「殺さない」「殺させない」という生き方

「加害の歴史と向き合うには事実の積み重ねがたいせつ」と訴える西崎雅夫氏が、これまで集めてきた関東大震災における朝鮮人虐殺に関する証言を『関東大震災朝鮮人虐殺の記録――東京地区別1100の証言』としてまとめ、静かな反響を呼んでいる。

「殺さない」「殺させない」――。関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を記録し、追悼する30年の活動から見えてきた西崎氏の生き方の指標に迫る。(現代書館編集部)

 

 

中学生の時に遊んでいた場所が、朝鮮人虐殺現場だったという衝撃

 

――1923年9月1日に関東大震災が起こりました。実際の東京の被害状況はどのようなものだったんでしょうか?

 

地震そのものの被害より火災による死者が多かったのが東京の特徴です。地震の発生時刻がちょうどお昼どきだったことと当日の気象が強風だったことが重なり、今の中央区・台東区・墨田区・江東区など広い地域が火災の被害を受けました。そのため東京だけでも約6万人の死者が出てしまいました。東京の避難民は約100万人にのぼったと言われています。

 

そうした中で流言蜚語が飛んだのです。「朝鮮人が火をつけてまわっている」「爆弾を投げている」「井戸に毒を入れる」「集団で襲ってくる」というものでした。まだラジオもない時代のこと、デマはまたたく間に広がっていったのです。千駄ヶ谷で被災した哲学者の和辻哲郎はこんな証言を残しています。

 

 

[2日]不安な日の夕ぐれ近く、鮮人放火の流言が伝わって来た。我々はその真偽を確かめようとするよりも、いきなりそれに対する抵抗の衝動を感じた。これまでは抵抗し難い天災の力に慄え戦いていたのであったが、この時に突如としてその心の態度が消極的から積極的へ移ったのである。[略。3日]自分の胸を最も激しく、また執拗に煮え返らせたのは同胞の不幸を目ざす放火者の噂であった。自分は放火の流言に対してそれがあり得ないこととは思わなかった。

 

 

――当時、朝鮮半島は日本の植民地でした。多くの朝鮮人が日本に来ていましたが、どのような人たちが来ていたのでしょうか?

 

朝鮮総督府が行った土地調査事業により土地を奪われた小作農民の多くが日本に働きに来ていました。また植民地では高等教育を受ける機会が制限されるので、日本に留学に来ていた人も多くいました。東京では留学生は主に山手に住んで学校に通い、労働者は主に下町に住んで肉体労働に従事していました。大きな工事現場や工場では必ずと言っていいほど朝鮮人や中国人の労働者が存在したのです。当時開削工事中だった荒川放水路でも多くの朝鮮人労働者が働いていました。

 

 

荒川放水路掘削工事。安価な労働力として多くの朝鮮人が働いていた

荒川放水路掘削工事。安価な労働力として多くの朝鮮人が働いていた

 

 

――震災時の朝鮮人虐殺については真相がわからないということです。数千人の方が犠牲になったとも言われていますが、西崎さんが調査に関わるようになったきっかけは?

 

足立区の小学校の先生(絹田幸恵)が荒川放水路の歴史を調査する中で、流域の古老から「旧四ツ木橋では関東大震災の時に自警団と軍隊がたくさんの朝鮮人を殺した。その遺骨は今も河川敷に埋められたままになっている」という話を聞いて広く呼びかけて「追悼する会」が発足したのが1982年です。当時私は大学4年生でした。

 

自分が中学生の時にサッカーをして遊んでいた河川敷が、実は震災時の朝鮮人虐殺事件の現場であり、今も遺骨が埋まっているという話は衝撃でした。迷わずすぐに会に参加しました。その年の9月、河川敷での最初の追悼式を行い、その直後には証言をもとに遺骨の「試掘」を行いました。「試掘」とは本格的な発掘の前の予備調査のことです。そのときは遺骨を発掘することはできませんでした。

 

その後文献調査を進めると、当時の新聞記事に「警察による2度の遺骨発掘・移送」が行われたことが記載されていました。1923年11月12日と14日のことです。2度目の移送でも「トラック3台分」の遺骨が運ばれました。遺骨の移送先はわかっていません。私たちが「試掘」した時にはもう遺骨はなかったのです。現時点で分かっていることは、100人ぐらいの朝鮮人がここで殺され河川敷に埋められたということだけです。被害者の正確な人数も名前も遺骨の行方すらもわかっていません。

 

毎年河川敷で追悼式を行いながら、その後は事件現場に追悼碑を建立することを目指しました。でも虐殺現場である河川敷や土手は国有地であり、当時の建設省や墨田区などの行政の協力が得られず、追悼碑を建立できないまま数年が経ちました。土手下に私有地を求め、そこに追悼碑を建立できたのがようやく2009のこと年でした。

 

 

墨田区側の荒川河川敷で行われた遺骨の試掘(1982年9月) 写真撮影=裵昭(ペソ)

墨田区側の荒川河川敷で行われた遺骨の試掘(1982年9月) 写真撮影=裵昭(ペソ)

 

 

犠牲者を悼み、証言を現在に伝える

 

――活動を始められた1982年ころは震災を体験した方もご存命だったと思いますが、その後、どのようにして証言を集めていったのでしょうか。

 

1982年に河川敷を試掘していたとき、土手では多くの見物人がいました。その中から「私も見た」という目撃証言が次々に飛び出してきました。そうした墨田区北部での朝鮮人虐殺目撃証言は『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』(教育史料出版会、1992年)という本にまとめることができました。

 

また会では数度にわたって韓国へ行って聞き書きをしました。そのうちの最初の2回は私も行っています。初めての渡韓調査のことはよく覚えています。8人の証言者に会うことができたのですが、そのほとんどは留学生でした。そのうちの1人は「私は留学生だったから日本語もわかるので自警団の検問を通過することができた。殺されたのは労働者たちだ」と何度も言っていました。

 

 

「ほうせんかの家」の隣にたつ追悼碑 写真撮影=松井康一郎

「ほうせんかの家」の隣にたつ追悼碑 写真撮影=松井康一郎

 

 

長く活動を続けるうち、東京の他の地域ではどうだったのかが気になり出しました。自分が生まれ育った足立区や高校生活を送った上野・浅草では、震災時に何が起きていたのか? でも朝鮮人虐殺に関しては、当時の日本政府が徹底的に事件を隠蔽してしまったので公的資料がほとんど残されていないのです。だから何もわからなかった。それがすごくもどかしかった。そこで自分で証言を集めることにしたのです。

 

でもその時点ですでに事件から80年以上経っていたから、証言者はほとんどいないんですよね。皆もう亡くなってしまっている。だから図書館巡りを始めたんです。都内の公立図書館にある自伝・日記・郷土資料などを片っ端から見て、そこから震災時の朝鮮人虐殺事件の目撃証言を集積した。何十冊に一冊の割合でしか証言を見つけることはできないのですが、それでも5,6年かけるとかなりの証言を集めることができました。

 

各地域の目撃証言を読んでみると、朝鮮人が住んでいた地域では必ずと言っていいほど虐殺・虐待事件が起こっていることに気づき驚きました。また虐殺事件のむごさ・悲惨さは証言でこそ伝わるのだと実感しました。

 

 

――西崎さんは、追悼碑を訪れる方たちを対象に、実際に虐殺現場を歩く「フィールドワーク」も行っているんですよね。

 

様々な人がフィールドワークに参加しています。たとえば都や区の職員が人権研修の一環として追悼碑を訪れます。大学生や宗教関係者、さまざまな人権グループ、韓国からの訪問者も多く来ます。私は事件現場のひとつ旧四ツ木橋があった荒川土手で証言を紹介します。もう少し広く、墨田・江東全域を案内することもあります。参加者は、生き残った朝鮮人の体験談などを現場で聞いたりすると追体験ができるようです。それが現場の持つリアリティなのだと思っています。

 

たとえば荒川河川敷で両足首に鳶口を打ち込まれ死体として寺島警察署まで引きずって行かれた慎昌範さんの話をすると、皆顔をしかめます、足首に痛みを感じたかのように。

 

フィールドワークの最後にいつも言うことがふたつあります。ひとつは事件から93年たった今でも肉親の遺骨を探し続けている遺族たちがいるということです。この9月にも韓国からメールをもらいました。そこには「祖父の兄の遺骨を探してほしい」という依頼が書かれていました。

 

荒川河川敷でもそうですが、この事件では犠牲者の名前も遺骨の行方もほとんど分かっていないのが現状です。それは当時の政府が植民地支配への影響を抑えるために虐殺事件そのものを徹底して隠してしまった、そしてその後の政府が真相解明を怠ってきたがゆえの結果です。遺族が今も遺骨を探さざるを得ない状況こそ、この事件の最も罪深い側面だと思います。

 

もうひとつは、現在の状況です。熊本で地震が起きたとき、ツイッターで「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」と流されたことはご存知の方も多いでしょう。ここ数年のヘイトスピーチのひどさも目に余るものがあります。一緒に会の活動をしている在日朝鮮人2世の女性はいつもこう言います。「私がこの運動をやっているのは、何かあったら自分の子供や孫が殺されてしまうかもしれないからだ」と。

 

この言葉に対して、ただの杞憂だと言い切れない恐ろしさが日本社会にはあり、今日でも事あるごとにこの攻撃性は頭をもたげてきます。かつて街中で多くの朝鮮人を虐殺した日本社会は、そのことを深く反省することなく、忘れ去ろうとしているように見えます。歴史から学ぶことをやめたら、同じ過ちを繰り返すことにならないか、私は危惧しています。【次ページにつづく】

 

 

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