2014年インドネシア政変――ヘビメタ大統領・ジョコウィの誕生と「新しい風」

分水嶺となる大統領選挙

 

それから一ヶ月後の6月4日に、大統領選に向けての選挙キャンペーンがスタートした。7月9日の投票日に向けて、ジョコウィ陣営とプラボウォ陣営が、それぞれ各地で候補者の売り込み合戦を行う最後の機会である。世論調査の多くは、両候補の支持率の差が縮まりつつあり、接戦が予想されると解説するようになった。伸びているのはプラボウォ側である。6月末の調査では、差はほとんど無くなった。このトレンドからすれば、彼が勝利しても不思議ではなかった。

 

歴史に「もし」はないが、仮に接戦の末、プラボウォが逆転勝利していたら、インドネシアに何が起きていたか。それを考えることで、この大統領選がいかに大事な分水嶺だったかを確認したい。

 

プラボウォは、副大統領候補にハッタ・ラジャサ(国民信託党党首)を迎え、5つの政党の連合に擁立され、それらと密接な関係にある社会団体の支持を受けた。これらの勢力が、プラボウォの勝利に最も貢献したとして、次期政権下で優遇されることになったはずである。それはどういう人たちか。

 

まず人権侵害の容疑者たちである。プラボウォ自身が反政府活動家の拉致監禁の過去があるが、その拉致部隊にいた「お仲間」たちも、彼が率いるグリンドラ党や、連立に加わる開発統一党などにいる。こういった退役軍人たちは陸軍特殊部隊の出身者が多い。この特殊部隊は、スハルト時代に秘密工作を専門にしてきた人権侵害の温床である。その人たちが、プラボウォ陣営で大統領選を支えてきた。

 

軍人に限らない。民間のゴロツキたちもプラボウォ支持で動いてきた。あのヒット映画「アクト・オブ・キリング」に出てくる「パンチャシラ青年団」や、イスラム擁護の名の下で暴力的なデモ活動を各地で行う白装束の集団「イスラム防衛戦線」、さらにはジャカルタの土着民族の利益保護を訴える名目で威嚇行為を繰り広げる黒装束の「ブタウィ統一フォーラム」。これらは皆、毎年何件も暴力事件を起こしているものの、ユドヨノ政権は弱腰で対応してきた。プロボウォ政権が誕生したら、彼らは今まで以上に存在感を増すことになったであろう。

 

人権侵害や暴力に寛容なだけでなく、おそらく汚職への取り組みも、過去にないほど鈍くなろう。そもそもプラボウォ個人の企業が、石炭や森林や製紙業界に多数あり、公職に就けば利益相反は目に見えているが、それはさておき、彼の選挙陣営は疑惑の人たちが牛耳る。

 

例えば、プラボウォ支持を真っ先に表明した開発統一党の党首スルヤダルマは、ユドヨノ政権下の宗教大臣だが、巡礼預金不正流用の疑惑で容疑者に指定されている。同じくプラボウォ陣営に入ったゴルカル党のバクリ党首も、自らの財閥に絡む汚職や脱税疑惑を抱える。同じく陣営の福祉正義党の党首アニス・マッタも贈収賄疑惑が後を絶たない。

 

もちろんジョコウィ支持の政治家たちが全てクリーンなわけではない。ただ、支持政党の党首がこぞって「疑惑持ち」というプラボウォ陣営は、やはり異様である。選挙に勝ったら、こういう党首たちが影響力を持つことは明白で、それに伴い汚職への取り組みが骨抜きになることは想像に容易い。人権侵害や暴力、汚職といった問題に寛容になることで、インドネシアの過去16年の民主改革は大きく後退するであろう。

 

 

プラボウォの攻勢

 

プラボウォ陣営は、ユドヨノ大統領が率いる民主主義者党も最後に加えて6党の大連合を形成した。傘下に5つのテレビ局を擁し、それらが大々的にプラボウォを宣伝する。資金力も抜群である。また、全国の州・県知事の大多数が、この6党の支援を受けている。こういう知事が、露骨にプラボウォの選挙キャンペーンを手伝う。もしくはジョコウィ陣営の妨害をする。こういう政治環境をみると、プラボウォがいかに強力かがわかる。その力は、6月4日に始まった選挙キャンペーンで猛威をふるった。

 

まずネガティブキャンペーンによる誹謗中傷で、ジョコウィ支持率を落とすことに成功した。プラボウォ陣営は、SNSを駆使してジョコウィ攻撃を繰り広げ、SNSに疎い田舎の村々にはタブロイド誌をばらまいた。特にジョコウィ支持の強い中ジャワ州と東ジャワ州で集中的に行われた。「ジョコウィは偽イスラム教徒である」、「ジョコウィは華人である」、「ジョコウィはイスラエルの手先である」、「ジョコウィは共産主義者である」、「ジョコウィはメガワティの人形にすぎない」などの風評が組織的に村々に伝えられていった。

 

プラボウォ率いるグリンドラ党も、各地方支部がせっせと地域住民にジョコウィの悪口を吹き込んでいた。その仕事を怠けているのが発覚すると、党本部から破門が宣告される。だから一生懸命にやる。運動資金も中央から潤沢に投下された。それで末端党員も頑張って働いた。「末端の教育と訓練に、ずいぶんお金と時間をかけたのが今回の選挙の特徴だ」とグリンドラ党副党首は筆者に説明した。その結果、おそらく今回の選挙は、これまでで最も汚い選挙となった。

 

また、5つのテレビ局は、プラボウォに強い決意と決断力があり、ナショナリストで「闘う男」というイメージを植え付けていった。プラボウォ自身も各地での演説で、英雄のイメージを演出し、馬に乗り、感情をむき出しにして「強いインドネシアの復興」を訴えた。「豊かなインドネシアは外国に搾取されており、国のあらゆる貴重な資源が外国に漏れている。この漏れを止めればインドネシアは豊かになる。それを強い意志で実行するのが私である」このように、仮想敵を外国に設定して、ナショナリズムを煽り、闘争的なデマゴーグで人々を沸かせる右翼ポピュリズムが、プラボウォのシンボルとなった。

 

誰が彼を支持しているのか。おおまかに言えば、若い世代、そして高学歴・高所得者層にプラボウォ支持者が多い。若い人たちの特徴は、昔のプラボウォを知らない点にある。また、高学歴・高所得者にプラボウォ支持者が多い理由は、ジョコウィの庶民派スタイルをよく思っていない点にある。ジャカルタでもソロでも、貧しい人たちの救済策を手厚くしてきたジョコウィの姿は、エリートにとって面白くないだけでなく、場合によっては脅威を抱く対象となる。いわゆる富裕層の政治的保守化であり、彼らが時に非民主的な政治を支持する傾向は、インドネシアに限らず、タイやインド、トルコやエジプトでも見られる。勿論、政治的な背景はすべての国で違うので、一般化できるような話ではない。

 

 

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ジョコウィを誹謗するタブロイド誌

 

 

奇跡の再浮上

 

さて、こういうプラボウォの攻勢に、ジョコウィ陣営はなかなか対抗できずにいた。まず、一番頼りの闘争民主党が、末端で動かなかった。大統領選は自分の利害にあまり関係ないと思っている地方党幹部が多く、敵陣営の誹謗中傷を末端でブロックする努力を怠った。彼らにとって、ジョコウィは議会選で党の票を持ち上げるのに必要なマスコットだったが、それが終われば用はない。自腹をはたいてジョコウィの選挙運動をする義理もない。

 

さらには、党がジョコウィの副大統領候補として選んだユスフ・カラは、事もあろうにゴルカル党の元党首であり、ユドヨノ第一次政権の副大統領である。言ってみれば、かつての敵である。なぜ、そんな人の選挙を手伝わないといけないのか。そういう論理が働いた。

 

そのため、ジョコウィ自身が遊説先で誹謗中傷を否定することに追われ、防戦一方でフレッシュなアピールに乏しくなった。遊説スケジュールを過密にしすぎたために、予定の場所に来ないということも起こり、待ちぼうけを食った人々のジョコウィ離れも進んでいった。予定通りに遊説が行われなければ、テレビ中継の予定も狂ってくる。せっかく魂のこもったスピーチをしても、テレビ・クルーの到着が間に合わず、放送されないというお粗末な事態も発生した。こういう展開の末、6月末には両者の支持率はほぼ拮抗する。「国家情報庁筋の分析が入ってきた。このままでは我々は負ける」ジョコウィ陣営は、筆者にそう嘆いた。

 

しかし、ここから奇跡の巻き返しが起こった。ジョコウィ陣営は、怠慢な党に頼るのではなく、これまで真剣に支えてくれたボランティアの運動に最後の望みを託した。7月の第一週、彼らは各地で怒濤の戸別訪問を行い、ジョコウィの魅力を訴え、誹謗中傷を否定し、ジョコウィが掲げる福祉政策や雇用政策を分かりやすく売り込んだ。ツイッターやフェイスブック、BBM、ワッツアップといったSNSを総動員し、ボランティア人数を一気に増やし、全国で100万人を超えた。「一人が一日2人のジョコウィ支持者を増やす」という目標を掲げて、1週間の草の根キャンペーンを行った。もし目標達成なら1400万人の支持を確保することになる。

 

そのクライマックスが、7月5日にジャカルタで行われた10万人規模の大コンサートだった。200人を超える芸能人やミュージシャンが集まり、ジョコウィへの投票を呼びかけ、市民の力で政治を変えようと訴えた。海外からも、スティングなどの大物アーティストがジョコウィを応援するツイートを発信した。この日は、ジョコウィ運動の復興として大きなアピールとなり、これで4月からずっと下降してきた支持率が再上昇した。このミラクルの一番の貢献者はボランティアである。特に女性ボランティアが運動をリードした。この「新しい風」が政治を大きく動かしたのである。【次ページにつづく】

 

 

7月5日のジョコウィ応援コンサートの模様

 

 

 

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