2015.05.22
「生身の個人にとっての自由」の潮流の中のマルクス
ここまでのところで、リバタリアンの「消極的自由」論の内包する自己矛盾について、二点確認しました。ひとつは「個人の言動を縛るのも、意識的でない縛りならOK」とする理屈についてで、もうひとつは「理性ノ自己実現コソ自由ナリとするのは抑圧のもと」とする認識についてです。
第一の論点については、「お上」の明確な意志なんかなくても、フラットな個々人の間の意図されざる縛りあいでも、個人の自由への抑圧になるのではないかという批判が成り立ちます。人身御供の因習でも、「イジメ」や差別でも、主戦論が高まって戦争になるときも、そんなケースはたくさんあります。
よく考えれば、暴君の支配だって、「多くの他者が暴君に忠実だろう」と、軍人や警官を含むめいめいが予想することで、みんなで自分を守るために縛りあって維持されている秩序だと言えます。結局は、フラットな個人間での、因習のような相互束縛と図式は同じです。そうすると、「暴君に逆らう自由」が認められるべきならば、その他の意識的でない縛りあいからの個人の自由も、同様に認められるべきだということになります。これを前々回確認しました。
第二の論点については、「理性の自己実現=自由」論を一旦批判したならば、まさに「自分の心身に自己支配を確立した理性的個人」というリバタリアンの理想像こそ、この批判があてはまってしまうという矛盾が指摘できました。
「理性の自己実現を自由だとする姿勢は抑圧のもと」とする認識は、フランス革命のジャコバン派の恐怖政治から共産党独裁まで、たくさんのおぞましい実例に照らして、とても説得力があるのですが、この認識を貫くならば、「自由である」ことの主体は何であるべきかという議論にまで行き着かざるを得ません。それは第一義的には、本能や欲求や情動や肉体等々としての「生身の自己」でなければならず、「理性としての自己」ではない──というのが前回の結論でした。
「考え方」が「生身の個人」を抑圧することへの批判
さてそうすると、以上の二点の論点は、一つの共通の図式にまとまることになります。
第一の論点の「お互いの縛りあい」というのは、詳しく見ると、連載第5回(PHP新書『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』第5章に所収)で述べたように、「他者の行動についての予想」がみんなに共有されていて、各自がそのもとでマシになるように振る舞ったら、その予想が自己実現されるという事態でした。
この予想のあり方が別のものに変わったら、今度はそっちの予想のもとで各自が最適行動した合成結果がその予想を自己実現するかもしれません。だから、ある一つの秩序のもとで不幸な目にあってしまっている人は、人々の共有する予想が別のものに変ったらもっと境遇がよくなっていたはずかもしれません。そうだとすると、そうした人々は、「人々が今現に共有している予想によって抑圧されている」と言えます。
つまり、ここで、個々人の自由を縛ってしまっているのは、「他者の行動についての予想」という「考え方」です。「信念」とか「思い込み」などと言ってもよい。「秘密警察は暴君の意に逆らう者を弾圧するものだ」とか「男は纏足していない女を嫌うものだ」とか「同僚たちは、自分だけサービス残業せずに帰る者には冷酷に当たるものだ」とかいう「信念」「思い込み」です。
「信念」とか「思い込み」とかいう言い方をすると、現実と違うただの幻想みたいなイメージがあるかもしれませんが、そうではありません。「周囲の者は少数民族に同調する側の者を嫌う」という予想が共有されれば、それ自体に何の合理性がないとみんな知っていても、みんな自分を守るために少数民族を差別してこの予想が実現される。
ところが逆に、「周囲の者は少数民族を差別する側の者を嫌う」という予想が共有されれば、全く同じ条件のもとで、やはり各自が自分の身を守って、少数民族が差別されない世の中が実現される。たとえ「幻想」でも、現実の人間の行動によって否が応でも「物質化」され、善かれ悪しかれ「力」を持つわけです。「景気の予想」などは、なおさらそうなります。
すなわち、第一の論点も第二の論点の「理性」同様、人間の「考え方」による抑圧を問題にしているのだということがわかります。
しかも、前々回の最後の部分で問題提起したように、「因習」のような相互束縛を個人の自由への抑圧として問題視するときには、本人が望んでやっているかのように自己表明することを真に受けていいのかという問題があります。因習などによってひどい苦痛や死のような犠牲を引き受けたとき、本人の表層の意識では望んだことのように思っていても、内面には苦痛や恐怖に悲鳴を上げて嫌がっている自分がいるかもしれません。
つまり、「考える私」だけが自分ではない。本能や欲求や情動や肉体としての「生身の自己」がいる。このどちらを「自由であることの主体」とみなすのかという問題で、やはりこれも第二の論点で問題にしたことと同じです。
たしかに、個人の自己決定を最大限重視するリバタリアンの立場としては、最終的には本人が自己表明して選んだことを尊重するほかありません。現実の政策や運動としては、その原則をはずしてはならないケースがほとんどだと思います。
しかし哲学レベルの原理問題としては、前々回の最後の部分でも言いましたように、「本人がいいならいい」と言ってしまったら、DVにも児童虐待にも北朝鮮体制にも何も言えなくなってしまい、リバタリアンの存在意義はなくなります。やはり、第一義的には、本能や欲求や情動や肉体としての「生身の自己」こそ「自由であることの主体」とみなさなければならないということです。第二の論点と同じです。
さらに、第二の論点で問題にした「理性」というものも、多くの人々で共有されてこそ被害が深刻なものになるということを指摘しておきましょう。ここで問題にすべき「理性」とは、「理論」「学説」「思想」「計画」「法令」「要領」「綱領」「信念」等々といったものですが、これらは人々をまとめあげ、互いに齟齬がないように秩序だって目的を達成するために使われるものです。したがってここでも、第一の論点と同じく、人々に共有される「考え方」こそが問題とされているということがわかります。
かくして、第一の論点、第二の論点に共通する図式は、次のようにまとめることができます。──自由とは、本能、欲求、情動、肉体等々としての「生身の個々人」の望む状態が、もっぱら人間の「考え方」のせいで実現できないということがない状態。──これが万人に対等に満たされることを目指すのが、バーリンやハイエクといったリバタリアンの思想を、矛盾がないように徹底した立場だと思います。
ここで言う「考え方」というのは、純粋な個人の意志かもしれませんが、典型的には多くの人々によって共有されているものを問題にしています。その場合、それが別のものに変りさえすれば、多くの「生身の個々人」の満足状態が、犠牲者なく改善できるはずなのに……という理不尽な事態に陥り得るからです。
「生身の個人」はそのまま容認できるか
しかし、このようにまとめたとしても、なお問題が残ります。それが前回の最後で問いかけた問題です。個々人の間で「生身の自己」の望みが共に食い違いなく成り立つならいいのでしょうけど、多くの場合、「あちらを立てればこちらが立たず」の関係になってしまいます。
たしかに、例えば「強姦してはいけません」というルール(「考え方」)によって、「身を犯されたくない」という「生身の自己」の自由を守り、他方の「強姦したい」という「生身の自己」の自由を妨げることは、正しいことだと誰でも思うでしょう。前者の自由が侵されたときの「生身の自己」のダメージの深刻さは、後者の自由が実現できなかったときの「生身の自己」の被るマイナスよりも、はるかに甚大だと誰でも認めると思います。
そうすると今度は、少数の障がい者や文化風習の異なる人の「生身の自己」の望みが、社会の少々の配慮が足りないために実現できなかったケースを考えてみて下さい。それが当事者の「生身の自己」にとって深刻なダメージであるならば、たとえそれが多数派の人々には直接実感できないものだとしても、少々の配慮にともなう多数派側の「生身の自己」のマイナスは容認できることだというのも、同じ理屈からわかります。
しかし、だったらこんな例はどうでしょう。「ナッツ姫」が客室乗務員から袋のままナッツを出されたときの屈辱感のダメージは、我々凡人にとって、肉親が死んだときのダメージに匹敵したのかもしれません。多数派の人々にとって直接実感できなくても、上と同様の理屈を通すなら、それは配慮しなくていいのでしょうか。
身分を隠して宿を求めたお姫様が、ふかふかの羽根布団に仕込んだ一個の真珠玉のせいで、背中の違和感で眠れなかったためにバレたという童話がありましたけど、「少数派の文化風習であれ、お姫様であれ、幼い頃から長年の生活習慣で作り上げられてしまった心身の感じ方を尊重しなければならないのは同じだ」と言われたら、いったいどう反論しますか。
そう考えると、お姫様ならぬ普通の庶民でも問題は同じです。互いに直接実感できない「生身の自己」のダメージのために、どこまで譲るべきかは簡単には決着できない問題になります。声の大きい人のために一方的に食い物にされる人が出てきたり、互いにいがみ合ったりにはならないでしょうか。
つまり、私たちはここまでのところで、リバタリアン思想を自己矛盾がないように徹底させ、「生身の個人」に対する「考え方」による抑圧を批判し、その抑圧から「生身の個人」が自由になることを求める思想として再構成しました。しかし、とは言っても、できあいの「生身の個々人」をそのまま容認するわけにはいかない。その自由のためにも、やはり「考え方」で人を縛ったり動かしたりすることは避けることはできないわけです。その問題をどう解けばいいのでしょうか。
実は、本能、欲求、情動、肉体等々としての「生身の個々人」を本来の主人公とみなして、社会の「考え方」が外からそれを支配抑圧してくることを批判する図式は、ほかならぬカール・マルクス(1818-1883)の著作に生涯貫いているものです。ではマルクスはこの問題をどのように解決したのでしょうか。今回と次回の二回に分けて、マルクスの考えを検討します。
時代が必然的に生み出したマルクス思想
私の属する世代は、政治的に左派的な立場の人たちの間で、マルクスが圧倒的に教祖扱いだったことを経験した、おそらく最後の世代でしょう。しかし、ソ連・東欧体制の崩壊に先立つ頃から続く、カリスマ叩きがかっこよかった一時期を経て、この十年位はようやく、カントなりスミスなりと並ぶワン・オブ・ゼムとして、マルクスその人の文献自体を対象として、冷静精緻に研究するスタイルが、一つの流れとなるところに落ち着いたと思います。
これはとてもいいことだと思います。こうした研究が存在していることの重要さは、どれだけ強調してもしすぎることはないと思います。ときに「重箱の隅」と揶揄されますけど、「重箱の隅上等!」と思います。
しかし、多くの読者にとっては、このようなタイプの読み方は、一部の専門家に任せて、必要に応じて結論を利用すればいいだけの話だと思います。むしろ私たちにとって広く重要なことは、思想全体にザックリと当てはまる単純な図式を把握して、現代的な具体的条件でどう適用できるか考えることです。この把握がきれいにいくほど、偉大な思想家だということになると思います。
マルクスの生涯の友人でパトロンでもあったフリードリッヒ・エンゲルス(1820-1895)は、かつて「マルクス=エンゲルス」とひとまとめに政治利用されていました。それが現在では、マルクスとは別個の人格として扱われ、両者の違いが強調されるようになっています。なるほど文献研究としては当然の、正しい理解だと思います。
しかし私としては、19世紀半ばのヨーロッパという条件のもとで、この二人が出会う前、同じ時期にほとんど同じ思想に到達していたという事実の方が大きいことだと思います。ついでに言えば、ヨゼフ・ディーツゲンという本職は製靴労働者のアマチュア哲学者が、やはりマルクスともエンゲルスとも独立に同じような思想に到達していて、後にマルクスに絶賛されています(注)。
(注)筆者が少年時代最初にマルクスの弁証法を学んだのは、講談社学術新書の三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』(1969年)であった。ここで三浦がディーツゲンをしばしば引用していることが印象に残っていたのだが、学生時代に三浦の勁草書房の「選集」2巻『レーニン批判の時代』(1983年)で、ディーツゲンが絶賛されていたのを見て、当時売られていた唯一の邦訳である『人間の頭脳活動の本質──純粋理性および実践理性の再批判』(森田勉訳、未来社、1979年)を読み、感銘を受けた。その後読み返すことはしていないが、同書は自分の思想形成に大きな影響を与えていると自覚する。
たとえて言えば、アインシュタインがいなくても、遠からず相対性理論は作り出されたはずでしょう。主流派ミクロ経済学の微分を使う手法は、1870年代のほぼ同じ時期に、ジェボンズ、メンガー、ワルラスという三人の経済学者によって、互いに独立に発見されました。1930年代大不況に対処するために、シャハトも高橋是清も、ケインズ理論を知らずにケインズ政策をとりました。マルクス思想も同じだと思います。仮にマルクス個人という人格がなかったとしても、いずれ同時期に生み出されていた同様の思想があったのだと思います。私が探ってみたいのは、その意味でのマルクス思想です。
「生身の個々人」を主人公として、社会全体的な「考え方」による抑圧を批判する図式は、マルクスやエンゲルスに先立つルードヴッヒ・フォイエルバッハらの哲学やアナーキスト社会主義を引き継いだものです。そしてそうした潮流自体が、18世紀末の産業革命でイギリスに確立した資本主義経済が、19世紀前半を通じて全ヨーロッパ世界に波及しはじめた衝撃によって生み出されたものだと思います。この意味で、時代の必然的な流れの中にマルクス思想は位置づくわけです。
さらに、上述の問題へのマルクスの解答も、当時の資本主義経済のもたらす傾向のマルクスなりの把握を前提にして成り立っています。それは実にスッキリと美しい答です。残念ながらそれは、現代の経済条件のもとではそのままではあてはまらなくなっていると思いますし、はたして当時の現実の経済が、本当にマルクスが把握していたようなものだったかどうか自体も、私の乏しい経済史知識では判断がつかないのですが、それでも、スッキリ美しいだけに、それはベンマークとして、今日でもまず検討しておくに値するのだと思います。
マルクスに共通する二項対立概念
さて、ではいよいよマルクス思想の検討に移りましょう。
マルクスの文章はクセがあって大変読みにくいです。独りよがりな冗談や皮肉や当てこすりで満ちていますので、ネタが分からない身としては「ハァ?」です。どこまで本人の主張で、どこまで論敵になりかわった叙述かを区別することも、今の学生には大変なようです。皮肉の褒め言葉を真に受けないことも大事です。どうせ褒め言葉は全部皮肉だと思って読んでいたら、正真正銘のブルジョワ官吏のはずの工場監督官(注)をマジで誉めていたりするので、注意が必要です。
(注)特に、レナード・ホーナー。『資本論』第1巻第8章第6節。
それでもコツが分かればだいぶ読みやすくなります。そのコツの一つは、対語を把握することです。「絶対的」とつく言葉が出たら、近くにほぼ必ず「相対的」とつく言葉が出てきます。同様に、「抽象的」と「具体的」、「本質」と「現象」、「実体」と「形態」といった、「お約束」の対語があります。この対概念を対比させているのだなとわかれば、とりあえず筋が把握できます。
なかでも重要な対概念を並べてみると、対のそれぞれが共通の性質を持っていることがわかります。つまり、マルクスはいろいろなことを、共通の二元的な対立概念の関係で把握しているということです。それは、次の表のようになります(厳密には「対概念」とは言えないものもありますが)。
「A系列」「B系列」というのは、私がここで便宜的につけた言葉です。各対のA系列は、対となるB系列の概念との対比で、抽象的であり、画一的であり、全体にあてはまり(つまり「普遍的」)、人々の「思い込み」とか「評価」とか「命令」とか「予想」とか「ルール」等という意味で、人間の「考え方」です。
B系列の概念はそれとの対比で、具体的であり、多様であり、それぞれ特定の部分にしかあてはまらないものの集まりで(つまり「特殊的」)、人間の本能や欲求や肉体の事情、技術や素材、生活や労働の現場、物質的利益を追う場に根ざすものです。要するに、ここで言う「生身の個々人」の側ということです。
そして、マルクスの議論に共通したストーリーとなっているのは、それぞれの対のA系列は、元来B系列が先にあって、それを社会全体で媒介するものとして、よりよく展開するための手段として、B系列の外に出てくるということです。そのようなものとして発生しながら、A系列はそれ自身がもとからあるものかのように思い込まれるようになり、自己目的化して一人歩きしていきます。そして逆にB系列を手段として支配するようになり、はなはだしくはその正常な再生産を破壊するようになります。
事態をこのような図式から批判的に把握しているという意味で、マルクスは先ほど述べた、リバタリアンの立場を徹底した図式──本能、欲求、情動、肉体等々としての「生身の個々人」を本来の主人公とみなして、社会の「考え方」が外からそれを支配抑圧してくることを批判する図式──に合致しているわけです。
以上のことについて、上の表のそれぞれの項目に則して一つ一つ説明する余裕はここではありませんので、ご関心のある方は、拙著『「はだかの王様」の経済学』(東洋経済新報社)をご覧下さい。学術的な文章が苦にならない人は、拙著『近代の復権』(晃洋書房)をご検討いただければ、申したいことを一層正確にご理解いただけることと思います。
本能的な「生身の個人」を主人公におくのが唯物論
さてこの図式は、先ほど述べましたように、先行するフォイエルバッハら、「ヘーゲル左派」と呼ばれる哲学の一派のうちの「唯物論」の潮流や、アナーキスト社会主義者の潮流の立場を引き継いだものです(注)。
(注)『資本論』の価値形態論に、フォイエルバッハの宗教批判における疎外論の図式がそのまま応用されていることを指摘したのは、副田満輝『マルクス疎外論研究』(文真堂、1980年)である。筆者のしたことは、副田の見方を『資本論』などの他の論点にも応用したことである。
「唯物論」ってわかりますか。私の若い頃までは、左翼世界に足を踏み入れると、まず、「観念論vs唯物論」という学習会をやらされたものです。そして、マルクス主義は「唯物論」だと言って、「観念論」をクサす話を聞かされます。私が「唯物論」について語る時は、こんな左翼世界の常識が行き渡っていることを前提した上で、それを打ち壊して、まるっきり違うイメージの唯物論を説明するところがサプライズだったわけです。
しかし今は、左翼側の方が保守側よりも、よっぽどスピリチュアルしている時代です。まず一旦、かつての左翼の常識であった「唯物論」の説明をした上で、改めてそれを否定するというまだるっこしい手続きが必要でとまどってしまいます。
昔の左翼の「唯物論」というのは、「物事を客観的科学的に見る立場」くらいの意味です。それに対して「観念論」というのは、宗教や精神主義のようなものをイメージして叩くときのレッテルでした。だから、「唯物論」という概念には、理詰めで合理主義的なイメージがありました。それを忘れているはずはないと思うのですが、若い左翼がスピリチュアルしているならば、ぜひとも老闘志に喝を入れてほしいところ、老闘志が率先して「思想堅持すれば負けない」と精神主義に陥ったりしているので困ったものです。
それはともかく、そうした客観的で理詰めで合理的なイメージは、実は、もともとの唯物論のイメージとは違います。哲学者の古茂田宏さんは、かつて次のように言いました。
感性をひたすらに受動的な下級能力とし、理性(悟性)をこの感性とは懸絶した自発性の領域としてつかまえるという伝統は、プラトン、デカルト、カントといつた観念論、合理論に特有な伝統であって、これにたいする唯物論からの挑戦は(プロタゴラス、ホッブス、ディドロ、エルヴェシウス、コンディヤック)、つねにこの「下級能力」と蔑視された感性、受動性に定位し、そこに「自発性」の萌芽を見出すこと、感性からの理性の超越を許さないこと、その感性と理性とのア・プリオリな切断に抗してその連続性を主張すること、等々のなかにおいてなされてきたはずだからである(注)。
(注)石井伸男、清真人、後藤道夫、古茂田宏著『モダニズムとポストモダニズム──戦後マルクス主義思想の軌跡』(青木書店、1988年)、227ページ。古茂田のこの論文は今読み返しても本当に良い。
そのとおりだと思います。フォイエルバッハが唯物論だというのは、昔の左翼の解釈では、ただ「宗教批判をした」という一点だけを指しているように思うのですが、そんなものではありません。フォイエルバッハはものすごい自然主義者で、人間の中の自然の部分を「感性」と呼び、あくまでその感性的な人間を主人公に据えるわけです。ドイツ哲学風の難しい文章で婉曲にセックス礼賛のようなことも書いているので、読んでいて笑えます(注)。このように、「理性」とか「理念」とかではなくて、食って寝て排泄して愛し合って生きている生身の人間を主体、目的としている点で「唯物論」と称されるのです。
(注)船山信一訳『フォイエルバッハ全集』(福村出版) 第2巻、206−207ページ。
フォイエルバッハの宗教批判がすごいのは、「神なんかいないよ」と言っているだけの薄っぺらい批判とは違い、「神とは人間の本質である」と喝破したところにあります。つまり、他の動物から区別される人間の人間たるゆえんは、互いに愛し合って理性で助け合って強い力を発揮するという、社会的な存在である点にあるのですが、こうした、慈愛に満ちて理性的で全能という人間の社会的な側面を、人間の外に投影したのが神なのだというのです。
そして、そうした人間の本質のはずの神が、あたかも人間とは違うものと思い込まれ、現実の生身の人間がそれにひれ伏して、感性的な自己、すなわち本能等々を押さえ付けてしまう。ときにはおぞましい犠牲にさらしてしまう。そんな惨めで苦しいことはやめにしようというわけです(注)。
(注)フォイエルバッハの『キリスト教の本質』からの出典指示は、拙著『近代の復権』74ページの注20を参照のこと。また、同上全集第10巻、23ページも。
これは先ほどの、リバタリアンを徹底した図式そのままです。本能的な「生身の個人」を主人公にして、社会的な「考え方」(ここでは、人間の社会的な性格を投影した「神」という「思い込み」)による抑圧を批判する図式ですね。フォイエルバッハはこのような構図を指して、「疎外」と呼びました。「社会的なこと」という、人間にとって生きていくための不可欠の条件が、生身の個々の人間の自由にできなくなり、自分とは縁遠いもの、外にあるものになってしまう。このことを指した言い回しです。
同様の「生身の個人」本位の思想
ヘーゲル左派には、同様の立場を徹底した論者として、マックス・シュティルナーがいます。これがまたすごい! 他とは異なる唯一無二の「私」という個人に、とことんこだわります。それは「私とは〜である」と一律に決めること自体を許さないものです。
そして、その上に、国家や宗教はおろか、法律も思想も精神も、その他一切の神聖なものを置くことを拒否します。先ほどの表の「A系列」に見られる、「考え方」とか普遍性・共通性のようなものを、抑圧者として徹底的に排撃し、「B系列」に見られる、肉体とか唯一無二の特殊性とかをあくまで擁護します(注)。
(注)例えば、シュティルナー『唯一者とその所有』上(片岡啓治訳、現代思潮社、1987年)、17-19ページ。同書100-104ページ。
フランスでは、同様の立場の思想が、ピエール・ジョセフ・プルードンらのアナーキストによって唱えられていました。アナーキズムって、「無政府主義」と訳されますが、「政府や国家をなくそう」というだけの思想ではありません。政党とか革命のための組織を作ることも、個人の上に支配するものを作ることになるので反対です。「無支配主義」と訳すべきだと言う主張もどこかで読んだことがありますが、たしかにその通りかもしれません。
プルードンは、全体的なことが現場の個々人から遊離してしまうことのないように、現場の個々の生産者の対等な交換で経済を組織することを目指しました(注)。このような、末端の職場やコミュニティでの個々人の民主的自治で経済をまわしていく志向は、それ以前から、イギリスの協同組合主義者のロバート・オーエンとか、フランスのシャルル・フーリエなどが唱えてきた潮流で、マルクスの将来社会像である「アソシエーション」に流れています。
(注)プルードン『勞働權と財産權・聯合主義論』(小野重雄訳、社会思想研究会出版部、1949年)、74-75ページ。
その後、マルクスのライバルとして抗争を繰り広げたアナーキストのミハイル・バクーニンの書いていることを見てみると、こうした潮流のスタンスがとてもはっきりとわかります。
バクーニンに言わせれば、人民を奴隷にするものは、国家や宗教だけでなく、科学や思想もそうで、だから学者というものは、科学と思想の名において人民に指示してくるけしからん存在だ、学者に統治させようものなら、「もっとも鼻持ちならない暴君になるだろう」とのことです(注)。たしかにそういう気もしますけど(笑)。だからバクーニンは、自分の書く本自体、体系化した理論になって人を抑圧してしまうことを嫌って、目次も章立ても小見出しもない、そのときそのときの筆の赴くままズラズラ書き連ねた文章に、あえて(!)しています。
(注)バクーニン『国家制度とアナーキー』(左近毅訳、白水社、1999年)、193-194ページ。
バクーニンが提唱するのは、生きた現実の生活の優位です。抽象的なことは大嫌い。「抽象に頼る者は抽象のなかで死ぬのだ」と言います(注)。やはり、生活している具体的な生身の個々人を主人公とみなして、社会全体的で抽象的な「考え方」が支配抑圧してくることへの批判の図式です。
(注)同上書192ページ。
疎外論を捨てて唯物史観になっただって?
たしかに、マルクスとエンゲルスは、1840年代半ば、『ドイツ・イデオロギー』でフォイエルバッハと、『哲学の貧困』でプルードンと決裂しました。ソ連共産党お墨付きの通説では、「疎外論」なんて、マルクスとエンゲルスの若い頃の青臭い世迷い言であって、この時期以降はそれを捨て、「唯物史観」の立場に転換したのだとされていました。
それに対して、ソ連共産党の権威に反発した1960年代頃の若者の間では、青年マルクスの「疎外論」こそがいいのだというスタイルも流行ったようです。しかし、今から振り返ると、そこで言われていた「疎外」という概念は、先ほど説明したような、フォイエルバッハ由来の疎外の意味とはだいぶ別物だったように思います。
各論者がそれぞれ、自分のお好みの「あるべき姿」を頭の中に設定して、そうなっていない現実を「疎外だ」と断罪するための「お手軽用語」だったような感じがします。それは全くもって、生身の個々人に対して外から「上から目線」で、得手勝手な「考え方」を押し付ける姿勢! その意味で、フォイエルバッハ流の疎外そのものの姿勢だったと言えるでしょう。
そして、「疎外論」を批判する側も、このような「お手軽用語」の疎外概念を想定して批判していたような気がします。
しかし、「疎外」という言葉の意味が、「比較的に物質的、感性的な個々の具体的主体から、それを媒介する比較的に全体的、抽象的な観念物が一人立ちし、自己目的化して、個々の具体的主体の方を手段化して抑圧し返すようになること」を指すのだとすれば、先ほどの表に見られるように、マルクスは疎外論を捨て去ったどころではない。生涯の全著作を貫く図式になっていると言えます。
実際、その後、マルクスが『資本論』を準備する過程で書いた草稿が次々と発見されていくと、そこには捨て去ったはずの「疎外」という言葉がたくさん書かれていたのでした。
そもそも私から言わせれば、疎外論を捨て去って代わりに採用したとされてきた「唯物史観」の考え方自体、疎外論そのものだということがわかります。
唯物史観とは、一言で言えば、生産のあり方(=「土台」)がうまくいくように、それに合わせて政治の仕組み(=「上部構造」)は変っていくという見方ですが、かつてのソ連共産党お墨付きの解釈では、それは、人間の実感を超えた「客観的な歴史の必然法則」として理解されてきました。「資本主義の世の中から社会主義の世の中に変る」ということは、この歴史の必然法則に則るものだと言われたのでした。
入り口では資本主義経済のさまざまな理不尽さへの義憤から運動に足を踏み入れた人も、抜けられなくなった頃には、この運動は正義のためにやっているのではなくて、歴史の必然法則のためにやっているのだと言われ、社会主義運動やそれを名乗る体制の側のもたらすかわいそうな犠牲に目をつぶるように強いられたものでした。
しかし本当はそうではないのです。「土台」とは、生身の個々人が具体的な労働や生活を泥臭く営んでいる場のことです。「上部構造」とは、法制度や政治体制や社会慣習のことですが、それは結局、「土台」の中での生活や労働の展開をうまくまわしていくための、社会全体の「考え方」のことです。そして、後者が前者から疎外するわけです。すなわち、「上部構造」は一旦出来上がるとそれ自体が自己目的化して、「土台」から遊離するわけです。
そうなると、「土台」のあり方が変化して、だんだん既存の「上部構造」ではスムーズにまわせなくなったとしても、「上部構造」はかまわずにそれまでのやり方を押し付け続けることになります。すると、「土台」の中で労働や生活をしている生身の個々人は、その現場の事情がふみにじられて不都合や苦痛を感じていきます。場合によっては生命が侵されます。
しかし、「土台」と「上部構造」のズレはどこまでも続くわけではなく、やがてどこかで、「土台」の事情に合わせて「上部構造」が取り替えられるというのが、唯物史観で言っていることだと思います。
そうだとすると、自分たちから遊離した社会全体の「考え方」による抑圧を批判し、それを、生身の個々人の望むものに取り戻すことを求める疎外論の「正義」の価値観と、「土台」に応じた「上部構造」が実現されるとする客観法則論とは、矛盾するものではなくて一致するのだということがわかります。運動の犠牲者が出ているならば、それに目をつぶるのではなくて、もっと犠牲者が出ないようなやり方(これも「上部構造」の一種)を模索するのが、唯物史観に則った姿勢なのだと思います。
しかし、じゃあ「資本主義から社会主義への移行の必然法則」はどうなるんだとおっしゃるかたがいらっしゃると思います。もちろんマルクスはそう言っています。つまり、資本主義の世の中の次には、疎外がなくなる世の中がくると言っていたわけです。
では疎外をなくすにはどうすればいいのか。すなわち、生身の個々人の望むことが、「考え方」によって妨げられることなく、自由に満たし得ることが、どのようにしたら万人に等しく実現できるのでしょうか。
それが、資本主義経済の発展でできるようになったというのが、マルクスの「解決」になります。次回は引き続き来週の金曜日掲載の予定ですが、このマルクスの「美しい」解決について論じてみたいと思います。
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プロフィール
松尾匡
1964年、石川県生まれ。1992年、神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。1992年から久留米大学に奉職。2008年から立命館大学経済学部教授。