2021.04.09
子どもが発達障害です。――『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社)
子どもが発達障害です。
それを知ったとき、「困ったな」と思いました。
いや、誰だって「お子さんが障害ですよ」と言われたら、たいていは困ると思うのですが、ぼくの場合はそもそもことの初めから困っていたのです。
ぼくはそもそも、「子どもをちゃんと育てられるだろうか」と危惧していたのです。人間の赤ちゃんを動物と一緒くたにしてはいけませんが、食べものを与え、環境を快適に保ち、危険や不具合があればそれを除去するといった作業は、まあ一緒ですよね。
ぼくはそれなりに生きものが好きな子どもだったので、これまでにけっこうな生きものを育ててきました。でも、とても申し訳ないことに、彼らはあまり天寿を全うしていません。色々な要因があるでしょうけれども、主因はぼくのお世話が下手な点にほぼ集約できると思います。
そこへ、人間の子どもです。とてもとても難易度が高そうで、びくびくしていました。そこへ発達障害というオプションが追加されたわけですから、たいへんなことです。高尾山を登り始めたら、実はそれがK2への道だったと判明したくらいの衝撃がありました。自分の世話もままならず、研究室のデスクが地層のような状態になっている人間には荷が重いなあと、へこたれそうになりました。というか、へこたれました。
正直なところ、何をしていいのかよくわかりませんでしたが、取り敢えず目を閉じたり耳を塞いだりするのはやめておこうと思いました。子どもに障害があるという事実はなかなか飲み込んだり咀嚼したりしにくいので、まるでそんなものはなかったかのように振る舞う戦略もありますが、それでいつの間にか障害の事実が消えてなくなるわけではありません。
ぼくにとっては、知らないこと=怖いことなので、素人なりに障害のことをよく知ろうと思いました。入門書や専門書、各種法令やハンドブックに至るまで、大量の文献を読みあさりました。
そんな生活を送っていて思ったのは、専門書に書いてあることと、現実に遭遇する実態はけっこう違うなあということでした。もちろん専門書は専門書で意味があります。体系的で網羅的で、障害というつかみどころのないものをよく言語化しています。
でも、子どもとやり取りしたり、役所に掛け合ったり、施設を選んだりするのに一番役立ったのは、先達が残してくれた手記やブログでした。それらは個人的な体験ですから、そのまま自分の子に当てはまるわけではないですし、自分の地域のしくみや規約とは異なっていることもあります。しかし、障害のある子を育てるという暗夜行路のなかで、確実に強い光を放って足下を照らし、無聊をなぐさめてくれました。
記した人に直接お礼を言うことはできないけれど、いつか療育が一段落したら自分も何か書き残しておこうと思ったのを覚えています。その、「やっと一段落」がとうとう成って、ちびちびと「本が好き。」に連載をさせていただいたのが2019~2020年のことです。発表の機会をいただいた光文社様と、目にしていただいた読者の皆様には改めて御礼を申し上げます。
ただ、この連載は思惑通りには進みませんでした。最初は子どものことを書く気まんまんだったのです。そりゃあ、発達障害が主題で、ぼくの子どもが発達障害なわけですから、何をどう考えても主に描写されるのは子どもになるはずです。
でも、子どもの障害と向き合うことは、自分自身と向き合うことでもありました。ぼくは子どもの頃から、「なんだか、まわりの人みたいにうまくやれないなあ」とか、「そもそも、多くの人とものの感じ方や世界の捉え方が違うみたいだ」となんとなく思っていました。「生きるのがしんどいなあ」とも。
子どもが発達障害であると断じられて、その症状や症例について勉強し、改めて自分の人生を見直してみると、「あっ、これは自分もその気があったな」とうなずくことばかりでした。
うーん、なんでしょうね。たとえば、ぼくにとって雑踏で話しかけられたときに、よく聞き取れなくて聞き返したり、なんなら気づかないというのは当たり前のことで、「まあ、雑踏だから仕方がないよな」くらいのものだったのですが、ものの本を読んでみるとそうじゃないらしいじゃないですか! びっくりです。もう、それだけで違う世界を生きているようなもんです。
たぶん、実感をもって伝わりにくいと思うんですけれども、英語が苦手な人(ぼくのことです)って、そうとう構えてないとリスニングなんてできないですよね。あの感覚が、街中やクラスの中でずっと続いていると思っていただければ、発達障害的な聞こえ方の輪郭をなぞったくらいにはなると思うんです。
そんな発見がいっぱいあったものですから、連載で描かれる内容も、だんだん自分のことばかりになっていきました。老人の体験談など開陳しても、何もいいことはないのですが、「その気のある人」の心象風景としての描写は正確であることを心がけましたので、何かのご参考になれば嬉しいです。知識として役に立たなくても、「こんなにいい加減だったり、失敗したりしている人でも、まあなんとかなったんだな」と、自信をつける踏み台に使っていただけたら、筆者としては最高の幸せです。
連載や書籍の執筆って、コミュニケーションだと思います。ぼくはコミュニケーションが苦手なので、独り言みたいな本になりました。でも、読んでくださる人がいて、嬉しかったです。この文章も、ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました。
プロフィール
岡嶋裕史
1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授。『ジオン軍の失敗』『ジオン軍の遺産』(角川コミック・エース)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『思考からの逃走』(日本経済新聞出版)、『ブロックチェーン』『5G』(講談社ブルーバックス)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです! 』『プログラミング教育はいらない』(以上、光文社新書)など著書多数。