福島レポート

2021.03.11

原発事故の被曝による妊産婦や女性への影響は心配ない――10年間の福島県妊産婦調査の終了を前にして

室月淳 産科医

インタビュー・寄稿

1.放射線被曝による確定的影響と確率的影響

東京電力・福島第一原子力発電所の事故は、放射性物質による広範囲の環境汚染をひきおこし、とくに地元の福島県においては住民に多大な不安や懸念をあたえることになりました。地震、津波による直接被害が復旧しつつあっても、原発事故にともなう風評に福島はいまもなお苦しんでいます。

放射線被曝による生体への影響は、放射線防護の観点からは周知のとおり、確定的影響と確率的影響にわけて考えられます。確定的影響は、線量・反応関係において閾値をもち、それぞれの症状においてある一定のレベルまでの線量では影響がでませんが、閾値をこえると発生確率が増加するとともに重篤度も高くなるものです。一方、確率的影響は癌と遺伝的影響がふくまれ、これらには閾値はなく、線量に相関して発生確率が増加すると考えます。

現に妊娠している女性、あるいは将来の妊娠分娩を考えている女性への被曝の影響にも、やはりこの確定的影響と確率的影響のふたつの可能性があります。しばしば両者がよく混同されて論じられますが、妊娠中の被曝による胎児の異常の発生は確定的影響であり、女性の生殖細胞への被曝による将来的な妊娠のリスクは確率的影響とされます。そのなかで後者の遺伝的影響は、福島原発事故にかんしてはないと断言してかまいません。仮に生殖細胞への放射線の影響があれば、のちの世代までおよぶリスクとなるために大きな問題となりますが、事故当初からこの問題はないと考えられてきました。

なぜならば、広島と長崎において原爆被爆者の長期追跡研究と個人別被曝線量の推定がたんねんに積み重ねられており、それから得られた結論があるからです。原爆生存者にくわえ、胎内被曝者、被爆二世の追跡調査がおこなわれました。現在までのところ、7万人の出生児のフォローアップを行われてきましたが、被爆二世の妊娠分娩について周産期死亡、早期死亡、遺伝性疾患や奇形発生などについて増加はまったく認められませんでした。また動物実験に基づく実験結果でメスの生殖細胞に対する影響はかなり小さいことが明らかにされ、さらにヒトでは動物にくらべて放射線による遺伝子変異の修復機構がとくにすぐれていることなども知られています。

今回の福島原発事故による放射線被曝推定量は桁違いに小さいので、遺伝的にはいかなる影響も認められないだろうと結論できるのです。たしかに「直線閾値なし仮説(LNT仮説)」によると、被曝線量に比例して遺伝リスクが存在することを意味し、理論上では100%安全といえる線量は存在しないことになります。しかし今回の事故による被曝線量程度では、生殖細胞への影響によって将来の出産した児に奇形が増えると考える合理的な根拠はまったく存在しません。心ない発言や偏見に苦しんでいる福島の若い女性のためにも、あえてここは「遺伝的影響は存在しない」と断言してあげたいと思います。

それでは前者の確定的影響である妊娠中の被曝、すなわち胎児被曝の問題です。広島長崎の原爆被爆者でも、チェルノブイリ周辺の住民においても、この放射線の急性影響が問題となり、放射線をあびてから数日から数週間以内に影響がおきてきます。この急性影響の特徴は、一定の被曝線量にたっしないと症状がでてこないことです。すなわち放射線の影響に閾値があって、その閾値をこえて被曝すると、線量に応じて症状がでてくる場合を確定的影響といいます。妊娠中の胎児ではこの閾値が100ミリグレイ前後とされています。

国際放射線防護委員会(ICRP)によると、妊娠9週以前に100ミリグレイ以上被曝すると、流産ないしは奇形発生リスクがあがると考えられています。さらに妊娠10~17週で300ミリグレイ以上被曝すると、出生後の成長過程で精神発達遅滞がおこることが知られています。すなわち子宮被曝によって先天奇形と神経学的影響をひきおこす閾値はすくなくとも100ミリグレイ以上であるとされ、それ以下の線量によるリスクは実際上有意ではありません。ICRPが100ミリグレイ以下の被曝で妊娠を中絶することは妥当ではないと勧告しているのはそのためです。

ここでいう100ミリグレイというのは子宮の吸収線量のことです。周知のとおり胎児というのは放射線の影響を受けやすいといわれており、とくに妊娠早期の分裂増殖が活発な細胞ほど感受性が高く、まさに神経組織などはその典型です。ICRPは、まだわかっていない部分はあるものの100ミリグレイ以下ではまず影響はないとしていますが、わかっていない部分があるからこそとくに胎児にかぎってはとくに注意が必要です。県民健康調査のなかに妊産婦調査がくみこまれたのはそういった意味があるかと思います。

2.県民健康調査のなかの妊産婦調査について

福島第一原発事故による放射線にかかわる住民の健康管理のために「県民健康調査」事業が実施されることになりました。その概要は、全県民の被曝線量の把握(基本調査)と健康状態の把握(詳細調査)のおおきくふたつにわかれていますが、基本調査であきらかになったのは、原発周辺市町村の個人の外部被曝量を推計したところ、最大で23ミリシーベルトでしたが、99%以上のひとが10ミリシーベルト未満、58%が1ミリシーベルト未満という結果だったことです。原発周囲地域の住民でもその被曝量は数ミリシーベルトから、もっとも高い人でも10~20ミリシーベルトのオーダーであったことが予想されます。このレベルでの被曝線量では健康に何らかの影響がでることはありえませんし、ましてや胎児被曝による異常増加などの直接的影響があると考える合理的な根拠もありません。国内外のまともな研究機関が福島周辺で健康被害や遺伝障害が発生する可能性を指摘した事実もありません。

この程度の被曝量で胎児の異常が増えることはないだろうから、妊産婦調査の当初は異常がないことを証明し、県民の不安をとりのぞくことが目的とされました。最終的には県の方針として、調査のための調査ではなく、県民の支援ということを前面にだした現状の事業に落ちつきました。放射線への不安が特に大きい妊産婦の方を対象にした調査ですが、健康状態などを把握して今後の健康管理に役だてるとともに、福島県内で分娩を考えているかたがたに安心を提供し、さらには今後の福島県内の産科・周産期医療の充実へつなげることをも目的にかかげられました。

対象は、福島県内各市町村で母子健康手帳を交付された方々(約1万6千人)と、県外において母子健康手帳を交付されたのちに県内に転入したり里帰りして、3月11日以降に県内で妊婦健診の受診や分娩(いわゆる里帰り出産)をしたかたがたでした。「震災後の妊娠健康診査の受診状況について」「妊娠経過中の健康状態について」「出産状況について」「妊産婦のこころの健康度について」などの質問に答えていただくアンケート形式の調査です。

アンケート回答内容について、心理的な面などでなんらかの支援が必要と判断されたときは、担当の助産師や看護師が電話をかけ相談に応じました。さらに医学的な対応が必要なときはかかりつけの産婦人科の医師にまわし、必要に応じて福島医大の医師などが対応することになっていました。また随時育児相談をはじめとした心配ごとやそのほかの相談に電話やメールで応じるという事業でした。

2020年8月の第39回「県民健康調査」検討委員会の報告によると、2011年度から2018年度の調査結果では、早産率は4.8%から5.8%、低出生体重児出生率は8.9%から10.1%という結果でしたが、これらの全国平均はそれぞれ5.7%、9.4%とほぼかわらない数字でした。先天奇形・先天異常発生率は2.19%から2.85%でしたが、一般に報告されている頻度である3~5%からみてとくに高いものではありませんでした。一方、妊婦のうつ傾向は27.1%から18.4%まで年度ごとに低下傾向を認めましたが、全国平均の8.4%に比べればいまだ高率でした。

先天奇形・先天異常率、早産率、低出生体重児の出生率のいずれも、事故前後で変化はなく、また全国の一般的な頻度とほぼかわらないという結果でした。すなわち原発事故の放射線による胎児への影響はなかったという結論です。くわしい解析結果は妊産婦調査終了後の最終取りまとめとして具体的に公表される予定ですが、福島県における先天異常の発生率が一般のレベルをこえていないことはあきらかでした。こういった情報を積極的に発信していくことにより、若い世代が自信をもって県内で妊娠・出産できるようにすべきと考えられます。一方、いまだ妊婦のうつ傾向は高止まりの状態にあるため、安心して妊娠・出産できるように今後の支援のありかたを引きつづき検討していくべきでしょう。

3.個人的な思い

わたしの働いている病院は仙台の西郊にあり、3.11の直後は壊滅した沿岸部の後方支援で息をもつけないような忙しさでした。震災後の混乱のなかで診療に奔走しているわれわれの心には、いつも福島第一原発事故がいつも影差していました。地震と津波はたしかにとりかえしのつかない甚大な被害をあたえましたが、それだけならばあとは復興をめざしてがんばっていけますが、しかし明日のゆくえがわらかない原発事故は、いつ果てるともない放射線災害という重い足かせとなってわれわれを苦しめました。

産科医のわたしがもっとも気がかりだったのは福島県に住む妊婦さんたちのことでした。震災の少しまえのことですが、チェルノブイリ原発事故後の周辺各国の産科統計をまとめた論文を読みました。ほんとうにたまたまのことでした。「ギリシアにおけるチェルノブイリの犠牲者-事故後の人工妊娠中絶」という題名で、1987年に英国医学雑誌(British Medical Journal)に発表されたものです。チェルノブイリ原発事故直後は東ヨーロッパの国々がパニックにおちいって、妊娠しているひとたちの多くがいっせいに人工妊娠中絶にはしってしまったとのことです。上記論文によるとギリシアでは年間の分娩数が30%も減少し、その多くは中絶によるものと推定されています。

チェルノブイリ原発事故後のくわしい検証のあとでは、その程度の被曝によって胎児になんらかの影響がでることはないことがあきらかであり、事故の最大の犠牲者は正当な理由もなく中絶された胎児たちであるというのが上記論文の結論でした。福島県の妊婦さんたちがおなじようなパニックにおちいらないだろうか、非理性的な行動にはしらないだろうかということが非常に心配だったのです。

事故後は多くの風説が飛びかいましたが、なかには心無いものも結構ありました。「お待たせしました…福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについて…スクープです!!」というSNSでのジャーナリストの発言。「20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」という週刊誌の見出し。「あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろうと。結婚をして子どもを産むとですね、奇形発生率がドーンと上がることになっておりましてですね」という学者の講演。10年たったいまでこそ、あきらかなデマとして一笑に付せられるものばかりですが、当時は福島のとくに女性の心を強く傷つけたのでした。

臨床遺伝の専門医であったわたしは、縁があって南相馬市立総合病院で放射線健康カウンセリング外来をお手伝いすることになりました。南相馬市立総合病院は福島第一原発から23キロにあるもっとも近い公立病院です。原発事故後1年もたちながら被曝の不安をかかえながら生活している市民はおおくいました。地域の復興にも影響しているこれらの不安に正面から対応していこうとして、市立病院の医療スタッフや関係者が、外部からの応援を得てつくろうとしたのがこの「放射線健康カウンセリング外来」でした。この活動は1年余でおわりましたが、これがひとつのきっかけで日本産科婦人科学会推薦の福島県「県民健康調査」検討委員として、検討委員会の議論に加わることになったのです。

県民健康調査検討委員会は、「福島県が実施している県民健康調査が十分な成果をおさめるよう、またその調査結果が県民・国民の信頼を得られるよう、さまざまな専門的見地から助言や提言を行う」ことを任務とされています。さまざまな前評判が聞こえていた検討委員会でしたが、わたしが委員を引きうけたのは、妊産婦調査の生のデータを自分自身の目でみて、今回の原発事故が真に妊産婦さんたちに影響をあたえていないかを確信してみたかったからです。

ほとんどおなじ時期に、日本産婦人科医会の先天異常委員会の委員就任もあわせて引きうけました。こちらは医会が毎年おこなっている「全国外表奇形等調査」のデータを検討するところです。福島県の妊産婦調査は、お産をしたひとに直接回答してもらったアンケートを回収しておこなう人口ベースの研究(population-based study)であり、一方、全国外表奇形等調査のほうは、福島県内の産科医療施設における分娩帰結を調査する病院ベースの研究(hospital-based study)です。福島県の妊産婦への原発事故後の被曝の影響をしらべているのは、これらのふたつの疫学調査が主なものになります。

日本産婦人科医会の全国外表奇形等調査では、継続的になされてきた全国レベルでの異常モニタリング調査のうち、2011年以降は福島県内の全分娩医療施設を対象にして、全県規模での出産データを改めて解析してきました。先天異常発生要因の存在を疫学的観点から検討したところ、2011年以降にとくに有意な増加は認められず、また全国集計とのあいだにも発生率にかんしての差がなかったことがあきらかになりました。チェルノブイリ原発事故後に観察された神経管閉鎖障害、小頭症もふくめ先天異常の発生率に有意差はなかったのです。

調査主体も調査方法もまったく異なるこれらふたつの疫学研究において、期せずしておなじ内容の事実、すなわち原発事故による妊産婦への影響はなかったという結論がでることになりました。ふたつの調査のデータを自分自身の目で直接みることができる主体的な立場にいるいまは、妊娠分娩にたいしてなにも影響がなかったことに強い確信をもてています。いわゆる陰謀論のようなものをとなえているひとたちに外部からいくら謗られようとも、自ら検証し自ら納得できたという事実にはゆるぎがありません。もちろんわたしひとりが確信できればそれでよしではなく、福島の女性のみなさんたちにむかって、原発事故によっても妊産婦さんたちになんの影響もなかった、これからもなにも心配することはない、と明確に伝えてあげたいと願っています。

事故後10年を節目として妊産婦調査が終了します。それにともなって検討委員としてのわたしの役割もおわることになるでしょう。これまでの10年間困難な状況にいた福島の女性のみなさんに希望の未来をとどけることを、これからのわたしの仕事にしていきたいと思います。

プロフィール

室月淳産科医

1960年生まれ。宮城県立こども病院産科科長、東北大学大学院医学系研究科先進成育医学講座教授兼任。専門は胎児診断胎児治療、臨床遺伝学、周産期学。東北大学医学部医学科卒。著書に「出生前診断の現場から」(集英社新書)、「出生前診断と選択的中絶のケア」(メディカ出版)など。
 

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