2018.05.21
新政策「持続可能なタイ主義」とは何か――タイ軍事暫定政権の狙い
タイでは、2014年5月のクーデタ以降、約4年間に渡り軍事暫定政権による統治が続いている。1970年代以降のタイ軍事暫定政権の歴史と比較すると、今回のプラユット政権による統治は異例とも言える長期間に及んでいる。
プラユット首相は、一部の国民や政治家からの圧力を受け、来年2月に総選挙を実施すると述べた。しかし過去に幾度も総選挙の実施期日を延期し続けてきたため、多くのタイ国民は総選挙の実施について非常に懐疑的である。
このような状況下で、2018年2月9日、プラユット首相が新たな政策「持続可能なタイ主義」を発表した。その名称の風変りさから、日本のマスメディアなどからも注目を集めた。本稿では「持続可能な」とはいかなる意味を持つのか、「タイ主義」とは何を指すのか、なぜこのような政策が打ち出されたのか、などについて解説を試みる。
新政策登場の経緯
新政策「持続可能なタイ主義」は、今年1月16日の閣議においてプラユット首相が、財務省、国防省、農業省などの関係機関に対して実施を命じたことにより着手された。しかし、同政策は唐突に登場したというわけではない。政府が発表しているマニュアルによると、同政策はプラユット政権が2015年から基本政策として掲げて来た「プラチャー・ラット」の方針に従い、地域レベルでの業務を推進するためのプロジェクトとされる。
では、プラユット政権の基本政策方針「プラチャー・ラット」とは、どのようなものなのだろうか。同基本政策方針については、玉田(2017年)が詳しく解説を行っている。玉田氏によると、プラチャー・ラット(プラチャー:国民、ラット:国)とは、ポピュリズムの訳語である「プラチャーニヨム」(プラチャー:国民、ニヨム:主義)を意識して用いられた言葉である。プラチャー・ラットは、「大衆迎合主義」という意味が定着し罵倒されてきたプラチャーニヨムを否定し、それを乗り越えるための表現として「官民協力」という意味合いで用いられている。
プラユット政権は、2006年クーデタにより追放されたタックシン首相をはじめとする民選政権の政策に対しては、人気取りのための「ばら撒き」であったと幾度も非難してきた。他方、自らの基本政策方針は一時しのぎのばら撒きではなく、官民協力によって充足経済の哲学に則った「持続可能な」形で民衆の生活改善を図るものだと宣伝してきた。
プラチャー・ラットの特徴の1つは、政府、企業、国民が協力し合うことである。とくに目を引くのは、日本にもエビや鶏肉を輸出しているCPや、チャーン・ビールといった有名な大企業が多数参加している点である。大企業の協力を得て、2016年前半に「団結愛プラチャー・ラット会社」なるものが全県に設立された。
プラユット政権は、自らの政策を「ばら撒きではない」と繰り返し主張し、タックシン政権との差別化を図ろうとしてきた。しかし実際には、多くのばら撒き政策を実施してきた。悪名高い政策の1つが、2017年10月から始まった「福祉カード」(通称:貧乏人カード)事業である。
同カードにより、年収3万バーツ未満の者は毎月300バーツ、3万バーツから10万バーツの者は毎月200バーツの買い物をすることができ、登録ショップで15から20パーセントの割引を受けられ、また公共交通機関の運賃支払いに毎月500バーツまで使用できるとされる。政府は貧困解消や国内経済への効果を謳うが、カードは人口約6900万人のうち1167万人(人口の約17%)に配布されており、一般市民の間でも政策の適切さについて物議をかもした。
「持続可能なタイ主義」とは何か
前述のように、持続可能なタイ主義はプラチャー・ラットから派生した政策であり、プラチャー・ラットと同様に官民協力を謳う。しかし、民衆の生活改善を掲げ、企業の役割が重視されていたプラチャー・ラットとは異なり、持続可能なタイ主義では、官僚と国民との直接の交流が重視されている。
担当の役人が、区や村といった地域レベルにまで降りていき、経済、社会、治安の側面について国民を啓蒙することが肝とされる。政府の発表では、全76県、878郡、7,463区、81,084村、そしてバンコク都の全50区、これらすべてに対して担当のチームが降りていき話し合いの場を持つことが強調された。
では、同政策の目的は何であるのか。プラユット政権の意図について検証してみよう。
<実行組織>
今年1月に出された首相府令により、同政策の実施のために「国家発展推進委員会」が任命された。同委員会は、国家レベル、県レベル、群レベル、区レベルに分かれている。国家レベルの委員会では、プラユット首相が委員長を務め、5名の副首相をはじめとして、各省庁の大臣、事務次官、国軍最高司令官、陸軍司令官、海軍司令官、空軍司令官、国家警察長官、国家治安会議事務局長など主だった官僚組織の長が委員として任命された。
政策実行において中心的な役割を果たすのは内務省とされた。県レベルでは、県知事を委員長とし、副知事、治安維持部門の機関も委員として参加する。群レベルも同様で、群長を委員長とし、治安維持部門の機関も委員として参加するとされた。
持続可能なタイ主義では、役人と国民との交流が重視されているため、もっとも重要な役割を担うのは、末端の区レベルの委員会とされた。区レベルの委員会では、区長が委員長を務め、地域の治安維持組織、庶民の中の知識人、地域のボランティアにより構成される。
区レベル委員会については、国民との話し合いの場の設置に関して、詳細な規定が書き込まれている。興味深いのは、話し合いの場での司会者に関する規定である。マニュアルによると、司会者は国民との一体感ある雰囲気を作り上げなくてはならないとされ、服装、ふるまい、地方の言葉を使用するなど、地域の伝統や文化に合わせるべきことが記されている。加えて、地域の国民との意思の疎通をスムーズにするために、仲介役として信用できる人物を選ぶことが重要であるとも記載されている。
<10の目標>
次に、同政策はどのような目標を持つのか確認してみよう。プラユット首相の発表やマニュアルによると、10の目標が掲げられている。10の目標を概観すると、国民の生活向上や貧困解消といった経済的な目標だけではなく、抽象的または理念的で、政治的な色彩を持つ目標が多数含まれることが分かる。
(1)調和・和解の構築
(2)助け合い
(3)共同体の生活の発展・向上
(4)充足経済哲学の理解促進、貯蓄の促進
(5)規律、義務、良き市民の構築
(6)様々なレベルの行政に対する知識と理解
(7)タイ主義の民主主義を知る:徳の推進、汚職撲滅
(8)国民が正しい資料を入手するための、村落でのインターネット計画の発展
(9)麻薬問題の解決
(10)行政およびその他機関の任務に従った事業
とくに目を引くのが、(1)調和・和解の構築、(7)タイ主義的な民主主義を知る、以上2点であろう。政府の説明によると、(1)調和・和解の構築とは、国家行政委員会が政府の国家戦略に従い、政党や政治団体の代表者らの考えを調査して「調和・和解構築のための社会契約」なるものにまとめ、さらに内務省や治安維持司令部に対して、この社会契約を国民の間に広めるように指示したことに由来するとされる。また同項目の目的は、すべての地域において国民が平和的に共存し合うことを促進するものと記されている。
(7)タイ主義的な民主主義を知る、とは何を意味するのだろうか。マニュアルによると、タイ主義的な民主主義とは、良きことや美徳を重視し、公益、国家、そして未来の子孫のためになるように物事を行うことと定められている。加えてタイ国民は、民主主義的な方法において良き市民としての資質を十分に持ち合わせていないため、真の民主主義を促進する力がないとも指摘している。
これらの目標を実施するために、4段階のプロセスが定められた。第1段階(今年2月21日~3月20日)では、国民から共同体や個人に関する問題などの聴取が行われる。第2段階(3月21日~4月10日)では、国民が、国王を元首とする民主主義政体の原則に従い、社会において調和を持って共存できるよう啓蒙する。そして第3段階(4月11日~30日)および第4段階目(5月1日~20日)では、国民の「考え」(英語でMindsetと追記されている)を変革もしくは修正し、国民にタイ国家の発展に寄与する必要性などを理解させることを目標とするとされる。
現在、上記の計画に従いタイ各地で、担当役人らと国民との対話の場が設けられているところである。各会場では、各地方の特産品などが展示、配布されるなど、マニュアル通り和やかな雰囲気を演出する努力がみられる。
写真1、写真2(「持続可能なタイ主義」実施の様子:タイ国家報道局ホームページより)
では、同政策の目的とは何であろうか。政策名の「持続可能な」とは、プラチャー・ラットと同様に、タックシン政権との違いを強調するための表現であろう。また「タイ主義」とは、「善」、「美徳」、そして「公益」を重視するという意味に理解することができる。
そして各レベルの委員会の構成や10の目標の内容を見る限り、同政策の狙いは、国(官僚)によって国民の意識を改革し、より強固に国民を統制することだと指摘できよう。この点については、すべてのレベルの委員会において、治安維持部門の担当官が委員として参加していることからも明らかであろう。つまり同政策は、これまで政府が実施してきたばら撒き政策やプラチャー・ラット関連のプロジェクトとは、趣旨が幾分異なっている。
「持続可能なタイ主義」を実施する必要性
タイでは、2014年5月のクーデタ後に2007年憲法が破棄されて以降、暫定憲法による統治が続いていた。暫定憲法の第44条によって、プラユット首相は三権(行政権、立法権、司法権)を掌握してきた。そのためプラユット政権下では、様々な政策や人事異動が第44条を使用して実施されており、世界的にも昨今稀にみる強権的な独裁状態となっていた。2017年4月に新恒久憲法が制定されたが、経過規定により、次の総選挙実施後に新内閣が組閣される前日まで、暫定憲法第44条の効力は生き続けると定められている。
このようにプラユット首相は国家権力を独占しており、わざわざ末端レベルまで役人を派遣して、国民の「引き締め」を行う必要はないようにも思われる。なぜ今、同政策を実施する必要があったのだろうか。
<総選挙実施への圧力と人気取り政策の限界>
2014年5月のクーデタ以降、約4年間に渡り統治を続けているプラユット政権であるが、総選挙を実施して民政移管せよという圧力は存在する。とくに今年に入ってからは、タムマサート大学の学生や教員らを中心としたグループが、早期の総選挙実施を求めて、幾度も激しい抗議デモを繰り返すようになった。
抗議デモの参加者は、政府による厳しい言論統制などもあり限定的な数に留まっている。しかし、日本をはじめとする海外メディアがデモを報じたり、ソーシャルメディアなどを通じてデモの様子が拡散されたりすることによって、政府に対する総選挙実施の圧力が徐々に強くなりつつある。
写真3(早期の総選挙実施を求める活動家グループ:筆者撮影)
今年2月、プラユット首相は来年2月に総選挙を実施する旨を明言した。多くのタイ人は依然として総選挙実施について疑いの目を向けているが、選挙委員会は3月2日から3月末まで新政党の登録受付を行い、97の政党が登録を行った。
2017年憲法の規定では、最初の上院議員については実質的に現政権が任命権を持つ。また首相については、民選の下院議員から選ばれる必要はないと定められている。そのため、総選挙実施後もプラユット首相が非民選首相として権力の座に戻って来るのではないかと懸念する声が多い。しかし、プラユット首相が総選挙後に首相に返り咲くためには、下院に議席を持つ政党の協力が必要となる。
2017年憲法の規定を確認してみよう。首相の選出については、(1)選挙前に各政党が提出する首相候補者(3名まで)の中から下院が選ぶと定められている。また何らかの理由で下院が首相を選出できなかった場合は、(2)上下両院の3分の2以上の票を持って、政党が提出した候補者リストに掲載されていない人物を選ぶことが出来ると定められている。最初の上院は250議席、下院は500議席と定められており、上院の議席数は全体の3分の1を占める。しかし、(1)のケースであれ、(2)のケースであれ、下院に一定数の議席を持つ政党の協力が不可欠となる。
そのため、現政権は自らの影響力を及ぼすことができる新しい政党を送り込むだろうと言われてきた。パラン・プラチャー・ラット党がそうであると指摘されており、総選挙実施後に下院で十分な数の議席を抑えるために、他党の政治家をリクルートしていると噂されている。
しかし、タイの政治史を振り返ると1950年代以降、過去の軍事政権は幾度も親軍政党により下院をコントロールしようと試み、そして失敗に終わってきた。バンコクで絶対的な政治権力を持つ軍事政権であっても、地方での選挙戦を統制することはできないのである。そのため一部のタイ人研究者からは、今回も同様の試みは失敗に終わるだろうと指摘する声が出ている。
また「福祉カード」をはじめ、数々の人気取り政策を実施してきたにもかかわらず、今年1月にバンコクで実施された世論調査では、「プラユット首相を首相に選ぶか」という質問に対して、36.8%が「はい」、34.8%が「いいえ」と答えたと報じられた。また3月には政党の人気について世論調査が実施され、1位がタックシン派のタイ貢献党、2位が民主党、3位が若い実業家が設立して国民の間で話題となっている「新しい未来党」であった。
<民主党の裏切り?>
過去の例から、今回も親軍政党による下院の統制が難しいとなると、頼みの綱は、アピシット元首相とチュアン元首相と擁し、2006年クーデタおよび2014年クーデタにおいて軍との協力関係が噂される民主党である。
ところが最近になって、プラユット政権と民主党の間に、総選挙後の首相の座をめぐって亀裂が生じ始めている。とくに、総選挙実施への道筋が見えてきた今年4月以降は、アピシット元首相やチュアン元首相から厳しい発言が相次いでいる。
アピシット元首相は「すべての党員は党首を支持すべきである。プラユット首相を推す者は他党へ行ってもらう」(1)「現政権の過去4年間の成果は、国を平和に(静かに)しただけである」(2)と述べ、民主党が総選挙後にプラユット首相を支援しないことを明言した。またチュアン元首相も「プラユット首相は、政治家は悪い人々だと言うが、兵士にも悪い人々がいる」(3)と述べ、プラユット首相による政治が攻撃に対して、真っ向から反発を示すようになった。
民主党は、南部に強い地盤を持っており、高い人気を誇ったタックシン首相のタイ愛国党であっても南部の選挙区を切り崩すことはできなかった。そのため総選挙実施後に、民主党が南部を中心に一定数の議席を獲得することは確実であり、同党から首班指名において「不支持」を明言されたことは、プラユット首相にとっては大きな痛手であろう。
【注】
(1)https://www.posttoday.com/politic/news/546417
(2)https://www.posttoday.com/politic/news/547877
(3)https://www.posttoday.com/politic/analysis/548301
<政権内部の亀裂>
また政権内部でも亀裂が走っている様子が伺われる。
昨年11月に、労働大臣(元陸軍)が辞任した。原因については、同省の人事を巡って労相とプラユット首相と対立があったと噂されている。本来、高官の人事は閣議において決定されるべきであるが、プラユット首相は第44条を使用して人事異動を行った。その件に対する反発だろうと推測されている。
今年2月には、民間人出身の教育大臣が、プラウィット副首相(元陸軍)の汚職疑惑について批判を行い、謝罪に追い込まれるという事件が起こった。つづいて3月には、選挙委員会委員と政権との間の衝突が原因でプラユット首相が第44条を発動し、独立機関である選挙委員会の委員を解任するという騒動が起こった。4月には、財務事務次官が人事異動を不満として自ら辞任した。また同月には、プラユット首相と閣僚らがタイ正月の挨拶に枢密院議長の自宅を訪れた際に、プラウィット副首相が同行していなかったことも注目された。
暫定憲法第44条により三権を独占するプラユット首相であるが、政権内部には徐々に亀裂が走り始めているようにも見える。人気取り政策の限界、民主党の離反、政権内部の不調和など、プラユット首相にとって好ましくない事情が重なりつつある中で、総選挙実施への圧力が高まってきている。このような状況下で実施中の「持続可能なタイ主義」政策は、より直接的な国民の統制を試みるとともに、官僚組織それ自体の引き締めも狙いのひとつなのかもしれない。
今後の行方
今後のタイ政治は、どのような方向に進むのであろうか。持続可能なタイ主義の実施から伺われる軍事暫定政権のスタンスは、あくまで政治権力を手放す気はないという姿勢である。村落にまで入り直接的に国民を統制しようとする試みは、冷戦期を彷彿とさせる。現在の政権の思考は、1960年代や70年代の「開発独裁」の時代にまで先祖返りしているようにすら感じられる。
プラユット首相は来年2月の総選挙実施を明言したものの、中国の台頭、東南アジア諸国の強権化、軍事暫定政権に対して早期民政移管を指示してきた前国王の崩御、タイ国民の間の深刻な分裂といった状況を勘案すると、総選挙の実施および民政移管については確定的だとはいえない。
【参考文献】
玉田芳史「ポピュリズムと民主主義」『タイ国情報』51巻5号(2017年9月号)、10-26頁。
プロフィール
外山文子
筑波大学人文社会系准教授、京都大学東南アジア地域研究研究所連携准教授。京都大学博士(地域研究)専門はタイ政治、比較政治学。早稲田大学政治経済学部卒政治学科卒、公務員を経て、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了(2013年)。主な論文に、「タイ立憲君主制とは何か―副署からの一考察」『年報 タイ研究』第16号、PP.61-80、日本タイ学会、2016年、「タイにおける体制変動―憲法、司法、クーデタに焦点をあてて」『体制転換/非転換の比較政治(日本比較政治学会年報第16号)』ミネルヴァ書房、PP. 155-178、2014年、「タイにおける汚職の創造:法規定を政治家批判」『東南アジア研究』51巻1号、PP. 109-138、京都大学東南アジア研究所、2013年など。