特集:平和への道を再考する

はじめに

 

αシノドス今回の特集は「平和への道を再考する」です。テロ、紛争、社会の分断……。世界は今、岐路に立っています。我々は、このまま争いの蔓延した社会に生きることになるのでしょうか。それとも、対立を乗り越え、新たに平安な生活を手に入れるのでしょうか。今回は、平和へ向けたさまざまな取り組みや思想を取り上げます。

 

特集第1稿巻頭インタビューは、東京外国語大学大学院でピース・コミュニケーションの教鞭をとる伊藤剛さんです。「戦争が悪いこと」であることを伝える教育から、その戦争を「どう止めるのか」という教育へ転換する必要性と、その実践的な取り組みについて伺いました。

 

第2稿のQ&Aでは、世界最大の戦争予防機関、国際連合を取り上げます。争いが散発する現代社会のなかで、その存在意義を批判する声もある国連。そもそもの成り立ち、それぞれの機関の役割、そして果たして本当に国連は無力なのか、という問いに、宇都宮大学准教授、清水奈名子氏にお答えいただきました。

 

続いては、中部大学准教授、桃井治郎氏による「あの事件・あの出来事を振り返る」です。今回の事件は、2013年に起きたアルジェリア人質事件。アルジェリア生まれの作家、アルベール・カミュの思想をもとに、テロリズムという暴力に「抗する」姿勢の必要性をご解説いただきました。

 

最後は、中東研究の専門家、末近浩太教授による学び直しの5冊。お題はもちろん「中東」です。単に「知る」ためだけでなく、深く「理解する」ための5冊をお選びいただきました。

 

以下に巻頭インタビューの冒頭を転載しております。

ぜひ、お読みください。

 

 

伊藤剛氏インタビュー 戦争を身近に捉えるために

 

語り部の証言に頼り、記憶の継承で戦争を防ごうとしてきた日本の平和教育。戦争は神格化され、非日常とされてきた。結果として我々は、戦争に現実感を失い、具体的に予防する術を失った。戦争を防ぐためには、戦争を手繰り寄せ、「起こるもの」として予防するべきである。こう語るのは東京外国語大学大学院でピース・コミュニケーションの教鞭をとる伊藤剛氏だ。戦争を手繰り寄せるとは、どういうことなのか。伊藤さんに伺った。(聞き手・構成/増田穂)

 

 

◇リアリティのない映像を使う葛藤

 

――大学での専門が平和学関係なので、今日お話しできるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

 

ご専門は国際関係学とかですか?

 

 

――大学が国際政治学で院が平和・紛争学ですね。

 

じゃあもうずっと平和構築関係をやってきて、そのままシノドスに就職されたと。面白い展開ですね。

 

 

――あ、そうですか?平和学って今すごく必要とされていて、学会では議論も活発にされていると思うんですけど、一方でアカデミックの中でばかり話が進んで、全然知見が社会に還元されてない気がしてて。それで「専門知を一般へ」をポリシーにやってるシノドスに就職したんです。専門家と一般の人たちの懸け橋になりたかった感じですね。

 

なるほど。その発想は、僕を平和構築の世界に引き入れた伊勢崎賢治さん(東京外国語大学大学院平和構築・紛争予防専修教授。NGOや国連職員として、世界各地の紛争地帯で武装解除などにあたった経験がある。)と似た問題意識ですね。もともと彼は研究者ではなく、紛争現場の実務家だった方ですが、当時の彼はいわゆる平和学の先生方に不平不満があったようです(笑)。

 

というのも、平和学とは人の命を扱う学問の一つです。医学と一緒ですね。しかし、医学の場合は、臨床の現場で研究結果がちゃんとフィードバックされてます。それだけ実践面でインパクトがある研究をやっています。

 

では、平和学はというと、同じように人の命に関わることでありながら、多数の人の死を事例に知見を得ているはずなのに、研究者の中ばかりで話が進んで社会に還元されにくく、また現場の人間は忙しくて学者の書いた論文を読んでる暇がなかったりする。実社会に役立つ学問とは言いがたい側面があります。

 

 

――そうした中でも伊藤さんはより実践的な平和構築学の授業ということで、東京外国語大学でピース・コミュニケーションという講座を教えられていますよね。

 

僕はもともと、というか今でもですが、平和構築学の専門家ではなく、コミュニケーションデザインを基にしたクリエイティブのコンサルティング会社を経営しています。その中で『GENERATION TIMES』という自社メディアを立ち上げました。新聞を読まなくなった若者に、自分の生きる時代に関心を持ってもらうことを目的に発信していた、不定期刊のジャーナル・タブロイド誌です。

 

その取材で伊勢崎さんとお会いして、それをきっかけに僕の専門であるコミュニケーションデザインの技術を活かして、平和のためのコミュニケーションを実践するためのカリキュラム作りを依頼されたんです。広告やPR、デザインなどの情報伝達の技術やテクノロジーを平和構築学の中にうまく組み込むことで、現場で使える実践的な知見として学生たちに教えて欲しいということでした。伊勢崎さんがそうした依頼をしてきた背景には、そのような技術が紛争を拡大するのに使われてきた歴史があるからです。いわゆる「プロパガンダ」と言われるものですね。そして、先ほど増田さんがおっしゃったような現場と研究者の間の乖離に対する問題意識も、別の理由にあったと思います。ですから僕もカリキュラムを作る時は、現場で活用できることを意識して作りました。

 

とはいえ、時にものすごく葛藤します。カリキュラムの中では、過去の紛争の事例を扱うことがありますが、例えばルワンダ紛争を取り上げる際には、当時のラジオがいかに扇動的で敵愾心を煽っていたのか、YouTubeにある映像を見せたりします。ひどい映像です。思い切り鉈で人を殺してるような映像が出てくるんですよ。それを見せながら、「さあみんなはどう思う?」みたいな議論をやっているわけです。でも、普通に考えたら結構すごいことですよね?

 

極端な例を出すと、「性犯罪はいけませんよ」という教える授業で、実際にレイプされてる映像を見せながら、「どう思う?」って聞いているのと同じようなものだと思うんです。平和教育という大義のために、原爆の投下シーンにしろ、9.11のビル倒壊の映像にしろ、人殺しの瞬間の映像を「学びの教材」にしています。それを平和学では普通に行っているわけですが、本当はこれに違和感を持ち続けないと駄目なんじゃないかと。戦争を学ぶことは、平和のためには当然のこととして是とされていますが、こうしたことを考えると、もう一度立ち止まって、なぜ学ぶのか、この学び方でいいのか、常に考え続けなければいけないと思ってしまうんです。

 

 

――人の辛い記憶をある意味ショーのように扱うことに葛藤を感じるという感じでしょうか。

 

そうかもしれません。異国の地でドキュメンタリー取材を行うジャーナリストなどにも近い葛藤があるのかもしれません。彼らは写真や映像を撮って作品にします。運が良ければ賞を取るかもしれません。でも、基本的には被写体となった本人たちがその作品を見ることはありませんよね。もちろん、ジャーナリストが賞を受賞することによって、その事実が社会に広まったという大義はあるかもしれませんが、本質的には「誰かの悲劇」を使って自分が評価を受けたり、生計を立てたりすることには、やはり葛藤があるのではないでしょうか。

 

僕がやっていることも同じです。YouTubeに上がった映像、誰かが殺されている映像を、本人の合意もなしにコンテンツとして扱います。単純に自分だったら嫌だな、と思うのかもしれません。そこにはもちろん僕なりの大義がありますが、例えば自分とか自分の身の回りの人たちがなぶり殺しにされている映像が、どこかの国で「平和学習のコンテンツです」と言われても全くピンときません。これは映像に限った話ではなく、紛争の死者数などの数字を口にするような時も、きっと根本は同じなんだろうと思います。そういう情報を知見として扱う以上、あたり前ですが真剣にやらなければならないとつくづく思います。

 

 

――確かになんとなく、当事者が置いていかれてしまっている気がします。

 

ただ一方で、その「当事者性」というのが日本の平和教育の課題でもありました。つまり、日本の平和教育では、当事者しか戦争について語ってきませんでした。一方、語らずにすむのであれば語りたくない、というのが当事者の本音だと思います。基本的には、忘れていたい記憶です。

 

例えば、現代の僕たち世代からすれば、広島の原爆ドームが存在しないなんてことは想像できませんが、終戦直後は撤廃の方向に向かっていました。あの規模の建造物を維持するのには莫大な経費が掛かるため、その同じお金を復興に使うべきだといった議論があったそうです。何よりも、自分の家族や友人が亡くなった象徴を毎日見続けて生活することに耐えられないと感じる人たちがたくさんいました。当然と言えば当然ですよね。

 

これと同様の議論が、あの3.11の災害遺構に関しても起こりました。陸に乗り上げたタンカーや骨組みだけになったビルなどを、防災教育のコンテンツとして後世に残すのかどうか。しかし、最終的にはほとんどの自治体で撤廃を決めています。

 

戦災遺構や語りを残して後世に伝えようというのは、基本的には部外者だからこそ言えることだと思います。当事者たちの複雑な感情を考えれば、部外者がそれを強制することは到底無理ですし、かと言って、部外者が彼らを差し置いて勝手に話すことも憚られます。このような社会全体のジレンマが、平和教育における当事者性を高めてきたのです。

 

ただ、その居心地の悪さを乗り越えていかないと、本当に当事者しか語れないことになってしまう。それがまさに今、次の世代に問われていることです。……つづきはα-Synodos vol.229で!

 

 

 

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2017.10.01 vol.229 特集:平和への道を再考する

 

1.伊藤剛氏インタビュー「戦争を身近に捉えるために」

2.【国際連合 Q&A】 清水奈名子(解説)「21世紀、国連の展望を再考する」

3.【あの事件・あの出来事を振り返る】桃井治郎「テロリズムに抗する思想――アルジェリア人質事件に学ぶ」

4.末近 浩太「学び直しの5冊<中東>」

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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無題

 

vol.233 公正な社会を切り開く 

 

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」

 

vol.232 芸術にいざなう 

 

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.233 特集:公正な社会を切り開く

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」