物質によってどのくらい放射線被ばくしたのか、また環境中の放射線量はどのくらいか」を評価するグループ

(3)「原発構内の作業員が、原発事故による放射性物質でどのくらい放射線被ばくしたのか」を評価するグループ

(4)「公衆と作業員の、放射線被ばくによる健康影響」を評価するグループ

(5)世界中で公開された(1)~(4)に関する論文の品質を評価するグループ

 

以下に「UNSCEAR2013報告書」の8つのポイントを挙げる。

 

(1)福島第一原発から大気中に放出された放射性物質の総量は、チェルノブイリ原発事故の約1/10(放射性ヨウ素)および約1/5(放射性セシウム)である。

 

(2)避難により、住民の被ばく線量は約1/10に軽減された。ただし、避難による避難関連死や精神衛生上・社会福祉上マイナスの影響もあった。

 

(3)公衆(住民)と作業者にこれまで観察されたもっとも重要な健康影響は、精神衛生と社会福祉に関するものと考えられている。したがって、福島第一原発事故の健康影響を総合的に考える際には、精神衛生および社会福祉に関わる情報を得ることが重要である。(注2)

 

(注2)精神衛生=人々が精神的に安定した生活を送れるようにし、PTSDやうつなど精神・神経疾患を予防すること。社会福祉=人々の生活の質、QOLを維持すること

 

(4)福島県の住民の甲状腺被ばく線量は、チェルノブイリ原発事故後の周辺住民よりかなり低い。

 

(5)福島県の住民(子ども)の甲状腺がんが、チェルノブイリ原発事故後に報告されたように大幅に増える可能性を考える必要はない。

 

(6)福島県の県民健康調査における子どもの甲状腺検査について、このような集中的な健診がなければ、通常は発見されなかったであろう甲状腺の異常(甲状腺がんを含む)が多く発見されることが予測される。

 

(7)不妊や胎児への影響は観測されていない。白血病や乳がん、固形がん(白血病などと違い、かたまりとして発見されるがん)の増加は今後も考えられない。

 

(8)すべての遺伝的影響は予想されない。

 

2017年よりUNSCEARの日本代表をつとめる量子科学技術研究開発機構の明石真言氏に話をうかがった。明石氏は、放射線医学の分野で日本を代表する研究者のひとりである。

 

 

明石氏

 

 

「科学に根差し、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」

 

――日本学術会議が出す報告書や提言、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告、IAEA(国際原子力機関)の報告や指針などと同列のものとして、UNSCEARの報告書があげられることがあります。しかし、他の機関が出す勧告やガイドラインは、UNSCEARの報告書をもとに作られているのですね。

 

明石 ICRPは、UNSCEARがまとめた世界中の論文を基礎資料として勧告を出しています。そのICRPの勧告に基づいて、IAEAが指針を出し、それらに基づいて各国がそれぞれの国内の法律を作っています。UNSCEARは、これらの大元となる「世界中の論文を一定の明確な基準にもとづいてそれをレビュー(評価)する」という役割を持つ機関です。すべての基礎となるものですから、政治的な色を持たないことを強く求められますね。

 

「Science, not policy – independent and unbiased」(「科学に根ざし、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」)。これはUNSCEARの大原則です。

 

また、UNSCEAR自体が何かを推奨したり勧告したり、といったことは絶対にしません。もちろん論文について「科学的見地に基づいて評価した場合、この研究には不足がある」と報告することはあります。しかしこれはあくまでも「科学的に不足がある」と評価しているだけで、「だからこういうことをすべきである」という推奨や助言をしているわけではありません。

 

 

――UNSCEARの報告書や白書にレビューされている論文を選出する前に、300本前後の論文がリストアップされています。リストアップの前段階としてUNSCEARの委員の方が目を通される論文は平均で何本くらいになりますか。

 

明石 最低でもその5~6倍、2000本近くの論文を読んでいます。「UNSCEAR2013報告書」の末尾に掲載されている、各国各分野の専門家が、それぞれの分野の論文を分担して読んでいます。

 

ただ、担当する領域によって読む本数にはばらつきがあります。たとえば、ソースタームの放出に関わる論文や、人の健康への影響に関わる論文は多く発表されます。しかし、ヒト以外の生物に関わる論文は毎回それほど多くありません。

 

 

――UNSCEARにリストアップされた論文が、報告書や白書に採用される際の基準とはなんでしょうか。

 

明石 まずは、査読付き(同じ分野の他の専門家によるチェックを経ること)の論文であるということが原則です。それから、各国の委員が分担しますので、国際的な共通言語である英語で書かれていることも必須条件です。

 

その上で、「その論文が書かれた研究が科学的に不足のない手法で行われているかどうか」を審査する、科学論文のクオリティを管理しているグループがあります(「最終品質保証グループ」)。

 

このグループが、論文の科学的なクオリティをチェックしています。たとえば疫学分野の論文であれば、「母集団が小さすぎる」とか「統計的処理があまい」とか、そういったことですね。毎回ここでたくさんの論文が選考から落とされていきます。

 

 

「科学的なクオリティ」と「社会的な影響」

 

明石 科学的なクオリティが十分ではないとしても、「社会的に影響が大きい」と判断された場合には、あえてとりあげた上で「研究の手法として科学的に十分ではない」と報告することがあります。

 

たとえば、岡山大学の津田(津田敏秀・岡山大学教授)さんという人が「福島第一原発事故による放射線の影響で福島の子どもに甲状腺がんが増えている」という趣旨の論文を出しました。これは科学的に不足がある研究にもとづいて書かれた論文なので、科学的なクオリティとしては採用に値しません。

 

ただ、この論文は「社会的に影響が大きい論文である」と判断されたため、あえて採用されました。その上で、研究手法が「あまりにも偏りが生じやすいもの」(注3)であり、「このような弱点と不一致があるため、本委員会はTsuda et al. による調査が2013報告書の知見に対する重大な異議であるとはみなしていない」(注4)と「UNSCEAR2016白書」は評価しています。

 

(注3)UNSCEAR2016白書 111.

(注4)UNSCEAR2016白書 112.

 

このように「社会的に影響が大きいにも関わらず、科学的に手法が適切ではない論文」をきちんと批判するということは非常に重要なことです。単純に不採用にしただけでは社会的に影響のある論文を見過ごしたことになりますし、採用しただけで明確に批判しなければ、UNSCEARが「この論文が科学的な見地から採用に足ると評価している」という誤解を招きます。

 

 

――他に、「社会的影響が大きい上に、科学的な研究の手法が適切ではない」と評価されたために、採用した上で「研究の手法が適切ではない」としたような例はありますか?

 

明石 たとえば、「UNSCEAR2017白書」で、「アカマツに形態的異常が有意に多い」という論文が採用されました。UNSCEARはこの論文について、「木の個体群の完全性に対する形態学的に異常の影響は、よく観察されていない」と評価しています。この日本語訳はかなりわかりにくいんですが、つまり「そもそも原発事故の前に福島の山でアカマツの調査をやっていないですね」ということです。

 

(注5)UNSCEAR2017白書135.

(注6)「対照群を立てていない」という意味。対照群とは、ある集団に特定のものごとが影響を及ぼしたかどうかを調べるとき、それ以外の要素が同じである別の集団のこと。

 

これは「(原発事故前に調査をしていない=比較対象のない)福島の山を観察してみたら松の形がこうでした」と言っている(観察研究)に過ぎません。その上「もしかしたら放射線の影響じゃなくて、人がいなくなったために野生動物が増えたことが原因なのかもしれない」とか、他の影響(バックグラウンドの影響)も考慮されていません。

 

通常は、こういった「コントロール群を立てていない」とか「バックグラウンドが考慮されていない」という論文は、「研究手法が科学的に不足している」として、かつ社会的な影響が少なければ、選考でたくさん落とされていきます。

 

 

福島の甲状腺検査を中長期的に継続することに科学的な意味はあるのか

 

「UNSCEAR2017白書」では甲状腺がんについて、福島県における被ばくの程度がもっとも高かった地域、中程度だった地域、もっとも低かった地域に住む人たちを比べた場合、有病率に統計的に有意な差がなかったと報告した。有病率がスクリーニング検査を開始する前に予想されていたよりも20倍ほど高かったことについては、放射線被ばくの影響ではなく超音波検査によるスクリーニング効果と考えられる(注7)としている。

 

(注7)「UNSCEAR2017白書」111.

 

現在、福島県では県民健康調査の一環として甲状腺スクリーニング検査が行われている。この検査は現在、「県民の健康を見守る」ということと「2011年から現在までに福島で見つかっている子どもの甲状腺がんと、原発事故による放射線被ばくとの関係を科学的に考察する」という2つの目的があるとされている。(注8)

 

(注8)「東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の拡散や避難等を踏まえ、県民の健康状態を把握し、疾病の予防、早期発見、早期治療につなげ、もって、将来にわたる県民の健康の維持、増進を図る。」(県民健康調査検討委員会設置要綱より)

 

環境省の担当者は「中長期的に甲状腺検査を継続することで、科学的に被ばく影響の有無が明らかになる」との見解を示した。また現状、甲状腺検査は2036年まで継続されるという計画が出されている。これについて県民健康調査検討委員会および甲状腺検査評価部会の委員である大阪大学の甲状腺専門家・髙野徹氏から倫理的問題の指摘がされている。(「医師の知識と良心は、患者の健康を守るために捧げられる――福島の甲状腺検査をめぐる倫理的問題」)

 

 

――福島の甲状腺検査の後者の目的(「2011年から現在までに福島で見つかっている子どもの甲状腺がんと、原発事故による放射線被ばくとの関係を科学的に考察する」)についてお伺いします。今の検査は、中長期的に検査を継続すれば、福島第一原発事故による放射線被ばくと住民の甲状腺への影響との関係が明らかになるようなものなのでしょうか。

 

明石 原発事故前に同じ規模の甲状腺スクリーニング検査は行われていませんので、現在福島の県民健康調査で行われている甲状腺スクリーニング検査は、先ほどのアカマツの研究と同様、「(もともと同地域で甲状腺スクリーニング検査をするとどのくらいの症例が発見されるのかなどの基本的なデータがないまま)福島で甲状腺スクリーニング検査をしてみたらこのくらい見つかりました」という研究に過ぎないということになります。

 

加えて、受診対象者の生活環境や心身の健康状態などバックグラウンドの影響も十分に考慮されているとはいえません。

 

ですから、「スクリーニング効果について」「甲状腺がんの特徴」「甲状腺がん検診の有効性」など、検査に付随する個別の論文は今後複数出てくるかもしれませんが、福島第一原発事故による放射線被ばくと甲状腺への影響との関係そのものを明らかにするような、科学的に信頼性の高い論文は出てこないでしょう。

 

 

――もう一方の目的(「県民の健康を見守る」)について、「UNSCEAR2017白書」は、甲状腺検査による心理的な健康への影響に言及しています。

 

明石 心理的な健康への影響について言及するかどうかについては、UNSCEARでも議論がありました。「政治的な主体が甲状腺検査を始めるかどうか」ということについては、UNSCEARは助言も推奨もしません。ただ、検査によってわかったことについての論文は取り上げることがありますから、「甲状腺検査には心理的な健康へのリスクが伴う」という研究と論文が科学的に妥当であれば、それは報告します。

 

 

「『これはサイエンスじゃない』ときちんということもサイエンスの仕事」

 

2016年、日本政府は原発事故後に原発構内で作業にあたっていた方々2名への労災を認定した。このうち1名は白血病、もう1名は甲状腺がんと診断された。UNSCEARは2017白書において、「科学的に起因していることと、法的に職業上の状況に起因することとは同じではない」とし、「労災保険給付(同様に、過去または将来に職業被ばく者と認められたものを含む)が、放射線被ばくと特定のがんの症例との因果関係が科学的に証明されたことを意味するわけではない」と明記した。(注9)

 

(注9)「UNSCEAR2017白書」119.

 

労災保険給付制度は第一義的に労働者の公正な保護を目的とするものである。「厳密に科学的な因果関係が認められなければ労災保険給付がされない」という仕組みを強要すれば、かえってそもそもの目的である「労働者の公正な保護」を妨げるおそれがある。

 

 

明石 労災についてUNSCEARが触れるかどうかについても、専門家グループの間で意見がはっきり割れました。まず、日本では、「1年間の被ばく線量5mSv×その人の働いた年数」という式を立てて、白血病が労災認定されるかどうかを決めています。これは、科学的な根拠があるわけではなく、「労働者を救済する」という政治的な枠組みの中で立てられた式です。

 

ある専門家グループは、「これは社会的に非常に大きな影響がある問題だ」と主張しました。つまり、社会的な影響を鑑みて「日本の労災認定は科学的な根拠だけで行われているわけではない」ということを報告すべきだとする主張です。そして別のグループは、UNSCEARは純粋に科学ではない問題を扱うべきではないと主張しました。

 

 

――実際に日本では、「労災保険が給付されたということは、放射線被ばくと作業されている方の甲状腺がんとに科学的に因果関係があるんだ」という誤解がありました。

 

明石 そうでしょうね。しかし実際には、日本の労災認定は純粋にサイエンスだけで決めているわけではない。そして、「これはサイエンスじゃない」ときちんと言うことも、サイエンスの仕事です。

 

労災の認定は、日本が検討会を開いて審査します。その上で、今回の件に関係するものでいえば2016年12月に「甲状腺がんと放射線被ばくに関する医学的知見を公表する」として、医学的報告書を公開しています。この報告書も、UNSCEARと同じように科学論文をレビューして作るんです。数は100本くらいですが。そして、最終的には必ずUNSCEARの報告書と比較し、ここに根拠を求めます。

 

ですから、UNSCEARの報告書や白書がさまざまな判断の大元の根拠となっている重要なものであるということは、ここでもやはり言えるでしょう。UNSCEARの報告が政治的に中立な知の集積であるということ、それから協力している専門家の地域にも偏りがないということも大切ですね。

 

 

「UNSCEAR2013報告」の見解は引き続き有効

 

――UNSCEARの2013報告書が公開された後、毎年白書が出されています。2017年にも白書が出ました。報告書と3本の白書の違いはなんでしょうか。

 

明石 2015年から2017年までの白書は、「UNSCEAR2013報告書に追加や変更を加える論文があるかどうか」という視点でまとめられています。世界中の英語の査読付き論文を、各分野の専門家が明らかな基準をもってレビューするという点では同じです。

 

ただ、2017年の白書は少しレビューする対象を広げました。たとえば、日本学術会議の報告書も採用しています。それから、2013年の報告書では事故直後の原発構内作業員の被ばく線量をUNSCEARの専門家が独自に計算して評価もしました。これを、たとえば放医研(放射線医学研究所)の報告や東京電力の報告と並べて比較しています。計算する研究者がそれぞれ別個のソフトウェアを使って線量を評価した上で、各々がどのソフトを使ったのかも明らかにされました。

 

いずれにしても、「UNSCEAR2013報告書」の見解の根幹を揺るがすような論文は今日まで出ていません。

 

 

――たとえば、「UNSCEAR2013報告書」よりも、2016年以降の白書は、「福島において見つかっている子どもの甲状腺がんは、原発事故による放射線の影響とは考えにくい」ということを、よりはっきりと言っているように見えました。

 

明石 被ばく線量や環境放射線量では実測値に基づいたより精度の高いデータが積みあがってきたために、そういった多くのことが2013年当時よりもはっきりと言えるようになってきました。「UNSCEAR2013報告書」が出た時点では、まだ理論値や予測値が多かったのは事実です。その後、これだけ多くの実際のデータが積みあがってきて、論文も出されてきた以上、そろそろ実測値に基づいた報告書を新たにまとめる必要はあると思います。

 

 

――チェルノブイリ原発事故の後の報告書でいえば、「UNSCEAR2008報告書」がそれにあたりますか。

 

明石 そうですね。ただ、チェルノブイリ原発事故後の周辺地域への影響については、子どもの甲状腺がんに関する論文をもう一度レビューしようというプロジェクトが始まっています。いずれにしても、過去に出した報告書に変更がないかどうか、定期的に見直す必要はありますね。

 

 

――1986年のチェルノブイリ原発事故後に「UNSCEAR1988報告書」が出されたのとほぼ同じ期間で「UNSCEAR2013報告書」(公開は2014年)が出されました。両者を比較して、作業としてはどのような違いがありましたか。

 

明石 「UNSCEAR2013報告書」は非常に長い時間がかかったような感覚があります。改めて言われてみれば、福島第一原発事故が起こったのが2011年で、そこから実質2013年までに報告書が作れたわけですから、決してとくに長い時間がかかったわけではないんですね。

 

2011年5月に「UNSCEARで報告書を出しましょう」と決めて、国連総会に承認を得ました。それからは、とにかくたくさんのデータ収集を要求される日々でした。公平性の観点から、日本人は日本で起こった原子力災害について報告書を書けないんですね。それがUNSCEARのスタンスです。ぼくら日本人は、あくまでもデータの収集、それから技術的なアドバイスを延々やっていました。要するに「下働きをしなさい」ということです。

 

たとえば、環境省のプロジェクトの発足とか進捗とか、日本語で得られる情報から、「このプロジェクトが始まったのであれば、今後これに関連した論文が出てきそうだ」といった見通しが少しわかりますね。こういう情報は、日本人が日本語で集めて、報告書を書く人に伝えるしかない。

 

 

――近年の環境省のプロジェクトでは、鈴木元(国際医療福祉大学クリニック院長)先生が取り組まれているものがあります。

 

(注10)福島の子どもの初期被ばく線量を実測値に基づいてより精密に再評価をするプロジェクト。「UNSCEAR2013報告書」で推計されていた福島の子どもの初期被ばく線量が31~93%過大だったとの中間報告が出されている。

 

明石 はい、そしてUNSCEARはそういったプロジェクトそのものではなく、プロジェクトから出てくる英語の査読付き論文を評価するということになります。そのプロジェクトからも甲状腺の等価被ばく線量のデータを扱った論文が少しずつ出てきていますね。

 

 

――福島第一原発事故と、チェルノブイリ原発事故との主な違い、また逆に共通している点は何ですか?

 

明石 「原子力災害である」という点は共通しています。飛散した放射性物質の種類も共通しています。しかし、事故の原因も違いますし、事故の規模も違います。チェルノブイリ原発事故は、放射性物質が他の国にも飛散しました。日本は島国であるという地理的条件もあって、海外への影響もほぼ出ていません。

 

じつは、このために「福島第一原発事故は日本で起きた原子力災害だけれども、自分たちの国にはあまり科学的な影響はありませんね」という外国の専門家はいます。社会的な反響はあっても、科学的な影響が大きくないので、自然科学者はそう考えるのかもしれません。

 

ですから、じつのところ「改めて実測値に基づいた報告書をまとめ直そう」といっても、「もう必要ないでしょう」というUNSCEARのメンバーもいるほどです。しかしもちろん、「原子力災害が起きたのだから、しっかりと科学的な記録は残すべきだ」という考えのメンバーも多いです。

 

 

現実の数字は『1つに決める』のではなく『幅を持った範囲』でとらえる

 

―「UNSCEAR2013報告書」、またそれを補う3つの白書に共通する重要な考え方を教えてください。

 

明石 今非常に気になっているのは、「(年間追加被ばく)1ミリシーベルト」という、1つの数字によって物事が決まっているように見えることです。現実の世界に存在する数字はそんなに「かちっと1つに決まる」なんてことはありません。福島第一原発事故は事故であって、あらかじめ計画して放射性物質を撒いたり被ばく線量を決めたりしているわけではありません。ですから、現実的な測定値はあとからわかるもので、0.6だったり1.2だったりとかならず幅があります。

 

「数字は、ある程度幅を持った範囲で考えるべきだ」という認識を、もっと徹底しなければいけません。たとえば「1」というのは「だいたい1くらい」という意味なんです。とくに今の福島での被ばく線量は健康影響があるようなレベルではないわけですから、「数字に幅を持たせる」という考え方は非常に重要だと思います。

 

 

――幅を持たせずに「1つの数字にかちっと決める」と、どんな弊害が考えられますか?

 

明石 いや、「線量の数値に幅を持たせない」ということはそもそもできないんです。線量計を使ってみるとすぐにわかることですが、線量計の針は常に揺れています。その揺れている針の振れの中間を見て、一応数字を1つ出します。つまり、そもそも線量計の出す数字自体が幅を持っているわけです。

 

たとえば、ある地域の気温が20度だというとき、もしかしたらそのうちのある地点では18度かもしれないし、21度かもしれない。でも、それでとくに支障はないでしょう。小数点以下のことなんてますます支障はないですね。「基準は目安であって、幅を持たせて考えていいんだ」ということはもっと広く知られていいことだと思います。

 

 

――基準はある程度の幅を持った目安であるということですね。

 

明石 もうひとつは、同じように「サイエンス」といっても、いろいろな考え方があるということです。たとえば、「放射性物質がどれくらい放出されたかということを調べる」というテーマでも、「理論的に、事故を起こした原子力発電所の規模から計算して、放出された放射性物質の量を推定する」という方法もあれば、「実際に原発事故後土壌に含まれた放射性物質を測定して、そこから遡って放出量を推定する」という方法もあります。

 

これらはいずれも科学的な手法としては正しい。でもその結果は必ずしもぴったり一致するとは限らない。現実の世界で起こることですから、理論を立てる上でどうしてもあらゆる要素を一つももらさないというのは難しいでしょう。

 

ただ、ここで重要なことは、こういった相異なるいくつもの方法で同じテーマを研究していくと、「細部での違いはあるものの、結論が決定的には変わらない」ということです。ここでも、「幅を持たせる」ということが大切です。1つの点でぴったり合わせようとするのではなく、「大筋で結論は同じだ」という視点です。とくに実測値を扱う場合は、計測した装置の違いとか、たくさんの要因が絡んできますから。

 

 

――これまでにも、そういった「幅」という視点の重要性を感じられたことはありましたか。

 

明石 それはたくさんありますよ。たとえば第五福竜丸事件(1954年にビキニ環礁で行われたアメリカの水素爆弾実験によって、日本の遠洋漁船などにも放射性物質が飛散した事件)は、今から60年以上前に起きた事件です。この事件を今検証しようとすると、当時の研究や論文が手掛かりになります。しかし、どこでどんなデータを取ったかによって、研究結果にはかなり数字の幅が出ます。

 

たとえば、放射性物質が飛散した島々の線量率を考える場合にも、マーシャル諸島(ビキニ環礁にある島々)には島がたくさんあります。それらの島々のうちのいくつかの島の線量率を調べて、残りはそこから計算して推定します。でも、あとで実際に残りの島の線量率を実測すると少し違ったりする。しかし、実測値と理論値の差が2、3倍程度であれば、結論には影響しません。10倍くらいの誤差があれば少し影響が出てくるかもしれませんけれど。

 

しかし、こういう「幅を掴む」という感覚を、一般の方々と共有することはとても難しいですね。たとえば「1が1.2になったらもう大違いだ」と考える人は少なくないでしょう。

 

 

「社会の共通認識」として放射線の相場観を育てる

 

――国内に、放射線についての基礎知識があまり根づいていないという状況についてはどうお考えですか。

 

明石 ただ知識を文章として教科書で読んでも、実感までは難しいと思います。「ベクレル」も「シーベルト」も目に見えない概念ですから、これを感覚として掴むまでには時間がかかるかもしれません。でも、この概念が感覚としてわかってくると、たくさんのことが「ぱっ」と見えてきます。

 

ぼくも、昔は放射線の概念なんてわかっていませんでした。でも、自分の手を使って実験して、人に教えたり伝えたりしていくうちに、「感覚として」わかるようになりました。たとえば、消防隊などの研修をすると、「実際に自分で測ってみてわかった」と言うことがよくあります。自分でいろいろな線量計を使って、いろいろな単位を換算してみて、「これくらいなら危険ではないんだな」という実感を得ていくようです。

 

 

――次世代のお母さんになるような若い方や子どもたちにとって、実際に自分の手や目で測ったり考えたりして、感覚で理解できるのはいいですね。

 

明石 そういった取り組みはとても有効ですし、重要なことだと思います。線源(ここでは実験に使うための放射性物質のこと)を一般施設に簡単に持ち込むわけにはいかないですが、たとえばこの研究所でも小学生向けの研修をして、研修後にアンケートをとっていますが、1度でも体験すると、子ども自身も親もかなり感覚がつかめるようですね。

 

 

――福島第一原発事故とその後の状況から得た教訓はありますか?

 

明石 「放射線というものの基礎的な概念は、社会の共通認識として予め持っておくべきだ」ということでしょうか。自然界にももちろんたくさんの放射線があります。加えて、自動車のタイヤだって、注射針の殺菌だって、輸送するジャガイモの発芽を抑える(ジャガイモの芽には毒性がある)ことにだって、放射線は至るところで使われています。いまや放射線を使わなければできないことはたくさんあります。

 

そういう放射線の身近さについて、もっとちゃんと伝えておかなければならなかったということは、福島第一原発事故が起きてしまってから痛感しました。社会に放射線の基本的な概念が常識としてあったなら、ずいぶん今とは状況が違っていたと思います。

 

日本には、一般的な災害に対応できる職業の人はたくさんいますが、原子力災害という特殊な災害になると、対応できる人材が激減しました。それはつまり原子力災害の頻度が少ないということでもあるのですが。しかし、D-MAT(災害派遣医療チーム)のような人たちが福島には入れないという事態は非常に困るんです。もし、もっと多くの人たちに最低限の放射線の知識を伝えられていれば、と、それはぼくが非常に悔やんでいることです。

 

 

――放射線教育は、今回のことを教訓として、今から取り組む意味のあることですか?

 

明石 もちろん今からでも放射線教育には大きな意味があります。原子力発電所は減るかもしれないけれど、今言った通り、世の中で放射線を使う量や機会が減るわけではありません。医療機関でも、すでにたくさん使われています。

 

画像診断の技術が発展すればもっと使うようになるでしょうし、今後平均寿命が延びればがんになる人も増えて、それに連れて放射線治療も発展して、使われる機会も増えていくでしょう。そういう社会が予想される中で、放射線についての正しい知識を最低限は持っていないと、ますます誤解が生じる場面は増えてくると思います。ですから、「放射線の基礎知識を学ぼう」ということは、福島県内外のどんな立場の人にも同様に伝えたいことです。

 

世の中に、100%安全というものはないし、100%危ないというものもありません。

 

たとえば、自動車が時速100キロで向かってきたら、ぼくらは「危ない」と思うでしょう。しかし、自動車は便利で生活に欠かせない道具でもありますよね。このように、自動車ならば実感できるでしょう。放射線もこれと同じことなんですが、目に見えない分、なかなか実感しにくい。体験するというのがベターですが、だれもが体験できる環境にあるとは限りません。

 

だからこそ、たとえば義務教育で、小さい頃から身近な放射線のことを自然に知ることができる仕組みがあるといいと思います。だって、放射線は身の回りにこれだけたくさんあって、否が応でもぼくらはその恩恵にあずかっているわけですからね。

 

「知らず知らずのうちに、当たり前のようにみんなが放射線についての「安全・危険」を、感覚として身につけている」という状況にしていきたい。今後またなにかが起こってから特別に教育をはじめるのは、とても難しいです。その難しさも、ぼくらはよく身にしみました。だからこそ、今すぐにでもはじめるべきことだと思います。

 

 

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・大屋雄裕「学びなおしの5冊〈法〉」
・酒井泰斗「知の巨人たち――ニクラス・ルーマン」
・小林真理「「文化政策学」とはどんな学問か」