2013.03.26
アベノミクスで円安が起きていることがわかるたったひとつのグラフ
筆者最新刊『「円安大転換」後の日本経済 為替は予想インフレ率の差で動く』が3月15日に発売になり、発売一週間で重版が決定しました。お買い求めいただいた皆さま、書店員の皆さま、ありがとうございます。
本論考では、拙著最新刊の発売を記念し、新日銀正・副総裁の選出で注目の集まっている「為替レートの今後の動き」を占う上で重要な「この円安の正体は何か?」にあたる部分を、『「円安大転換」後の日本経済』から抜粋して掲載したいと思います。
ついにアメリカがインフレ目標政策を導入
2012年1月までは、投資家の間に「金融緩和のアクセルを踏むアメリカはデフレを回避しインフレを保つ一方、金融緩和に躊躇し続ける日本は、いつまでもたってもデフレから脱することができない」という予想が根強く残っていた。前述の通り、これが2010年7月から2012年1月にかけて起こった円高を、強力に後押ししていたのである。
しかし、この構図が2012年1月以降、少しずつ変わり始めた。その結果、2007年に始まった歴史的な円高を転換させることになったのである。
事の発端は国内ではなく、海の外からやってきた。2011年末に、FOMC (連邦公開準備委員会)という、アメリカの金融政策の舵取りを決める会議において、「FOMCに属するメンバーが抱く今後の金利・経済の見通しを、2012年から公表する」ということが発表された。
これは、FRBがそれまでの金融緩和政策を、将来どれくらい続けると想定しているかを、市場に明確に公表するということである。その結果、「FRBは超低金利政策を継続するつもりだ」という予想が広がり、それが市場金利の一層の低下をもたらしたのだ。そして、FRBの金融緩和効果をさらに強めることになり、景気回復刺激効果も高まったのだ。
このように、FRBが自らの政策スタンスをはっきりと示すことを通じて、金融政策の効果をより強める考えは、バーナンキ議長が従来から強く指摘していたことだった。その言葉通り、同じく2012年1月のFOMCにおいて、FRBは2%の「インフレ目標政策」の導入を決定し、宣言したのである。
1930年代にスウェーデンが導入したのを皮切りに、ニュージーランドやイギリスをはじめとする国々が、こぞって「インフレ目標政策」を導入してきた。そして、現在では先進20か国以上の国々が、この政策をとっている。しかし、先進国の中でアメリカや日本は例外的に導入していなかったのである。
バーナンキ議長はプリンストン大学の経済学者であった時代から、インフレ目標政策の必要性について提唱していた。その後、2002年にFRB入りし、それを実践しようとしたものの、FRB内部や政治家などから反対があり、なかなか実現しなかったという経緯があった。
市場では以前から、FRBが2%前後のインフレ率を理想として政策運営を行っていることは広く知られていた。それが2012年1月になってようやく、FRB内部の意見調整などが済み、決定されたのである。物価目標の公式表明に時間がかかったのは、FRBは「物価の安定」とともに「雇用の最大化」を目標としているため、「物価だけ」を目標とするのは問題になるという事情もあった。
こうして目標が明確になれば、物価変動に対してFRBがどのタイミングで政策を変更するかを、市場参加者は予想しやすくなる。そして、目標が人々のインフレ予想のアンカー(碇)になり、物価水準の達成と経済安定の実現にもつながりやすくなる。こうしたメリットがあるから、バーナンキ議長がFRBの他のメンバーを納得させることに成功し、「正式に」2%の物価目標を設定できたのだ。
初めて日銀が「物価目標」の数字を公表
一方、日本ではどうであったか? 筆者らは、FRBが「インフレ目標政策」を導入する以前から、「2~4%の緩やかなインフレ率の実現を達成するために、日銀はインフレ目標政策を導入せよ」という声を挙げていた。しかし日銀は頑なに拒否し続けていた。日銀がその理由として挙げていたのが、FRBが物価目標を公式には表明していないことだった。「アメリカで導入されていない制度だから、日本で導入する必要がない」という分かりやすいロジックである。
しかしFRBが自ら「2%の物価目標」を打ち出したことで、先進国中、日本だけが物価の数字目標を持たない唯一の中央銀行になってしまった。このように状況が変わる中で、かねてから日銀による「デフレ放置策」に不満を持っていた多くの政治家が動いた。その結果、2月上旬の衆議院の予算委員会などにおいて、白川日銀総裁は参考人などとして参加することになったのである。
このとき、白川総裁が次のように発言していたことが、2012年2月3日の日経新聞において報じられている。
日銀もFRBも同じような目的のもとに金融政策を行っている。
しかし、こうした説明に対して、FRBが2%という明確な物価目標を掲げたことで、日本の政治家も、こういった日銀サイドの言い分に騙されなくなったということが想像できる。さらに翌週の2月10日にも、衆議院予算委員会が行われ、デフレ脱却について議論が行われた。この時、政府答弁にたった古川元久経済財政担当相が「目指す物価上昇率は2%程度」と答えた。それに対して、白川日銀総裁が次のように述べたことを、ロイター通信が伝えている。
1%程度が展望できる状況を目指す。
ここにいたって、政府と日銀の間でのスタンスの違いが明らかになった、とロイター通信は報じているわけである。
実際には、この答弁に対して、当時野党だった自民党などから、「日銀だけが物価目標を定めないのはなぜか」と厳しく追求されたのだろう。しかし、白川総裁は説得力ある反論ができなかった。FRBが物価目標を定めた一方で、日銀だけが物価目標を定めない状況を、国民の代表である政治家が、この時はさすがに許さなかったわけだ。
この予算委員会直後の、翌週2月14日の日銀金融政策決定会合を控え、2月11日の日経新聞では、一転、以下のように報じられたのである。
日銀は13、14日の金融政策決定会合で、「物価目標」の公表方法の見直しを議論する。米連邦準備理事会(FRB)が打ち出した2%の長期物価目標に比べて「わかりにくい」との声が相次いでいるためだ。
実際、2012年2月14日に、日銀は、何もアクションをとらないという市場の予想に反するかたちで(似非)追加金融緩和を行い(=資産買入れ基金の増額)、そして「1%の物価上昇を物価の目処とする」という曖昧な文言を使いながらも、「物価目標の数字」を初めて示したのである。
似非インフレ目標を設定しただけで……
この動きに市場参加者は驚いた。これまで、デフレを放置するような政策対応を続けてきた日銀が、プラス1%の目標を公言して金融緩和の強化を行うのではないか、という期待が突然浮上したからである。
実際、この金融政策の変更の後、日米予想インフレ率格差は縮小する。そしてその結果、為替市場においてドル円相場は当時1ドル=70円台後半にあったところから、約1か月で80円台半ばまで一気に円安が進んだ(上のグラフ参照)。
これに対して、目敏く動いたのが海外のヘッジファンドなどの投資家である。先に説明したように、海外投資家の一番の注目点は、各国の中央銀行がどのような政策を行うかである。彼らは、「1%の物価上昇を物価の目処とする」という日銀の行動に、これまでとは違うものを感じたわけである。
拒否し続ける日銀
ただ、インフレ目標が「1%の物価の目処」という消極的なものかつ、1%のインフレを起こすための物理的な金融政策の方法に関する説明も曖昧なままだった。他国の中央銀行は少なくとも2%のインフレを目指しているのに、日銀だけが1%の目標であれば、日本のインフレ率が相対的に低いままであることは変わらない。そうした期待こそが、自己実現的に円高圧力を強めていったのである。
さらにそもそも日銀は、「物価目標」と表現すべきところを、意図的に「物価の目処」などといった曖昧な表現にしている。その理由について、白川総裁は次のように述べていた。
物価安定と整合的な物価上昇率をどのような言葉で呼ぶかは、それぞれの中央銀行の置かれた状況によって異なると思います。FRBは、今回、「longer-run goal(長期的な目標)」という言葉を導入しました。ECBあるいはスイス国民銀行は「definition(定義)」という言葉を使っています。BOEは「ターゲット」という言葉を使っています。日銀は「目途」という言葉を使っています。(2月14日、記者会見での発言)
そもそも「目処」って何だ? 「物価上昇率の目標」でもなく、「目標とする物価水準の定義」でもなく「目処」……。その数字が達成できなかったとしても、「アレはあくまで目処ですから……」などと言い逃れができるよう準備しているとしか考えられないではないか(結果、ネット上などでこの「インフレの目処」は、(「似非インフレ目標政策」という意味で)「インメド政策」と呼ばれることになっていった)。
さらに日銀は、「資産買い入れ基金の増額」などという一見金融緩和を行っているように思える“奇策”まで弄して、「私たち(日銀)はよくやっている」と見せかけていたのだ。実際、量的金融緩和の規模を表すベースマネーの総額は、ほとんど増えていなかった。そこまでして日銀は、金融緩和強化のアクセルを踏むことを拒否し続けたのである。
当時与党だった民主党の首脳陣も、「金融政策の失敗がデフレと円高と不況を起こしている」とは芯から思っていなかったのだろう。国民に対して「日銀にちゃんとするよう言ってくる!」と口では言いながら、日銀に強く金融緩和を求めることはなかったのだ。
マッチポンプの挙句、円高に逆戻り
こうした民主党政権と日銀の間での、金融緩和政策をめぐる(表面的な)「対話」が進む中の4月26日、白川総裁は市場に対して、「これ以上は金融緩和の強化しない」というメッセージを発信したのである。
(積極的な金融緩和は)副作用や限界も意識する必要がある。(3月24日のワシントンでの講演での発言)
要するに、これ以上金融緩和政策を行うとその副作用(長期金利上昇や将来のインフレ加速と思われる)が大きくなるから、もうやりたくないという本音を、恥ずかしげもなく明かしたのである。さらに1か月後の4月21日には、白川総裁は次のような発言を繰り返した。
将来の財政を不安視した個人が支出を抑えることが、低成長と緩やかなデフレの一因になっている。
これは、「デフレをもたらしているのは、日銀による金融緩和政策が不徹底なことではなく、日本経済固有の問題」という、明らかな言い逃れである。しかし、これに対してマスコミは、ほとんど非難の声を挙げなかった。
政府と日銀との間に行われた「不毛な対話」、そして金融緩和強化を否定する発言が続いたことで、海外の投資家の間に大きな失望感が広がっていく。ここに至って、完全に日銀が自らマッチポンプを行っていることが、国民の誰の目にも明らかになった。それと時を同じくして、ギリシャのユーロ離脱懸念も加わり、ドル円相場は2012年の夏場には再び1ドル=70円台の超円高局面に逆戻りしたのである(前出のグラフ参照)。
ここで、日銀による「インメド政策」発動の時点(2012年2月14日)にさかのぼってみると、このとき、日銀の金融緩和強化が非常に中途半端だったことが判明したため、ドル円相場の円安転換は本格化しなかった。ただ、日銀が金融緩和を行って物価目標を明らかにすれば、ドル円相場が大きく動くということはわかった。その意味では、日銀による「似非インフレ目標政策」ともいうべきインメド政策もそれなりに有意義なものだった。
そしてこのことをきっかけに、日銀の金融緩和強化に対する市場からの要請が、本格的にくすぶり続けることになった。円高から円安に転換する土壌は整いつつあったのだ。
総裁選における安倍氏の主張
そして2012年秋、日本の政治が大きく動いた。野田首相が消費増税を強引に進めたことで民主党は分裂。さらに経済の回復や外交政策にも失敗し続け、増税だけを進める民主党政権への国民の失望は極限に達することになったのだ。
一方、最大野党の自民党では、リーダーの交代が実現していた。9月26日の総裁選挙で、安倍晋三、石破茂、石原伸晃、町村信孝、林芳正の5人が争った結果、当初は本命とは目されていなかった安倍氏が総裁の座を獲得したのである。
選挙戦で安倍氏は、脱デフレ、経済再生、金融緩和強化の必要性を強く訴えた。具体的には次のようなものだった。
2~3%の緩やかで安定的なインフレを達成する必要がある。(9月12日、総裁選出馬記者における発言)
思い切った金融緩和をする必要がある。物価目標、果たして2%、3%と定めてくれるのか。 (9月15日、自民党総裁選挙の公開討論における発言)
これらの発言を受け、筆者は「自民党総裁選で何が変わるか~脱デフレが早まる可能性~」と題したレポート(9月25日)をマネックス証券から発信した。
自民党総裁選挙で誰が勝利するかは分からないし、実際に消費増税が先送りになる可能性は高いとはいえない。ただ、政治主導で成長率とインフレ目標が明確に意識され、これまで実現しなかった政府と日銀が協調する仕組みが整う可能性がある。これが実現すれば、日銀がより強力な金融緩和策に踏み出すため、脱デフレの時期が早まるだろう。
しかし実際のところ、総裁選の結果に市場はさほど反応しなかった。野田首相が、8月8日の自民党・公明党との3党首会談の際に発言した「近いうちに国民の信を問う」という約束をズルズル先延ばしにしていたことから、衆議院の解散総選挙は2013年まで延びる可能性が高かったためである。
円高の是正
事態が大きく変わったのは、11月14日だった。野田首相と安倍自民党総裁との党首討論で、野田首相が「早期解散」「年内総選挙を行う」ということに突然言及したのである。その日から、ドル円相場は一気に円安への道を突き進むことになった。金融緩和政策の拡大を推進する安倍政権が誕生することで、「日米予想インフレ率の差が縮小する」と市場が認識したのである。
この時筆者は、国会解散が判明する直前に「政権が代われば円安は進むか?」と題するレポートを発行した。結論は以下である。
自民党政権誕生で、円安や日本株高はどこまで進むのか? 安倍総裁がふさわしいと考える日銀総裁が誕生すれば、今年(2012年)2月から3月にかけて実現したような、円安、そして株高が再現してもおかしくない。
前述のように安倍総裁は、金融緩和を軸とした脱デフレと脱円高を目指すという政策を掲げた。その後も、こうした発言がメディアで報じられるたびに、為替市場は反応し、ドン、ドン、ドン、と円安(円高是正)が進み続けたのである。
前首相の無知
民主党政権末期の11月25日、野田首相と安倍総裁がテレビ朝日の番組で討論をした際、安倍総裁による金融緩和強化の要請を、野田首相は以下のように批判した。
野田総理大臣 安倍さんのおっしゃっていることは極めて危険です。なぜなら、インフレで喜ぶのは誰かです。株を持っている人、土地を持っている人は良いですよ。一般の庶民には関係ありません。それは国民にとって大変、迷惑な話だと私は思います。
自民党・安倍総裁 びっくりしましたね。税収も名目経済が上がらなければ、税収は上がらない。そのことが総理には基本的に分かっていなかったということが驚きですね。
この討論で明白になったのは、野田氏は「インフレになると、株や土地を持っている人だけが豊かになり、一般庶民にとってはむしろ迷惑なこと」と認識していたことである。「危険」なのはいったいどっちだ!? ということである。
政府のリーダーが「脱デフレによって庶民が困る」と誤認し、日銀が「脱デフレに踏み切るために最低限必要とされる米欧の中央銀行と同様の金融緩和政策を行わない」というのである。こうした状況では、円高デフレの悪循環から抜け出すことができないのは当然の帰結だ。
続く円安基調
12月16日の衆議院議員総選挙において自民党が大勝すると、安倍政権において金融緩和政策が強まるとの見方がより強固になり、円安の動きに拍車がかかった(上のグラフ参照)。
その後ドル円相場は、2013年に入って早々に90円近くまで一挙に円安が進み、2010年以来の水準まで戻った。2012年2月の、日銀による中途半端で実効性を伴わないインフレ目標政策ではなく、安倍首相が求める脱デフレに全力を尽くすことができる新日銀総裁のもと、少なくとも米欧の中央銀行同様の金融緩和が実現するとの期待が強まった。つまり為替市場は、日銀の政策に大転換が起きると予想し、歓迎したのである。
実際に、アベノミクスの発動から現在(2013年2月)までの経緯を振り返ると上のグラフのようになり、ずっと円安基調が続いている(そしてこのグラフが、本論考のタイトルにもしている「アベノミクスで円安が起きていることがわかるたったひとつのグラフ」である)。
この円安はどこまで続くのか? そしてその時、日本経済に訪れるのは国家の破綻か、はたまた完全復活か?
※本論考は、出版社に入稿する前の原稿です。また本論考に向け、一部変更している部分があります。
※本書のまえがきを全文公開中;http://bit.ly/XvyTcw
プロフィール
村上尚己
米大手資産運用会社アライアンス・バーンスタイン マーケットストラテジスト(兼エコノミスト)。1994年東京大学経済学部を卒業後、第一生命保険相互会社に入社。(社)日本経済研究センターへの出向と第一生命経済研究所を経て、2000年よりBNPパリバ証券日本経済担当エコノミスト、2003年よりゴールドマン・サックス証券シニアエコノミスト、2008年よりマネックス証券チーフ・エコノミストとして、グローバルな景気動向、経済政策、金融市場の分析に従事。2014年5月より現職。著書「日本人はなぜ貧乏になったか」(中経出版)など多数。