2015.03.02
思考や発見を誘発するささやかな介入――「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」
東京都現代美術館で「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」が開催中だ。ガブリエル・オロスコ氏は1962年メキシコ生まれ。90年代から活躍し、現在も世界の主要美術館での大規模な個展が続く現代アートの巨匠であるが、その作風は誰にでも開かれていて、非常にユニバーサル。世界各地を回りながらその土地その土地で制作をするスタイルで、会期中は日本に滞在しているらしい。世界中で多くの人を惹き付ける彼の魅力を知りたいと、展覧会を担当する東京都現代美術館学芸員・西川美穂子さんに話をうかがった。(取材・構成/長瀬千雅)
現代美術の巨匠、国内初の個展
――ガブリエル・オロスコ氏の個展は国内の美術館では初だそうですね。
現代美術ファンには名前が知られていますし、1990年代からベネチア・ビエンナーレやドクメンタ(ドイツ・カッセルで開催される大規模な現代アートのグループ展)などの国際展で活躍する大変重要な作家ですが、日本ではこれまで紹介される機会が少なかったですね。
――このクルマのビジュアルがキャッチーで、「見たい!」と思ってしまいました。これは代表作の一つですね?
正確には、93年に発表した《La DS》の別バージョンです。初代は水色のシトロエンDSでした。まだ無名の作家が発表したこの作品は、かなり大きなインパクトを与えました。フランスでの展覧会だったのでシトロエンDSを選んだわけですが、ギャラリーにこの作品が現れたときは、誰も見たことのないものだったでしょうね。見慣れたクルマだし、クルマだとわからない人は絶対にいないけれど、違うものになっている。驚きがあったと思います。
20年後にこの《La DS カーネリアン》を作った時には、彼も作品も有名になっていたわけですが、そのことを十分に意識した上で作っていると思います。同じものでも、違う文脈に置かれると、違う意味が生ずる。それを楽しんでいるし、見せたい気持ちがあるんです。現にこうして日本の展覧会で、ヨーロッパとは違う文脈、違う組み合わせで見せている。同じ手法をとっているけれど、彼にとっては新しい作品なのです。
――クルマをいじるにしても、全然違うものにするという選択肢もあるわけですよね。バラバラに解体して別のものを作るとか、ぐしゃっと潰すとか。
オロスコは、あるモノや状況に「介入」することによってちょっとした変化を起こします。その小さな変化が、大きな変容よりも私たちには驚きだったりするわけです。固定観念をゆらすのが上手い。だから、これもちゃんと乗れる形でないとダメなんです。
オロスコ氏のコメント(オープン前日の会見より)
子どものときはF1ドライバーになりたいと思っていて、世の中のお子さんと同様に、私もクルマのコレクションを持っていました。道ばたにあるクルマを全部F1みたいにしたらすごくかっこいいんじゃないかと思っていたんです。93年にパリに行くと、DSがあちこちで現役で走っていた。自分は特に大事だと思っていなかったものが、その場所では特有の性質を持った存在であることが強く印象づけられたわけです。また、人によっては有機的なデザインを汲み取ることができるし、アバンギャルド性や、未来に対して希望もたらすユートピア的な要素もある。そのDSというクルマを切って、組み替えて、圧縮するということは、その中に身を置いていた人体そのもののあり方を、記憶が変えていくということです。(《La DS》は)モダンやテクノロジーに対して人々が求めているものをもう一度見つめてようとした、きわめて特別で、はっきり言ってクレイジーなプロジェクトでした。
――走らせることはできるんですか?
エンジンルームは空洞なので動きはしませんが、乗り込んでシートに座れるようになっています。今回の展示ではお乗りいただくことはできないのですが。「移動」と「容れ物」というのは彼にとって大事なコンセプトです。中は無かもしれない。何かが詰まっているかもしれない。入れ替わることも可能。物事をそういうふうに見て、考えているんですね。クルマも、中に空洞を持っていますよね。
――空洞といえば、あの問題作です。
問題作ですね(笑)。
――最初は、「なんでどん兵衛の空きカップが壁にくっついているんだ?!」と思ったんです。何か細工がされているわけでもないですし。《ヌードル・フォール》とキャプションがついていたので、これも作品なんだとわかったぐらいで。
フタの写真がうどんの滝のように見えたそうです。日本語がわからないので抽象画のようにとらえているんですね。
――実際にオロスコさんが食べたものなんですか?
オープニングの前日に自分で買ってきて、「お湯ちょうだい」って、いきなりここで食べ始めたんです。食べ終わったところで、「釘、もってきて」って。とんとんと壁に打ち付けて、「キャプションもつけてね」とか言って(笑)。本当は、言わずにいて、「あれは本人が食べたのだろうか?!」と思っていただいた方が面白いのかもしれませんが、別に隠すことでもないので。
――(近づいて見る)ダメだ、どん兵衛をまじまじと見てる自分が面白すぎる。
(笑)。カップ麺って、一度フタを開けてお湯を入れたあと、閉じるじゃないですか。それが面白いと言うんですね。クルマと同じで、一度割って開けて、閉じたわけです。
彼はデザインだけでどん兵衛を選んだそうなのですが、カップ麺の中でも日本で知らない人はいないこれを選んだというのがまた、すごいですよね。
――たしかに、よくぞこの国民的商品を。言われてみるとこの格子模様が抽象画に見えなくもない……。
彼はアレクサンドル・ロトチェンコ(ロシアの構成主義作家)も好きですよ。
――意味が伝わらなければ漢字って模様ですしね。……でもやっぱりダメです、日本人の目を捨てられない。「どん兵衛」って読んじゃう。
94年に開いた、伝説的な個展があるんです。ニューヨークのマリアン・グッドマン・ギャラリーというところだったのですが、ある部屋に入ると、何もないんです。あれ?と思いながら歩みを進めていくと、四方の壁のまん真ん中、目の高さのところに、透明のヨーグルトの丸いフタだけが貼ってある。《ヌードル・フォール》はその展示ともつながりますね。今回はフタだけでなく容器ごとですが。どんぶり状の形自体が気に入ったみたいなので。
――なるほど。ちなみに、展覧会が終了したら、この容器はどうするんですか?
捨てるわけにはいきませんね(笑)。
――どこかに巡回するのでしょうか。誰か買いたい人が現れるかも? あえなく夢の島行き? 想像がふくらみます。
「コンセプチュアルな存在」としての写真
ーー写真作品も、ユーモアに溢れたものが多いですよね。
今回、写真作品は30点ほど展示しています。私たちは何点ぐらい欲しいという希望を伝えて、どれを展示するかは作家本人が選びました。こちらで仮に年代順に置いておいたものを、彼が来日してから自分でバーッと並べ替えていきました。
よくどんな機材で撮っているかと聞かれるんですが、コンパクトカメラなんです。今はiPhoneも使うそうです。持ち運べることがとても重要で、自分のアクションを記録するためにカメラがある。特徴的なのが、《ピアノの上の息》です。
グランドピアノに吹きかけた息を撮っているのですが、はぁっと息を吹きかけて、消える前にパッと撮る。全部一人でやっていることです。三脚を構えて構図を決めて、露光を調整して、という撮り方はしていません。そういう態度が軽やかに見える理由だと思います。楽しい気持ちにもさせてくれますし。
――直感的にわかるようになっている感じがします。
何を見せたいかということはちゃんと認識できるけど、すごく説明されているわけでもない。ちょっとほったらかしにされている感じもあったりしますよね。
――コンセプチュアルアートというと、試されているような、小難しいものだったらやだな……と正直思ってしまうのですが、そういう小難しさはないですね。
そういうことは絶対しないですね。彼の特徴はやはり、日常への小さな介入なんです。
この《クレイジーな観光客》は初期の代表作の一つですが、ブラジルの市場なんですね。彼が落ちていたオレンジを拾って、一つの机に1個ずつ置いていった。そうしたらその場にいた他の人たちもやり始めて、こういうことになったそうなんです。「僕らはクレイジー・ツーリストだね」と言い合ったところから、タイトルがついたそうです。
――この状況作りに加担した人たちが自分たちのことを「おかしな観光客」と言っているんですね。
そうです。そして日本人の観客は、「梶井基次郎の『檸檬』だよね」と。
――あ、本当ですね! 丸善の書棚に置かれたレモン。見立ての面白さとか、謎解きになっているタイトルとか、すごく日本的な感性に近いものを感じてしまいます。俳句的というか、詩的というか。
私もそう思います。そして、彼にとっては写真作品も彫刻なんです。
――写真も彫刻、ですか。
写真を見るというより、観客にその空間と時間を体感してもらいたいと思っているんですね。
オロスコ氏のコメント(オープン前日の会見より)
私が写真でやろうとしていることは、通常フォトジャーナリストが撮るような本格的な写真のあり方に反論するということもありました。つまり、構図に固執し続けることを突き抜けた、コンセプチュアルな存在としての写真です。アイデアが中心にすえられている、すなわち、写真を経由して立体作品を作っていくということが、私が写真の取り組みでやっていることです。中心点は無限の広がりを持つ空間であり、ボリュームであることができる。私が常に行っている「介入」を、従来の写真のあり方と替えていく。従来の写真のあり方と真逆のことをやっていったのです。
――もともと彫刻家を志望していたのでしょうか。画家とかではなく?
大学では絵画の勉強もしていましたが、いわゆる西洋画よりも、ロシアのイコン(正教会で発達した聖画)が好きだったみたいですね。イコンは崇拝の対象を非常に象徴的に、プリミティブなかたちで表現するものです。彼には、遠近法を使ってキャンバスの中にイリュージョンを作り出すということはしたくないという思いがあるんです。
――デビューはヨーロッパだったのですか?
メキシコ出身で、スペインの美術学校へ行き、ヨーロッパで美術の世界へ入りました。93年のMoMA(ニューヨーク近代美術館)でのプロジェクト(観客から見えるように、美術館の向かいのアパートの窓辺にオレンジを置いてもらう)と、パリの画廊で発表した《La DS》で注目を浴びます。今回の展示では、最初期から現在までの中から約100点の作品を選んで構成しています。
――作品からはメキシコ人作家ということをあまり意識させられませんでした。ヨーロッパでもてはやされがちなエキゾチシズムというか、中南米的な土着性を武器にせずに、現代アートの本場へ戦いを挑んでいった、という感じでしょうか。
まさにそうです。自分でもはっきりと言っているのは、メキシコ人作家だというだけでシュルレアリズム的だろうと思われたり、表現主義的に見られたりすることへの反発が強くあったということです。特定の地域に固執することなく、自分の体で経験したことをもとに考えることをとても大事にしていた。それがユニバーサルな作風や、独特の軽やかさやユーモアにつながっていったと思います。
また、デュシャンの「レディ・メイド」以降のコンセプチュアルアートの歴史も当然ふまえています。「ドローイング」のセクションに展示されている、航空券や領収書に幾何学模様を描いた作品も、既存のものにドローイングを施していますし、どん兵衛ではまさにレディ・メイド(既製品)に別の意味を与えたわけです。
ものはそれぞれ、固有の時間を持っている
キャンバスに描かれた作品も自己の内面の表現としての絵画ではなく、システムを作ればかたちが自然に生まれるということに関心が向けられているんですね。《サムライ・ツリー》は、中心点から一つの円を描き、それを4分割した線の延長線上に次の円を隣接させ分割する、それを繰り返して図形が作られています。ツリー、つまり木が枝分かれする法則になぞらえているわけですね。
そうして描いた図形を、チェスのナイトの動き方の法則に従って、赤、白、青、金に色分けしています。コンピューターを使って色のパターンを計算して、キャンバスに起こしているんです。数百点ほど、シリーズ作品があります。
――ええっ! そんなにたくさん。なんでそんなことをやろうと思ったんだろう……。
それは作家にとってはうれしい感想じゃないでしょうか(笑)。彼自身は「invariant」という言葉で説明していました。インヴァリアント、不変量ですね。数学でも使われる言葉です。タイトルの「サムライ」は、一度行動規範を決めたら変わらないところがサムライのスピリットに似ているからだと、先日のレクチャーで言っていましたね。
――なるほど。でも、やっぱり説明を読んだり聞いたりしなければ、私は正直、作品のコンセプトを全部はキャッチできないかもしれないです。よくわからないなあと思って、通り過ぎるかもしれません。
作家自身もそれはわかっていると思いますね。わかった上で、あえて過剰に説明することをしていません。見る人自身の考えや発見を誘発するのが、彼の作品です。
――写真、立体物、ペイントなど、さまざまなタイプの作品がありますが、どれか一つ買えるってなったら、私はこの丸石が1個、欲しいです。はじめはいちばん地味で、よくわからない作品だと思ったのですが、「川底で自然に削られて丸くなった石を観察し、表面に幾何学的なパターンを描き、職人に手渡します。職人がその模様を彫り込んだところで、もう一度オロスコが別のパターンをかさね、また職人が彫るという反復を5回ほど繰り返してできた作品」というのを読んで、一気に見え方が変わりました。メキシコにあった石がここまでにたどってきた時間が、ぐっと感じられるようになって。
自然のものであれ、人工物であれ、固有の時間が含み込まれているということを彼はすごく意識していますね。
――よくわかりませんが、禅を感じます。床の間に飾りたいです。うちはアパートで床の間ないですけど。
東洋の思想にも関心があると思いますよ。仏陀の言葉からタイトルをつけた作品もありますし、東洋だけでなく、世界中の文化に通じていると思います。かと思えば、スポーツも大好きですしね。スタッフと一緒に《ピン=ポンド・テーブル》でプレイしていましたが、とても上手でした。独自のルールを作って点数をつけたりして。《ピン=ポンド・テーブル》は誰でも遊ぶことができますので、ぜひやってみてください。
スポーツといえば、展覧会の準備でいちばん連絡をとりたい時期がちょうどワールドカップで、音信が途絶えたこともありました。ギャラリーの人に「最近、ガブリエルと話した?」と聞いても、「いいや。でもワールドカップだからしょうがないよね」なんて(笑)。
――スポーツをするのも見るのもお好きなんですね。
この《アトミスト》のシリーズは、人間の体や動き、スピードなどに関心が向けられていますが、スポーツ新聞を使っているのが面白いところですね。ある試合で活躍した選手は、ヒーローになるわけです。翌日の新聞までは。でも、1日たてば次のヒーローが現れて、古い新聞は捨てられる。それをもう一度輝かせたい、その時間、瞬間を定着させたい、という意図も込められていると思います。
どんな展覧会でも見ていただきたいと思うものですが、ガブリエル・オロスコ展は特に楽しめる要素に溢れていると思います。ぜひたくさんの方に訪れていただきたいと思っています。
■展覧会情報
ガブリエル・オロスコ展—内なる複数のサイクル
会期 2015年1月24日(土)−5月10日(日)
休館日 月曜日(5/4は開館)、5/7
会場 東京都現代美術館(企画展示室3F)
開館時間 10:00-18:00 ※入場は閉館の30分前まで
ガブリエル・オロスコ展は、下記条件において写真撮影可です。
・フラッシュ、三脚を使用しての写真撮影はご遠慮願います。
・撮影した写真を営利目的で使用することを禁じます。
・撮影は写真に限ります。動画の撮影はご遠慮ください。
・他の来館者を撮影することはご遠慮ください。他の来館者の肖像権に触れる場合があります。
・写真の使用に関しては、使用者の責任において取り扱うようお願いいたします。美術館および作家は一切責任を負いません。
・取材等でのご使用の場合は、美術館にお申し出ください。
プロフィール
西川美穂子
東京都現代美術館学芸員。1976 年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学選考博士前期課程修了。「靉嘔(あいおう) ふたたび虹のかなたに」(2012)、「MOTアニュアル2012風が吹けば桶屋が儲かる」(2012)、「フルクサス・イン・ジャパン」(2014)などを企画。