2020.10.12

中東は難しいが理解できる(はず)――『中東政治入門』(ちくま新書)

末近浩太(著者)中東地域研究 / イスラーム政治思想・運動研究

#中東#イスラム

中東政治入門

著者:末近 浩太
出版社:ちくま新書

「中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。」

私の新刊『中東政治入門』は、このように始まっています。中東と聞くと、確かに難しそうです。しかし、例えば、東アジアやアメリカが簡単かと言えば、そんなわけもなく、やはりいろいろと難しい。

にもかかわらず、「中東は(特別に)難しい」と感じる人が多いのだとすれば、中東それ自体に原因があるのではなく、中東についての知の蓄積へのアクセスに問題があるのではないのか。

つまり、私たちは、中東で起こっていることについて報道やネットの書き込みなどを通して「知る」ことが多くなったけれども、なぜそれらが起こるのかを「理解する」ための学知に触れる機会があまり多くない。なので、いつまでたっても「中東は難しい」と感じてしまうのではないか――。

こうした問題意識から、本書は、中東政治学という中東で起こっていることを「理解する」ための学知をコンパクトに紹介することを目指しています。

もちろん、中東政治についての素晴らしい書物はたくさん出されていますが、その多くは「ソフトすぎる概説書」か「ハードすぎる専門書」のどちらかになりがちです。そのため、この本は、両者のあいだに位置するものとして、あるいはこの両者のあいだに橋を架けるために書かれました。

中東の紛争の原因を考える

では、中東政治における大きな問題の1つである紛争を例に、「理解する」とはどういうことか、少し考えてみましょう。

中東では現在でもシリア、リビア、イエメンなどで凄惨(せいさん)な内戦が発生しており、また、パレスチナ問題という世紀をまたぐような深刻な戦争(国家間対立)も未解決のままに置かれています。

こうした紛争の様子を目の当たりにしたときに、私たちは、その原因を中東に固有なもの(と私たちが思っているもの)に見出しがちです。その典型が、宗教や民族といったものでしょう。中東の人たちはこれらに特段のこだわりを持っているので異なる人たちと仲良く暮らせないのだ、と。

世の中には、こうした「解説」が少なくありません。そして、中東の人びとが私たちと違うことを過分に強調することで、排外主義やヘイトスピーチにもつながってしまうことがあります(このような問題含みの「解説」への反論として、中東の宗教や民族の実態を正確に伝えることは大事なことですが、それだけでは、紛争の原因を説明したことにはならないことに注意が必要です)。

中東の紛争の原因は、中東に固有の宗教や民族にある――それは本当のことなのでしょうか。少し視野を広げて考えてみましょう。

宗教や民族は、中東以外の地域にも存在していますが、紛争など起こっていないところがほとんどです。逆に、紛争はけっして中東に固有なものなどではなく、世界各地で起こり続けています。だとすれば、中東の紛争には、中東という固有性と紛争が本来持つ共通性の両方があるはずです。

中東の固有性と共通性

中東政治学という学知は、この中東の固有性と共通性をめぐる問題――偏見や思い込みといってもよいかもしれませんが――を乗り越えることを目的として発展してきたと言ってよいでしょう。

そのために、中東という地域の「ありのまま」に肉迫しようとする地域研究という学問と、人間社会の営みの因果関係を明らかにしようとする社会科学という学問が、それぞれの強みを活かし、それぞれの弱みを補いながら、中東で起こっていることを「理解する」ための学知を築いていく——。

この紛争の例で言えば、紛争はそもそも人間社会に起こる普遍的な現象ですので、社会科学(政治学や国際関係論など)の知見を用いることが有用です。しかし、中東の紛争が他の地域の紛争とまったく同じだと想定するわけにはいきません。言うまでもなく、世界は均質ではないからです。

ですので、中東に固有の宗教や民族というものが存在するとして、それらがその紛争にどのような影響を与えているのか(また、反対に、紛争によって宗教や民族がどのように変化しているのかについて)、その実態を正確に捉えなくてはなりません。これを得意とするのが、現地調査(フィールドワーク)や現地語資料の解析を武器とする地域研究という学問です。

中東政治学は、このように中東の固有性と紛争の共通性の両方に目配りすることで、中東の紛争を「理解する」ための学知を提供するものなのです。

中東政治学のエッセンス

『中東政治入門』では、こうした中東政治学のエッセンスがいくつも紹介されています。各章では、上記の紛争の他に、中東政治の主要なテーマである「国家」、「独裁」、「石油」、「宗教」が取りあげられており、それぞれ、なぜ中東諸国が生まれたのか、なぜ民主化しないのか、なぜ経済発展がうまくいかないのか、なぜ世俗化が進まないのか、といった「謎」を解く仕掛けとなっています。

最近の新書にしては歯ごたえがあるかもしれませんが、中東のことをもっと知りたい、理解してみたい、と思った方々は、ぜひ一読に挑戦してみてください。

読後の感想は、「やっぱり中東は難しい…」となるかもしれません。いや、難しいものは難しいのです。しかし、同時に、中東は難しくとも「理解する」ことができるものだ、という思いを抱かれるのではないでしょうか。そんな思いを抱いていただければ、あるいは、中東をこれまでよりも身近に感じていただければ、著者として望外の喜びです。

プロフィール

末近浩太中東地域研究 / イスラーム政治思想・運動研究

中東地域研究、イスラーム政治思想・運動研究。1973年名古屋市生まれ。横浜市立大学文理学部、英国ダーラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在立命館大学国際関係学部教授。この間に、英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、、英国ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)ロンドン中東研究所研究員を歴任。著作に、『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)、『比較政治学の考え方』(有斐閣、2016年、久保慶一・高橋百合子との共著)、『イスラーム主義:もう一つの近代を構想する』(岩波新書、2018年)がある。

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