世の中に足りないものをやっていきたい

地盤沈下、危機といった言葉ばかりが叫ばれがちな〈本〉の世界で、新しいことや、独自の取り組みに挑戦している人たちの声を伝えるシリーズの第2回。東京・吉祥寺で、一人だけで出版社「夏葉社」を営む、島田潤一郎さんにお話を伺いました。(インタビュー・構成/柳瀬徹)

 

 

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感謝状

ある読書家で知られる芸人が、2011年の初夏のある日に、下北沢の古本屋で棚を見ている。彼はそこに、古本ではなく新刊書があることに気づく。『星を撒いた街』と題されたその本は、彼がここしばらく気になっていた版元の新刊だった。手に取り、レジに持っていく。カウンター越しに店主が話しかけてくる。

 

 

「又吉さんですよね?」
「あ、そうです」
「夏葉社の者から、この本は又吉さんが来たらお代はいらないって言われているんで」

 

彼は驚く。その古本屋に足しげく通っていたわけではないし、そこを馴染みにしているなどと誰かに言ったこともなかったからだ。
何ヶ月か経ち、彼はあるテレビ番組で、その版元への感謝状を読み上げる。

 

 

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その芸人とはピースの又吉直樹さん。そして版元は、2009年9月に創業し、上林暁の選集『星を撒いた街』でようやく3冊目の刊行を果たした夏葉社だ。「夏葉社の者」は、代表の島田潤一郎さん一人だけ。彼が自ら編集も営業もしている。

 

なぜか奇跡を呼びこんでしまう人

夏葉社と又吉さんを結んだのは『星を撒いた街』の一つ前の刊行、関口良雄『昔日の客』(2010年10月刊)だった。東京・大森にあった古書店「山王書房」の店主によるこの随筆集は、関口の死後1年経った1978年に初版が刊行されている。古書店にやってくるさまざまな客のこと、尾崎一雄、上林暁、木山捷平、野呂邦暢といった作家たちとの交流などを静かな筆致で描き、本に愛着をもつ者に忘れがたい余韻を残す、そんな一冊だった。

実際にぼくも、長らく入手困難になっていたこの本の復刊を熱望する人に何人も会ったことがある。なかには「おれが復刊する!」とまで口走る者さえいた。そんな本を、夏葉社という無名の出版社が復刊してしまったときには、驚きと、控えめな熱狂が愛書家たちに静かに広がったものだった。

又吉さんは夏葉社の復刊版でこの『昔日の客』に出会い、心酔し、ラジオで熱っぽく紹介していた。話題をよんだ又吉さんの書評集『第2図書係補佐』(幻冬舎よしもと文庫)の『昔日の客』のページは、こう締めくくられている。

 

 

 

買う行為も読む行為も形状や匂いや重さなども本の全てが僕にとって興味ぶかく魅力的で大好きなのだと、この本を読んで再認識すると同時に、本が好きでいいんだよな、と何かが肯定されたような気がした。

 

 

余談だが、『第2図書係補佐』の本領はこのように礼節を保った書評にはないのかもしれない。明らかに距離感を逸してしまった、もはや書評とはいえなくなった文章にこそ彼の魂が宿っていて、白眉はなんといっても古井由吉『杳子』についての一文だろう。少なくとも、どんな書評よりも『杳子』を読みたくなることだけは約束できる。そんな芸人の魂にはもうひとつの、彼が感謝状を捧げた相手の魂が重なって見えなくもない。

島田さんは又吉さんのラジオを聴き、なんとか又吉さんに感謝を伝えたいと思った。夏葉社ホームページ(http://natsuhasha.com/ )の、11年10月17日付「夏葉日記」にはこうある。

 

 

ちょうど、新刊の『星を撒いた街』が出来上がったばかりのころでした。
僕は、お世話になっている下北沢の古書店、「古書ビビビ」さんに、本を納品しに行き、なんとなく、又吉さんの話になりました。
又吉さんはこちらによく来たりしますか? と聞くと、来ないですねえ、と若い主人はこたえます。
「でも、来るかもしれませんね。又吉さん、本当に本が好きだから」
主人がそう言うので、
「じゃあ、もし来たら、『星を撒いた街』を、僕からということで、プレゼントしてもらえませんか?」
と言いました。
「じゃあ、来たら、渡しておきます」
お互い、半分、冗談のような気持ちでした。

 

島田さんがこんな無茶な依頼をしたのは、この店主だけだった。そしてその2週間後、本当にふらりと又吉さんが現れて、自ら手に取ったのがまさにその『星を撒いた街』だったのだ。

まるでポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』のような話だが、島田さんと夏葉社の周りには、どういうわけかこんな大小の「奇跡」が起こってしまう。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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