2023.03.10

「リフレ派」と「日銀理論」と「植田裁定」――マクロ経済政策の見取り図(前編)

中里透 マクロ経済学・財政運営

経済

金融政策の運営をめぐる「岩田・翁論争」と「植田裁定」から30年が経過した。中央銀行(日本銀行)が能動的にマネーを市場に供給することができるか否かをめぐって岩田規久男氏(当時は上智大学経済学部教授)と翁邦雄氏(当時は日本銀行調査統計局企画調査課長)の間で行われた論争は、短期には困難、長期には可能という植田和男氏(当時は東京大学経済学部助教授)の論点整理によって決着するかに見えた。

だが、議論はこれで収束とはならず、岩田・翁論争は「リフレ派」と「日銀理論」の間の論争という形で引き継がれ、いまも続いている(「日銀理論」は、通貨供給の受動性や能動的な金融政策の限界を強調する見解を「リフレ派」が批判をする際に用いられる用語であるが、代わりになるよい用語が見当たらないため、本稿では「日銀理論」という表記をそのまま使うこととする)。

白川方明総裁(当時)のもとでの金融政策の運営については、日銀理論に沿ったものとの批判があり、「白い日銀」から「黒い日銀」への転換はリフレ派の勝利を意味するものとする見解もみられたが、「デフレは貨幣現象であり、金融政策で変えられる」(2013年2月7日の衆議院予算委員会における安倍総理(当時)の発言)という見解の妥当性については、立場によってさまざまな見方があるだろう。大規模な金融緩和の実施にもかかわらず、「2%」の物価安定目標の未達が続いたことをうけて、17年頃からは「シムズ理論」(物価水準の財政理論)が、19年頃からはMMT(現代貨幣理論)が注目を集め、景気や物価をめぐる議論において財政政策の役割を重視する見方が強まりつつある。

こうした中、今春(3月19日と4月8日)任期満了を迎える日銀の正副総裁の後任人事の手続きが進み、まもなく「植田日銀」が誕生する。4月4日には黒田東彦総裁のもとで進められてきた異次元緩和からちょうど10年となる。岩田・翁論争と植田裁定は、実際の金融政策の運営においても一区切りを迎えることになる。

そこで、本稿ではこれまでの経過を踏まえ、最近のマクロ経済政策の運営をめぐる見取り図を描いてみることとしたい。

教科書的な「信用創造論」

マクロ経済政策の運営において金融政策の役割を重視する見解にもさまざまなタイプがあって、どこから話を始めるかは悩むところだが、金融政策の運営をめぐる基本的な事項の確認も兼ねて、まずは教科書的な「金融論」のところから話を進めていくこととしよう。

高校の「現代社会」「政治・経済」の教科書や大学の「マクロ経済学」の入門書には、しばしば「信用創造論」という話が登場する。これは中央銀行が供給したお金(ハイパワードマネー)が銀行による預金と貸出の創出を通じて何倍ものお金(マネーストック)となって市中で流通する過程を描くものだ。ハイパワードマネーは現金と準備預金(日銀預け金)からなり、マネタリーベースとも呼ばれる(金融政策の運営をめぐる議論ではむしろ「マネタリーベース」と呼ばれることのほうが多い)。マネーストックは現金と銀行預金からなり、かつてはマネーサプライと呼ばれていた。そして、ハイパワードマネー(H)とマネーストック(M)の比率(M/H)が信用乗数と呼ばれるものだ(貨幣乗数あるいは通貨乗数とも呼ばれる)。

金融政策についての教科書的な説明では、信用乗数が安定的であることを前提に、不況期には中央銀行がハイパワードマネーを増やすことを通じてマネーストックを増加させることで景気回復を図り(産出量が増加)、好況期に景気が過熱した場合にはハイパワードマネーを減らしマネーストックを減少させることで物価上昇を抑えるのが金融政策の基本的な役割とされる。

このような信用創造論とそれに基づく金融政策の説明は、現実の金融政策の運営を理解するうえでの妨げとなることもあるが(この点の詳細については「信用乗数論は信用できるか」(https://synodos.jp/opinion/economy/24113/)をご参照ください)、シンプルで分かりやすく、一筆書きのモデルとしては有益なものだ。

貨幣供給の内生性とマネーのコントローラビリティ

岩田・翁論争と植田裁定はマネーのコントローラビリティ(制御可能性)をめぐる議論であったが、この話は市場に供給する資金(ハイパワードマネーあるいはマネタリーベース)の量を日銀が能動的にコントロールできるかという「金融調節」の話と、市中に流通するお金(マネーストックあるいはマネーサプライ)の量を日銀が能動的にコントロールできるかという「金融政策」の話に分けて考えるとわかりやすい。

各銀行(信用金庫などの預金取扱金融機関を含む)は、顧客(家計・企業)との間で日々、預金の受け入れや貸出などの取引を行っているが、顧客から受け入れた預金の一定割合は準備預金として日銀に預け入れることが法律によって定められている(法定準備)。この際に問題となるのは、公的年金の支払いや税金の収納などがあると、各銀行が日銀に積んでいる準備預金(日銀当座預金)の量に変動が生じ(各銀行の日銀当座預金と政府預金の間で資金の振替が行われるため)、この変動をそのまま放置すると銀行どうしが資金を融通する市場(コール市場など)において金利(コールレートなど)が大きく動いてしまうことだ。

このため、日銀は各営業日の資金需給をあらかじめ予想し、財政要因(公的年金の支払いによる散超、税金の収納に伴う揚げ超など)や銀行券要因(年末・年始の時期に日銀券の発券が増えるなど季節性を伴った現金需要の変化)などによる資金需給の変動を均すべく、資金の吸収・放出を行っている。これが金融調節と呼ばれるものだ。

1か月程度の期間でみると、各銀行が日銀に積まなくてはならない準備預金の量(所要準備額)は、顧客から受け入れた預金の額に応じて相当程度先決の形で決まるため、日銀はその額を所与として受動的に資金供給を行うことが必要となる(能動的に資金供給を行ってもよいが、その場合にはコールレートなどの金利が大きく振れることになる)。「日銀理論」は、金融調節の受動的な側面を強調する見方や立場を批判的にとらえる側から、金融政策の運営に関する日銀の伝統的な立場に対して与えられた呼称である。

だが、やや長い目で見ると、日銀は調節スタンスを緩め・きつめに変えることで金融機関の与信態度を変化させ、貸出と預金の創出に影響を与えることができる(新日銀法のもとで金融政策決定会合が開催され、金融市場調節方針が具体的に明示されるようになる前は、日々の金融調節の様子を観察し、金融政策の運営についての日銀のスタンスを推し量ることが、日銀ウォッチャーの大事な仕事であった)。預金の量が変化すれば、各銀行が日銀に開設している口座に積み立てなくてはならない準備預金の量(所要準備額)も変化することになるから、日々の金融調節において受動的な調節を行っている場合であっても、結果として日銀は能動的に資金量(マネタリーベース)を動かすことができることになる(植田裁定のひとつのポイントは、この点にある)。金融調節における受動的な側面を強調する見解が、金融政策の運営における消極的な態度を意味するものであるとすれば、それは日銀理論と批判されても致し方ない面があるだろう。

もっとも、ここで留意が必要なのは、日銀が調節態度を変えることでマネタリーベースをどのくらい能動的に動かすことができるかは、銀行の与信態度に応じて家計や企業の借入(銀行の側からみると貸出)やそれに伴う預金の額がどの程度変化するかに依存するということだ。

もし銀行の貸出が増え、それに伴って預金が増えていくのであれば、預金の一定割合として算定される法定準備の額も増えることになるから、オペ(公開市場操作)を通じて資金供給がなされることでマネタリーベースが増加することになる。マネーストックはあくまで貸出の増加を起点に預金が増えることを通じて増えていくものであるため(これはいわゆる「又貸し説」によるものではなく、貸出の増加がそれと同額の預金を生み出すという実際の経過を念頭に置いてのものであることに留意)、十分な資金需要がなければマネタリーベースの増加のペースに見合うほどのマネーストックの増加が生じることはなく、結果として信用乗数の低下が観察されることになる。

さきほど説明した教科書的な信用創造論とそれに基づく金融政策の枠組みにおいては、信用乗数が安定的であることを前提に、マネタリーベースの増加がその乗数倍のマネーストックを生み出すとの説明がなされるのが通例なので、あたかも日銀がマネーストックを完全にコントロールできるような錯覚が生じることになるが、実際にはマネタリーベースの増加からマネーストックの増加に至る経路には大きな不確実性があり、マネーのコントローラビリティは不完全なものとなる。

このように、貨幣供給の内生性(あるいは外生性)は、中央銀行(日銀)の金融調節のスタンスだけでなく、家計や企業の行動によっても規定される。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というもどかしさが、金融政策の運営にはどうしても付きまとうことになる。

ゼロ金利と異次元緩和

「短期的にはマネタリーベースはコントロールできない(日銀は受動的に資金供給を行わざるを得ない)」という説明に対しては、「そんなことないのではないか」という反応があるかもしれない。2013年4月に導入された量的・質的金融緩和政策は、マネタリーベースを操作対象とし、「マネタリーベースが、年間約60~70兆円に相当するペースで増加するよう金融市場調節を行う」ものとなっていたからだ(その後、14年10月の追加緩和では「年間約60~70兆円」が「年間80兆円」に変更された。なお、16年9月の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の導入を機に金融政策の枠組みは金利を操作対象とするものに変わっている)。

もっとも、この点については、前任の白川総裁のもとですでに実質的なゼロ金利政策への移行がなされており、政策金利(無担保コールオーバーナイト物)を操作対象とする枠組みにもとにあっても、大幅な超過準備が生じる状態となっていたということに留意する必要がある。このようなもとでは、もし仮に積み不足の生じている銀行があったとしても、極めて低い金利水準で市場から資金を調達することができるから、マネタリーベースを操作対象として金融政策を運営したとしてもコールレートが乱高下するおそれはない。黒田総裁のもとでの大規模な金融緩和は、このような環境のもとで始まったことになる。

実は非伝統的だった「白い日銀」

白川総裁については金融緩和に消極的との印象が在任中から強く持たれており、日銀理論を体現する存在と批判する向きもある。もっとも、白川総裁のもとでの金融政策の運営を子細にたどってみると、そのような印象とは異なる姿も見えてくる。

まず、日銀当座預金に対する付利の枠組みが最初に導入されたのは白川総裁のもとでのことだ(2008年10月に導入が決定された補完当座預金制度)。これはリーマンショックへの対応として市場への資金供給を拡大させていく中にあって、量的な緩和の拡大によって金利が0%に限りなく近づき、コール市場での資金の取引が縮小することがないよう、日銀当座預金(超過準備相当分)に0.1%の付利を行うことを通じて市場機能の維持を図ることを目的に導入されたものである。それまでは、日銀当座預金に付利をするなどということはあり得ないと思われていたから、これは金融政策の運営における大きな変化であった。

長期国債とETF(上場投資信託)の買い入れの拡大は、黒田総裁のもとでの異次元緩和を象徴するものと受けとめられているが、ETFの買い入れを始めたのも実は「白い日銀」である(2010年12月に導入された「包括的な金融緩和」)。この措置と併せて長期国債の買い入れの拡大も実施された。2013年4月に黒田総裁のもとで始められた量的・質的金融緩和は、これらの基盤のもとに実施が可能となったものであり、「異次元緩和に必要なものは、すべて白川総裁が用意してくれた」ということになる。

このように、「白い日銀」のもとでの金融政策の運営は相当に非伝統的なものであったにもかかわらず、白川総裁が日銀理論を体現し金融緩和に消極的であったとの印象が持たれているのは、金融緩和の拡大に疑問を示しつつ、金融緩和を進めていくという白川総裁のスタイルの問題であったのかもしれない。この点は、長期国債の買い入れ拡大を行わず、短期の資金供給を軸に量的緩和政策を進めていった福井総裁が、金融緩和に積極的であったという印象を持たれているのと好対照をなしている。この点を踏まえると、金融政策の運営は見せ方が大事であり、やはり「アート」であるということになるのだろう(速水総裁は「信念」。福井総裁は「アート」。白川総裁は「サイエンス」。黒田総裁は「気合い」)。

“It’s Baaack!”と「大胆な金融緩和」

リフレ派にさまざまなタイプがあるように、「大胆な金融緩和」を推す声にもさまざまなものがあった。そのうち最もシンプルで素朴なものは、教科書的な信用創造のモデルに基づくもので、日銀が資金(マネタリーベース)の供給を増やしさえすればマネー(マネーストック)は増えるとするものだ。実際には超過準備が積みあがるにしたがって信用乗数の低下がみられたが、乗数が低下したらその分だけ余計に資金供給を行えばマネーストックを増やすことができるという指摘もみられた。

より洗練された見解は、「大胆な金融緩和」が期待を動かすことを通じて家計や企業の行動に影響を与えるという波及経路を重視するもので、この見解は”It’s Baaack!”と題するポール・クルーグマン氏(論文の公刊時はマサチューセッツ工科大学教授)の論文(Krugman(1998))のアイデアにヒントを得ている。

一般に金利が下限(ほぼゼロ金利)に到達している場合、金融緩和を行っても名目金利は下がらず、したがって実質金利の低下を通じた景気刺激も期待できない(流動性のわな)。ここからわかるのは、単なる量的緩和は超過準備の積み上がりをもたらすだけで、景気対策としての効果を持ち得ないということだ。

だが、中央銀行が継続的な金融緩和にコミットすることができ、物価が上昇しても粘り強く金融緩和を続けるということについて信認を得ることができれば、名目金利の下げ余地がない中にあっても期待インフレ率の上昇を通じて実質金利を下げることができる。物価の先高観の醸成は家計や企業の支出の増加をもたらし、それに伴う需要増が物価の押し上げにつながって、首尾よくいけば流動性のわなを抜け出すことができるようになる。

このような継続的な金融緩和への信認を得るためのコミットメントデバイスが「大胆な金融緩和」であり、インフレ目標の採用とマネタリーベースの拡大を基本とする金融市場調節方針の設定がその具体的な姿となる。量的・質的金融緩和が始まった当初、黒田総裁や岩田副総裁の講演などでブレーク・イーブン・インフレ率(物価連動国債と通常の国債の利回りから算定される予想インフレ率)がしばしば参照されたのは、このチャネル(波及経路)を通じた効果が実際に表れていることを示すためであった。

継続的な金融緩和にコミットするためのもうひとつの方法は、物価上昇率が目標値に到達するまで金融緩和を続けることを約束するというものであり、これが速水総裁と福井総裁のもとで採用された時間軸政策である(時間軸政策はフォワードガイダンスの先駆けといえるものであり、そのアイデアは植田和男審議委員(当時)によって提示されたものである)。リフレ派からやや距離を置く立場においても、”It’s Baaack!”から導かれるインプリケーションが実際の金融政策の運営に活用されたことは興味深い。

異次元緩和と消費増税の「どえらいリスク」

2013年4月4日、「2%」「2年」「2倍」と赤い字で大書されたボードとともに記者会見に臨む黒田総裁の姿は、大きな衝撃と期待をもって受けとめられた。大規模な金融緩和の実施にもかかわらず長期金利が速やかに低下しないことをもって、量的・質的金融緩和の効果を疑問とする向きもあったが、これは適切な見方とはいえない。もし、「2倍で2年で2%」が実現するということであれば、それ以降の政策金利は十分に高いプラスの水準で推移するはずであり、そのもとでは現在(2013年春時点)の長期金利が高止まりしたとしても不思議ではないからである(もちろん、従来にない規模で国債の買い入れを行うことが決定されたことから、市場で流通する国債の量が減り、国債市場の流動性が低下するのではないかとの懸念があったことも、長期金利の高止まりに寄与していたとみられる)。

「次元の異なる金融緩和」に対しては、「大胆な金融緩和」に期待を寄せていた側から称賛を受ける一方、大規模な金融緩和に否定的な側からは「ハイパーインフレが起きるのではないか」という批判もみられたが、これらはいずれも量的・質的金融緩和が大きなサプライズをもたらしたことの現れといえるだろう。異次元緩和がスタートした時点の黒田総裁は、Eggertsson(2006)のタイトルにある”Committing to being Irresponsible”を体現しているように見えた。

だが、同年9月に転機が訪れる。それは翌年(2014年)4月に予定されていた消費税率の引き上げの影響について検討を行う消費増税集中点検会合(内閣府)に臨んだ黒田総裁が、増税を延期した場合の「どえらいリスク」を強調したためだ。デフレ脱却を最優先課題とするのであれば、景気と物価の下押しにつながりかねない消費増税については慎重な態度で臨むというのが基本となるが(Eggertsson(2006)で提案されているのは“helicopter drop”、すなわち通貨発行による財源調達を通じた減税や給付措置の実施であり、増税はこの提案と真逆の対応となる)、黒田総裁があえて増税延期のリスクを強調したことについては、驚き、称賛、失望、さまざまな声が寄せられた。

その後の実際の経過をたどると、2014年4月の消費税率引き上げ(5%から8%へ)をきっかけに消費が大きく落ち込み、その後、3年近くにわたって景気の停滞が続いた。こうした中で物価上昇のペースも鈍化して、2016年には消費者物価指数の対前年同月比がほぼ毎月マイナスとなり、デフレへの逆戻りが懸念された。追加緩和(14年10月)とマイナス金利政策の導入(2016年1月決定。実施は2月の積み期間から)はこのような状況のもとで行われたことになる。

「デフレは貨幣現象」なのか?

「デフレは貨幣現象であり、金融政策で変えられる」(2013年2月7日の衆議院予算委員会における前原誠司議員の質問に対する安倍総理(当時)の答弁)。このフレーズは、アベノミクスと異次元緩和の中心をなすテーゼとなるものだ。

もっとも、このフレーズについてはさまざまな解釈があり得る。額面通りにとらえると、これはマネタリスト的な言説ということになるが、これだと金融緩和は物価上昇をもたらすだけで、雇用や生産の拡大にはつながらないということになる(短期的には貨幣錯覚によって雇用や生産が拡大するが、しばらくすると雇用や生産は元の水準に戻り、物価だけが上がることになる)。

だが、リフレ政策の採用が謳われたのは、雇用と生産の拡大を通じて「デフレ不況」を克服するためであり、この理解に立てば、「デフレは貨幣現象であり、金融政策で変えられる」は「景気対策として何よりも金融緩和が重要」ということを意味するものととらえるほうが適切と思われる(筆者の知る限り、アベノミクスの指南役であった浜田宏一内閣参与(当時)はマネタリストではなく伝統的なケインジアンだ)。

このような理解に立つと、需要不足が残存するもとでは、デフレは純粋な貨幣現象であるとはいえず、需給ギャップ(GDPギャップ)の大小が物価に影響を与えるという前提に立って、マクロ経済政策の運営を行う必要があるということになる。浜田宏一内閣参与(当時)が消費増税の実施に慎重な見方を示してきたことは、この点からすると自然な話ということになるだろう。

アベノミクスと異次元緩和がスタートした時点では、景気と物価の押し上げに強力な効果をもつと期待された「大胆な金融緩和」は、2014年4月の消費増税の実施をきっかけに変調をきたし、追加緩和やマイナス金利政策の導入を経ても「2%」の物価安定目標は未達の状態が続いた。こうした中、17年頃からは「シムズ理論」(物価水準の財政理論)が、19年頃からはMMT(現代貨幣理論)が注目を集めるようになり、マクロ経済政策の運営における関心事は、金融政策から財政政策へとシフトしていく。後編ではこの経過をながめたうえで、最近時点におけるマクロ経済政策の見取り図を描くこととする。

参考・引用文献

Eggertsson,Gauti(2006)”The Deflation Bias and Committing to Being Irresponsible,” Journal of Money, Credit and Banking 38(2),pp.283-321.

Krugman,Paul(1998)”It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Papers on Economic Activity 2,pp.137-187.

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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