2011.03.13

モスクワでふたたびテロ

世界に衝撃を与えた今年1月24日のロシア・モスクワ郊外のドモジェドボ国際航空テロ。その記憶もまだ新しい3月9日、ふたたびモスクワでテロを疑わせる事件が起きた。モスクワ南西部の大通り、バス停のゴミ箱に仕掛けられた爆発装置(TNT火薬400グラム相当)が爆発したのである。死傷者の情報は伝えられていないので、恐らくいないと思われるが、バス停や近くに停車していた車両数台が破損した。現場がロシア連邦保安局(FSB)の教育機関の向かいであったことから、当局はテロが企図されたとみている。

ドモジェドボ国際航空テロについては、拙稿「ロシア空港テロ事件~その背後にあるもの」を参照されたいが、拙稿がアップされた段階では犯行声明は出ていなかった。しかし、後日、チェチェン共和国の独立派武装勢力指導者ドク・ウマロフ司令官が犯行声明を出した。

当局は、ドモジェドボ国際空港テロはウマロフの息の根のかかった者による犯行とみて捜査をつづけ、最終的にテロを直接、指揮した容疑者を、ウマロフ司令官の部下であるアスラン・ビュトゥカエフ司令官だと断定した。ビュトゥカエフ司令官は、自爆テロで死亡した実行犯のマゴメド・エブロエフ容疑者を、イスラーム過激主義の思想によって洗脳するとともに、向精神薬を与えて服従させ、自爆を強要したとみられている。

北コーカサス情勢の悪化

北コーカサスでは最近、きわめて情勢が悪化している。2月17日にロシアの人権センター「メモリアル」は、北コーカサスにおけるロシアの法執行機関や軍などが、武装派によって受けた攻撃のデータを発表した。2010年には289名が死亡し、551人が負傷。また、2009年には273名が死亡し、562人が負傷していた。このデータによれば、ダゲスタン、チェチェン、イングーシ、カバルディノ・バルカルがとくに深刻な状況を呈していたが、2009年と2010年の違いとしては、チェチェンとイングーシの死傷者の減少と、ダゲスタンとカバルディノ・バルカルのその増加が指摘できる。

また、「Kavkazsky Uzel」のデータによれば、2010年にモスクワと北コーカサスで22回のテロ攻撃があり、108人が死亡、652人が負傷している。22回のテロのうち、16回は自爆テロである。その自爆テロのうち6回はダゲスタンで発生している。

このように北コーカサスのテロは頻発しており、枚挙にいとまがないが、最近の主要な事例を紹介しておこう。

ダゲスタンの騒乱拡大と国際化?

ダゲスタンの状況はきわめて悪化しており、もはや「内戦」状況だともいわれている。

たとえば、2月14日に、北コーカサスのダゲスタン共和国のグブデン村では相次いで自爆テロが発生し、警官2人が死亡、20人が負傷した。同日朝に女性が警察署に侵入しようとして自爆し、夕方には爆発物を積んだ車が警察の検問所に近づいたため、運転手と警官・内務省軍兵士が打ち合いを始めたところ爆発したのである。このテロにより、同村への電力供給は切断され、一般住民も被害を受けた。そして、このテロが北コーカサスの連続テロの口火を切ったとみられている。

ダゲスタンや周辺国で自爆テロが頻発するなか、ダゲスタンの公認されたイスラーム指導者は2月9日を「殉教者(シャヒード)の日」とするよう提案した。1998年以来、テロ攻撃で死亡したイスラーム指導者は24人に達しているという。イスラーム指導部は自爆テロによる死者と他の戦闘で死亡した殉教者を区別する準備を進めているが、その過程で彼らは公認されたイスラーム派の殉教者をより多くカウントしようとしており、非公認のイスラーム教徒とのあいだで亀裂が生じているという。そのことは、ダゲスタンの社会の分裂をより加速させており、「内戦」状態を強化しているという。

他方、ダゲスタンのテロは国際化しているともいわれている。2月10日にはカザフスタン出身の武装勢力2人がマハチカラの警察に投降したという情報が、11日には北コーカサスに4~5人のカザフスタンのテロリストが車で侵入したと報じられたのである。カザフスタン側は、カザフスタン人が北コーカサスのテロに関与しているという証拠がないとしてそれを否定したが、少なくともロシアは北コーカサスの騒乱が「国際化」していることを内外に示したいようである。

カバルディノ・バルカルでの連続テロ

2月12日の夜に、法執行機関の将校がカバルディノ・バルカルで不審車を止めたところ、乗車していた二人の男が突然発砲をしてきた。それら二人の男は殺害されたものの、それが当地の混乱の幕開けとなったといわれており、翌日には元警官や一般住民が殺害された。

そして、2月18日、カバルディノ・バルカルでモスクワから来ていたロシアの観光客グループが攻撃を受けて、そのうちの4人が殺害された。このテロではFSB長官のニコライ・パトルシェフの娘が狙われていたという説もある。

また、19日にはエルブルス山近くのケーブルカーが攻撃され、ナルチクの地方行政のトップが殺害されたり、近くのホテルで爆発物が仕掛けられた車が発見されたりしていた。これらは、バクサン・ジャマアトとその指導者のカズベク・タシュエフによるものとみられているが、政権にとってはきわめて由々しい要素をもつ。政府が進めている北コーカサスのスキーリゾート開発計画を脅かすものであり、また北コーカサスのソチで2014年に予定されている冬季オリンピック開催を脅かすものでもあったからだ。他方、カバルディノ・バルカルの武装派は、ロシア政府による開発計画は地元のイスラーム教徒たちにとって不幸であり、阻止すべきものだと主張している。

また、2月28日にはTNT25キログラム相当の爆発物を身につけた武装派の自爆テロが警察で起こり、翌3月1日にはその犯人の自宅が爆破された。

北コーカサス連邦地区の全権代表でメドヴェージェフ大統領の腹心のアレクサンドル・フロポーニンは、当地の住民、学生、指導部などと会合をもち、当地の不安定化の原因が権力の垂直化、汚職の蔓延、犯罪、イスラームの本質の理解の欠如、失業、その他の経済要因と結論づけた。それらはフロポーニンの政策目標であるのだが、改善は容易ではない。

メドヴェージェフの北コーカサス電撃訪問

他方、2月22日、メドヴェージェフ大統領が北コーカサスの北オセチア共和国の首都ウラジカフカスを電撃訪問し、モスクワ以外でははじめてのロシア国家反テロ委員会(NAK)を開催した。

ロシア大統領が突然北コーカサス諸国を訪問することは異例であり、それは、北コーカサス情勢の悪化はもちろんであるが、直接的には、2月18、19日に発生した北コーカサスのカバルディノ・バルカル共和国での連続テロを受けてのものと思われる。カバルディノ・バルカルの状況は日々悪化しており、これらのテロは氷山の一角。最近の極端な情勢悪化に焦りを受けて、またアラブの政変ドミノが北コーカサスに波及することを恐れて、メドヴェージェフは同地に近い北オセチアでのNAKを緊急開催したとみられる。

だが、興味深いことにメドヴェージェフがNAKでまず第一に強調したのは、アラブ地域の情勢がきわめて深刻だということだった。国家が崩壊し、狂信者が権力を掌握する可能性も高く、そうなれば、数十年にわたる地域の不安定化と、過激派勢力の世界への拡散につながると述べたのだ。

また、北コーカサスを経済発展させることによって、民衆の支持を得てテロを封じ込め、同時に中東の政変ドミノの波及を阻止する決意を表明し、また、イスラーム武装派が活動を活発化させるならば、軍事力で徹底的に対抗すると述べた。メドヴェージェフはこれまで「テロリストを法廷に」をスローガンに、武力を用いないテロ対策を推進していたが、その手法は、プーチンの権力基盤である治安維持機関関係者らからはきわめて不評であった。しかし、ここにきて対テロ対策の方針を転換したとみられる。

メドヴェージェフの命令を受け、20日から北コーカサスでのテロ対策は強化されている。たとえば、NAKが開催された22日には、エルブス山近くでロシアの安全保障部隊が武装派を発見して交戦となり、5人以上の武装派が殺害されたが、安全保障部隊も1人が死亡、6人以上が負傷し、大きな犠牲が出た。ロシア当局も武装派の取り締まりには苦悩しており、犠牲を出しながらも、大きな成果は出せていないのである。しかも、武装派はビジネスからのみならず、政府首脳陣の一部からも資金を得ているとみられているのだ。

それに呼応するかのように、ウマロフは不気味な声明を発表した。3月2日、複数のビデオ声明をインターネット上に発表し、ロシア全土のイスラーム教徒に対して「2月が終わり、春が来た。兄弟たちよ、聖戦を再開して、神の敵を駆逐せよ」と、聖戦を開始するよう命じたのだ。

とくに、産油地域であり、ウマロフが「占領されたイスラームの地」だとするタタルスタン、バシコルトスタン両国のイスラーム教徒に対して聖戦への参加を強く求めた。さらに、政変がドミノ連鎖しているアラブ世界に対しても「革命を起こすことを通じて神の法を広めよ」と訴え、まるでアラブの革命の連鎖がロシア連邦にも及ぶような印象を持たせたのである。

チェチェンとカラチャイ・チェルケスの指導者指名

2011年2月28日、メドヴェージェフ大統領は北コーカサスのチェチェンとカラチャイ・チェルケスの指導者を指名した。ロシアでは、2004年のベスラン学校占拠事件以降、中央集権を強化するため、地方のトップが任命制となっている。

拙稿「ロシア空港テロ事件~その背後にあるもの」で述べたように、ロシア政府が長年、「テロとの戦い」を繰り広げていたチェチェンでは、34歳のラムザン・カディロフ共和国大統領(共和国首長に改称)が恐怖政治を繰り広げている。カディロフの恐怖政治に怯える国民は、カディロフを支持していないが、プーチンの厚い信頼を受けていることは、地方のトップとしての権力が盤石であることを意味する。

メドヴェージェフがチェチェン共和国の首相候補として指名したのはカディロフであった。そして、3月5日、チェチェン共和国議会がカディロフ首長の再任(2期目)を全会一致で承認した。カディロフは反民主的趨勢をさらに強めており、また最近ではイスラーム化も推進するなど、さらに悪評を強めている。

カディロフは2月8日にも、地下に潜った武装派を一掃するための大規模な特別掃討作戦を開始し、ロシア内務省軍の支援も得てウマロフ派の主要な武装派を殺害したといわれている。また、2月10日には、チェチェンとダゲスタン、およびアゼルバイジャンとダゲスタンを通過するすべての鉄道の運行を、夜6時から朝6時まで停止する決定も取られている。

だが、それらがテロ対策に大きな役割を果たしたとは考えられていない。ロシア当局にとって北コーカサス情勢はきわめて頭が痛い難問となっているが、残念ながらカディロフが北コーカサスの安定化に貢献するとは思えない。

他方、カラチャイ・チェルケス共和国の大統領に指名されたのは、カディロフと同じ34歳の新指導者、ラシッド・テムレゾフである。この指名は、チェチェンのように任期切れによるものではなく、本来であれば2013年まで任期があった前任のボリス・エブゼエフが2月26日に辞任したことによって生じたものであった。

エブゼエフの辞任は本人の依願によるものと発表されたが、クレムリンが同共和国の社会経済発展の遅れに不満をもっていたことから、事実上の更迭とみられている。実際、エブゼエフは2月24日に自らの失脚を覆すよう、彼を支持するように共和国の議員に働きかけていた。だが、彼にはもはや影響力はなかった。

3月1日、テムレゾフは彼の主目標は共和国の社会経済状況の改善とモスクワの財政支援を削減することだと発表した。ただし、同共和国はモスクワへの財政依存率を2008年の71%から2010年の66%に減らすことに成功しており、北コーカサスのなかではモスクワへの依存率が低い共和国のひとつである。

一方、居住環境では他共和国に後れをとっており、民族構成も複雑であることから、民族間の衝突やテロも度々起きてきた。最近では、2月4日に過激派グループが警官を攻撃して武装した仲間のひとりを逃がし、また同月15日にはロシアの安全保障部隊が同じ過激派グループのメンバー5人を殺害するような事件も起きている。

それでも、昨年の実績からすれば、多数の死傷者が出ている北コーカサスのなかで、同共和国のテロ被害者はもっとも少ない。このようにエブゼエフの施政がとくに劣悪であったというわけではないのだが、それでも彼が解任されたことは、メドヴェージェフによる北コーカサス指導者の任命システムの失敗を意味する。何故なら、エブゼエフはメドヴェージェフの地方指導者任命の最初の事例であり、かつ任期をまっとうできなかったからだ。

他方、テムレゾフの手腕にも疑問がもたれている。彼はエブゼエフの前任で、民衆から不人気でモスクワからも再指名されなかったムスタファ・バドエフに近い人物だといわれており、また、汚職で悪名高い道路補修・建設などを扱う「ロサヴトドル」社のトップを務めていたことからも、人心をつかむことは難しいと考えられている。

政権が恐れる民主化ドミノ

このようにロシア当局は北コーカサス情勢にきわめて神経質になっているが、対策は決してうまく機能しているとはいえない。他方、北コーカサス情勢がきわめて悪化していることは事実であるが、メドヴェージェフ大統領はその問題解決と中東の政変ドミノの波及阻止を関係づけている。

また、プーチン首相も24日、訪問先のブリュッセルで、中東の政変が北コーカサスや他の外国に影響を及ぼす可能性に言及した上で、欧米によるパレスチナ民主化は血の衝突をもたらしたとして、欧米流の民主化を批判するなど、ロシアトップが中東情勢が北コーカサスに波及することと、欧米流の民主化がロシアに影響することを恐れていることは明白だ。

拙稿「エジプトの反政権デモの旧ソ連諸国への影響」で述べたように、筆者は中東政変の影響がロシアに及ぶことには懐疑的であり、ロシアの識者の多くもロシアには中東政変のドミノは起こらないと考えている。北コーカサスの諸問題はイスラームに起因するものではなく、多くは当地の生活状況の悪さや地域の政治への不満などに起因すると考えられているだけでなく、北コーカサスの人々の多くはアラブの動きに関心をもっていない。そのため、中東情勢と北コーカサス情勢を関連づけることに無理があるのだ。

それではなぜ、ロシア首脳陣はアラブ政変がコーカサスの過激派を刺激する危険性を強調するのだろうか。その背景には、おそらく、中東の政変のネガティブなポイントを強調することによって、ロシア国内の民主化を抑圧したい目的があると思われる。

2012年の大統領選挙を控え、メドヴェージェフ大統領とプーチン首相の権力闘争が激化しているともいわれているが、「ロシアの民主化」を阻止したいという点では両者の考えは一致しているようである。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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