2015.08.13
夏休みのための新作映画案内
今年、2015年はいろいろな区切りの年と言えます。阪神淡路大震災・サリン事件から20年、日航機ジャンボ墜落事故から30年、日韓基本条約から50年、そしてこの夏に迎える、第二次世界大戦の終結から70年。歴史も大きく変わろうとしている今、「時代を映す鏡」とも言える映画から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
という真剣な前フリからはじめてみましたが、映画には厳粛な気持ちで臨むべきなのか、気軽に楽しみたい気持ちで臨むべきなのか、と言われれば、恐らくはどちらも正解であると思います。それぞれ「自分なりの映画の見方」で、以下にご紹介する、5本を観ていただければと思います。
『野火』(7月25日公開)
戦後70年を記念して、今年はいくつもの太平洋戦争を題材とした映画が公開されます。たとえば、戦時下における許されぬ恋に焦点をあてた『この国の空』、“原爆”を追求し続けた井上ひさしにオマージュをささげた『母と暮せば』などがありますが、その中でも“衝撃度”においてピカイチなのは、クエンティン・タランティーノをはじめ海外の監督からも尊敬を集める、鬼才・塚本晋也が大岡昇平の小説を映画化した本作『野火』でしょう。
本作は太平洋戦争末期、フィリピン戦線におけるひとりの兵士・田村の動きを描きます。彼は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からも収容限界のため入院を拒否されます。かくして行き場をなくした彼はひとり島をさまよい始めますが、その中で多くの死体、また「生命の限界点」に達した、その中でも生に執着する数々の兵士たちとも出会います。自分自身もまた、限界に達していく田村。そして彼が、最後に見たものとは――。
原作である同名小説は、1959年にも一度映画化されています。しかし、前作と今回の映画との最大の違いは、「描写の生々しさ」にあるかもしれません。それは前作がモノクロ映像であったということもありますが、本作は人が傷つく過程、死に至る過程を非常に丹念に映しとっています。
たとえば、米軍の襲撃により兵士の腕や顔が砕け散るシーンや、死んだ兵士の遺体が次第に腐り、ウジが湧いていくシーンなどは、観客である私たちがその場にタイムスリップしたかのような、大きな迫力と臨場感に満ちています。
デビュー作『鉄男』以来ハードな描写が注目を集める塚本監督ですが、しかしそれは単なる見世物主義ではなく、登場人物が抱える「痛み」を、私たちにも共有させるためのものと言えます。本作の過激さの中に、私たちは何を見るか。本作から新たに見えてきたものこそ、戦争を「語り継ぐ」うえでの、ひとつのエッセンスとなり得るのかもしれません。
『日本のいちばん長い日』(8月8日)
『野火』が庶民の目線から「戦争」を語る映画であるとすれば、本作『日本のいちばん長い日』は、“中央にいた人間”の目線から「戦争」を語る映画であると言えます。終戦までの4ヶ月、当時の閣僚たちや元帥である昭和天皇はどのような思いを持ち、どのように行動したのか。本作はそうした「知られざる日本の闇」に迫る作品となっています。
本作では、主に3人の人物に焦点が当てられます。まず陸軍大臣であり、あくまで本土決戦を主張する強硬派・阿南惟幾。首相であり、内心では早期和平を望む鈴木貫太郎。そしてさまざまな重臣たちの意見をくみ取り、最後の決断を下す存在である昭和天皇。鈴木内閣の発足から8月15日までの4ヶ月間を、映画は一定の距離感を持って映し出します。
監督は『金融腐蝕列島[呪縛]』など社会派映画、群像劇に定評のある原田眞人。重量感のある題材を見事な「娯楽作」としてまとめる彼の手腕は、本作でも遺憾なく発揮されています。
本作の意図のひとつには、「歴史検証」があります。太平洋戦争は、靖国神社の合祀問題をはじめ現在の政治・国際情勢にも大きな影を投げかけていますが、ではそもそも、終戦に至るまでにはどのような動きがあったのか。この映画はあえて人物、背景を絞り込むことで、「あの時代」の知られざる一面に迫っていきます。
なぜ、日本は泥沼の戦争にのめり込んでいってしまったのか。軍隊とはどのような組織であったのか。そして、「終戦」の最後の引き金となったものは何なのか――。こうした問いは私たちが「現在」を学ぶうえでも重要なものであり、新しく未来を作る、その大きなきっかけともなるはずです。
もちろん、この一作のみで歴史を網羅することはできませんが、本作を見ることは、「先人たちから学び、前に進む」ことの大きな足掛かりとなります。歴史の教科書だけでは見えてこない、「生きた歴史」をぜひこの映画から体感してみてください。
『人生スイッチ』(7月25日公開)
タイトルの「人生スイッチ」とは、私たちの日常において「押してはいけないスイッチ」のことを指します。それはごく身近なところにあって、しかしうっかり押してしまったが最後、もはや後戻りはできません。では、押してしまった後には、どのような世界が待っているのか――。本作は「賽が投げられた」後の、6つの世界を描く作品です。
スイッチのきっかけは、両親の敵との再会、車のレッカー移動、夫の浮気発覚などさまざま。それは私たちの日常にも身近なものであり、登場する人物たちの行動は、私たちにとって決して縁遠いものではありません。スイッチの押された後、感情が暴走を重ね、鮮やかに転落していく主人公たち。しかしそれは決して悲劇的なものではなく、むしろ洗練されたユーモアを色濃く感じさせるものです。さらには、誰にも予想できない驚愕の“オチ”。
各エピソードはそれぞれ20分ほどですが、1つひとつの質量は映画1本分を優に上回るほど充実したもので、私たち観客が劇場を出た時には、名画座で優れた映画3本立てを見たかのような、確かな充実感に包まれます。
それもそのはず、実は本作は製作国のアルゼンチンにおいて、歴代興収記録第1位を記録し、入場者400万人超という驚異の大ヒットを記録した映画なのです。あの『アナと雪の女王』でさえも2倍以上の差をつけての記録なのですから、この映画がどれだけ多くの人に支持された、「別格」の作品であるかがわかるでしょう。
さらには、アルゼンチンアカデミー賞最多10部門受賞、第87回アカデミー賞外国語映画賞ノミネートなど、批評家からも絶賛の声が相次ぐ本作。
「こんな映画見たことない!」と世界中の映画ファンを唸らせたこの毒牙に、あえて夏バテ中の体を任せてみるのもいいかもしれません。良くも悪くも、あなたの中の何かが変わるはずです。
『さよなら、人類』(8月8日公開)
なんだかほのぼのとしたタイトルですが、原題を直訳すると、『実存を省みる枝の上の鳩』となります。これはどのような意味なのか。冒頭、博物館のケースをのぞく男のシーンから物語は始まりますが、その中のひとつに、木の枝にとまった鳩の剥製があります。これがおそらくは原題が指すもので、いわば人間以外の視点から「人間」を問いなおす、本作はそんな映画であると言えます。
この映画の軸となるのはドラキュラの歯、笑い袋などユーモア・グッズを売るセールスマンふたりで、彼らを中心として、本作にはさまざまな人物(以外も)が登場します。それはフラメンコ教室の女性教師であったり、動物実験で電気ショックを与えられる猿であったり、バーに突然登場する18世紀のスウェーデン王であったりと、まさに多種多様です。
ただ本作は一直線のストーリーが存在するわけではなく、基本的にはスケッチのような形で時間が進んでいきます。その中では突然時間が過去に移ったり、現在に戻ったり。どこまでが現実で、どこまでが夢なのかもよくわかりません。
この映画を見るうえで求められるのは、「物語を読み解くこと」よりも「感覚を最大限に研ぎ澄ませること」かもしれません。ひとことで形容すれば「摩訶不思議な映画」となりますが、ただそれだけでは済ませられないような、不思議な衝撃もこの映画には存在します。
ヴェネチア国際映画祭でグランプリ・金獅子賞を受賞した本作の監督は、スウェーデンの名匠ロイ・アンダーソン。寡作ながらもアナログにこだわった質感の高い映像や、シュールな、かつブラックユーモアに満ちた独特の世界を作り出すことに定評があります。この幾通りにも解釈できる映画から、私たちは何を見出すのか。鑑賞後に心の中に浮かんだ思いは、ひょっとするとあなただけの、オリジナルなものかもしれません。
『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(7月31日公開)
セバスチャン・サルガド。この名前に聞き覚えのある方も多いかもしれません。彼はユージン・スミス賞など数々の賞を受賞し、「今世紀最も偉大な写真家」と呼ばれる報道写真家です。これまでアジア、アフリカ、ラテン・アメリカといった発展途上国を舞台に、貧困や労働、内戦といったテーマを中心とした作品の発表を続けてきました。
しかし、1994年のルワンダ内戦が、彼にとっての大きな分岐点となります。サルガドは写真を通してその内実を伝え続けましたが、内戦のあまりの凄惨さ、また人間が生み出す憎しみの連鎖に心を閉ざしてしまったのです。そして故郷・ブラジルに戻った彼を待ち受けていたのは、植物が枯れ、荒れ果てた大地の姿でした。植林活動を始めたサルガドに、やがてある壮大な構想が浮かぶこととなり――。
写真家サルガドを映し出したこのドキュメンタリーの監督は、ドイツが誇る世界的巨匠、ヴィム・ヴェンダース。彼は難民である盲目の女性を写した1枚の写真に、心を深く揺り動かされたと語ります。そこから「サルガドを映画にする」ことを決めたヴェンダースは、サルガドの長男であるジュリアーノ・リベイロ・サルガドとタッグを組み、それぞれの切り口から写真家セバスチャン・サルガドの人生を辿りはじめるのです。それは単なる人物の記録ではなく、芸術家としての自身の視点から、同じく芸術家であるサルガドに踏み込むということを意味していました。
映画の題名である「地球へのラブレター」とは、サルガドが8年間をかけたプロジェクト「GENESIS」のことを指していますが、それはサルガドの人生を映画という形で結実させた、ヴェンダース、ジュリアーノのものであるとも言えるかもしれません。映画、写真と媒体は違えども、ともに第一級の「表現者」である彼らの出会いから生まれた本作。その豊饒さを、ぜひ劇場で体感してみてください。
プロフィール
若林良
1990年神奈川県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程在籍。ドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』編集委員。太平洋戦争を題材とした日本映画・ドキュメンタリーを中心に研究する。