特集:リベラルとはなにか

1.飯田泰之×仁平典宏「これからのリベラルになにが必要か?」

 

◇リベラルは「インテリの趣味」なのか

 

飯田:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)橘玲『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社)など、リベラリズムの危機とその問題点を指摘する本が多く出版され、注目を集めています。そのなかでのひとつの注目点がカッコつきの「リベラル」の特異性とリベラリズムの重要性というところになるでしょう。

 

今回は「リベラル懇話会」にかかわられていた仁平さんと「これからのリベラリズム」をテーマにお話できればとおもいます。

 

仁平:よろしくお願いします。

 

飯田:まずは、戦後のリベラル政党について概観できればとおもいます。高度成長後半期の日本の政党政治では、イギリスのような階級を軸とした政党があったわけでもなく、かといって、価値観を軸とした対立があったわけでもありません。

 

高度成長初期までの左派運動は、明確に階級運動の色彩をもっていました。高度経済成長期を経て、貧困の問題が全国民的関心とはいえなくなってしまった。その結果、左派にとって経済問題を前面に打ち出すのは賢い戦略ではなくなってしまった。むしろ経済以外の価値を大切にしようという方向に向かう。その結果、リベラルや左派が――言葉は悪いですが――「インテリの趣味」になってしまったとぼくはおもっています。

 

仁平:階級についていえば、むしろ保守政党の側で、経営、農民、労働者の一部による階級交叉連合が成立してしまったのが、リベラル政党にとって痛手だったとおもいます。

 

政治学者の新川敏光さんによると、1947年に社会党党首の片山哲が政権をとったときには、農民層の支持も大きかったそうです。うまくいっていたら、北欧のような緑赤連合(農民と労働者の連合)が実現していたかもしれません。しかし、農民系議員が中枢から外されたりしたことで支持を失い、以後、農民層は保守党との関係を深めていきます。ここに穏健派労組が加わり、階級交叉的な保守政党としての自民党ができていきます。

 

自民党の政策について興味深いのは、岸信介の下での選挙のとき、国民年金と国民健康保険を選挙の公約の中心に掲げていたことです。実際に池田勇人内閣のときに、世界で4番目に早い国民皆保険と、12番目に早い国民皆年金が実現します。もちろんこれは、もともと、社会党が掲げた政策でした。でも自民党は、三井三池争議や安保闘争での強硬姿勢とバランスをとるかのように、要所要所で左派の政策を取り入れていきます。1973年の老人医療無償化なんかもそうですね。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

仁平氏

仁平氏

 

 

2.稲葉振一郎「『存在の自由』?」

 

◇「リベラリズム」あるいは「自由主義」とは何を意味しているのか?

 

私個人は、これまで哲学事典的な企画で「自由主義」の項目を執筆させていただいたことが二回ほどあり、それ以外にもいろいろな機会に書かせていただいたりお話しさせいただいたりしています。でも、いまだにしっくりいかないところがあります。

 

正直なところを言えば、勉強を重ねるにつれ、何度も何度も考え直すにつれ、そして周囲の世の中が変わっていくにつれ、自分の「自由主義」についての理解がどんどん変わっていくのです。

 

というわけで現時点での理解をお話しします。あまりスタンダードなお話にはならないかと思いますので、スタンダードな解説がお入用な方はお近くの図書館で『事典哲学の木』(講談社)か『現代倫理学事典』(弘文堂)の「自由主義」の項目をご覧ください。

 

いわゆる自由主義というのは、ことに晩年のミシェル・フーコーの示唆をまじめに受け取るならば、基本的には「統治の思想」「統治の戦略」とでもいうべきものだ、ということになりましょう。

 

どういうことか? こういうときは、それが何「である」か、から入るよりも、それが何「ではない」か、から入った方が分かりやすいでしょう。

 

◇リベラルとは何の原理なのか

 

まずリベラリズムは、普通のヒラの市民、生活者が市民社会の中で生きる際の道徳原則としてとらえない方がよい、ということです。ここでいきなり「ではない」とせずに「としてとらえない方がよい」と腰が引けているのはまあ、ご勘弁ください。

 

普通の私人の生活を律する原理原則、つまりは市民道徳というよりは、そうした普通の私人の生活を根こそぎひっくり返すことも可能な権力を運用する際の、統治の原理原則、といった方がよいだろう、ということです。

 

むろんそうした統治の原理原則の根拠を、まさに私人、市民レベルの道徳に基づけようという試みもあります。いわゆる社会契約論の論理はそのようなもので、正統な統治は集団的自己統治である、とするわけです。

 

たしかに統治によって達成されるべき目標は私人のそれぞれの権利と利益です。しかし、それらの目標は必ずしも統治によって達成されなければならないというわけではない。社会契約に参加せずに単独での自力救済に恃む者がいても構わないのです。

 

何を言いたいかといえば、リベラリズムは個人の自己決定論の自然な延長線上に出来上がる立場ではない、ということです。個人の立場に即するならば、自己の自由を守るために、他人と協力し、折り合いをつける必要は必ずしもないのです。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

3.宮城大蔵「冷戦後日本外交にリベラルの水脈を探る」

 

◇「近い過去」にリベラルを探る

 

外交におけるリベラルとはいかなるものか。一般的には国際協調主義などが想定されるであろうが、日本では歴史認識問題なども重要な要素であろう。しかし定義を試みた結果が、現状を分析するに際して有用かといえば、そうとも限らない。日本の文脈ではリベラルとは見なされないであろう安倍晋三政権も「積極的平和主義」を掲げ、韓国政府と従軍慰安婦問題で解決に向けた合意に達している。

 

そこで本稿では、冷戦後における日本の主要政権の外交を特徴づけることで、リベラルと想定される要素が日本の文脈ではどのような形で可能であり、それが時にいかなる困難や課題に直面したのかを考察する。いわば近い過去の歴史的文脈の中にリベラルを見出す試みであり、そこから冷戦後の日本外交が本来持っていた議論の幅広さを想起することが可能になるであろう。

 

対象とする「近い過去」としては五五年体制が終わる一方で北朝鮮核危機が顕在化した細川護煕政権から始め、小泉純一郎政権成立までを取り上げることとする。小泉以降、粘り強い対話や合意形成よりも、「毅然とした外交」が一世を風靡するようになり、日本外交のスタイルが変質したように思われる。小泉以前と以後を対比させる形で、本稿末尾では近年における外交の変質について考えてみたい。

 

◇非自民連立政権と北朝鮮核危機

 

一九九三年八月、自民党と共産党を除く七党八会派による連立で成立した細川政権は、長きに及んだ自民党単独政権に終止符を打った清新さで発足当初、各種の世論調査で軒並み七〇%を越える高い支持率を得た。

 

外交面において細川首相は、就任当初から過去の戦争について「侵略行為」だと明言して「深いおわび」を表明した。それまでの自民党の首相は党内の異論もあってここまで踏みこむことを回避しており、非自民でこそ可能になったといえよう。

 

一〇月にはエリツィン露大統領が来日してシベリア抑留について謝罪した。エリツィンは「自民党政権なら自分は来なかったかもしれない」「細川首相の侵略発言があったから、自分も思いきったことが言えた」と述べた。対外強硬姿勢が相手国の強硬姿勢を呼び起こす「負の循環」が一般的な昨今だが、逆もあり得ることを示す冷戦後の一幕であった。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

4.辻由希「女性政策の『使い方』」

 

先日の東京都知事選挙で小池百合子氏が当選し、初めての女性都知事の誕生が話題になった。近年、首相や大統領はもとより、パリやローマ、マドリードといった大都市でも女性市長が相次いで就任している。日本の女性議員率は世界的にみて非常に低いが、女性都知事の誕生は、ゆっくりとでも日本が変わってきているあかしのようにみえる。

 

しかし小池は自民党所属であり、「女性活躍推進」を華々しく打ち上げたのも保守色の強い安倍晋三内閣だ。リベラルが期待した民主党政権のときには、女性政策は目立たなかった。本稿では、自民党と民主党政権がいかに女性政策を政治的に「使って」きたのかを振り返り、今後のリベラルの戦略について考えてみたい。

 

 

◇女性都知事の誕生をめぐる「ねじれ」

 

実は今回の都知事選で興味深かったのは、フェミニストや女性団体の一部が「反小池」にまわったことだ。有名なフェミニストたちが中心となり、「東京から男女平等を実現する女性勝手連」を結成し、野党統一候補の鳥越俊太郎氏の支援に立った。女性スキャンダルの週刊誌報道が出たにもかかわらず、である。

 

もちろん、フェミニストや女性問題の活動家たちの行動には理由がある。小池は新しい歴史教科書をつくる会や日本会議とも近く、かつて雑誌の対談で日本の核武装についても選択肢としてはありえると発言した。歴史問題や外交政策について、小池は元都知事の石原慎太郎氏とイデオロギー的に近いとみなされたのだろう。

 

2000年代初頭に、石原慎太郎と都議会の一部議員は、養護学校の性教育を取り上げて理不尽なジェンダーフリー教育バッシングを行っており、東京のフェミニストや教員、女性団体のスタッフたちにはそのときの記憶がトラウマになっている。今も都の教育・男女共同参画の現場は、その影響に苦しんでいるようだ。

 

それを知れば都知事選でみられた「ねじれ」も理解できる。とはいえ、鳥越氏がこれまで女性・ジェンダー問題について積極的に報道・発信してきたという印象はなく、中道左派やリベラルを自認する研究者や活動家の一部から違和感が表明されている(例えば、山口一男氏駒崎弘樹氏)。

 

女性政治家の数を増やすことを優先するか、それとも政治家や政党の思想(イデオロギー)を優先するか、という問いに答えるのはなかなか難しい。

 

政治学では、女性政治家の数が一定以上に増えると、女性の視点や利益に配慮した政策が導入されやすくなる、ということは諸外国の経験からほぼ明らかとなっている。そうであれば政党・イデオロギーにかかわらず女性議員の増加を優先すべき、となる。

 

ただし女性議員の多い欧州諸国では社民党や左派政党の勢力が大きく、1970年代の女性議員の増加も左派政党によるリクルートに起因する。つまり女性であることと左派イデオロギーの影響とが判別しがたい。

 

ひるがえって日本では、長く自民党政権が続いたために、社会の基底的な部分で保守政治の伝統が強く残っている。さらには経済構造の変化や財政の悪化などで、再分配に重きをおく社会民主主義イデオロギーの実現も困難な時代である。その状況で女性が政治家として頭角をあらわそうとすれば、保守派にも目配りせざるを得ないのは事実だろう。実際、自民党の女性議員のなかには男性議員以上にウルトラ保守、極右とされる議員も複数存在している。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

5.前嶋和弘「アメリカのメディアにおける『リベラル・バイアス』」

 

「リベラルとは何か」という本特集に合わせて、本稿では、アメリカにおける「リベラル」という意味、そして、アメリカのメディアの「リベラル・バイアス」、さらには保守メディアの台頭の後の「メディアの政治的分極化」の影響を考えてみたい。

 

◇アメリカの「リベラル」と保守

 

まず、アメリカにおける「リベラル」とは何を意味しているのか、まとめてみる。政治・経済的な面と社会・文化的な面に分けて考えるとわかりやすいかもしれない。

 

政治・経済的な意味でのリベラルとは、連邦政府(中央政府)の強いリーダーシップで、人種融合、所得再配分的な政策など、ゴール(フィニッシュライン)の平等を目指す政策や、それを支持する考え方である。日本の革新派の考え方に近い。

 

経済学者・ケインズの考えを政策に応用し、公共事業を次々に起こすことで景気の立て直しを図った、1930年代から40年代はじめにかけてのルーズベルト政権下におけるニューディール関連諸政策がリベラル的政策の代表的なものである。あるいは、公民権法を成立させ、社会福祉の充実、貧困の克服、教育改革などを行った1960年代のジョンソン大統領の「偉大な社会」構想なども典型的である。

 

一方、社会・文化面でのアメリカのリベラルとは、日本とは少し背景が異なる。伝統的ではない価値観を選択する「自由」を尊重する考え方だが、ここでいう伝統的価値とは、キリスト教徒の多いアメリカでは、キリスト教的な考え方や倫理に他ならない。例えば、伝統的なキリスト教の立場からは否定的にとらえられる妊娠中絶や同性婚については、「選択の自由」を重視し、いずれも容認する立場がリベラルである。

 

このリベラル的な考え方と対極にあるのが、「保守」であると考えると対立軸がわかりやすいかもしれない。

 

政治・経済的な意味での保守とは、連邦政府が経済活動や社会的な秩序形成に介入するのを嫌がり、自由競争を尊重し、規制緩和を求める立場である。いわゆる「新自由主義」(ネオリベラリズム)の考え方である。政府による社会改革の行き過ぎとその反発から、リベラル派を「大きな政府」とみなし、自分たちを「小さな国家」を目指すと位置付けているのも保守派の特徴である。

 

一方、社会・文化面では、アメリカの保守派はキリスト教的な価値観を重視し、妊娠中絶には否定的で、同性婚に対して反発するのも保守派の典型的な考え方である。

 

ものすごく単純化すれば、このように「連邦政府のリーダーシップによる改革+伝統にとらわれない価値観」を志向するのがリベラル派、「小さな政府+キリスト教的伝統」を志向するのが保守派となる。現在の政党支持で言えば、リベラル派は民主党、保守派は共和党との政策的な意味で親和性が高い。前述のルーズベルト、ジョンソン両大統領は民主党である。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

6.戸村サキ「ニートいろいろ:就労支援機関での体験<2>」

 

「若年無業者」の年齢の定義を調べると、「15歳から34歳」と出てくるが、私が一年半通った就労支援機関には、40代前半の人もいれば、60歳近いメンバーもいた。

 

私のように精神疾患を抱える人、身体的な問題がある人、教育を受けられなかった人、あるいは一見なんの問題もなく元気に見える人など、ここには様々なメンバーが来ていた。

 

「いたければいればいいし、帰りたければ帰ればいい」

 

何の拘束力も持たない「みんなの部屋」は、メンバーにとっての「居場所」であり、同時に成長の場でもあった。

 

今回は、私から見たメンバーたちの一例を見ていこうと思う。

 

 

*   *   *

 

 

就労支援機関の男女比率は、男性が八、女性が二割程度であった。中には、異性と接した経験が少なく女性メンバーとうまく話せない、という若者もいた。

 

ぷーさん(仮名)もそんな男性のひとりだった。おしゃべり好きで誰にでも声をかけてしまう私が彼に話題を振ると、真冬でもものすごい勢いで汗をかき、ぽつぽつと何か言いながら逃げるようにその場を辞す、ということが数度あった。

 

英会話の授業中も、彼の反応は変わらず、何か発言させようとすると顔面はもちろん首筋や耳の裏にまで汗がだらだらと流れる。心配した他のメンバーがスタッフを呼んで休ませたほどである。

 

ある日、「みんなの部屋」のイベントで、ぷーさんが「この機関に来る前と今の自分との違い」といった趣旨の作文を読んだ。

 

この機関に来る前、彼はコンビニエンスストアまでは行くものの、店員や他の客がいる店内に入れず、何度も訓練をしたそうだ。ようやく入店はできるようになったが、今度はレジに行くことができず、それを何度も繰り返し、今は買い物ができるようになった、という内容だった。

 

私はそれを聞きながら静かに感動していた。ホワイトボードの前に立ち、作文用紙を見ながら十名以上のメンバーの前で、ぷーさんは、緊張した面持ちではあったが、堂々と作文を音読したのだ。

 

その後彼は、自分の体験を活かして他の若年無業者の役に立ちたいと、就労支援関連の職に就いたと、風の噂で耳にした。……つづきはα-Synodos vol.202+203で!

 

 

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