母親を子宮に沈める社会 ――大阪二児遺棄事件をもう一度考えるために

登場人物に自分を重ねられるように

 

角間 ぼくは映画の専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、どういった工夫をされていたんですか?

 

緒方 この映画には、「黒み」といわれる画面が真っ暗になる瞬間が何十回もあります。多くの場合、「黒み」は時間の経過を表現するために使われるのですが、この「黒み」の時間をひとつひとつ微妙に調整して長さを変えました。なぜなら、子供が置き去りにされただけでも50日間、その前後をあわせたら数か月以上の時間があるわけですよね。それを95分の映画に省略しなくちゃいけないので、すべてを繋ぎあわせることは不可能です。一部を抜き出して、それを並べるしかない。でもそれらを繋げて並べてしまったらお母さんや子供に対して感情移入しやすくなってしまいます。だから気持ちが繋がらないように、あえて分断させようとしたんです。

 

角間 この作品ってお母さん(由希子)が外でなにをやっているのか具体的に映像にしていませんよね。だから見ている人は想像せざるをえなくて。うまいなあと思ったのは、女の子の「幸」が、いままで部屋に置いてなかったようなハイヒールを触っていたりコスメを塗りたくったりしているシーンです。その前にお母さんの友達が夜の仕事を勧めるんだけど、この仕事が風俗なのかキャバクラなのか居酒屋なのかは明言していない。風俗やホストの部分を強く出すとこの映画も事件と同じようにみられてしまう。

 

緒方 そうですね、この映画の主人公は母親ですが、その母親の像を明らかにしないことで、見た人がお母さんと共通する部分を感じて欲しいと思っていました。それはお母さんだけではありません。子供を取り巻くいろいろな大人たちを明確に描写しないで、誰にでも置き換えられるようにしたんです。役者さんの顔もあまり映さないようにしたので、作品ができたあと役者さんが「こんなに顔が映っていないとは思っていなかった」とびっくりしていてそれは申し訳なかったんですが(笑)。

 

角間 作中に悪役の設定がないですよね。母親も途中で現れるホストも浮気していたであろう元夫も悪い人としては描いていなくて。みんな疲れている。

 

緒方 そう感じてもらえるのは嬉しいです。ぼくが初めてとった作品は、実の父親が実の娘に性的虐待をしている話でした。女の子は誰にも相談できず、紛らわせるためにリストカットをしている。お母さんも鬱になってしまっている。みんな疲れていて、虐待やリストカット、鬱といったかたちでストレスを発散しているんですね。

 

この映画もみんな生きるのに必死です。表だって誰かが悪いわけではないのだけれど、些細なことの積み重ねによってひずみが生まれている。きっとお母さんは子供を殺したくて殺したわけじゃないとぼくは思いたいんですよね。そこを考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。

 

 

「完璧じゃなくていいんだよ」

 

角間 ぼくは夜の世界に関する活動をしていますが、社会には母親を神格化して、風俗を別の世界の人とするニーズがあるんですよね。べつに風俗にいる女の子たちが同じような事件を起こしているわけではありません。ただ風俗にくるまで追い込まれてしまう人はいるように感じる。そして風俗で働くと他の人との接点をなくしてしまうんですよね。

 

緒方 難しいですよね。風俗で働いていることが知られると世間の目が変わってしまうのは確かで、だからバレないようにする。

 

いろいろなお母さんに取材しましたが「他人事にできない」っていう人は結構いました。「殺してしまいたいと思ったことも何回かある」とか「わたしだって事件を起こしていたかもしれない」という人だっていました。

 

角間 吉岡マコさんが代表を務めるNPO法人Madre Bonitaという団体があって、情報交換するのですが、吉岡さんが「良い母親でいるためには七日中七日間よい母親でなくてはいけないけれど、七日中六日間いい母親でも最後の一日が駄目だと悪い母親だと言われてしまう」と話していたんですね。母親って完璧を求められていて本当にしんどいと思うんです。きっと母性って土壌があって初めて機能するものだと思っていて。苗床がないと発芽しない。それなのに「あの母親には愛情がなかった、母性がなかったんだ」と言われちゃう。

 

緒方 映画を撮り始めてから気がついたんですけど、子供たちって本当にぼくらのいうことを聞いてくれないんですよね。

 

ぼくは映画を撮るとき、脚本通りに、それこそセリフひとつ変えてほしくないと思っています。でもそれは無理でした。予算も時間も限られていて、だけど撮影が全然進まなくて、これじゃあ映画が完成しないんじゃないかって不安になりました。自腹で全額だしていて、本当になにもないすっからかんの状態で完成しないなんて無理な話で。だんだん子供に対してどうしても怒りがわいてきちゃうんですよね。そのときに、これって育児と一緒なんじゃないかって思ったんですよ。

 

 

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角間惇一郎氏

 

 

角間 完璧を目指す人ほどしんどいんですよね。監督も脚本通りに完璧に撮りたいと思っていて、だけど当たり前ですが子供は絶対に大人の思い通りには動いてくれない。この映画の主人公も、完璧なお弁当を作っていて、「良いお母さん」になろうと努力していました。

 

緒方 真面目な人ほど疲れてしまって、逃げ出したいって気持ちになっちゃうと思うんです。お母さんだってしんどくて、息抜きが必要で。それを社会が当たり前に許してくれるようになれば、すごく気が楽になると思います。

 

前に妹と家族で名古屋を旅行したときに、育児って本当に大変だなって思いました。妹は1歳の子供をおんぶして、ぼくは3歳の子をベビーカーに乗せて預かっていたんですね。ベビーカーって階段をのぼるのは大変だし、エスカレーターも使えない。エレベーターもそんなになくて、ちょっと上に行きたいと思ってもすごい迂回しなくちゃいけないんです。疲れてカフェで休もうとしても、ベビーカーを置く場所がないから入れなくて、カフェを探すのにも一苦労してしまう。

 

妹はこれを普段、子供をおんぶして、自分のバッグを持って、ベビーカーをおしているわけですよね。本当に、すごく大変ですよ。だから息抜きできる場所であったり、「完璧じゃなくていいんだよ」って声をかけられるような、そんな雰囲気ができることって本当に重要だと思います。

 

角間 地方行政がそれを用意できればいいんだけど、いまは期待できないし、かといって家族や地域コミュニティだって期待できない中で、それでも用意できるように、ぼくらのようなNPOがあるのかもしれません。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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