インドネシアのイスラームと政治――「宗教的寛容」のゆくえ

抗議デモ「イスラーム防衛行動」への参加

 

2016年末に行われた、華人キリスト教徒であるジャカルタ州知事アホックへの抗議デモ「イスラーム防衛行動」は、こうしたマジェリス・ラスルッラー信奉者たちを路上へと誘った。デモ主催者が求めたのは、イスラームを「冒涜」する発言をしたアホック知事の逮捕であった。

 

生前のムンズィールはデモへの参加を禁止していた。どのようなデモでも、ムスリムの分裂を招くというのがその理由だった。また、デモの主催者は、マジェリス・ラスルッラーが距離を置いてきた急進的な勢力であった。多くの一般のムスリムにとっても、政治的なデモへの参加へのハードルは低くはなかった。

 

そこでイスラーム防衛行動の主催者は、2016年12月2日に計画していた最大のデモを「宗教行事」と位置づけた。独立記念塔広場を舞台に、テレビでおなじみの有名説教師の登壇、ズィクルや賛美歌の合唱、集団礼拝で締めくくるというプログラムが事前に発表された。

 

多宗教の調和や共存という、インドネシア・ナショナリズムの原則も巧みに読み替えられ、抗議デモを正当化した(注6)。すなわち、調和を乱したのは「冒涜」発言を行った知事である、という論理構成である。デモに参加したムスリムは、デモを宗教的少数派への不寛容な行為とはみなさなかったはずである。

 

(注6) 加えて、2ヶ月後に迫った州知事選で、アホックの対立候補を推していた政治エリートたちが多額の資金を提供し、効果的な宣伝と動員が行われた。デモの背景にある政治的攻防については拙稿「イスラーム防衛行動と『反中』の影」を参照。

 

「一大宗教行事」の開催に、マジェリス・ラスルッラー信奉者の期待も高まった。マジェリス・ラスルッラーの指導部は前日にウェブサイトで声明を発表して、事実上デモへの参加を認めた。「宗教に対する嫌がらせは、法律に基づいて政府が対処すべき」であると、アホック逮捕を要求するデモ主催者に同調した上で、12月2日の集会を政治的なデモではなく「ズィクルのイベント」と呼んで宗教行事とみなした。こうして、少数の急進的な勢力が主催した集会に、一般のムスリムが多数参加しやすい環境が整えられた。

 

 

イスラーム防衛行動(2016年12月2日)におけるズィクル

 

 

2017年2月15日に行われた州知事選挙第一回投票に際しては、選挙前日にマジェリス・ラスルッラーは、「公正な指導者を選ぶのがムスリムの義務」であるとの声明を出した。そして、イスラーム法解釈の古典を引用して、「公正な指導者」の条件の第一に「ムスリムであること」を挙げた。マジェリス・ラスルッラーが唯一の非ムスリム候補であったアホックを除外したのは明らかだった。

 

彼らのイスラーム法解釈に従えば当然のことであろうが(注7)、これまでマジェリス・ラスルッラーが特定候補の支持ないし不支持を表明したことはなかった。しかし、12月2日の集会と同様、州知事選への注目が高まり、信奉者からの問い合わせが相次いだことで、態度表明をせざるを得なかったのだろう。デモの主催者や、アホックの対立候補を支持する政治勢力の効果的な宣伝に、マジェリス・ラスルッラーの信奉者たちを含む多くのムスリムが煽られ、マジェリス・ラスルッラー指導部もやむなく対応したといえよう。

 

(注7) こうした法解釈は異なる勢力により、またそのときどきの文脈により、変わりうる。NUの現会長サイド・アキル・シラジは州知事選に際して、「不公正なムスリムよりも、正直な非ムスリムの指導者の方が良い」という言い回しで、宗教を問わない姿勢を明確にしている。2017年のジャカルタ州知事選でも、ムスリムの3割強はアホックに投票している。

 

 

おわりに――「寛容」のゆくえ

 

著者が最近インタビューしたマジェリス・ラスルッラーの指導者たちは、一様に上のような政治への関与を否定的に捉え、本来の宗教活動への回帰を強調していた。彼らにとってはマジェリス・ラスルッラーの信奉者を増やし、その活動を広げる以外に政治と関わる理由はない。

 

内面的な信仰を重視し、寛容を謳うマジェリス・ラスルッラーのような運動は、少なくともレトリックの上では、非ムスリムへの寛容を推進する。しかし、宗教間の対話や共存、少数派の非ムスリムの人権擁護は優先事項ではない。彼らの大半は選挙でムスリムと非ムスリムが立候補していれば、躊躇なく前者を選ぶだろう。

 

そしてジャカルタ州知事の「宗教冒涜」のような問題が起きたときに、急進的な勢力の扇動に脆弱である。結果として、宗教の差異によって候補者を選択する傾向を強め、あるいは少数派への抑圧を引き起こすリスクを高めている、といえるかもしれない。

 

マジェリス・ラスルッラーはジャカルタとその周辺という大都市部で拡大してきた。その信奉者はそれぞれの地域社会から切り離された個人の集まりである。すなわちマジェリス・ラスルッラーは、非ムスリムを含む多様な社会、政治勢力の合従連衡によって培われてきた多宗教間の共存とは無縁の存在である。その点、マジェリス・ラスルッラーの台頭は、各地で都市化が進む現代インドネシアに象徴的な現象といえるだろう。他宗教の活動に「寛容」な姿勢は、もしかすると無関心の裏返しなのかも知れない。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

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発行明石書店

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