2012.12.18
リフレ政策とは何か? ―― 合理的期待革命と政策レジームの変化
著者からの注釈:この小文は(この節の要約)だけを読んでも概要が理解できるように書かれているため、忙しい方はそこだけでも読んでいただければ幸いです。
前回の記事との関連
(この節の要約)今回の記事では、前回の記事でご説明したリフレーション政策の学問的背景をご説明します。なお、前回の記事とは異なり、中級向けの内容になるため、言葉遣いを改めさせて頂きます。
前回の記事「『二つの悪』の悪い方と戦う ―― リフレーション政策と政策ゲームの変更 https://synodos.jp/economy/828」では一般の方向けに(少し易しめに)リフレーション政策についてご説明しました。今回の記事では「もう少し学問的背景を知りたい」という方向けに(少し難しめに)解説します。
なお、前回の記事とは異なり、中級向けの内容になるため、言葉遣いを改めさせて頂きます。
ハイパーインフレの教訓
(この節の要約)ハイパーインフレについては(前回の記事で)既に説明したが、それらが我々の生活にとって非常に大きな苦痛をもたらす。ハイパーインフレの教訓の一つは「貨幣に関する問題は経済的・社会的に大きな苦痛をもたらす場合があり、軽視すべきではない」ということである(その他の教訓については後述)。
前回の記事でマクロ経済学上のハイパーインフレの標準的定義は「1ヶ月でほとんどすべての物価が1.5倍(以上)になる」場合のことであると説明したが、それをより具体的な場合で考えてみよう。
「今日、1万円で買えた電子書籍端末が、翌日、買いに行ったら2万円に値上げされていた」
このような状況に遭遇したら、誰もが怒りを感じたり、(場合によっては)恐れを感じたりするに違いない。それがさらに「商品・サービスの全般的な価格(物価水準)」に対して起こった・・・つまりほとんどすべての商品・サービスの値段が次の日になると二倍に値上げされていたとしたら、怒りや恐れだけでなく社会全体を混乱に陥れてしまうに違いない(なお、余談であるが「1日(24時間)で物価水準が2倍になる」という状況は[Steve H. Hankeの推計によれば]2008年11月にジンバブエで発生した)。
このハイパーインフレに関するエピソードは「貨幣に関する問題は経済的・社会的に大きな苦痛をもたらす場合があり、軽視すべきではない」ことを我々に教えてくれる(その他の教訓については後述)。
さて、その恐ろしいハイパーインフレは「どのように終焉する」のだろうか?(【多くの読者はビックリするかもしれないが、ハイパーインフレもいつかは終わるのである!】)それについて理解いただくために「合理的期待革命」のことから説明したい。
合理的期待革命
(この節の要約)リフレーション政策(リフレ政策)は合理的期待革命を基盤とした政策である。
2011年10月、ニューヨーク大学のトーマス・サージェント教授がノーベル経済学賞を受賞した。サージェント教授は既にノーベル経済学賞を受賞したロバート・ルーカスJr、キッドランド、プレスコット教授らと共に現代マクロ経済学の一大革命である「合理的期待形成革命」の一翼を担ったことで知られている。伊藤(2011)が活写するようにこの「合理的期待形成革命」は一大潮流を作り出し、現代マクロ経済学の基礎となっている。
合理的期待とは「民間が政府の将来の政策を予測し、その予測に基いて行動をする」という仮説のことである。この用語を聞くと「何だか荒唐無稽なこと」のような気がするかもしれないが、そうではない。たとえば2010年10月にタバコ増税が行われた際、9月時点に多くの愛煙家がタバコの買いだめに走ったが、これは「民間が政府の将来の政策を予測し、その予測に基いて行動をする」ことを示している。その他にも1997年の消費税増税の前に発生した駆け込み需要も合理的期待の例である(完全な証拠ではないにしても)。つまり、合理的期待は(マクロ経済学に導入され始めた当時は革新的な発想であったが)現在になってみれば実は非常に当たり前のことを言っているにすぎない。
実はこの小文で解説している「リフレ政策」はその合理的期待(と政策レジームの変化[後述])を基盤とした政策である。
ハイパーインフレの終焉と政策レジームの変化
(この節の要約)トーマス・サージェント教授の若き日の論文「四大インフレーションの終焉」は「ハイパーインフレーションの終焉には政策レジームの変化(政策ゲームのルール変更)が必要であり、それに伴うインフレ期待の低下が重要な役割を果たした」ことを指摘している。
ハイパーインフレはしばしばセンセーショナルに取り上げられる(世界史の教科書にも載っている)ため、多くの人の記憶に強く残っているようであるが、「ハイパーインフレーションがどのように終焉したか」を知っている人はあまり多くない。
サージェントの若き日の論文「四大インフレーションの終焉(以下、四大)」は、その「ハイパーインフレの終焉」について合理的期待と政策レジームを用いて分析したものである。その論文の中でサージェントはよく知られたように(1)ハイパーインフレは政府・中央銀行が財政をまかなうための「貨幣の過剰な発行」をした結果(この行為を「財政ファイナンス」という)であること、(2)ハイパーインフレは政策レジームの変化(変更)によって終焉したことを指摘している。
政策レジームとは「政府・中央銀行が政策を実行する上で守っている戦略やルール(複数形)」のことであり、政策レジームの変化(変更)とはそれらの「(政府・中央銀行の)戦略やルールを変えること」である。つまり、「政府・中央銀行が、財政赤字を垂れ流し、それを貨幣発行でまかなう」という戦略やルールを採用していたことがハイパーインフレを引き起こし、逆に「政府・中央銀行が、財政赤字の垂れ流しを止め、財政赤字を貨幣発行でまかなうことを止める(要は財政ファイナンスを止める)」という戦略やルールを採用したことでハイパーインフレは終焉したのである(サージェントは「政府・日銀(中央銀行)がある戦略やルールに従って行動している時、民間部門(日々働く皆さんや会社)はそれに反応して行動する」というゲーム理論の考え方を応用している)。
さらに、その「四大」の中でサージェントは「ハイパーインフレが終了した後も、(実は)急速な貨幣成長が続いていた」ことを指摘している。通常であれば、急速な貨幣成長が続いていれば、ハイパーインフレもしくは高インフレも続いているはずである。しかし、ハイパーインフレは突如として終了した。サージェントは、その理由を政策レジームの変化に伴うインフレ期待の低下で説明した。(当然のことであるが、「2011年ノーベル経済学賞に関するスウェーデン王立科学アカデミーによる説明書(Scientific Background)」にはサージェントの受賞理由として論文「四大」と政策レジーム変更に関する研究が挙げられており、これらの知識は現代マクロ経済学の常識となっている)。
サージェントの「四大」の要点を述べると(1)ハイパーインフレを生み出す財政ファイナンスは好ましいことではない、(2)ハイパーインフレを終焉させるには政策レジームの変化(変更)とそれに伴うインフレ期待の安定化が重要である、ということになる。
大恐慌と昭和恐慌
(この節の要約)岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は昭和恐慌時のデフレ脱却に政策レジーム変化とインフレ期待(デフレ期待からインフレ期待への変化)が重要な役割を果たしたことを発見した。
サージェントの「四大」で提唱された「政策レジームの変更とインフレ期待の変化」はハイパーインフレがテーマであったが、それを全く逆とも言うべき1930年代の「デフレーションと大恐慌」に応用したのは、Temin and Wigmor (1990)である(Teminは現Bernanke FRB議長らと並び称される大恐慌研究家)。彼らはその論文では「ルーズベルト大統領登場による政策レジームの変更」により大恐慌からの脱出を解明している。
それと同様なことが昭和恐慌の高橋是清の登場によって起こったことを岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は指摘している。高橋是清と言えば、日銀引受による積極的な貨幣発行と財政政策によって昭和恐慌のデフレと不況を解決した、いわゆる「高橋財政」で知られている。それに対して岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は「昭和恐慌のデフレからの脱却は、日銀引受(つまり積極的な貨幣発行)が実行される前に実現した」ことを指摘している(なお、政策レジームの変更という視点でリフレ政策が語られた最初期の論文の一つに岡田・安達・岩田(2002)があり、現在[2012年]から約10年前のことである)。
以下、岩田規久男編(2004)「昭和恐慌の研究」(東洋経済新報社)終章(pp. 281)からの引用:
昭和恐慌からの脱出の歴史から学ぶべき教訓の第1は、デフレ下では、まず、デフレ予想を払拭して、インフレ予想の形成を促す経済政策が不可欠だということである。(中略)第6章によると、1931年12月の金本位制からの離脱宣言の直後の11月に予想インフレ率は20%程度に上昇したものの、その後、金融政策の転換がなかったために、12月以降になると徐々に低下している。ところが、1932年3月に、国債の日銀引受け方針が報道されると、翌4月には、予想インフレ率は前月に比べて10~15ポイントも上昇し、3ヶ月にわたって30%を超える水準が維持された。すなわち、予想インフレ率の大ジャンプが生じたのである。
実際には、国債の日銀引受けは同年の11月から始まり、期末国債残高に占める日銀保有国債の比率は、日銀引受け前には4%程度だったものが、1932年末の引受け開始後は9%程度へと大幅に上昇した。【しかし、予想インフレ率は国債の日銀引受けが実際に行われてからではなく、その方針が発表された段階で、大きくジャンプしたのである。】この歴史的事実は、次に述べるアメリカの大不況のケースと同じように、金融政策への明確なリフレへのレジーム転換の宣言こそが、インフレ予想の形成のために不可欠であることを示している。
つまり、彼らの研究は「昭和恐慌時のデフレ脱却は政策レジームの変更とインフレ期待(デフレ期待からインフレ期待への変化)によって成し遂げられた」ことを示唆している(さらに彼らの研究の中では「二段階レジーム・チェンジ」(その原型はテミンらの研究に基づく)という枠組みが提唱されているが、紙数の関係上省略する)。
リフレ政策とは、サージェントやテミンらの研究を踏まえ、上記のような「昭和恐慌の研究」から生まれた政策である。
インフレターゲットと政策レジームの変化
(この節の要約)(この節の要約)インフレターゲットを使ってデフレ脱却を行うという方法はポール・クルーグマン(2008年ノーベル経済学賞・アメリカ民主党の熱狂的な支持者としても知られる)によって1998年に提唱された。これも政策レジーム変化の一種である。
日本のデフレ脱却について動学的一般均衡理論の観点から分析したものとしてKrugman (1998)がある(著者[矢野]の意見の大半はこのKrugman (1998)と先述の「昭和恐慌の研究」に依拠する)。クルーグマンは「日本経済のデフレ脱却には『現在の貨幣発行量増加は効果がなく』、将来の貨幣発行量の増加が信認されることが重要である」と論じた。なお、「現在の貨幣発行量増加による(デフレ脱却や景気浮揚)効果がなく」なるような状態を「流動性の罠」もしくは「ゼロ金利制約」という。
そして、彼はデフレ脱却の手法として「インフレーションターゲット(インフレ目標)」の採用を提案している。実はこれは中央銀行が実行する戦略やルールの変更であり、これも政策レジーム変化の一種である。(なお、彼がインフレーションターゲットを提唱した背景として「自然利子率の低下」と「インフレ期待の上昇を通じたマイナスの期待実質金利の実現」というテーマがあるのだが、紙数の都合上省略する。)
また、デフレからの脱却を政策レジームの変化と動学的確率的一般均衡理論(Dynamic Stochastic General Equilibrium Model、DSGE)を用いて研究した論文としてEggertsson (2008)がある。これはサージェントやテミンらの研究を基礎としてDSGEを用いて政策レジーム変更を分析している(なお、エガートソンとは少し異なり、サージェント(と共同研究者ハンセン)が提案した”シュタッケルベルグ解”を用いてゼロ金利制約とデフレ脱却についてDSGEを用いて分析した論文にYano (2012)がある)。
政策レジームの変化 ―― リフレ派への誤解に対して
(この節の要約)リフレ派の意見はともすれば「無制限に金融緩和をしろ」という風に誤解されがちであるが、実際には、ここまで解説したようにサージェントやテミンらの「政策レジームの変化」に関する研究成果ならびにクルーグマンやエガートソン・ウッドフォードらの研究に沿ったものであるといえる。ぜひ「昭和恐慌の研究」をご覧頂きたい(特に第5章・第6章・終章)。
ここまで解説してきたように、リフレ派の出発点となった「昭和恐慌の研究」(2004)の主張は「無制限に金融緩和をしろ」とか「ただ財政政策を行え」というような単純なものではない。リフレ派の意見はともすれば「無制限に金融緩和をしろ」という風に理解されがちであるが、それは誤解である。
サージェントの「四大インフレーションの終焉」、テミンらの大恐慌研究、「昭和恐慌の研究」、クルーグマンやエガートソン・ウッドフォードらの研究等が示すようにデフレ脱却とインフレの安定化には政策レジームの適切な変更・選択が必要不可欠であるといえる。それらの研究に沿い、日銀法を改正する、もしくはインフレターゲットを導入する(もしくは両方を行う)等がリフレ政策の元々の提案である。
結論:リフレ派の見解とは、つまり(1)政策レジームの変化(政策ゲームのルールを変えること)と(2)政策レジーム変化を通じたインフレ期待の安定化が重要であるというというものである。その手段として「インフレターゲット」などが提唱されている。これらの提案はサージェント・テミン・クルーグマン・ウッドフォード・エガートソン等の現代マクロ経済学の分析に沿ったものである。リフレ派の意見はともすれば「無制限に金融緩和をしろ」という風に理解されがちであるが、それは誤解である。ぜひ多くの方に「昭和恐慌の研究」をお読み頂きたい(特に第5章・第6章・終章)。
[注釈] 「二段階レジーム・チェンジ」「自然利子率の低下」「インフレ期待の上昇を通じたマイナスの期待実質金利」等の重要なテーマを取り上げるには大幅な紙数が(さらに)必要であるため、別の機会としたい。
参考文献
岩田規久男編、(2004)、『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社。
飯田泰之・岡田靖、(2004)、「昭和恐慌と予想インフレ率の推計」、岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社。
伊藤隆敏、(2011)、「ノーベル経済学賞にサージェント氏とシムズ氏(経済教室2011/10/20掲載)」、日本経済新聞。
岡田靖・安達誠司・岩田規久男、(2002)、「大恐慌と昭和恐慌に見るレジーム転換と現代日本の金融政策」原田泰・岩田規久男編著『デフレ不況の実証分析──日本経済の停滞と再生』東洋経済新報社。
岡田靖・安達誠司・岩田規久男、(2004)、「昭和恐慌に見る政策レジームの大転換」岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社。
Gauti B. Eggertsson, (2008), “Great Expectations and the End of the Depression,” American Economic Review, American Economic Association, vol. 98(4), pages 1476-1516, September.
Hanke, Steve H. , (2012), “R.I.P. Zimbabwe Dollar” http://www.cato.org/zimbabwe
Krugman, Paul R., (1998), “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Papers on Economic Activity, Economic Studies Program, The Brookings Institution, vol. 29(2), pages 137-206.
Nobel prize (2011), “Scientific Background,” http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2011/press.html
Sargent, Thomas J. , (1982), “The Ends of Four Big Inflations,” NBER Chapters, in: Inflation: Causes and Effects, pages 41-98 National Bureau of Economic Research, Inc.
Temin, Peter & Wigmore, Barrie A., (1990), “The end of one big deflation,” Explorations in Economic History, Elsevier, vol. 27(4), pages 483-502, October.
Yano, Koiti, (2012), “Zero Lower Bounds and a Stackelberg Problem: A Stochastic Analysis of Unconventional Monetary Policy,” Available at SSRN: http://ssrn.com/abstract=2031586 or http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.2031586
プロフィール
矢野浩一
1970年生まれ。駒澤大学経済学部准教授、内閣府経済社会総合研究所客員研究員。総合研究大学院大学博士課程後期修了。博士(統計科学)。専門はベイズ計量経済学と動学的確率的一般均衡理論。