現代インドにおける女性に対する暴力 ―― デリーにおける集団強姦事件の背景を探る

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デリー集団強姦事件がもたらしたインパクト

 

現代インドには、さまざまな暴力があふれている。宗教間、階層間、そして国境を接するパキスタンとの軍事的対立やテロ攻撃。その中でも無視できないのが女性に対する暴力(Violence against Women:VAW)である。

 

女性に対する暴力のほとんどは、個別になされる。被害者は多くても一人か二人である。テロリストによる公共施設の爆破やカースト間の対立のように、大量の死傷者が出ることはない。メディアが注目することもない。しかし、その頻度や地域的な広がりは、それ以外の暴力をはるかに凌駕している。

 

女性に対する暴力が問題なのは、それが深刻な暴力とみなされていないだけでなく、しばしば暴力とさえみなされていないことだ。ときに加害者は逮捕されることも非難されることもない。悪いのはあくまで被害者だからだ。その意味で、女性に対する暴力は、現代インド社会の文化の一部であり、日常生活の一部となっている。このような現実認識にもとづき、本稿では、女性に対する暴力を概観し、それを正当化する観念・イデオロギーについて考えてみたい。

 

インドでは、女性に対する暴力が軽視されていると述べたが、2012年末の事件をきっかけに、インドにおける女性に対する暴力への取り組みが変わりつつあるのもたしかだ。まずはこの事件について紹介することにしよう。

 

 

2012年12月17日午後9時半ころ、事件はインドの首都デリーで起こった。映画を観た帰りに、ミニバスに乗り込んだカップルが、運転手を含む6人の男性(友人同士)に暴力を受け、走行中の車から振り落とされたのである。女性は男たちに強姦され、その腸は数センチを残して鉄棒のようなものでかき出されていたという。デリーの病院から12月26日に、シンガポールの病院に搬送されるが、3日後に息を引き取る。家族をなんとか貧しさから救いだし楽をさせてあげたい、弟たちの教育を支援したいと望んで理学療法士を目指していた女子学生の夢は、男たちの凄惨な暴力行為で一瞬にして打ち砕かれることになる。

 

同じころ、パンジャーブ州では、少女が数人の男性に犯される。少女の訴えにもかかわらず、警察はこれをまともに取り上げることはなく、反対に強姦者の一人との結婚を勧める。これに絶望して少女は自殺してしまう。

 

 

もちろんこれまでインドに強姦がなかったわけではない。しかし、もっとも近代的とされる首都でこんな野蛮な事件が起こったということ、女性が現代インドの未来を象徴するようなキャリアを目指していたことも、人びとに衝撃を与えた理由と思われる。デリーの事件がなければ、パンジャーブ州で生じた犠牲者の自殺が全国紙で取り上げられることはなかったであろう。インドの英字新聞はデリーでの集団強姦事件を機に、ほぼ毎日強姦事件を報道しているし、頻繁に性暴力をめぐる特集を組んでいる。

 

デリーの強姦事件の被害者は、本名が明かされることなく、「勇気ある女性」と呼ばれていた。加害者に重罰(死刑や去勢)を下すための性暴力への法改正要求、警察や司法への批判を掲げて各地でデモが組織された。それが効を奏したのか、2月には法改正が行われ、強姦の最大刑が終身刑から極刑に引き上げられた。性暴力の被害者が訴えやすいように、デリー警察に女性警察官を増やすことが決まった。また裁判の過程を早める処置もとられ、3月には判決も出る予定だ。6人全員が死刑になると予想される中、3月10日首謀者の一人が刑務所で自殺をした。また、最近になって父親が英国メディアのインタビューで、匿名にしておく理由はないと述べて娘の本名を明かした。

 

欧米のメディアもデリーでの集団強姦事件をかなり詳細に取り上げている。しかし、こうした報道に対する反発も認められる。というのも、それらは結局のところ、インドが野蛮な国、すなわち女性を性欲の対象にしか見ていない男性中心の国という従来のイメージを強化することになるからだ。

 

インド各地で連日のように報道されている性暴力をどのように理解すればいいのか。本稿がそのような問いに少しでも答えることができれば幸いである。

 

 

インドにおける女性に対する暴力概観

 

伝統的な家父長制社会において、逸脱する女性像は、結婚時に性的体験があること、結婚後夫以外の男性と関係をもつこと、子ども(とくに息子)ができないこと、同性愛者であること、そして女性に課されているさまざまな義務(出産、家事、育児、その他)を果たさないことなどである。こうした逸脱は、夫による殴打を手始めに、つぎに述べる「名誉にもとづく暴力(honor-based violence)」によってきびしく罰せられる。

 

親が決めた結婚を拒否するだけでなく、他の男性と駆け落ちしたり、不適切な男性と性的な関係をもったりする女性に対してなされる暴力が、名誉にもとづく暴力である。これは家族や親族一同の名誉を守るために、主として女性に対して行われる暴力である。女性が性的に逸脱すると、家族や血縁集団の名誉が汚されたとして、離婚では済まず、殺されてしまう。殺人によって、当該集団の名誉は回復するのである。なお、名誉にもとづく暴力は、女性だけでなく男性に対しても実施される。

 

さて、市場経済が浸透すると、暴力も大きく変化する。インドでは、多くの場合結婚に際し花嫁側が多額の持参金を用意しなければならないが、1980年代になると、広告などを通じてあたらしい家電などへの欲望が生まれ、花婿側の要求がますます高まっていく(一説によると父親の年収の3倍が相場である)。このため、農村と違って労働力を期待できない都会では、娘は重荷でしかない。もともと、娘より息子を大事にしていたのだが、その傾向に拍車がかかる。そうした中、胎児のセックス・チェックを行ったうえで女児のみを人工妊娠中絶するということが起こる。さらに、親への負担を悲観して自殺をする女性もいる。

 

持参金との関係では、インドでは持参金殺人という花嫁殺しが都市で一時蔓延する。これは、男性は何回も結婚できるため、持参金目当てに花嫁を殺害するという犯罪である。実際に手を下すのは、夫の母であることが多い。すこし古い資料だが、持参金殺人は1985年に999件、1986年に1319件の報告がなされているが、実数はもっと多いと思われる。

 

また、女性が家庭を離れ、一時的であれ仕事を始めると、そこでもセクハラなどの暴力に直面するし、海外での出稼ぎの場合、強姦などの性暴力の危険にさらされることになる(*1)。

 

(*1)親族や知り合いから遠く離れ、海外(主として中東)で雇用者による性暴力被害に遭う危険性がある。とくに、家屋内で寝泊りし、子どもの世話をしたり、家事手伝いをする場合、危険度が高くなる。被害にあった場合、たとえばフィリピンなどは政府が積極的に介入したり、保護をしたりしているが、インドについては政府にそれほど積極的な動きはない。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.266 

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