2020.06.30
公衆衛生と安全保障――グローバルな脅威としての感染症にいかに備えるか?
はじめに
安全保障がテーマのこの連載において、「感染症」を扱うことに違和感を感じる人が多いかもしれない。いや、新型コロナの世界的流行とそれがもたらした甚大な影響を目の当たりにして、安全保障と感染症の深い繋がりを意識したという人が実は多いのかもしれない。いずれにせよ、感染症は伝統的な意味での安全保障の一部をなすものではないが、近年の広義の安全保障概念においては、主要な構成要素である。本稿では感染症の位置付けの変容とその背景を振り返り、感染症対応のための具体的な制度枠組みにどのような問題点があるのか、今後どのように改善していけば良いのかを考えていきたい。
安全保障上の課題としての感染症
日本をはじめとする多くの先進国は新型コロナより前は、大規模な感染症の流行を経験する機会はあまりなかった。他方、世界を見渡せば、1970年代から今日に至るまで30以上の新興ウイルス感染症が新たに発見されており、常に新興あるいは再興ウイルス感染症が流行しているという状況である。その流行がたとえ世界の一地点で始まったものであっても、大量の航空機が世界を飛び回る現在では、瞬く間に世界に感染が広がりうるし、たとえ感染を免れたとしても、経済や日常生活等において様々な支障を余儀なくされる。このような状況の中で、感染症は公衆衛生という閉じられた領域の一課題から、安全保障をも含む広義の文脈の中で位置づけ直されてきたのである。
この現象は、具体的には以下二つの要因によって促進されてきた。第一は「人間の安全保障」概念の登場である。冷戦後、他国の侵略から国家主権、領土、国民を守るという狭義の安全保障概念にとどまらず、国家を構成する一人ひとりの人間を様々な恐怖や欠乏から守ろうというアイデアが登場した。これが「人間の安全保障」である。その後、このアイデアを具体化する様々な外交政策や国際目標が設定されてきた。2000年に設定されたミレニアム開発目標(MDGs)には、その目標の一つに「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」が含められた。ミレニアム開発目標を引き継ぐ形で2015年に設定された持続可能な開発目標(SDGs)でも保険関連の目標が組み込まれ、エイズや非感染症疾患、顧みられない熱帯病、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成等に関する具体的な到達目標が設定された。
第二の要因はエイズの流行である。1981年に初めての症例が報告されて以降、すでに7700万人以上がHIVに感染してきた。毎年新たにウイルスに感染する人の数は、1996年にピークを迎えた後、減少傾向にあるが、2017年時点で3600万人以上がHIVに感染している。エイズの流行は感染症の位置づけを考え直させる契機となった。若者を中心に各地で感染が拡大することは国家の安全保障機能のみならず、国連平和維持活動(PKO)など国際平和の維持においても打撃を与えうるからである。2000年1月の国連安保理では、議長を務めたアメリカのアル・ゴア副大統領がエイズの流行を「国際平和と安全にとって脅威」であると述べ、同年7月の安保理決議では、すべてのPKO活動においてエイズ予防プログラムを実施することが決まった。
その後も、先進国首脳会議(サミット)などハイレベルで感染症対策が議題となってきた。2000年の沖縄サミットには初めて世界保健機関(WHO)が参加、首脳らと共にエイズ、マラリア、結核に関する特別基金の設立に合意した。2006年のサンクトペテルブルク・サミットでは初のG8保健相会合が開催され、その後のサミットでも度々保健相会合が開催された。新型コロナを巡っても、G7外相会合やG7首脳会合、日中韓外相会合等ハイレベルで議題となってきたことは言うまでもない。
グローバルな連帯の欠如
以上、「人間の安全保障」の登場、エイズの脅威という二つの出来事を通じて、感染症対策が安全保障の文脈で位置づけ直されてきた様子を見てきた。他方、感染症対応のための具体的な制度枠組みは、グローバルな脅威としての感染症に必ずしも見合うものではない。新型コロナを巡っては、既存の体制の様々な問題点が露呈されることとなった。重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した際には、WHOの下で各国の専門家チームが発足、ウイルスの分離同定、遺伝子の配置決定に大きな役割をはたした。発生国中国とアメリカの連携も見られた。2009年H1N1新型インフルエンザについては、結果的にWHOの「過剰反応」が批判される一幕もあったが、発生国アメリカとW H Oの緊密な連携のもと、迅速に対処がなされた事例であった。
2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際しては、WHOの対応は遅れたが、当時のオバマ米大統領のイニシアティブのもと、国連でサミットが開催され、世界規模の危機に対応するための話し合いが行われた。その後、国連の下にエボラ対応の緊急ミッションが設立され、リベリアで展開されていた国連平和維持活動と協力しながら対応にあたった。未曾有の危機といわれ、多くの人命が失われ、経済的損失を伴った危機であったが、アメリカのリーダーシップ、WHOと国連、PKO、世界銀行など多様なアクターの連携が終息に大きく貢献した。
以上の前例とは対照的に、新型コロナを巡ってはアメリカのリーダーシップはおろか、米中の対立が対応をめぐる協力そのものを困難にしている現状である。トランプ米大統領は、世界保健機関(WHO)が「あまりにも政治的で、中国寄りである」と批判、5月末には「WHOとの関係を終わらせる」と発言した。対する中国も新型コロナへの対応は適切なものだったと真っ向から反論、新型コロナをめぐるWHOの対応を巡って米中対立が激化しており、グローバルな連帯強化とは、まったく逆の方向へと事態は推移している。グローバルな脅威としての感染症には、エイズやエボラのように安保理決議を通して連帯の基盤を形成することが必要となるが、その安保理も現在では米中、米露の対立により、機能不全に陥っている。
制度上の各種問題点
新型コロナを巡って浮上した第二の問題点は、国際保健規則の運用上の問題点である。国際保健規則は感染症対応に関する各国やWHOの義務・権限などを記した国際条約である。具体的には領域内のサーベイランスや水際対策、WHOへの一定時間内の報告義務など、締約国の各種義務が定められている。この条約は国際環境の変動に応じて、数々の改定を経てきた。1981年の改訂では、前年の天然痘根絶宣言を受けて、天然痘がその対象から外され、一番最近では911同時多発テロやSARSの経験を踏まえて、2005年に改定された。この改定ではまず、対象が特定の感染症から自国領域内における「国際的な公衆衛生上の脅威となりうる、あらゆる事象(国際的にみて緊急性の高い公衆衛生上の事象)」へと拡大された。911同時多発テロを受け、炭素菌ウイルスなどを用いたテロの危険性が高まったことを反映したものである。これらの事象が発生した場合、加盟国は評価後24時間以内にWHOへ通達することが義務付けられた。このほか、WHOは国家以外の様々な主体やネットワークから得られた情報に関して、当該国に照会し、検証を求められるようになった。インターネットの普及により、多様な主体から迅速に正確な情報を得られるようになった現状を反映したものだ。
改定ではさらに、感染拡大防止のための対策は、社会・経済に与える影響を最小限に止めるよう配慮すべきことも加えられた。SARSの時、WHOがカナダや中国の一部地域への渡航禁止勧告を出し、それが大きな経済的損失をもたらしたことへの反省であった。以降、WHOは今回の新型コロナも含め、渡航禁止勧告を出していない。
しかし、以上のような改定を経たにもかかわらず、規則で定められた義務や権能をWHO並びに加盟国が適切に果たしていない現状が今回、明らかとなった。WHOは国家以外の様々な主体から情報収集できることとなっているが、WHOへの参加が叶わない台湾が年末に送ったとされる情報の処理については必ずしも適切ではなかった。また中国は11月頃から感染を確認していたにもかかわらず、WHOに報告したのは12月末であった。規則に定められたWHO並びに各国の対応能力の向上という大きな課題が立ちはだかるのである。
新型コロナを巡って明らかとなった第三の問題点は、グローバルな脅威に対応するための包括的な枠組みがまだ十分に整っていないことである。様々な批判を浴びるWHOであるが、恒常的な財政不足に悩まされ、強制力を伴わない組織であり、グローバルな脅威に単独で立ち向かうのは重荷すぎるというのが正直なところだろう。そのため上述の通り、2014年のエボラ出血熱に関しては、国連エボラ緊急対応ミッションという暫定組織が設立され、P K Oや世界銀行、国境なき医師団など多様なアクターとの連携のもと対応がなされた。また、エイズやマラリアに関しては、国家以外のアクターを含む新たな資金枠組みや世界銀行などと連携する局面が増えてきている。WHOという機軸を残しつつも、世界規模の脅威に立ち向かうための、より包括的な対応が危機に際して迅速に稼働する制度枠組みが待たれる。
グローバルな脅威にいかに備えるか?
感染症は、もはや公衆衛生という一領域に閉じられた課題ではなく、国際社会全体の安全保障上の脅威である。新型コロナの感染拡大により、私たち自身がまさに痛感してきたように、一旦感染が広がれば、世界経済や我々の日常生活、国土の防衛に至るまで、幅広い活動が大きな支障をきたすからである。敵国の侵略に備えるという狭義の安全保障においては、軍の増強や同盟の強化等による確かな備えが必要となる。グローバルな脅威としての感染症も全く同様、万全の備えが必要となる。
新型コロナを巡っては、その備えが十分でない状況が明らかとなった。国境を越える感染症にはグローバルな対応が不可欠であり、それを支えるのはリーダーシップと各国の連帯である。従来、この分野でリーダーシップを発揮してきたアメリカが国際協力に背を向け、米中の対立が国際的な連帯の阻害となっている現状で、我々はいかに感染症という脅威に備えて行けば良いのだろうか。
現実的な道標としては、米中以外のミドルパワーの連帯が鍵となるだろう。新型コロナへの対応を巡っては、ヨーロッパ、オセアニア、アジア諸国がワクチンや治療薬の開発・供給等に関するパートナーシップやファンドの設立を主導してきた。日中韓も5月に日中韓三国特別保健大臣会合を開催、情報や経験の共有を確認した。近年、連携を深めるインドとオーストラリアは、ともにWHO執行理事会の今期メンバーであり(インドは議長国)、発生国・中国への調査等に関して連携、WHO改革の動きをリードできるのではないかという期待も高まっている。国だけではない。アメリカに次いで第二の資金額をWHOに拠出するビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、GAVIアライアンス、グローバル・ファンドなど市民社会組織、官民のパートナーシップはグローバル・ヘルスの分野で従来から大きな存在感を示してきた。
こうしたアクターはその連帯に加え、個々の国がグローバル・ヘルスの強化を目指して積極的な支援を続けることも期待される。大国不在の連帯にはそれなりの限界も存在するだろうが、少なくとも新型コロナの収束をわずかにでも早め、次なる感染症に備えるべく対応枠組みの補強を行う上で、なくてはならないものといえるだろう。
プロフィール
詫摩佳代
東京都立大学法学部教授。東京大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士課程終了、同博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学東洋文化研究所助教(2010-2013年)、関西外国語大学外国語学部専任講師(2013-2015年)、首都大学東京法学政治学研究科准教授(2015-2020年)を経て現職。著書に『国際政治のなかの国際保健事業』(ミネルヴァ書房、2014)、『人類と病』(中公新書、2020)、共著に『新しい地政学』(東洋経済新報社、2020)など。