特集:移動

1.内野儀氏インタビュー「国境を越える舞台芸術――移動するアーティストと変化する舞台表現」

 

都市の劇場で、劇団所属の俳優により演じられてきた近代の舞台芸術。言葉や文化の壁に阻まれ、従来移動性が低いと考えられてきた。しかし、国際化する現代。舞台芸術の現場でも移動性(モビリティ)が起こっている。人の移動、社会構成の変化、新たな時代に求められる舞台芸術の姿とは。内野儀教授に伺った。(聞き手・構成/増田穂)

 

◇舞台芸術は国境を越えない?

 

――舞台芸術はその前提として移動性が低いと考えられていたそうですが、その理由はなんだったのでしょうか。

 

第一の理由は近代以降の舞台「芸術」という概念が、西欧の近代演劇史に規定されていることにあります。もともと舞踊や演劇は古来より存在し、本来ギリシャ・ローマ時代以来、常設の劇場で上演されるという側面と、仮設の劇場や建物を使わないパフォーマンスといった移動性が強い側面の両面をもっています。たとえば中世では吟遊詩人が方々を回っていたとか、芸能者はいつも移動しているイメージもあります。しかし近代に入りヨーロッパを中心に都市への人口集中が進むと、常設の劇場が多く設立されるようになります。すると劇場は動きませんから、そこを拠点として舞台芸術というものが形成されるようになり、定住性が高くなります。

 

たとえば現在、ドイツの公共劇場では、アンサンブルという劇場お抱えの劇団があり、彼/彼女たちはその地域に住み、日々舞台をこなしながら新作の稽古に励み、非常に完成度の高い作品を上演しています。これこそがいわゆる近現代の「舞台芸術」だと認識されていたため、それを支える「移動しない定住性」こそが舞台芸術の特徴だと考えられてきた面があります。

 

第二の理由は演劇の社会性です。個別の文脈にとらわれない普遍性があると考えられているシェイクスピアの作品でも、同時代のさまざまな時事的事象とかかわって戯曲を書いていたことが知られていて、演劇には共同体内部での問題を提起したり、問題意識を共有する役割があったことがわかります。つまり、共通の言語や問題意識、社会認識といったコンテクストを共有していないと理解できない面がある。その意味では、一定の社会文化言語圏に限定された側面を常に持ってもいた。

 

――フィジカルな意味でも、ソーシャルな意味でも近代舞台芸術は一定の地域に限定的な側面があったのですね。

 

ええ。さらに観客席の構成も、場合によっては、身分制度と関係し、一般人は土間にたち、後ろの観客席に王侯貴族が座って一般人を見下ろすような社会構造を反映することもありました。ラジオやテレビ、ネットがない時代、劇場は社会の構成員が顔を合わせ、一定の価値意識を共有し、さらには共同体意識、あるいは、国民国家の時代になると、ナショナル・アイデンティティを確認する重要な場としても、機能していたと考えられています。

 

このように、芸術とナショナリズムは非常に親和性が高く、近代西洋では国家が積極的に舞台芸術を保護下におきました。結果として、「移動しない定住性」が増したと考えられます。……つづきはα-Synodos vol.216で!

 

 

 

2.松岡洋子「『エイジング・イン・プレイス』と『日本版CCRC構想』」

 

住み慣れた地域で最期まで暮らし続ける、「エイジング・イン・プレイス」という福祉の考え方が世界的なトレンドとなりつつあります。日本でもこの方針を取り入れ、厚生労働省が「地域包括ケア」を進めていますが、他方で、高齢者の地方移住をすすめる「日本版CCRC構想」が日本創成会議より提案されています。高齢者が地域で自立して暮らしていくためのヒントを海外の事例から学びます。

 

日本の高齢者福祉施策は、介護が必要になっても住み慣れた地域で暮らし続けられるよう「地域包括ケア」が進められています。これは「エイジング・イン・プレイス」という世界の潮流と同じ指向であって、「地域で住み続けたい」という人間の普遍的な願いに沿うものでもあります。

 

しかし、2015年6月、日本創成会議・首都圏問題検討分科会が『東京圏高齢化危機回避戦略』を公表し、第4の対策として東京圏高齢者の地方移住環境整備が提言されました。「日本版CCRC」と言われるものです。

 

地域に住み続けようという厚生労働省の「地域包括ケア」と、地方移住を奨める日本創成会議の提案は、別の方向を目指しています。このことについて考えてみたいと思います。

 

◇「エイジング・イン・プレイス」は世界の潮流

 

人間の普遍的な願いとして「老いても、介護が必要になっても、住み慣れた環境や自宅で住み続けたい」という気持ちがあります。しかし、「介護が必要になったら、家族や周りの人に迷惑をかけたくないので、施設に入るしか方法はない」と、いとも簡単に考えている人が多いのが現実です。

 

エイジング・イン・プレイス(Ageing in Place)とは、「住み慣れた地域で自分らしく最期まで住み続ける」ことです。特別養護老人ホームや有料老人ホームなどの施設へ入所することの、明確な対立概念です(松岡、2011)。

 

高齢者施設は戦後の経済成長と高齢化の進展を背景として増設されましたが、安全で合理的であるとはいえ、地域や家族との隔離、役割・自立の喪失など多くの弊害を伴い、過剰なケア提供によって生きる力を奪ってしまう、ということがさまざまな研究で明らかにされてきました。しかも、その建設には莫大な費用を要します。

 

1973年のオイルショックを経て財政的にもゆとりがなくなり、施設の建設が難しくなり、1980年代には施設に代わるオルタナティブが模索されるようになりました。そして、1990年代初頭に「エイジング・イン・プレイス」という考え方がアメリカで話題になり始めました(松岡、2015)。

 

◇デンマーク、オランダで「住まいとケアの分離」の実践

 

これに先立つ1980年代、デンマークでは新しい高齢者福祉施策を模索する中で、「高齢者が自立して地域で住み続けるためには、施設に閉じ込められたバリアフリーの住まい機能と24時間のケア機能を分離して、地域で分散すればよい」という「住まいとケアの分離」理論が提唱されました(松岡、2005)。

 

「住まいとケアがパッケージされているからこそ、ケアを求めて、人が地域から施設へと移動しなければならない。これはおかしい。地域に住んでいる人のところに、ケアが提供されるべきである」というコペルニクス的な発想の転換がなされたわけです。

 

デンマークでは、1988年には高齢者施設「プライエム」の新規建設を禁止して、その代わりに60平方メートルの広さがある高齢者住宅を建設し、その頃すでに整いつつあった24時間在宅ケアを全てのコムーネ(市町村)で徹底整備しました。自立して暮らせる高齢者住宅と24時間在宅ケアがあれば、介護が必要になっても施設に移る必要はなく、自分の暮らしや人生の主役として最期まで地域で生き生きと暮らせます。

 

「住まいとケアの分離」は、1980年代にオランダでも進められました(Houben,2001)。最近では、2008年に「現在2000ある施設のうち800施設を在宅に戻せ」という政府方針が出されています。施設を高齢者住宅へと転換して、できるだけ自立して生活できる環境を整えよ、ということです。虚弱になれば、在宅24時間ケアを地域から提供すればいいのです。

 

イギリスでも同様に、かつてのケア・ホーム(施設)は、エキストラ・ケア・ハウジングという高齢者住宅へと建て替えられています。エイジング・イン・プレイスは、いまや世界の潮流として「住まいとケアの分離」によって各国で実践されています。

 

日本でも厚生労働省はいま、このエイジング・イン・プレイスの考えに沿う形で「地域包括ケア」を推進しています。「医療・介護・予防・住まい・生活支援を一体的に提供することによって、重度な要介護状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けられるように」することを目指しています。ここには、医療・看護・介護・リハビリテーションなどのフォーマルケアはもちろんのこと、こうした制度的ケアがうまく機能するためには「地域における人々の助け合い(互助)」という土壌が重要であることが強調されています。……つづきはα-Synodos vol.216で!

 

 

3.上村明「牧畜における移動――不確実性を生きる」

 

 

なぜ、牧畜民の人々は移動するのでしょうか? 市場経済への移行に伴い実施された、牧畜の私有化等を含む開発プログラムはなぜ失敗に終わったのか。絶えず変動する生態環境を生きる牧畜民たちの暮らしに迫ります。

 

◇はじめに

 

最近はテレビの番組で紹介されるようになって、日本人もある程度牧畜民の暮らしについて知るようになった。しかし、彼らの移動については、簡単には理解できないような気がする。私はモンゴルの牧畜についての講義を持っているが、ときどき学生から「モンゴルの牧畜民ってどうして移動しなきゃならないんですか?」、「移動するの大変なのに何でやめないんですか?」というある種本質的な質問を受ける。

 

講義では、まずモンゴル高原が牧畜にいかに適しているか(逆にそれ以外の生業にはなぜ適さないか)という生態的な条件からはじめて牧畜の様々な作業について話し、写真やビデオも見せる。長年調査で牧畜生活に慣れると、牧畜民が移動することは自明に思える。しかし、そのリアリティを伝えるのは意外とむずかしいのだ。

 

この小論では、モンゴル国での、牧地をめぐる、牧畜民の認識と、1990年代から国際機関によって実施された援助プログラムにおける認識とのギャップに焦点を当てる。そのギャップをとおして、牧畜社会における移動の持つ意味を見ていく。牧地についての議論は、移動と直結するだけでなく、牧畜における人と人との関係について考えることでもある。そこから牧畜社会の特質が明らかになり、われわれの社会を相対化する視点も得られるはずだ。

 

◇「遊牧の国」モンゴル

 

まず、モンゴル国(以降単に「モンゴル」とする)について簡単に説明しておこう。モンゴルは、牧畜をアイデンティティとする、おそらく世界で唯一の国だ。憲法には、「家畜は、国民の富であり国家の保護を受ける」と書かれている。現在の牧畜民人口は、全体の2割から3割に過ぎないが、20世紀初めまでは役人や僧侶も含めほとんどが移動生活を送っていた。そして、牧畜民と非牧畜民の人口が逆転したのが70年代の末である。つまり、現在の都市住民も2代か3代さかのぼれば牧畜民だったということになる。今でも都市住民と牧畜地域との結びつきは強い。

 

1924年、世界で2番目の社会主義国となったモンゴルでは、1950年代末牧畜の集団化が行われ、ソ連のコルホーズにあたる牧畜協同組合が組織され牧畜経営を行うようになる。しかし、ソ連が崩壊して、1992年に新憲法が発布され社会主義に終止符が打たれると、牧畜協同組合は解体され、家畜は牧畜民に分配された。その一方で、牧地は、憲法によって私有が認められず国有(国の管理は弱く実質的に共有)のままになった。……つづきはα-Synodos vol.216で!

 

 

4.中田哲也「『フード・マイレージ』から私たちの食を考える」

 

「フード・マイレージ」とは、輸入食料の輸送による環境への負荷を表す指標のこと。「何を食べるか」という選択が、自分たちの健康や国の食料自給率だけでなく、地球規模の環境にも影響を与えているということについて考えます。

 

◇はじめに

 

現在の私たちの食生活は、時に「飽食」とも呼ばれるように表面上は非常に豊かですが、その一方で多くの問題点を抱えています。

 

栄養バランスの崩れと生活習慣病の増加、食に対する不安感の高まり、膨大な食品ロス、担い手の減少と高齢化、耕作放棄地の増加、そして食料自給率(力)の低迷。

 

さらに、長距離輸送された大量の輸入食料に支えられた私たちの食生活は、地球規模の資源や環境にも大きな負荷を与えているのです。このようなことに気づくきっかけとなる考え方あるいは指標が「フード・マイレージ」です。

 

なお、フード・マイレージに関する研究は、筆者が農林水産省農林水産政策研究所在勤中に携わったものですが、本稿における意見や見解等は全て筆者の個人的なものです。

 

◇私たちの食生活の現状とそれがもたらす悪影響

 

私たちの回りには美味しいものがたくさんあります。コンビニ等に行けば24時間、好きなものを買うこともできます。これほど豊かで便利な食生活を送っている国は、世界のどこにもないし、過去にもなかったと言っていいでしょう。

 

実は私たち日本人ほど、近年における食生活を大きく変化させた国民はいません。ここ数十年間でお米の消費量は半減し、代わって畜産物や油の消費が数倍にも増加しました(食生活の「欧米化」)。また、ライフスタイルの変化等により外食や中食(持ち帰りの弁当やそう菜)、あるいはインスタント食品やファストフードの消費が大きく増えています(「食の外部化・簡便化」)。

 

このように激変した食生活は、現在の私たちの生活や社会に多くの深刻な問題をもたらしています。

 

まず身近な健康面では、脂質の摂りすぎから肥満が増加し、メタボリック・シンドロームが大きな問題となっています。

 

次に、国内で自給できる米の消費が半減し代わりに輸入に依存している家畜のえさや油の原料(大豆・菜種等)の需要が急増したために、食料自給率は大きく低下することになりました。現在の日本の食料自給率はカロリーベースで39%、主要先進国の中で最も低い水準です。より国際的に一般的な指標である穀物自給率でみても、開発途上国を含めた世界の178の国・地域の中で日本は125番目です。ただし問題は、むしろ食料自給「率」よりも食料自給「力」が低下していること(担い手の減少と高齢化、耕作放棄地の増加など)にあります(食料自給率は、近年ほぼ横ばいで推移していますが、食料自給力は低下を続けています)。

 

また、食料を過度に海外に依存することについては、2007年の中国産冷凍餃子事件など、安全性や安心感の面で危うさを痛感させられる事件も起きています。……つづきはα-Synodos vol.216で!

 

 

5.齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第3回:味付けの問題か

 

齋藤直子さんのイラストに、岸政彦さんがエッセイを寄せる連載です。

 

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友だちの若い女の子が、当時の彼氏とセックスレスに深く悩んでいて、ずっとイライラしてて、とても苦しんでいた。彼女はあるとき、どうすればヤってもらえるかネットで検索して調べまくって、そしてそれで到達した結論がコスプレだった。

 

彼女は楽天で売っている真っ赤なネグリジェを買うと、その夜さっそく着てみたのだが、まったく効果はなく、泣きながらネグリジェを破り捨てて、そのまま寝たらしい。ちなみにそのネグリジェは楽天の何かのカテゴリ1位だったそうだ。何のカテゴリか知らんが。昔からセックスにコスプレを持ち込むのがよく理解できない。特に倦怠期のカップルにとって、あれは効果があるのだろうか。味付けを変えてるだけではないか。それだけで食べ飽きたものでもまた美味しくなるのか。……つづきはα-Synodos vol.216で!

 

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vol.232 芸術にいざなう 

 

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」

 

vol.231 ひとりひとりが生きやすい社会へ 

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・成原慧「学び直しの5冊 <プライバシー>」

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vol.232 特集:芸術へいざなう

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

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