ヒズブッラーとは何か――抵抗と革命の30年

「ヒズボラ」の多様な貌(かお)

 

中東情勢をめぐる報道のなかでしばしば登場する「ヒズボラ」。最近では、とくに2011年からのシリア「内戦」において、バッシャール・アサド政権を支持・支援する勢力として、新聞やテレビのニュースで取り上げられている。かつては、自爆攻撃や欧米人の誘拐を繰り返す「イスラーム原理主義」や「テロ組織」として、その名がたびたび報じられたこともある。

 

「ヒズボラ」とは、中東のレバノンを拠点とするシーア派のイスラーム主義組織である。イスラーム主義とは、イスラームを政治的なイデオロギーとして掲げ、それに依拠した社会改革や国家建設を目指す思想である。この思想を掲げる組織、すなわちイスラーム主義組織としては、例えば、エジプトのムスリム同胞団やパレスチナのハマース、アル=カーイダなどが挙げられる。

 

しかし、そのなかでも、「ヒズボラ」は、結成以来約30年もの長きにわたって一貫して勢力の拡大に成功してきたという点で異彩を放っている。というのも、イスラーム主義組織の多くが、中東の独裁政権による厳しい弾圧や「テロとの戦い」によって壊滅状態になるか、暴力に訴えることで治安の悪化を懸念した民衆からの支持を失う事態を経験してきたからである。事実、「ヒズボラ」も不安定な中東情勢なかで幾度となく組織存亡の危機に直面してきた。だが、彼らは危機を好機へと変える巧みな戦略・戦術を駆使して、レバノン政治、広くは中東政治における強力なプレイヤーへと成長した。2011年初頭には、連立政権のかたちではあるが、レバノンの政府を事実上掌握することに成功している。

 

この「ヒズボラ」については、マスメディアやアカデミアにおいて、イスラーム原理主義組織、テロ組織、武装組織、抵抗運動、合法政党、さらにはNGOなどさまざまな呼ばれ方・捉え方がなされてきた。だが、それもそのはずである。「ヒズボラ」は、これらのうちのどれか1つで言い表されるようなものではなく、多様な貌(かお)を持っているからである。したがって、それぞれの呼び方・捉え方が必ずしも誤りだというわけではなく、ニュースや研究論文が、それぞれの文脈に応じて、「ヒズボラ」の持つ特定の貌に光を当ててきたというのが実情であろう。

 

このように呼び方・捉え方が一様でないのは、翻って見れば、「ヒズボラ」がいまやその実態を一言で言い表せないほど巨大な組織になっていることの証と受け取ることもできる。すなわち、レバノン、広くは中東における軍事、政治、社会、経済のすべての領域へと活動の幅を広げてきている事実を示しているのである。

 

「ヒズボラ」とは一体何者なのか。なぜ、どのようにして、それほどまでに巨大な組織になることができたのか。本稿では、これらの問いに答えてみたい。具体的には、「ヒズボラ」の結成から今日までの約30年間の歴史を辿り、抵抗組織、革命組織、合法政党、NGOの4つの貌に光を当てていく。

 

その前に、「ヒズボラ」の名称について確認しておこう。「ヒズボラ」は、アラビア語の「ヒズブッラー」がおもに英語圏のニュースを経由していわば英語訛りでカタカナ化したものである。「ヒズブッラー」とは、アラビア語で「神の党」を意味し、クルアーン(コーラン)の章句「神の党こそ勝利する者である」(食卓章第56節)に由来する。本稿では、日本の学界での慣例に倣い、よりアラビア語の原音に近い「ヒズブッラー」を用いることとする

 

 

抵抗組織としての誕生

 

ヒズブッラーは、いまから約30年前に誕生した。「約」というのは、結成年が明確にされていないからである。だが、確かなのは、1982年のイスラエル国防軍によるレバノン侵攻、通称レバノン戦争がその誕生の直接的なきっかけであったことである。

 

1982年6月、イスラエルはレバノンに駐留していたPLO(パレスチナ解放機構)掃討のために、大規模な地上部隊を首都ベイルートまで北進させた。この戦争のなかで、ヒズブッラーは国土防衛のための草の根の抵抗組織(レジスタンス)として秘密裏に結成された。彼らは、起伏に富んだレバノン南部の丘陵地帯を縦横無尽に移動しながら、イスラエル国防軍やその傀儡民兵組織に対して一撃離脱のゲリラ戦を挑んだ。

 

通常、ある国が他国から侵略を受けたとき、それを迎撃する役割を果たすべきは国軍である。なぜ、レバノンでは国軍ではなく草の根の抵抗組織が国土防衛を担うことになったのか。それは、イスラエルによる侵攻が開始された1982年の時点で、レバノンは1975年に開始された内戦(〜1990年)によって国家機能が麻痺していたからであった。加えて、レバノンの一部のキリスト教徒の民兵組織が、内戦を自らに有利に運ぶためにイスラエルの部隊を自国の領内へと招き入れる事態も生じていた。

 

ヒズブッラーは、イスラエル国防軍だけではなく、米仏伊からなる多国籍の平和維持部隊までも「占領軍」として攻撃した(理由は後述する)。だが、重火器や航空機を擁する正規軍との戦力差は明らかであった。そこで、彼らが編み出したのが、爆薬を満載したトラックを用いた自爆攻撃であった。

 

最初の自爆攻撃は、1982年11月11日、レバノン南部の街スール(ティール)のイスラエル国防軍兵営に対して行われ、90名の犠牲者を出した。翌年には、ベイルートの米国大使館が標的となり、CIA(米国中央情報局)の職員8名を含む米国人14名が死亡した。また、その直後には、米国海兵隊の兵営への自爆攻撃が行われ、実に241名もの米国人が犠牲となった。このときの海兵隊の1日の死者数(200名超)は太平洋戦争時の「硫黄島の戦い」に次ぐものであり、米軍全体として見ても単一の攻撃被害としては第二次世界大戦後最大規模のものとなった。これらのレバノンでの苦い経験は、今日でもCIAと海兵隊のトラウマとなっている。

 

自爆攻撃は、「占領軍」に多大な損害を与えるだけではなく、その自死を厭わない捨て身の攻撃の新規性と異常性でもって世界を震撼させた(ただし、ヒズブッラー指導部はこれらの作戦を讃えながらも、自らの関与を公式には認めていない)。それは、当然、非道な行為としてレバノンの国内外から激しい非難が浴びせられた。だが、他方で、結果的に見れば、ヒズブッラーによってその軍事的な有効性が証明されたという点に注目すべきである。このとき、自爆攻撃はイスラーム的に正当化され、「弱者の武器」として戦術的に確立されたのである。

 

自爆攻撃は、当然、非道な行為としてレバノンの国内外から激しい非難が浴びせられた。だが、他方で、結果的に見れば、ヒズブッラーによってその軍事的な有効性が証明されたという点に注目すべきである。このとき、自爆攻撃はイスラーム的に正当化され、「弱者の武器」として戦術的に確立されたのである。

 

では、自死を禁ずるイスラームにおいて、いかにして自爆攻撃は正当化され得るのか。そこには、次のような解釈の転換があった。イスラームの信仰や共同体を守るための戦いで命を落とすことは、たとえそれが無謀なかたちであっても、神に背く行為(意図した死)ではなく神に酬いる行為である(意図せざる、結果としての死)である——。ゆえに、ヒズブッラーは自爆攻撃を「殉教作戦」と呼んだ(ちなみに、「自爆テロ」は他称・蔑称であるため、当事者が用いることはない)。

 

ヒズブッラーによる苛烈な「抵抗」の結果、1984年には多国籍軍がレバノンから撤退、1985年にはイスラエル国防軍がレバノン国土の大部分からの撤退を余儀なくされた(ただし、南部地域は引き続き占領下に置かれた)。アラブ諸国に侵攻したイスラエル国防軍が無条件で撤退したのは、これが史上初めてのことであった。

 

 

ゲリラ戦のための塹壕。現在は史跡として展示されている。(2010年10月)

ゲリラ戦のための塹壕。現在は史跡として展示されている。(2010年10月)

 

 

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