ヨロンとセロンとネットと選挙

7月11日の参議院通常選挙では、公職選挙法改正によるネット選挙運動の「解禁」が見送られたにもかかわらず、数多くの候補者や政治家、その他の人びとが、選挙期間中もさまざまな「情報」の発信をつづけた。法に触れない範囲のものがほとんどだろうが、「選挙運動」とそうでないものの区別は、実際には難しい。

 

 

ネット選挙運動解禁の不安

 

これだけおおっぴらなら、事実上の「解禁」と同じという声もあるが、やはり法的に不安定な状態は好ましくない。そもそもこの規定は、情報発信にコストがかかり、それゆえ資金力によって政治的発信力が大きく左右された時代に、その弊害を防止すべくつくられた過去の遺物だ。関係各位には、一刻も早い法改正へ向けたご尽力をお願いしたい。

 

一方、ネット選挙運動解禁によって、選挙期間中の誤報やデマが増えるのではないかと懸念する声もある。

 

よく「ネット世論」というが、ネットでは、有名、無名問わず、さまざまな論者たちの真剣かつ説得力のある言論が展開される一方で、意図的なデマ、理解や情報の不足による誤報もしばしばみられる。言説のレベルもさまざまで、なかにはひどいものもある。

 

もちろん、それらも世の中に流布する意見という意味では「世論」にちがいないが、重要な選挙期間中に質の悪い言論が蔓延し、世論が自分に不利な方向に流されてしまっては困るという気持ちはわからなくもない。

 

 

耳を傾けるべきは「輿論」?

 

だが、考えてみれば、この懸念はネットにかぎったものではない。

 

「世間の声」をあらわす「世論」ということばは、いまは「よろん」と読むことが多いだろうが、以前は「せろん」または「せいろん」が一般的だった。「よろん」は別のことばで、「輿論」という字があてられた。

 

「輿論」と「世論」のちがいについては、佐藤卓己著「輿論と世論―日本的民意の系譜学」(新潮選書、2008年)に詳しい。佐藤は「輿論と世論は戦前まで別の言葉であった」と指摘し、明治期以降の日本での「輿論」と「世論」の論じられ方をたどった上で、政治家が耳を傾けるべきは、浅薄で移ろいやすい「世論」ではなく、理性的に考えた上での「輿論」であり、いまこそ「輿論」という考え方を復興すべきと主張している。

 

佐藤の主張は、主にマスメディア上の言論を念頭においたものであったが、ネット上の言説にも同じことがいえるであろう。

 

ネットでは一般の人びとの情報発信も多いから、マスメディアよりも「世論」ないしそれ未満の比率が高いのであろうが、それでも「ネット輿論」は存在するし、ネットメディアの発展とともに、その影響力も高まりつつある。佐藤自身も、「ネット輿論」の可能性について、楽観視を戒めながらも、「世論に流されず輿論を担うだけのリテラシーを獲得した上であれば」、「インターネットには無限の可能性」がある、と評している。

 

 

「輿論」は「世論」のなかから見出される

 

ただし問題は、「輿論」と「世論」をどう区別するのかだ。

 

明らかに「輿論」にはあたらないとわかるものも多いが、そうはっきりとは区別できないものも少なくない。さらに重要なのは、何を汲むべき「輿論」とみるかが、それを誰が判断するかに依存するという点だ。

 

西平重喜著「世論を探し求めて」(ミネルヴァ書房、2009年)は、明治時代には「輿論」を「世論」とあまり区別せずに使っていた例も、数多く存在することを明らかにしている。ふたつのことばの使い分けは、メディアの発達による言論の大衆化に伴って生まれた。

 

「輿論」に値する言論のレベルは、人によってちがう。佐藤のいう「輿論の世論化」は、言論の大衆化を「上から目線」でいいかえたものに他ならない。

 

区別がそう簡単ではない以上、「輿論」のみを増やそうとしても難しいだろう。「輿論」は「世論」のなかから見出されるべきものだからだ。

 

 

政治家にこそ求められるリテラシー

 

かつてマスメディアが担っていたこのふるいわけの機能は、ネットが発達した現在、より広く、多くの目で行われる。多様なレベル、立場の視点を反映すれば当然、ふるいわけはこれまでより甘めにならざるを得ない。

 

佐藤は「リテラシー」の主体を明記しておらず、広く国民一般を指しているように読めるが、ことネットと政治の関係についていうならば、まずは政治家の皆さんのリテラシーが重要だ。

 

ここで「世論ニ惑ハズ」を旨とした軍人勅諭を持ち出すのは不穏かつ不適切だろうが、政治家に関していうならば、数多い「世論」の中から「輿論」を汲み、残りをスルーする力こそ、リテラシーの重要な要素だろう。

 

ネット選挙運動解禁に際しても、廃案になった改正案でツイッターを「自粛」としたような、国民の自由な情報発信を制約する方向ではなく、世論に惑わず、自らがよりよい「輿論」を発信・媒介し、「輿論」のレベルを引き上げる役割を積極的に担っていく姿勢で臨んでいただきたい。

 

 

推薦図書

 

 

本稿では2冊の本を参照したが、ここではこちらを取り上げたい。本稿では触れていないが、戦前の「輿論」研究が戦争遂行を念頭においた政府による輿論の誘導を目的としたものであったこと、その事実を「封印」するために戦後、「輿」が当用漢字からはずれた際、「輿論」に近いことばとしてすでに存在していた「与論」という政府からの働きかけを連想させる字ではなく、「世論」が採用されたのではないかという推測なども含め、政治とメディアの関係を考えるうえで、現代にも通じる示唆に富んだ一冊である。

 

 

 

1
 
 
シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

・坂口緑「生涯学習論にたどり着くまで──人はいかにして市民になるのか」
・平井和也「ジョージ・フロイド殺害事件から考える米国の人種差別問題」
・野村浩子「日本の女性リーダーたち」
・安達智史「「特殊」を通じて「普遍」を実現する現代イギリスの若者ムスリム」
・太田紘史「道徳脳の科学と哲学」
・石川義正「「少女たちは存在しない」のか?──現代日本「動物」文学案内(2)」