医療破綻させないために今、スイスで起きていること――トリアージに関する医療ガイドラインの制定と患者事前指示書作成の奨励

医療破綻させないために

 

新型コロナウィルスの感染が拡大しているヨーロッパの国々は、外出や3人以上が集まることの禁止など、急激な感染拡大の防止対策として、次々と強硬な対策を打ち出しています。そして、重症患者の医療機関への受け入れ体制の強化も焦眉の課題です。イタリアでは、重篤な患者が医療機関に殺到し医療破綻にいたったことが、死亡者を突出して増やした主要な原因とみなされているためです。

 

ドイツでは、早々にベルリンのメッセ会場を1000人収容できる新型コロナ感染者専用の病院に改造し、人工呼吸器などの医療器具や、マスクや防護服などの医療スタッフを感染から守る医療品も増産も急ピッチですすめられています。感染症患者を扱う医療スタッフの増員もヨーロッパ各国での大きな課題です。もともと医療分野全般に人材が不足しているため(穂鷹「求む」2019)、十分な医療人材確保こそが一番の難題ともいわれます。スイスでは、医療関係の専門家はもちろん、ほかにも軍隊の衛生部門の人材、(まだ医師国家試験を合格していない)医学部の学生にも協力を求め、医療スタッフの強化をはかり、イタリアのような医療破綻を防ごうとしています。

 

ところでスイスでは、医療破綻を防ぐ対策の一環として、これらのほかにも、二つの注目される動きがあります。一つは、集中治療が必要な患者が急増し医療資源が不足した際のトリアージ(診療する患者の優先順位の決定)に関する医療ガイドラインの設定。そしてもう一つは、患者自身が重篤な症状になった時にどんな治療を望むかを記した文書「患者事前指示書Patientverfügung」の奨励です。今回は、この二つの最新のスイスの動きについてレポートします。

 

これらのことが、今、医療破綻を防ぐ対策として重視されていると考えるだけで、厳しい現実が実感され、気が重たくなります。誰にとってもできれば避けたい話題でしょう。しかし、新型コロナウィルスへの治療法がまだない現状においては、スイスだけでなく、多くの国で近い将来医療機関が逼迫することが見込まれ(あるいはすでに逼迫しており)、医療機関の負担を少しでも減らす対策を考えることが急務です。今回紹介するスイスの事例を参考にしながら、この問題を考えるのを回避するのではなく、あえて真っ向からとらえ、考察を深める機会にしていただければと思います。

 

 

 

医師たちの迅速な動き

 

スイス全土のロックダウンを政府が決定した3月16日から四日後の3月20日、スイス医学アカデミーとスイス集中治療医学会は共同で医療ガイドラインを発表しました(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020)。集中医療で医療資源が不足し、医師たち医療スタッフが患者の生死にまつわる医療行為の優先順位を決めなくてはならなくなった場合に、迅速かつ公平に決定できるようにするための医療倫理上のガイドラインです。

 

スイス医学アカデミーが定めたすべての医療ガイドラインは、原則として、(スイスで就業するすべての医師が入会している)スイス医師会FMHの職業規定として取り入れられることになっており、スイスの医療施設すべてに有効なルールとなります。

 

ちなみに、スイスが、トリアージについて医療ガイドラインを定めたのは、これが最初ではありません。すでに2013年から、トリアージについてのガイドラインがあります。しかし、そこでは医療資源が不足した際の基準がはっきり示されていなかったため、今回、その部分を明示する内容が補記という形で定められました。

 

このガイドラインの主旨について、今回のガイドライン制定の中心的人物シャイデッガーDaniel Scheidegger(集中治療の専門医であり医療倫理専門家)と、公法専門の法学者リュッツエBernhard Rütscheの解説や例もまじえながら(Schöpfer et al., 18.3.2020, Gerny, 19.3.2020)、以下にまとめてみます(参考にしたのは、四日後に出された改訂版)。

 

 

医療ガイドラインの基本理念

 

まず、患者の緊急時および集中治療についての意志(希望)を早くに明確にすることが重要である。とりわけ、危険グループ(慢性的な疾患をもつ患者や高齢者 筆者註)に属する人たちにおいてそれが重要となる。限られた医療資源を、患者が要求しない治療に使うことは決してないようにしなくてはいけない。

 

(筆者の補足説明: 人口850万人のスイスでは4月はじめ現在、集中治療ができる施設は82箇所で1200人病床あり、そのうち約285病床が利用されています。人工呼吸器が付随する病床数は800から850、ECMOと呼ばれる重症呼吸不全の際に用いられる体外式膜型人工肺の装置があるのは45病床です。SGI, Stellungnahme, 2020)

 

医療資源が限られた緊急状況下の基本理念は、以下の三つである。

 

1)公平であること

 

判断過程は、事実にもとづき、公平で明瞭でなくてはならない。年齢や性別、住んでいるところ、国籍、宗教、社会的地位、加入している保険の種類、あるいは恒常的な障害などで差別されない。新型コロナウィルス感染者だけでなく、ほかの集中治療が必要な患者も、同じ基準にしたがって判断される。

 

ガイドラインはスイス全国共通で、すべての病院(公立私立関係なく)に有効である。私立病院も公共の医療供給の一部であり、同じガイドランにそった医療行為を提供することが義務付けられている。

 

2)できるだけ多くの人命を救うこと

 

目標は、それぞれの患者と患者全体の利便を最大化することであり、それは最も多くの人命を助ける決断をすることである。換言すると、すべての措置は、重篤な症状になる人や亡くなる人を最小限にする目的にそって行われなくてはならない。

 

3)関連する専門家の保護

 

患者に接する医療スタッフは、感染の危険にさらされている。医療スタッフが感染し医療に従事できなくなれば、さらに亡くなる人が増える。このため、とりわけ感染から守る必要がある。単に感染を防ぐたけでなく、物理的・心理的な過剰な負担からも医療スタッフを守らなくてはならない。

 

 

医療資源が不足した場合

 

全国の医療施設はほかの医療施設と協力しあい、限られた医療資源を最大限に活用する。このような理由で、医療インフラのための報告義務を、政府は義務付けている。このため例えば、ほかの病院の別の集中治療室に空きがある場合、症状が比較的よいと診断された若い人は外部の集中治療室に運ぶ。

 

国は、私立病院に新型コロナ感染症の人の受け入れを増やすよう要請できる(筆者註: 現在、すべての病院は、緊急でない診療や手術を延期する要請が出されています)。

 

このような、できるすべての可能性を尽くしても、医療資源が不足し、すべての生死にかかわる人を診療できない場合、患者のなかで集中治療の優先順位を決めることになる。そこで決定的に重要なのは、短期的な診断(予想)である。集中治療で短期的に生き延びられる見込みの高さであり、中期、長期的な余命の見込みではない。

 

つまり、集中治療をおえて病院をでた際、もっとも生き延びるチャンスが高い患者が、その際、優先的に扱われる。医療行為はできるかぎり、まだ助けられる人をたすけるのに利用されるべきであり、年齢が高い人が若い人に比べて、年齢だけで低く評価されるということはない。そのようなことは、憲法で保障されている差別の禁止に反する。

 

例えば、高齢の新型コロナウィルス感染者で比較的いい状態にあり今後もよくなると診断されれば、交通事故で非常に重症の怪我をしている若い患者よりも集中治療を優先的にうける。

 

とはいえ、年齢は、間接的に中心的な基準の枠「短期的な診断」において考慮される。なぜなら、年齢が高い人のほうが、合併症が引き起こされることが頻繁なためである。新型コロナウィルスとの関係でいうと、年齢は死にいたる危険要素のひとつであり、このためこれを配慮しなくてはならない。

 

世話をしなくてはいけないこどもの有無などの家族関係、社会の利便性、これまでの態度などの社会的なファクターは、判断に配慮すると差別となるため配慮しない。「最初に来た人が優先的に治療を受ける」だとか、社会的な高い地位などが優先で治療をうけるといったことも基準にはならない。

 

 

(終末期)緩和ケアの充実

 

医療資源が不足する非常事態において、「不利な診断」(生き延びるチャンスが低いという診断)を受けた患者は、(通常なら、集中治療で治療をうけるような症状でも)集中治療室以外のところで診療をうける。早期に不利な診断の患者をほかの課に移動させることで、集中治療のキャパシティを広げる。なお、集中治療を行わない患者には、総合的な緩和ケアがほどこされなければならない。

 

 

ガイドラインによる医療関係者の法的擁護

 

このような内容の新しいガイドラインは、医療関係者に高く評価されています。例えば、生命倫理専門家のバウマン=ヘルツレRuth Baumann-Hölzleは、このようなガイドラインが性急に必要だったとし (Was tun, 2020.)、スイス連邦保健局のコッホDaniel Koch感染症対策課長も歓迎の意を示しています。

 

厳しい決断をせまられる医療スタッフの心身の負担が減っただけでなく、ガイドラインがより明確になったことで医療関係者が法的に訴えられる危険も少なくなりました。リュッシェによると、医療関係者がこのガイドラインにそって患者や関係者にトリアージの決定を、理由も明らかにして説明することで、透明性が高くなり、たとえほかの患者を助けるためにその患者を助けることができず、その結果亡くなることになったとしても、医療関係者が処罰の対象になることはないとします。それを、不服として裁判にもちこんでも、訴えがききいれられることはまずないとも言います (Vorrangig, 2020)。

 

 

最大のミッションは「トリアージを回避せよ」

 

一方、このような新しいガイドラインを設定・評価する医師たちは、同時に、(ガイドラインにそってトリアージするよりも)ずっと重要なことは、トリアージを回避することだ、と強調します。

 

そして、トリアージを避ける有効な方法はまだあり、それを推進すべきだという発言を、ガイドラインの公表に並行して、メディアを通じて活発に行っています。それを一言で言うと、ガイドラインの冒頭でも記されていますが、集中治療を望まない患者を集中治療室にこさせないようにすることです。

 

これを徹底すれば、集中治療キャパシティが大幅に広がると、救急治療や終末期医療に関わり医療スタッフたちは確信しています。というのも、新型コロナウィルスに感染した際重症化し、集中治療室に運ばれる確率が高い患者たちであるところの、高齢者やすでに重い病気を患っている人たちのなかで、集中治療をのぞんでいる人たちはかなり少ないことを、日頃、職場で実感しているためだといいます。

 

例えば、医師で医療倫理専門家クローネスTanja Kronesは、自身の経験では、高齢か若いかに関係なく重篤な症状の患者たちで、集中治療室で最後の治療を受けたいと希望している人にはこれまでほとんど会ったことがなく(Kinzelmann, 2020)、自分のチューリヒの病院で実際に調べた際も、集中治療を希望する患者がたったの一人もいなかったと言います(Corona, 2020.)。今回のガイドラインをまとめたシャイデッガーも、高齢者や重い病気の人に終末期医療について尋ねること自体がためらわれているケースが多い一方、いざ患者に質問してみると、「数ヶ月か数年、非常に制限された生活の質で、介護施設ですごすだけのために、すばらしく手間のかかる処置をしてもらうというのを、まったくのぞんでいないことが非常に多い」と言います(Schöpfer, Scheidegger, 2020)。

 

とはいえ、病院や集中治療室にいきたくない患者が潜在的に多くても、それを医療関係者が把握できなければ、やはり集中治療室に運ばれ、医療機関の逼迫を避けることはできません。

 

このため、スイス集中治療医学会は、医療ガイドラインの公表と相次いで、以下のような見解を発表しました。

 

「COVID-19(新型コロナウィルス 筆者註)流行期間中の集中治療施設の負担を減らすため」、「重篤な症状となった場合、人工呼吸などで延命措置を望むかいなか、考えてもらうことが重要」である。このため、健康医療に関連する専門学会、連盟、組織に対し、(感染後重症化しやすい)「危険グループに属する人々に、患者事前指示書の重要性について示し、患者事前指示書が容易に作成できるようにするため、情報を用意するよう協力を要望する。」 (SGI, Stellungnahme, 2020)

 

 

 

自分が受けたい医療を実現するための患者事前指示書

 

患者事前指示書 Patientenverfügungとは、患者が自分の受けたい(終末期などの)医療を具体的に事前に文書で記したもので、現在、医療上の事前指示の形で最も一般的な形となっています。患者事前指示書に特定の形はありませんが、スイス医学アカデミーが想定・推奨している内容は以下のようなものです (SAMW, 2018)。

 

・判断能力があるすべての人が患者事前指示書を作成できる。未成年の若者も含まれる。本人の自由意志で作成されたものでなくてはいけない。圧力や強制でしたものであってはならない。治療を受けるための前提ではない(あれば治療の際に配慮されるが、なくても治療は受けられる)。

 

・文書には、日付と自筆のサインが入ったものがのぞましい。2年に一回更新することが望ましい。

 

・患者は、いつでも文書あるいは口頭で取り消しができる。ただし、口頭の場合で、それを証明するのが難しいような時は、不明瞭になることを回避するため、有効な患者事前指示書を破棄すべきではない。もしも事前指示書の内容が患者の意志を異なると思われる場合、患者の関係者(親類や主治医)と、これについて検討すべき。検討の結果、意志と異なると思われた場合、担当医師はこれを配慮にいれない。

 

・医療機関は、患者事前指示書の存在を医療機関が把握しておく必要があるため、判断能力がある患者が医療機関に入る際、事前指示書があるかを訊き、ある場合はそれを記録しておく。事前指示書の内容がいまも有効であるかを確認できれば理想的。

 

患者事前指示書は、すでに2010年前後からドイツ語圏でも一般的に知られるようになり、スイスでは2013年から医療機関が診療の際にこれを配慮することを義務付けています。国としても、患者事前指示書は患者が終末期の在り方を自分で決める権利を強化するものとして評価し、作成する人の数を増やすことを様々な形で奨励・推進してきました(Die Bundesversammlung, 2018)。

 

ただし、これまでの患者事前指示書の奨励の動きが、患者自身の終末期の希望を重視するという点だけを目指した動きであったのに対し、現在は、もちろんそのこともこれまで通り強調されてはいますが、それと同時に、違う目的、つまり逼迫する医療施設の負担を最小限におさえる、という目的にも叶うということも強調されていることが違います。現在、患者事前指示書を作成することの重要性が、改めて医療機関やメディアを通じて国民に広く、繰り返し訴えられ、オンラインでも資料や情報が多数公開されています。

 

 

患者に質問するのは不可能か

 

ところで、ここまで読んで、すっきりしない気持ちを抱かれた方も少なくないのではないでしょうか。そのような質問をしたり、患者事前指示書の作成をすすめることは、現在、それでなくても新型コロナウィルスへの感染を恐れているはずの高齢者や慢性的な基礎疾患を抱える人々にとって残酷ではないか。訊く側に悪気が全くなくても、ある種のプレッシャーを患者に自動的に与えてしまうのではないか。医療行為をあきらめよ、と言っているようにきこえないだろうか。そこまで思わなくても、患者にとって、触れてほしくないタブーの質問ではないだろうか。

 

このような疑問を抱くことは、ある意味でとても自然なことで、社会での患者事前指示書の乱用を防ぐことにもつながるでしょう。少しずれますが、スイスでは自殺ほう助が合法となっていますが、ここでも同じようなことがたびたびきかれます。合法であるがゆえに(自殺ほう助を希望しない人にもそれを希望しているかのように言わしめるような)、ある種の社会的なプレッシャーを人々に与えてしまうのではないか。そのような疑念が、社会で繰り返し表明されており、自殺ほう助が社会に市民権を得た現在も、このような疑問への明確な答えがでているわけではありません(穂鷹「スイスの自殺ほう助の現状とさらなる自由化をめぐる議論https://synodos.jp/international/22435」)。

 

患者事前指示書を積極的に支持・推進してきた医師で医療倫理専門家クローネスも、多分、このような質問を何百回、何千回も受けてきたと思われますが、そのような一般的な疑問に、しかし明快に反論します。正しく患者に接し質問をすれば、そのようなことにはならない。重要なのは患者の人としての尊厳を認め、質問すること。どう生きたいですか。今日の夜おだやかに亡くなることについてどう思いますか。それはどんなことをあなたに意味しますか。このように患者一人一人に、主治医など信頼する医師や関係者が丁寧に質問すれば、本心からでた確かな答えを患者から得ることができる、と言い切ります。そして「あなた(自分自身)にとってなにが重要か、なにがあなたにおきては欲しくないことか、と患者に訊くことは、うさぎが蛇のことを気にするように、過酷なトリアージに目をむけるよりもっとずっと重要なメッセージだ」と言います(Kinzelmann, 2020)。

 

生命倫理専門家のバウマン=ヘルツレも、「もちろんこのような決断はいつも難しい」と率直に認めつつも、「わたしは、集中治療室での治療を受けたいか。呼吸器を使いたいか。これらの考えたくないような問いに、自分自身で真剣に考えなくてはいけない」「なぜなら、わたしたちは決定できないわけではないからだ」(Was tun, 2020)、と人々を鼓舞します。

 

このように医師や倫理専門家たちは口を揃えて、主治医など信頼できる人と話し合い、自分の気持ちに正直に向かい合い、できるだけ自分に向かう時間をしっかりとって、「患者事前指示書」を作成することをすすめています。

 

公共放送では、作成に関する具体的なアドバイスも、医師たちから提供されていました。例えば、ちょうど現在、主治医となっている内科医たちは、緊急の患者以外は診察していないので、作成に協力する時間もとれやすいはずだ、という意見。家族と話し合う場合に、本人の希望が子供やパートナーの希望と異なり対立する、といったことを恐れる人もいるかもしれないが、本当に互いの言い分に心を開き、耳をかたむけ、対話することをこころがければ、多くの場合、対立や言い争いはさけられる、といったアドバイスもありました (Corona: Behandlung, 2020)。また、もちろんゆっくり時間をかけて作成できればそれにこしたことないが、もし危機的な状況が迫った場合は、作っていないよりは、あったほうがいい、なども言われていました(Coronavirus: Kontroverse, 2020)。

 

ちなみに、ロックダウン直後に、チューリヒ近郊の小都市ウスターの老人用住宅および介護施設の住人50人に、担当医師が新型コロナウィルスに感染した場合についての希望を調査した結果は以下です(Corona, 2020.)。

 

・病院に行くことを希望した人 26人、

(このうち、6人は、そこでの集中治療も希望)

 

・病院には行かず施設に留まりたいとした人 24人。

(このうち19人は、緩和ケアを希望)

 

 

 

終末期緩和ケア

 

新型コロナウィルスに感染した患者が、患者事前指示書などを通して、集中治療を望まないことを表明した場合、具体的にどのような治療がなされるのでしょう。

 

クローネスは、自分が医学生の時大学教授が「肺炎は、高齢者の友」と言っていたことを少しためらいながらも引用し、死に至る重い肺炎を患う場合も、専門的な緩和ケアをすればおだやかな死を迎えられる。スイスにはそれを可能にするプロフェッショナルな緩和ケアのスタッフと技術があるといいます(Corona, 2020)。

 

トリアージの医療ガイドラインでも、「集中治療が行われない場合、総合的な緩和ケアがなされなければならない」とされています。実際、ガイドラインがだされたあと緩和ケア関係者が、これに呼応する形で具体的に動きだしました。

 

まず、緩和ケア関連者に呼びかけ、緩和ケアの体制の一層の強化をはかる目的で、フォーカス・コロナというプロジェクトチームが新たに設立されました(SGI, Stellungnahme, 2020)。

 

緩和ケア専門協会(FGPG)は、「新型コロナウィルス・パンデミー 高齢者および病弱な人々の家庭および介護施設での緩和ケアの観点」(SAMW, Coronavirus, 2020)という文書を発表しました。ここでは、「高齢で多併存疾患のある患者は、看護や集中治療をしても致死率が高い。人工呼吸器をつけるなど集中治療をしても高齢者が生き延びる確率は、これまでの経験上、かなり低」いが、これらの患者の「多くの人は、集中治療室に行かずに、自分たちがよく知っている環境でなくなりたいと望む」というほかの医療関係者と共通の見解を示しつつ、緩和ケアで推奨されるものを、予想される個別の症状に合わせて具体的に細かく提示しています。

 

現在、病院だけでなく、介護施設や、一部の訪問看護・介護サービス業界でも、新型コロナウィルス感染者で終末期の緩和ケアを望む人たちを、施設や自宅で受け入れるための準備が急ピッチですすめられているようです。

 

 

今回の危機は、社会が避けずに直面できるチャンスになる?

 

スイスは4月1日現在、新型コロナウィルス感染者数は17316人で、465人の方が亡くなっています。まだ集中治療室や病室には余裕があるとされますが、チューリヒ工科大学のレポートでは、4月中に感染者や重症者がさらに「津波のように」増え、1000病床が不足すると予想されています。

 

こう聞くと、「トリアージ」という言葉がまた脳裏をよぎりますが、新しいガイドラインの作成の中心人物であるシャイデッガーは、トリアージのような厳しい決断は今回のコロナ危機に限った話ではなく、「それは、平常時でもやはりまぬがれないものだ」と強調します。もちろん現在は、平常時以上に難しい状況だが、平常時でも「すべての人を助けたり、すべての人にいつも診療の可能なものをすべて提供できるという」認識は正しくなく、「そのような決断を社会が避けてとおろうとしてきた」だけなのだ、といいます。そして、「このとても扱いにくい(微妙でむずかしい)テーマについて、やっと、オープンに正直に議論できることができるようになったのだとすれば、コロナ危機の副次的な効果といえるかもしれない」と言います。

 

医療関係者から投げかけられた、このような重たいボールを、スイスの社会は危機の最中にあってやっと受け止めるのでしょうか。スイス人の本音は、どのようなものなのでしょう。

 

ガイドラインが発表されてから今までの2週間で、様々なメディアがトリアージのガイドラインと患者事前指示書についてとりあげてきました。この事実からだけでも、メディアや一般の人々にとって、これらのことがどれくらいショッキングであったのかが想像されます。一方、これらの報道をみると、公共放送でもタブロイド紙でも、概して中立的で、反論や批判的な論調はほとんどみあたりませんでした。

 

筆者の調べたなかで、批判的なニュアンスを感じたのはふたつだけでした。一つは、公共放送のニュース番組のインタビューに介護・青少年および障害者施設のスイス全国連盟の会長が出演した時、患者事前指示書を患者に「無理やり作成させるべきではない」(Bei schweren, 2020)と言い放ちましたが、そこに若干の批判的な感情がこもっていたように思われました。

 

もう一つは、スイスの名高い高級紙『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥンク』(「意見と討論」欄)で、医療倫理ガイドラインについて、「適者生存Survival oft he fittest」のロジックだ、としていた部分です (Stadtler, 2020)。

 

しかし、前者は、自分たちの施設に重傷者がでた場合も、まず患者事前指示書があるかを確認するとし、その存在を重んじることは自明としていますし、後者も、同じ記事のなかで「予想される医療機関の負担の過剰は、社会を深い倫理的なジレンマにもたらす」(Stadtler, 2020)といった書き方も同時にされていることからわかるように、尋常ならざる現状を全体として皮肉に叙述する一端として過激な表現を用いたにすぎず、全面的にガイドラインを批判しているわけではありません。

 

胸のうちには、強い衝撃や抵抗したい感情を抱いても、現状をみると、医療倫理ガイドラインや患者事前指示書以上の良案は見当たらず、それゆえ、これらの医療関係者からの提案や働きかけを、なんとか理解し、受け入れようとする。それが、スイス社会全体の現在の傾向なのかもしれません。

 

患者事前指示書が、患者自身の生活の質を下げないためのツールとして、これまでにも広く知られており、作成することがかなり定着してきたことも、今回の話を冷静に受け入れる助けになっているかもしれません。2017年の調査では、スイスでは65歳以上の住民の47%と半数近くが、すでに患者事前指示書を作成しています(18歳以上の成人すべてでは、全体の22%、Pro Senectute, 2017)。換言すれば、この割合はまだまだ低く、さらに割合をあげること、とりわけ慢性的な疾患のある高齢者の作成の割合を高めることが、現在、大きな課題となっているといえます。

 

 

おわりにかえて――医療機関に丸投げするのでも、あるいは模範的な日常行動規範を訴えるだけでもない、スイスの道

 

少し話はずれますが、ヨーロッパではコロナ危機以来、民主主義的な社会と、管理統制型の社会のどちらがコロナ危機のマネジメントとしてすぐれているか、という議論がたびたびきかれます。

 

そこでは、前者が、基本的に人々に分別ある行動を訴え、自らの自主的な行動で感染拡大を抑制しようとするのに対し、後者は、人の行動をデータでできるかぎり監視したり、禁止などの厳しいルールで統制することで、感染拡大を防ぐというアプローチ、という風に大雑把にくくられます。

 

スイスは、この2種類の大きな分類でいえば、前者に属するでしょう(少なくとも今のところ)。スマートフォンの個人情報は移動範囲を匿名で把握する以外の用途で使われておらず、デジタル機器を駆使した監視や細かいルールで外出を規制するよりも、人々がみずから責任をもって行動するよう働きかけることに、政府も強い関心や期待を置いているようです。ロックダウンについての記者会見での、ベルセ保健相の言葉はそれをよくあらわれていたように思います(以下、ベルセ保健相の3月20日の記者会見の発言の一部の要約)。

 

「ヨーロッパのほかの諸国に比べると、スイスの規制は厳しくはなく、外出を画一的に禁止するものではない。なぜか。それは、どんな厳しい規制をつくっても、最終的に人々が同意し、正しい行動をしてくれなければなんの意味もないからである。肝心なのは、人々が状況を理解し、自主的に、そして長期的に、分別ある行動をすることなのだ。スイスのやり方は、文化が違うためやり方も異なっていると思われる隣国と、いっしょである必要はなく、このような手法は「スイス流」といえる。」

 

今回、医療倫理ガイドラインと患者事前指示についてみてきて、これらもまた、スイス国民に期待されている「スイス流」の行動規範の一環であるように思われます。一方で、医療資源が不足した時、患者に優先順位をつけなくてはいけないこととその決め方について、国民に公明正大に繰り返し説明し、理解や同意することを求めます。他方、自分自身が希望する終末期治療を受けるため、また医療機関の破綻を避けるため、どんな治療をのぞみ、生きていることでなにを大事にするかを自問し患者事前指示書を作成することを、人々に期待します。人々を主体的なアクターとして、(手を洗うことや家にいることなど、日常的な行動様式を課すだけでなく)さらに巻き込んでいくことで、コロナ危機という戦後最大の危機の回避を目指しているようにみえます。

 

所変わって、ほかの国や、人々の場合はどうでしょう。コロナ危機によって医療機関が逼迫する危険を前に、どんな選択肢をとるのでしょうか。医療関係者に丸投げにし、医療機関にさらなる負担を強いる選択肢をとるのでしょうか。それとも、スイスのように何らかの別の手段にも着手するのでしょうか。それぞれの国で、人々が実際にどんな行動を、どれくらい実行していくべきなのかが、今、問われています。

 

 

 

<参考文献>

・«Bei schweren Komplikationen kann das Spital nötig werden». Coronavirus in Altersheimen, 25.03.2020, SRF, News.

https://www.srf.ch/news/schweiz/coronavirus-in-altersheimen-bei-schweren-komplikationen-kann-das-spital-noetig-werden

・Corona: Behandlung ja oder nein?, Puls, SRF, Montag, 30. März 2020, 21:05 Uhr

https://www.srf.ch/sendungen/puls/corona-behandlung-ja-oder-nein

・Corona. Eine Mikrobe stellt unsere Stärke in Frage, Sternstunde, SRF; 22.3.2020.

https://www.srf.ch/play/tv/sendung/sternstunde-philosophie?id=b7705a5d-4b68-4cb1-9404-03932cd8d569

・Coronavirus: Kontroverse um Patientenverfügungen, 10 vor 10, SRF, 24.3.2020.

https://www.srf.ch/play/tv/10vor10/video/coronavirus-kontroverse-um-patientenverfuegungen?id=bcaecb6e-287f-48d3-9d66-ee0e4186a446

・Coronavirus: Was, wenn die Spitäler überlastet sind?, Tagesschau, SRR, 21.03.2020, 19:30 Uhr

https://www.srf.ch/play/tv/tagesschau/video/coronavirus-was-wenn-die-spitaeler-ueberlastet-sind?id=4962ce3c-fa6e-48e3-84c0-c1d966635e53

・穂鷹知美「求む、国外からの介護福祉士 〜ベトナムからの人材獲得にかけるドイツの夢と現実」『αシノドス』vol.269 、2019年11月15日

・Kinzelmann, Fabienne, Medizinethikerin Tanja Krones über Spitäler-Kollaps und das ethische Dilemma. In: Blick.ch, Publiziert: 19.03.2020, 22:26 Uhr, Zuletzt aktualisiert: 20.03.2020, 14:27 Uhr

https://www.blick.ch/news/schweiz/medizinethikerin-tanja-krones-ueber-spitaeler-kollaps-und-das-ethische-dilemma-alters-rationierung-ist-in-der-schweiz-nicht-tragbar-id15805232.html

・palliative ch(Schweizerische Gesellschaft für Palliative Medizin, Pflege und Begleitung), Wissenswertes zum Coronavirus (2020年4月1日閲覧)

https://www.palliative.ch/de/fachbereich/task-forces/fokus-corona/

・Pflege durch Angehörige, Patientenverfügung – Das Recht auf medizinische Selbstbestimmung

https://www.pflege-durch-angehoerige.de/patientenverfuegung-das-recht-auf-medizinische-selbstbestimmung/

・Pro Senectute, Selbstbestimmen bei Urteilsunfähigkeit – Zahlen und Fakten 1. Oktober 2017

・Roland, Kunz/ Markus, Minder, COVID-19 pandemic: palliative care for elderly and frail patients at home and in residential and nursing homes. In: Swiss Med Wkly, 24.03.2020.

https://smw.ch/article/doi/smw.2020.20235

・Schöpfer, Linus/ Scheidegger, Daniel, «Priorität hat, wer die besseren Überlebenschancen hat» In: Tages-Anzeiger, 18.03.2020

・Schweizerische Akademie der Medizinischen Wissenschaften (SAMW), Patientenverfügungen, 1.– 6. Auflage, 7. Auflage Bern 2000 (Sept 2018)

・Schweizerische Akademie der Medizinischen Wissenschaften (SAMW), Coronavirus: Empfehlungen für Palliative Care, News, 25.03.2020

https://www.samw.ch/de/Aktuelles/News.html

・Schweizerische Akademie der Medizinischen Wissenschaften (SAMW)/ Schweizerische Gesellschaft für Intensivmedizin (SGI), Covid-19-Pandemie: Triage von intensivmedizinischen Behandlungen bei Ressourcenknappheit. Hinweise zur Umsetzung Kapitel 9.3. der SAMW-Richtlinien Intensivmedizinische Massnahmen (2013) Die deutsche Fassung ist die Stammversion. 2., aktualisierte Version vom 24. März 2020

https://www.samw.ch/de/Ethik/Themen-A-bis-Z/Intensivmedizin.html

・Schweizerische Gesellschaft für Intensivmedizin (SGI), Stellungnahme Coronavirus Krankheit 2019 (COVID-19) Basel, 24. 3. 2020

https://www.sgi-ssmi.ch/files/Dateiverwaltung/COVID_19/IMSGCM_Stellungnahme_COVID-19_03_DE_200324.pdf

・Stadtler, Helmut, Wenn Knappheit über Leben und Tod entscheidet. In: NZZ, S.10.

・«Vorrangig werden diejenigen mit der grössten Überlebenschance behandelt». In: NZZ, 19.3.2020, S.12.

・Was tun, wenn die Spitäler überlastet sind? Neue Richtlinien wegen Corona, Sonntag, SRF, News, 22.03.2020, 14:19 Uhr

https://www.srf.ch/news/schweiz/neue-richtlinien-wegen-corona-was-tun-wenn-die-spitaeler-ueberlastet-sind

・Wer wird behandelt, wenn es auf der Intensivstation eng wird?, Echo der Zeit, SRF, 21.3.2020.

https://www.srf.ch/play/radio/echo-der-zeit/audio/wer-wird-behandelt-wenn-es-auf-der-intensivstation-eng-wird?id=4b09faca-987a-4462-ade4-ca555d85b840

・Zielcke, Andreas, Moralisches Elend. In: Süddeutsche Zeitung, 23.3.2020.

https://blendle.com/i/suddeutsche-zeitung/moralisches-elend/bnl-sueddeutschezeitung-20200323-ebb17205d433?sharer=eyJ2ZXJzaW9uIjoiMSIsInVpZCI6InRvbW9taWhvdGFrYSIsIml0ZW1faWQiOiJibmwtc3VlZGRldXRzY2hlemVpdHVuZy0yMDIwMDMyMy1lYmIxNzIwNWQ0MzMifQ%3D%3D

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

1
 
 
シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

・島村一平「学びなおしの5冊・「モンゴル」、あるいはコロナ禍の中でモンゴルを考える」
・石川義正「社会の分断を見つめる──現代日本「動物」文学案内」
・志田陽子「「捏造」という言葉の重さについて――批判の自由か《排除》か」
・馬場靖人「なぜ私は「色盲」という名にこだわるのか?」
・菅(七戸)美弥「アメリカ・センサスと「人種」をめぐる境界――個票にみるマイノリティへの調査実態の歴史」
・平井和也「コロナウイルスでグローバリゼーションは終焉を迎えるか?」