「不毛なことの意味をかすかに信じる」――彫刻家・今野健太が彫り出す存在

「不毛なこと」をやり続けること

 

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荒井 この対談のテーマのひとつに、「いま“表現すること”にどんな意味があるのか?」というのがあります。ぼくも「こんな時代に、本なんか読んでて何になるんだ!」って思うことはあるんですけど、そんな気持ちに追い込まれれば追い込まれるほど、本を読み続けていないといけない自分がいることに気が付くんですね。

 

今野 ぼくも「石なんか彫ってて、いったい何になるんだ!」って思うことはあります。映画を観ていると「こっちのほうが、広く伝わるよな」って思う。彫刻の場合は、どうしても展示会に来てもらって、実物をみてもらわないと伝わらないので。とくにぼくの作品は、角度を変えてみると変わってみえることがテーマですし。

 

荒井 「その場で、そのもの」をみてもらうことが大事ですよね。彫刻作品って、日常生活だと場所とるし、重いし、ひたすら邪魔なんだけど、アート展に行くと、その存在感がものすごく気持ちいい。

 

今野 そう、そこでしか許されない。絶望的に邪魔なんですけどね。

 

荒井 絶望的に邪魔(笑)。でも、彫り続けないといけない。

 

今野 そうですね。この対談を受けるにあたって、これまでされてきた対談を読みました。そしたらみなさん、表現の社会的な役割みたいなものをお話になっていたので考えてみたんですけど、たぶんぼくには、社会に貢献するために振る舞えることはほとんどありません。

 

目にみえる形で役には立たないし、コスト的にも時代にあっていない。さまざまな面で明らかに不毛なものなんですが、その不毛なことを誰かがやり続けることが、どこかで役に立っていることもあるのではないかと、かすかに信じて作り続けています。

 

荒井 「かすかに信じて」というところが良いですね。

 

ちなみに、彫刻を作るとき、具体的な宛先はイメージしますか?

 

今野 うーん、どこで発表されるかによってお客さんがぜんぜん違ってくるから、そういうイメージはするけど、誰それに宛てて作品を作ることはないと思います。漠然と、いま生きている人たち……かなあ。ただ石って何百年も残るんですよね。そういう意味じゃ、未来の人たちにも向けているのかもしれない。

 

荒井 極端な言いかたをすると「人類」でもいいんですか?

 

今野 それに近いのかもしれませんね。石って世界中で使われていたし、残っている素材だから。他の国の人にもみてもらえると思うんです。時間的にも空間的にも広い人に向けられる。

 

荒井 言語の壁もないし、耐久性もありますよね。でも逆に言うと、良いものでも悪いものでも残ってしまう……。

 

今野 そうそう。だから何百年という時間のスケールを意識して作らないといけないんです。

 

 

時代や社会が変わっても、変わらないもの

 

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今野 震災のとき、ぼくにできることって、たぶんなかった。誰かのために作品を作ろうとしても、まず石を遠くまで買いに行かなきゃいけないし、そもそも石買うために、あの時とても貴重だったガソリンを使っていいのかって話ですよね。実際に石を彫ることができても、どんなに早く見積もっても完成までには1年はかかる。だとしたら、作品が完成する頃には、世の中はまったく状況が変わってしまっているかもしれない。

 

彫刻って、どうやったって時代や社会の変化についていけないんですよ。だったら、「時代や社会が変わっても、変わらないもの」を目指すしかない。

 

石器時代から現代まで、世界はこれだけ変化しているのに、「石を彫る」という制作技法はあまり飛躍的な発展をしていないんです。道具に多少の変化はあっても「材料の石よりも硬いもので石を削っていく」という行為を、いつの時代の人もやっていたんだと考えると、これだけ大きく変化していく世界の中で変わらないことを続けることで提示できるものがあるのではないかと。

 

「伝統的な石の彫刻を守らなくては」とか、「技術を継承する」とかいうことではなく、もっと根源的な次元で「石を彫る」という行為を見つめ直したいんです。やっぱり、彫刻は時代を牽引できないですよね。でも船越桂(彫刻家)さんが、ご自身の彫刻を時代の「踏み石」になっていく、という主旨の発言をされていて、ぼくもそのような作品のあり方に、いまは可能性を感じています。

 

荒井 熊本県にある菊池恵楓園というハンセン病療養所に「望郷の窓」というのがあるんです。昔のハンセン病療養所は隔離施設だったので、一度入所すると基本的には出られなくて、恵楓園もコンクリートの塀で囲われていたんです。で、その塀の一部が削られて穴が開いているんですね。故郷が恋しくなったのか、あるいはもっと単純に外の世界がみたくなったのか、昔の患者さんが削って穴をあけたんだと思います。

 

今野さんのお話を聞いていて、彫刻ってそれに近いものがあるのかなと思いました。「望郷の窓」は、だれが、いつ削ったのかわからない。でも、コンクリートを削ってまで外の世界がみたかった人間が、かつてそこにいたんだということはわかる。そういった衝動を抱えて生きていた人間がいた。その痕跡がコンクリートに刻まれている。

 

人間の生きる衝動のようなものを刻み込んで未来へと託すという意味では、石を彫るという表現は、原始的だけれども、もっともふさわしい表現方法かもしれませんね。

 

じゃあ最後に、「今野健太にしか作れないもの」を教えてください。

 

今野 ぼくにしかつくれないものというのは、いまはまだないと思います。特に、最近は技術も発達して誰でも石の彫刻を制作できる時代ですし、この流れはますます加速していくでしょうから。

 

でも、だからこそお話にあった「望郷の窓」のような生成に関わった人間の強い衝動が重要になってくるんじゃないかと思っていて。これは現代のアートシーンの主流とは別の話でしょうが。

 

ぼくのように、いまの時代に手作業で石の作品をつくり続けられる環境にいることは本当に幸運なことなので、何かしら「ぼくにしかつくれないものを!」とは常々思うんですが、石って制作している労力も時間も多いので、いつの間にかそういうものが薄れていってしまうんですよね……。

 

毎回、いつの間にか「石自体に彫らされている感覚」になってしまうんですが、そういうときでも残っている衝動というか、思いのようなものが作品に出れば、ぼくにしかつくれないもの、いまの時代に石を彫るという手法を選んでいるぼくにしか作れないものになるのかなと思います。

 

荒井 何度触ってみても、やっぱり石って重くて硬いですね(笑)。こんなに重くて硬いものを毎日削りながら、「人間とは何か」を考え続けている人がいるという単純な事実を思うだけで、言いようのない不思議な感動がこみあげてきます。

 

この感動……読者に伝わるかな……たぶん伝わらないんだろうな(笑)。

 

 

 

今野健太「にじり出す背-Back out gradually-」

 

今野 個展 DM

 

会期:2014年9月13日(土) – 10月18日(土) 
月火休廊 水木金はカフェ併設 土日は展示のみ

時間:12:00 – 19:00

会場:HARMAS GALLERY
    〒135-0024 東京都江東区清澄2-4-7

アクセス:都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線清澄白河駅A3出口より徒歩6分、
都営新宿線森下駅A1出口より徒歩11分

 

HP:http://harmas.fabre-design.com/

 

 

 

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