せめぎ合いのなか友好的敵対に軟着陸したシリア和平会議

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

和平会議開催によって骨抜きとなった反体制勢力

 

ジュネーブ2会議開催に向けた準備は、米露、およびブラーヒーミー国連アラブ連盟共同特別代表のイニシアチブのもと、2013年5月に本格化し、アサド政権は6月には早々に参加の意思を表明した。だが、劣勢を強いられるようになった「シリアの友」とシリア国民連合は会議の実効性に疑義を呈し、対話のテーブルに着こうとはせず、6月開催予定だった会議は幾度となく延期を余儀なくされた。化学兵器問題はこうした膠着状態を打破するきっかけを与えた。

 

化学兵器廃棄をめぐる米露合意は、9月27日に採択された国連安保理決議第2118号[*6]によって国際承認された。この決議は、化学兵器使用を「国際社会の平和と安全への脅威」と位置づけ、8月21日のダマスカス郊外県で化学兵器攻撃を「もっとも強い言葉で非難」する一方で、「現下の危機は、ジュネーブ合意に基づくシリア人主導の包括的な政治プロセスを通じてのみ解決される」、「シリアに関する国際会議を早急に開催する必要がある」と明記し、紛争解決を化学兵器廃棄プロセスとパッケージで推し進めることを支持した。

 

しかし、「自由」や「民主化」を振りかざし、アサド政権の正統性を一方的に否定してきた「シリアの友」が、安全保障を基軸とする新たなパラダイムにのっとってジュネーブ2会議に臨むこと容易ではなかった。なぜなら、「内戦」の文脈において安全保障を考慮しようとすれば、アサド政権が主唱する「テロとの戦い」に一定の理解を示さざるを得ず、そのことは「人道的」観点から政権打倒をめざしてきた従来の外交方針の自己否定につながりかねなかったからである。

 

苦境に立たされた「シリアの友」に「助け船」を出したのは反体制勢力だった。紛争当初より対立が絶えなかった反体制勢力は、ジュネーブ2会議をめぐっても足並みの乱れが目立った。

 

国内で活動する民主的変革諸勢力国民調整委員会、民主連合党は、在外のシリア国民連合とともに統一代表団を結成し、会議に参加することをめざし、ロシアからの後押しを受けた。だが「政権との交渉を拒否する」(結成合意第5条)ことを基本原則としていたシリア国民連合は参加に難色を示し、国内の反体制政治組織との共闘にも消極的だった。シリア国民連合の総合委員会(最高意思決定機関、定数121人と言われる)は11月10日、「シリアの友」の説得に応じるかたちで、ジュネーブ2会議への「参加準備を行う」ことを決定したが、その後もアサド政権の退陣を参加の前提条件として要求し続けた。

 

1月6日と17~18日、シリア国民連合総合委員会は、ジュネーブ2会議への対応を協議するための会合をトルコのイスタンブールで開催したが、6日の会合では、「シリアの友」の要求に従おうとするアフマド・ウワイヤーン・ジャルバー議長ら執行部の再選に抗議し、代表メンバー44人が辞意を表明し、彼らが所属するシリア・ビジネスマン・フォーラム、シリア公務員国民自由連合、そして地元評議会ブロック、シリア革命司令最高評議会、自由シリア軍参謀委員会[*7]といった会派が脱会した。

 

総合委員会は、最終的には17~18日の会合において出席者73人中58人の賛成でジュネーブ2会議への参加を承認したが、この決定の背景には、参加を拒否した場合、支援を打ち切るとする米英の圧力があったと囁かれた。しかも、この採決結果を受け、当初から会議参加にもっとも強く反対してきた最大会派のシリア国民評議会(総合委員会メンバーは25人とされる)が脱会を発表したのである。

 

かくして「シリア国民の正統な代表」だったはずのシリア国民連合は、欧米諸国の圧力によって基本方針さえも修正することで名実ともに傀儡と化し、また会議直前に半数以上の代表メンバー・組織が脱会したことで、シリア国民はおろか、反体制勢力、さらには自分たち自身も代表できない存在になりさがった。

 

一方、会議への参加を表明していた反体制政治組織も試練に直面した。1月7日、国連の潘基文事務総長は関係当事者に会議への招待状を送付したが、反体制政治組織のなかでこれを受け取ることができたのはシリア国民連合だけだった。これは、米国が国内の反体制政治組織をシリア国民連合メンバーとして参加させることを主張し、ロシアがこれを承諾したためだと報じられた。だが、こうした国連の対応に憤慨した民主的変革諸勢力国民調整委員会は参加を拒否し、政治解決に向けた交渉から自らを排除してしまった。

 

また民主連合党にいたっては、ジュネーブ2会議開催の前日にあたる1月21日、かねてから準備していた「西クルディスタン移行期文民局ジャズィーラ地区行政評議会」(暫定自治政府)[*8]の樹立を宣言し、会議において審議が予定されていた移行期統治機関の存在意義を奪おうとした。このほか、国内で武装闘争を続けるサラフィー・ジハード主義者たちも早い段階から会議への参加を拒否する一方、シリア軍とサラフィー・ジハード主義者の戦闘の間隙を縫って自治を担ってきた地元の活動家は一連のプロセスから疎外され続けたことで、会議は国内でアサド政権に対抗するいかなる勢力も事実上不在のままに開催されたのである。

 

[*6]国連安保理決議第2118号の全文はhttp://unscr.com/en/resolutions/2118を参照。

 

[*7]ただし、参謀委員会のサリーム・イドリース参謀長は1月18日にビデオ声明を出し、「シリア革命は平和的に始まり、武装を余儀なくされた。我々は今日、政権の政治的移行を保障し、勇敢なシリア国民の革命の目的を実現するあらゆる解決策を支持する」と表明し、ジュネーブ2大会へのシリア国民連合の出席を支持した。

 

[*8]「ジャズィーラ地区」とはシリア北東部のハサカ県を意味する。なお民主連合党は1月27日、アレッポ県のアイン・アラブ市でコバーニー(アイン・アラブのクルド語呼称)地区執行評議会を樹立した。

 

 

1 2 3 4
シノドス国際社会動向研究所

vol.266 

・山本昭宏「平和意識の現在地――〈静けさ〉と〈無地〉の囲い込み」
・田畑真一「【知の巨人たち】ユルゲン・ハーバーマス」
・吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実「「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か」
・松尾秀哉「【学び直しの5冊】〈現代ヨーロッパ〉」
・木村拓磨「【今月のポジだし】活動を広げよう――不登校支援」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(10)――「シンクタンク2005年・日本」自民党政権喪失後」