2016.02.19

今、戦争を描くということ

塚本晋也×今日マチ子×荻上チキ、TAMA映画フォーラム『野火』トークショー

文化 #野火#戦争

第二次世界大戦フィリピン戦線を描いた大岡昇平の小説『野火』を映画化した監督・塚本晋也氏、そして少女と戦争をテーマにした作品で評価を受ける漫画家・今日マチ子氏、荻上チキを交えて戦争を知らない世代の三人が「戦争を描くということ」をテーマに語り合う。2015年11月22日(日)パルテノン多摩小ホールで開催された第25回TAMA映画フォーラム「今、戦争を描くということ」より抄録。(構成/大谷佳名)

 ■ストーリー

第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし負傷兵だらけで食料も困窮している最中、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、ふたたび戻った部隊からも入隊を拒否される。そしてはてしない原野を彷徨うことになるのだった。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら、田村が見たものは……。

「何か」からのしるし

荻上 塚本監督はかねてから大岡昇平原作の小説「野火」を映像化したいと思われていたそうですね。改めて、この作品に対する思い入れはどれほどのものだったのですか。

塚本 初めて「野火」を読んだのは高校2年生くらいのときだったので、36年ほど前です。それからずっと構想を温めていて、本格的に映画化の準備を始めたのは30歳を過ぎたころでした。

ただ、映画を見て頂ければわかるように、これほどの大作を作ろうと思うと大変なお金がかかります。だからずっと先延ばしにしていたのですが、最近世の中の風潮がなんだか昔と違ってキナ臭い気がして。今作らないとこの先作るチャンスがなくなるような危機感があって、とにかく手をつけたという感じです。

荻上 ある種の不穏さを感じられていたんですね。原作でも最後の方で主人公・田村が「再び戦争の匂いが近づいている」と感じる場面があります。監督としては、映画を観る人に受け取ってほしい思いなどはあったのですか。

塚本 「とにかく映画を作りたい」という気持ちばかりが先走っていたので、なけなしのものを皆様に観ていただけるレベルに上げていくだけでいっぱいいっぱいでした。しかし、実際に作りはじめて無意識のうちに感じていたのは、みなさんに「70年前の過去の戦争」ではなく「目の前で起こっている戦争」の恐怖や臨場感を味わってもらいたい、ということでした。

それは自分自信が、映画を作ることで原作を追体験したいと思っていたからです。同じように映画を観ている人にも追体験してもらいたかったので、とにかく臨場感を大事にして作りました。

荻上 他の戦争映画と比べると戦闘シーンもほとんどないし、作戦やミッションもなくて軍の組織もボロボロになっていますよね。

塚本 そうなんです。部隊からも病院からも追い出された田村にとっては、「パロンポンに集まれ」という言葉が唯一の指令であり、生還の希望でもありました。でも、それがどこからの情報なのかは分かりませんし、命令を出した上官の姿も見えません。そもそも「パロンポン」という名前も、実際にはあるのですが、ここではちゃらんぽらんな嘘くささが漂っていますよね。

もっと言うと、この映画で敵の姿も全く写していません。それは、本当の敵は目の前のアメリカ兵ではなく、見えないところにいるというイメージがあったからです。だからジャングルの中で突然弾が飛んでくるといった描写にしました。

もっと予算がたくさんあったとしても敵の兵士を登場させたりはしなかったでしょう。本当に描きたかったのは、「なぜ自分たちはこんなことをしているんだろう」という不条理さだったので。巨大な自然を背景にした密室劇のような感じにしました。

荻上 飢餓や理不尽さが肉感的な臨場感を持って描かれています。過去の戦争ではなくて明日にも変化が起こるかもしれない、という生々しさを感じました。

塚本 昔の話ではありますが、やはり観ていただくのは今の人なので、言葉遣いも昔風のものにはなっていません。ぼくが演じたラストシーンでも、過去ではなく近未来の炎をみているような危機感と願いを込めて撮りました。

荻上 原作でも田村が「『何か』からのしるし」を感じとるという描写が繰り返されていましたよね。この作品も何かのしるしになるかもしれないと思います。

塚本 そうなるとありがたいですね。

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「自分と他者」という構図がなくなる

荻上 今日さんは「野火」をご覧になってどうお感じになりましたか。

今日 最初は塚本作品であることを忘れていて、いわゆる「戦争映画」、あまり残酷な描写がなくうっすらと「戦争反対」のメッセージが感じられるものだとナメてかかっていました(笑)。なので、映画を見た後はかなり打ちのめされてフラフラと映画館を出たというのが正直なところです。全編に漂う、「これはいつ終わるんだろう?」という田村の気持ちがずっと自分にも圧としてかかっていたので。

また、率直に残酷表現が使われていることにも驚きました。私自身そのような描写を嫌悪しているわけではなく、そうあるべきだと思っているんですが、実写・映像化することは色々大変だと思われる中で実際に使っている人がいるんだ、と思ったんです。

荻上 「いつ殺されるかも分からない」という戦闘体験のインパクトではなくて、とにかく人間の価値が軽視されているのが感じられますよね。

今日 本当に「虫ケラ」のような、なにをやっても無駄な状況で無駄に動いて、何のためにいるのかもわからなくなっていく。それはどんな気持ちなんだろう、と思いながら見ていました。

荻上 特に印象に残ったシーンはありますか。

今日 人肉を食べるシーンはもちろんショッキングではありますが、それよりも田村の肩の肉が飛ばされたときに、即座に自分で食べるシーンが一番ショックでした。私だったら自分の肉を食べるくらいなら誰かの肉を食べる方が罪悪感がないかも、ととっさに思ってしまいましたね。

塚本 それは新しい見方ですね。

荻上 人肉食だなんだって線引きすらも吹っ飛んでいる極限的な状況の中で、食を求めてさまようだけの飢餓した存在として描かれる象徴的なシーンでした。

今日 人肉食というと、(食べる)私と(食べられる)相手というはっきりしたものがありますよね。でも、自分で自分の肉を食べるとなると、「自分と他者」という構図がなくなっていく。それがすごく怖かったんです。自分以外の人間が存在しない精神状態になっていることが……。蛇が自分の尻尾をもぐもぐ食べている、あの姿を思い出してしまいました。

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自然の美しさと人間の愚かしさ

荻上 映画『野火』にはカニバリズムの要素もありますが、とくに「タブーに挑戦したい」という気持ちはなかったんですよね。

塚本 それはないですね。原作では、人を食べるか食べないかという問題が非常に重点的に描かれていて、神様まで持ち出して荘重なまでに高められていますよね。でも、ぼくは十年前に戦争体験者の方から実際に話を聞いて、荘重さよりもむしろ目の前にある命の危機、その切実さがあまりにも強く印象に残ったんです。

だから、いつ終わるのかも分からない飢餓のなかで、たぶん「その時」がきたら当然食べるだろうなと思って自分は描きました。なるべく原作に忠実に作っているつもりですが、「カニバリズムの映画」にしなかったからといって原作に失礼なことをしたとは思わっていません。むしろ、人を食べざるをえない状態に自然となってしまう「戦争」そのものの理不尽さを問いたかったのです。

それに、映画ですので原作の内容を全部入れるわけにもいきませんし、やはりポイントを見定めることは必要だと思ったので。そう考えると、最初に読んだときに印象を受けた、本当に綺麗なフィリピンの大自然と愚かな人間の有り様というコントラストだけで十分でした。

ブルー、少女、そして「戦争」

荻上 塚本監督も今日さんの作品を読まれているそうですね。

塚本 はい。実は3年ほど前、本当にお金がなかったので「野火」の映画化は一人で作るアニメにしようかと考えていた時期があったんです。そのころ、本屋でとても印象に残る絵をみつけました。ほんとうに何度も目に止まってしまう。それが今日さんの絵だったんです。

それは綺麗な緑の風景と水が描かれていて、ふわーっとした雰囲気のある絵なのですが、そのタッチがとても印象的でした。自分のつくるアニメはものすごくリアルなアニメにしてもいいけれど、いっそフニャーっとした、かわいいキャラの兵士から脳みそが飛び出ちゃうような絵も描きたいと思っていて。

だから、その絵を見てすごく惹かれたんです。その後に「戦争漫画を描いている人がいる」と聞いて、手に取ってみると「あの絵と同じだ!」と、初めて作品とお名前が一致したんです。

荻上 今日さんの漫画も、塚本映画とはちょっと違うやり方ですが、鮮やかなブルーや少女たちの可愛らしさと戦争とのコントラストが強調されているように感じます。

今日 おそらく『COCOON』という沖縄戦を描いた作品と、『いちご戦争』という南方の戦線を題材にした絵本が、『野火』の雰囲気に近いのかなと思います。実は塚本監督の『野火』を見るまでは原作を読んだことはなくて、ずっと「カニバリズム」という怖い印象を持っていました。

荻上 原作と映画を比べてみていかがですか。

今日 映画では神様の問題などは描かれていませんし、今の人たちの心にフィットするのは映画の方なんだろうなと思いました。

荻上 原作では神様とか天皇制とかいろいろなものを持ち出してまでカニバリズムを避けようとする田村の迷いが感じられますよね。

今日 そうですね。それに、花や緑の色彩の美しさを堪能できるのが映画の良さです。逆にその美しさが人間の愚かさをよく表しているなとも思います。

(左)荻上氏、(右)塚本氏
(左)荻上氏、(右)塚本氏

「本当にあった戦争なんだよ」

荻上 私たち全員が戦争を経験していない世代になるわけですが、監督は「飢餓でさまよう」という体験を映像化しながら、その美しい自然との対比でどういったことお感じになりましたか。

塚本 撮影を通して何かを得たというよりは、原作に近づいていくという全体的な行為そのものが、相当色々なものを気づかせてくれたと思います。というのは、ぼくは戦争が終わって15年ほど後に生まれましたが、高度経済成長期で高層ビルがどんどん立ち始めていたので戦争の影は全く感じられなかったんです。だから、いま「戦争ってなに?」と思っている人と感覚はほとんど変わらないんですよ。

今までは『野火』の映画を作りたくてもなかなか資金が下りなくて、その度に「戦争」が遠のいていくのを感じていました。けれども、ときどきどうしても奮い立って、だんだん近づいてくる恐怖に気づくんです。だから自分の方から積極的に戦争のことを調べるようになりました。

そうすると初めて戦争のことが見えてきて。それに、自主配給ですから自分で色々な地域の劇場を回っていくと、みなさん感想の代わりに自分の身内であった戦争の話を聞かせてくださるんです。そうして実際にあった出来事がだんだんと立体的になっていく。

『野火』のような出来事って「こんなのありえない」って言う人もいるのですが、ごく普通にあったことなんです。普通にあったことが今はないようにされてしまっていることが一番怖いですよね。映画を通して「本当にあったことなんだよ」と言うことができたので、作ってよかったなと思います。

荻上 大岡昇平自身も自分の戦争体験をテキストにぶつけたということもあるでしょうから、多くの戦争体験者の方と近いリアリティーがあると思います。原作に近づこうと作られた映画に、戦争体験の中にあったものが埋め込まれているように感じました。

塚本 そうですね。僕自身、原作を読んで感銘を受けて、そして自分で映画を作ることで今までボヤーっとしていた頭がすっきりしたんです。いま目の前で焼かれてしまっている人々の叫びや怨嗟の声がすぐそばで聞こえるような感覚になることができて。あの原作の価値が今更ながらすごいなと感じますね。そういう本は今後読み継がれていかなければならないと思います。

荻上 映画では、帰国後PTSDを抱えている田村の姿が妻の視点から描かれていて、その「どうすることもできない距離感」が強調されているように感じました。あれは完全に原作になかったシーンですよね。

塚本 原作では日本に帰ってからの話が結構長いですよね。映画ではその部分を原作者に申し訳なくならない程度に短くしましたが、あれはあれで良かったんだと思います。原作通り精神病院に行くところを描かなくても、ご飯が出たときのあの異常な反応で戦争後遺症を患っていることは伝わると思ったので。

荻上 戦争後遺症になった兵士の手記などを読むと、たとえば「自分が殺した子どもと同じくらいの子どもを抱きしめたり見つめることができない」といったことや、食事に関しては「どんなにお腹を壊しても全部食べないと気がすまない」という話があります。トラウマ体験とは表に出にくいかもしれないけど、あちこちに刻まれていますからね。

塚本 劇場周りをする中で、そうしたトラウマ体験のお話もたくさん聞きました。夜眠れないとか大声を出してしまうという話は特に多かったです。それに印象的だったのが、日本に戻ってきて働いている間は元気だったのに、定年退職した後にトラウマが甦ってきてアル中で亡くなったというお話でした。

荻上 ずっと蓋をされていたということですよね。

戦争の中の日常

荻上 今日さんは今年、若い世代が戦争を描くという点から様々な媒体でクローズアップされる機会が多かったと思います。戦争を経験していない世代が戦争を描くときは、必ず何かを切り落とした上で、あるモチーフをピンポイントで描かなければ語り尽くせないものがあったりしますよね。

今日 その点がすごく難しいですね。史実をもとにしているので、そこに必ず命を落とした人、犠牲になった人がいる。それを自分が描いて漫画というエンタメにしていくことに毎回、良心の呵責を感じます。まず、その戦いがすごく大変なんですよね。これで良いんだろうか、亡くなった人たちがこれで納得するんだろうか、常に自分の中で悩みながらやっています。それでも何もしないよりは作った方がまだ良いだろうと思って。

荻上 なぜ戦争をモチーフにした作品を一作品だけで終わらせずに続けていくことになったのですか。

今日 犠牲者の方々の気持ちは一言では絶対表せないですし、一つ描くごとにまた一つ疑問が生まれていくというか。また、これは私の個人的に感じることですが、一つ描くごとにまた一つ違う戦争に、私自身が一歩近づいているのではないか、という恐怖があって。もう一回新しいものを作ってみようと思うんです。

荻上 戦争をテーマにした作品はおそらく他の作品以上に取材を重ねることになりますよね。ただ、実際に現地の人の話を聞くとその思いを背負いこんでしまって、なんとかそれを外に出さなければ、というループに入っていくような気がするのですが。

今日 そうですね。それはすごく怖いです。でも、戦争でリアルに自分の身体がちぎれていく感じを疑似体験できるのは、実際に戦争を体験された方から話を聞く方法しかないんです。そうやって、かろうじて自分の身体に戦争の痛みを刻みつけることができる。

誰も今更、関ヶ原の戦いを「痛かったね」と語る人はいないように、太平洋戦争が「すごく痛い」ものであったことが感じられるのは本当に今しかないと思いますね。ですから戦争ものを描くのは今が一番良い時なんじゃないかなと感じています。

荻上 なるほど。今日さんは戦場での「女性」を意図的に描かれていますよね。

今日 実際の戦争とは別に、少女期というものに興味があって。私自身、少女は常に戦っている状態に置かれていると思っているので、本当の戦争が絡んできたときに彼女達がどう大人になっていくのか、そこに興味があるんです。

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荻上 少女性というモチーフと、戦場という舞台がクロスされているように感じます。

今日 そうですね。少女の心の中で常に戦争が起きている状態を、実際の戦争に置き直して分かりやすく見せている感じです。

荻上 少女の心の中の戦争ってどんなものなのですか。

今日 中学高校時代ってずっと何かと戦っている気がしませんか?なにか、自分と「敵」がいるような……ただ毎日を生きのびるのに必死。そういう思春期を戦場に置き換えてみる。かなり飛躍はしますが……。あとは、実際に戦場で亡くなった人たちの中にも、ちゃんと青春があったことを記録しておきたいという気持ちもあります。

荻上 モチーフは少女であるけど、戦争中の日常が浮き彫りにされるような作品になっていますよね。

ただひたすら原作に近づいていく

荻上 塚本監督は今回、文学である原作と、それを映像化するにあたっての手法の違いの点で意識されたことはありましたか。

塚本 何十年も映画を作っていますが、自分の決まった手法とか、既存のフォーマットに当てはめるだけで作れちゃう、なんてことは一回もないんです。いつも漠然とした塊にぶち当たって、少しずつほぐしていくような作業です。今回は特に、もう少し分かりやすい映画にしたほうがいいのかなと悩みました。でも、それをやり始めるとキリがなくて。それに、現実的になればなるほど過去のものとして遠のいていく感覚があったので、いっさい説明は省きました。

映画がはじまるとお客さんがポンっと緑の中に立たされる。物語が進むにつれてだんだんと状況が分かってくる。そういう順序でいいかな、と思って。僕としては原作にかなり忠実に描いたつもりなんです。原作のわかりやすい説明部分は省きましたが、その他はまんべんなく映像に置き換えて、何かの描写を過剰にしたりもしないで、ただひたすら原作に近づこうという気持ちでした。

荻上 映像そのものがかなりクリアな撮り方になっていますよね。

塚本 そうですね。最初に原作を読んだ時は、とにかくフィリピンの自然の風景があまりにも美しいと感じて。その一方で人間はどうしてこんなに愚かしい行為をしているの、という対比がとにかくずっと頭にありました。これだけはやりたいと思ったんです。だから、いま流行っている白黒っぽい色合いなどはいっさい使わずに、鮮やかな緑を描きました。

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戦争を知らない世代が戦争を描くということ

荻上 今日さんは戦争ものの作品とそうでない作品とでは、トーンの違いなどはありますか。

今日 戦争がテーマの場合、誰からも依頼されていなくてもまず書き始めようという気持ちがあります。私が描く戦争ものってあまり大ヒットにはならないので、編集者からすると「また売れなさそうなものを……」と思われている気がするんですけど……(笑)。でも、私自身がやりたいから。なぜ戦争ものを描きたくなるのかは自分でも分かりませんが、毎回「描かねば」と思うんです。

塚本 戦争のことを描こうと思われた最初のきっかけはなんだったんですか。

今日 ある編集者から「ひめゆり部隊」の学徒隊をモデルに描かないかと提案されたんです。そのとき私は戦争ものなんて絶対やりたくないと思っていましたが、その編集者が「少女性」という切り口をもたらしてくれたので描いてみようという気になりました。

塚本 ぼくも、本当にあった出来事を戦争体験のない自分が描くということの葛藤は結構あります。もともと、「戦争を描くなら被害者の目線でなく加害者の目線で描かなきゃ」と思っていたので、野火の原作権が取れなかった時に、戦争体験者の方々から聞いた話をもとに自分で作っちゃおうかなと考えたこともあったんです。

加害者の目線で描くという点に絞ってみれば、違う題材でもっとくっきりと描ける方法もあると考えたのですが、なぜかそれはちょっと抵抗があったんですよね。不謹慎までは言いませんが、戦争を体験していない自分がやっちゃって良いのかなと。

また、それとは別のところで『野火』には加害者の目線もやりすぎない程度にちゃんと入っていて、それ以外の様々なことが溢れんばかりに入っている魅力があったので。やっぱりこれが良いんだ、どうしても原作権を頂いて映画にするんだ、と思ったんです。

ただ、これからは私たちが戦争を語り継いでいかなければならない。それをどうやって伝えていけば良いのだろう、と考えた大きな問題が起きてくると思います。ぼくは戦争体験者に関わることができる最後の世代だったので、10年前によくお話を聞いて、「自分はこれを聞いたから作ってもいい」というお墨付きを頂いたような気持ちで『野火』をつくりました。

でも、これから戦争体験者の方が亡くなってしまったら若い世代は作ってはいけないのか、となると大変なことになってしまう。そう考えていたときに、今日さんの作品に出会ったんです。今後はこういう形で若い方々が戦争を恐れずに表現しなければならない、ということにも気づきました。

やはり戦争体験の話を聞いて、大事だけどちょっと重いな、もっと勉強しなきゃな、といって姿勢を正して向き合っていると、少しずつ疎ましくなってしまうと思うんです。そうではなくて、お化け屋敷に入るような娯楽というか、興味をもって接していくべきです。そう考えると、原作の世界を若い人が見てショックを受けたり、恐れないで戦争に関わっていくのは非常に大事なんだな、と気づいて。

原作から影響を受けて自分が映画を作って、そこからまた広がっていくように。今日さんの『COCOON』も原作から舞台になりましたよね。本当に素晴らしい舞台でした。しゃべり言葉も今の女の子のもので、「今そこにいる少女」がそのまま悲劇に飲み込まれていくんですよね。読んだ人が「戦争ってこういうものなの?」と思うことの大事さを強く感じました。

荻上 それは作品の力ですよね。私はいま戦争の本を準備していて、日本中から当時の卒業アルバムや日記から証言を集めています。直接お話を聞くのではなくて、当時の思いを書いた証言を集めているのですが、それを見た上で『野火』を観ると、まるで答え合わせをしているような気持ちになるんです。

生々しい作品というのは、実際の体験の生々しさに結果として肉薄していくものなのだと強く感じます。「戦争を語り継がなきゃ」という使命感からでは全くなくて、自分なりに受けたインパクトを言語化したり作品化しようとすると、実際の体験の生々しさとリンクするところがあると思うんですね。そうしたものをお二人の作品からは共通で感じるところがあって、興味深かったです。

今日 もちろん史実を正確に知ることも大事ですが、それぞれが自由に戦争を想像しても良いんじゃないかな、といつも感じています。それが戦争体験者ではない私たちの役割だと思うんです。たとえば身内に戦争体験者がいるけれど話を聞きにくい場合は、その人の経験を勝手に想像してみるのも一つの方法なんです。だから、「これは事実ではない」とか決めつける前に、自分の想像力を使ってみることが必要なのではないかと思います。

荻上 それが史実経由じゃなくて作品経由であったとしても、「『野火』の田村のような目に会うのは御免だな」とか、シンプルな問いから始まっても間違いではないはずですよね。

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『野火』

2014年/海獣シアター製作・配給/1時間27分
監督・脚本・撮影・編集=塚本晋也
原作=大岡昇平
音楽=石川忠
出演=塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子

公式サイト: http://nobi-movie.com/

プロフィール

塚本晋也映画監督

1960年1月1日生まれ。東京出身。14歳で初めて8mmカメラを手にし、88年に映画『電柱小僧の冒険』(87)でPFFアワードでグランプリを受賞。劇場映画デビュー作となった『鉄男 TETSUO』(89)が、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得し、以降、国際映画祭の常連となる。中でも世界三大映画祭のイタリア・ベネチア国際映画祭との縁が深く、『六月の蛇』(02)はコントロコレンテ部門(のちのオリゾンティ部門)で審査員特別大賞、『KOTOKO』(11)はオリゾンティ部門で最高賞のオリゾンティ賞を受賞。さらに97年と05年の2度、コンペティション部門の審査員を務め、第70回大会時には記念特別プログラム「Venezia70ーFuture Reloaded」の為に短編『捨てられた怪獣』を制作している。その長年の功績を讃え、09年にはスペインのシッチェス・カタロニア国際映画祭から名誉賞、14年にはモントリオール・ヌーヴォー映画祭から功労賞が授与された。俳優としても活動しており、02年には『クロエ』、『殺し屋1』、『溺れる人』、『とらばいゆ』の演技で毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。遠藤周作原作×マーティン・スコセッシ監督『SILENCE(原題)』(2016年全米公開予定)にも出演している。

この執筆者の記事

今日マチ子漫画家

東京都生まれ。東京藝術大学卒業。2004年からほぼ毎日綴った1ページ漫画ブログ「今日マチ子のセンネン画報」が書籍化されて注目を浴びる。2005年「ほぼ日マンガ大賞」入賞。2006年・2007年・2010年・2013年文化庁メディア芸術祭「審査委員会推薦作品」に選出。著作に『みかこさん』『ぼくのおひめさま』(やくしまるえつこ朗読CD付絵本)『5つ数えれば君の夢』『ニンフ』『吉野北高校図書委員会』等多数。戦争を描いた『cocoon』は劇団「マームとジプシー」により2013年に舞台化され、2015年には再演された。2014年には『mina-mo-no-gram』『アノネ、』『みつあみの神様』『U』が評価され第18回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。2015年には第44回日本漫画家協会賞大賞カーツーン部門に『いちご戦争』が選ばれた。2016年3月に新刊『猫嬢ムーム』が刊行。漫画以外にもイラスト、エッセイ等も幅広く手掛ける。
http://juicyfruit.exblog.jp
twitter : @machikomemo

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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