2011.09.12

ウィキリークス「未編集公電公開事件」とリーク社会の今後

塚越健司 情報社会学・社会哲学

情報 #ウィキリークス#未編集公電公開事件#リーク社会#アサンジ#リークサイト

昨年からウィキリークスが段階的に公開を開始している25万1287件の「米外交公電」。しかし2011年9月1日、ウィキリークスは段階的公開をとりやめ、一挙にすべての公電を公開した。量が多い分には問題ないが、じつはこの公電、ウィキリークスがジャーナリズムとしてその活動をアピールするために必要な、ある「加工」が欠如した状態で公開されてしまった。その加工とは、公表されることで生命の危険が及ぶと思われる人物等の氏名削除という編集作業である。

それまでのウィキリークスが慎重に加工という名の編集作業を施してきたにもかかわらず、一体なぜ今回のような事態になってしまったのか。本稿は事件の経緯とその問題点を提起した上で、今後のリーク社会化の未来を考察したい。

事件の経緯

事件を簡単に追ってみよう。

事の起こりは2010年末~2011年のはじめにかけてのことだ。ウィキリークスは、「米外交公電」以前に自らが公開した膨大な量のリーク情報をすべてネット上に公開した。具体的にいえば、P2P(peer to peer)を用いたファイル共有ソフト「Bit Torrent」を用いて世界中に拡散したのである。しかしその過程で手違いがあり、なんと未編集の「米外交公電」すべてのデータも一緒に拡散されてしまっていた。ただし人びとはこの自体に誰も気づかなかった。

しかし2011年8月25日、ドイツの新聞社「フライターク」紙が突如として未編集公電がネット上に公開されていることを報じた。29日には同じくドイツの新聞社「シュピーゲル」紙も報道。これを受けてネット上では未編集公電の探索が開始され、その日のうちにあっという間に発見された。ただしこの未編集公電にはパスワードがかけられており、データを入手してもパスワードなしには公電を見ることができない。

だが、スコットランド出身で在米ジャーナリストのナイジェル・パリー氏は、パスワードに関してあることを思い出した(彼はTwitterの匿名ユーザーたちと連絡を取り最初に公電を発見した人物の一人である)。それは、外交公電事件でウィキリークスのメディアパートナーとして協力関係にあった英新聞社「ガーディアン」が2011年2月に出版した、『Wikileaks: Inside Julian Assange’s War on Secrecy』(邦訳は『ウィキリークス WikiLeaks  アサンジの戦争』)である。その本の中にはガーディアン編集部がアサンジから公電のパスワードを譲り受けるシーンがあるのだが、その箇所に暗号解読のためのパスワードが全文記入されていた(なおパスワードは邦訳版でも確認可能)。

パリー氏が試しにそのパスワードを打ち込むと暗号化は解除され、彼は未編集の公電すべてを手にした。彼がTwitterでこの出来事をtweetすると、ほどなくして情報が世界中に知れ渡った。1996年から活動しており、ウィキリークスとは対立関係にある老舗リークサイト「クリプトーム」が即座に未編集公電をHPにアップするなど、29日~31日のわずかの期間で多くの人びとが未編集公電を目にした。

事態を重く見たウィキリークスは9月1日、未編集公電をすべて自らのHPに公開した。ウィキリークスは「45年分のアメリカ「外交」に光を当てる」と全公電の公開に関してTwitterで高らかに宣言してはいるものの、実情はやむにやまれずといったところだろう。自分たちが入手した情報を他で公開されては示しがつかないからだ。ただし、ウィキリークスは未編集公電を公開するにあたって事前に米国務省に連絡を取り、未編集公電によって生命に危険が及ぶと思われる情報源には注意を喚起して欲しい、警告している。彼らも情報源の生命についての危険は認識してのことだろう。

細かく言えばキリがないが、以上が今回の事件の簡単な経緯である。

未編集公電をめぐる争い

未編集公電の存在が発覚して以降、ウィキリークスを取り巻く環境は一変している。ウィキリークスはパスワードを出版物に書き込んだガーディアンを痛烈に批判し、未編集公電が流出したのはガーディアンに責任があると主張している。一方のガーディアンは、パスワードは一時的なものですぐに変更されると聞いていた。パスワードは書かれていても、詳しい未編集公電の場所に関しては書いていない。また2月の出版から現在まで7ヶ月もあったのに、なぜ何も手を打たなかったのか、等の反論を展開している。ウィキリークス(というよりアサンジ)は怒りが収まらず、ガーディアンに公電の取り扱い契約に違反があるとして、訴訟を検討している。

またウィキリークスはもうひとつ、昨年ウィキリークスを脱退してリークサイト「オープンリークス」を創設したドイツ人のダニエル・ドムシャイト=ベルク(1978~)を批判している。なぜなら、フライターク紙が未編集公電の記事を8月に発表した際、その事実を指摘したのがダニエルだったからである。彼はある日「偶然」に未編集公電のことを知ってフライタークに情報提供したと述べているが、アサンジはダニエルに意図的な悪意を感じているようだ。

さらにウィキリークスは今回の事件で多くのメディアから批判されている。「米外交公電事件」では協力関係にあった主要5メディア(英ガーディアン、米ニューヨーク・タイムズ、独シュピーゲル、西エル・パイス、仏ルモンド)は9月2日、ウィキリークスを非難する共同声明を発表した。国際的なジャーナリスト組織である「国境なき記者団」も1日、情報源の危険を恐れてウィキリークスのミラーサイトの運営を一次中断すると発表した。

ただし誤解されることが多いのでここで述べておくが、今回の事件はウィキリークスの情報源秘匿技術に欠陥があったわけではない。すなわち、生命の危険に晒されたのはウィキリークスに「外交公電」を提供した人物ではないということだ。危険に晒されたのは、米外交公電の中に記入されている米政府への情報提供者や協力者のことである。例えるならば、タリバンの側にいながら裏でアメリカ軍にタリバンの情報を提供した人物のことを指している。したがって、ウィキリークスにリーク情報を提供しようとする情報源については秘匿されており、彼らが発明した「リークツール」に欠陥があったわけではない(もちろん、今回のように人的ミスによる流出がある以上、ウィキリークス全般の信頼性が問われているのは間違いないが)。

リークサイトが被る損失

ウィキリークスはガーディアンやダニエルを批判し自らは被害者であると主張する。しかし、すべてではないにせよ今回の「流出」についてウィキリークスがその責任を免れることは無理であり、結果として次のような問題を引き起こした。

まず、ウィキリークスを中心とする「リークサイト」の信用失墜である。「米外交公電事件」でのウィキリークスは、(1)主要メディアと提携することで、メディアとしての「信用」とウィキリークス自体の知名度を獲得してきた。(2)生命に危険を及ぼす恐れのあるものについては氏名を削除する「編集」を施すことで、自らを「ジャーナリズム」の枠に当てはめてきた経緯がある。

「信用」と「ジャーナリズム」の確立はウィキリークスにとって重要だ。これらの要素があってこそ人びとは「これだけ世界の主要メディアから認められている組織の活動で、人命に配慮しているのだから、彼らのやっていることは正しい」としてウィキリークスを支持する。すなわち、「主要メディアによるお墨付き=信用」と「情報の加工=ジャーナリズム」があればこそ、人びとはウィキリークスを信頼し、彼らに「正統性」があると確信する。それが今回の事件によって、主要メディアからは批判され人命への配慮も欠如してしまった。つまりウィキリークスは人びとの支持を得るための条件を両方同時に失いかけているのが現状なのだ。

さらに、ウィキリークスが信頼を失うことになれば、リーク情報を提供しようとする内部告発者の意志を挫くものにもなりかねない。リークサイトは中東の衛星テレビ局「アルジャジーラ」が運営する「アルジャジーラ・トランスペアレンシー・ユニット」(AJTU)や、米「ウォールストリート・ジャーナル」紙が運営する「セーフハウス」などの大手メディアが運営するものもある。さらに地域に限定されたリークサイトや、ハッカー専用のリークサイト「ハッカーリークス」なるサイトまで誕生している。これらのリークサイトは、そもそもリーク情報が寄せられなければ意味がない。リークサイトの活動が「正しい」活動であるという認識に揺らぎが生じた瞬間、人びとがリークに消極的になってしまう可能性がある。

事件が及ぼした影響

しかし他方で未編集公電はメディアの報道姿勢そのものを問うことを可能にした。日本のメディアでは朝日新聞が唯一、ウィキリークスから日本関連の公電を今年1月に提供された。朝日新聞は公電を精査した上で公益性のあるものについては5月から記事化してきたが、その量は公電翻訳と公電分析を合わせても50件程度で、筆者はやや不満を感じていた(朝日新聞の公電記事はここで読める http://www.asahi.com/special/wikileaks/)。また元外務省の天木直人氏は自身のブログにて次のように述べている。

「未編集情報のすべてが公開されるようなことになると、朝日新聞の正体がわかる。 何を隠して、何を公表してきたのか。それを仔細に比べることによって朝日新聞が外務省にどのように配慮したか、国民の知る権利をどこまで放棄したか、それがわかる。」(天木直人ブログ2011年9月2日付http://www.amakiblog.com/archives/2011/09/02/

もちろん、報道しなかった公電=日本政府に配慮した、ということにはならない。取材不足や時間のかかるもの、判断するのに難しい公電や、たんにニュースとしての価値のないものもあったであろう。しかし公電を提供されたメディアがどの公電を記事化し、どの公電を記事化しなかったかによって、メディアバイアスを分析できる可能性があるのも事実だ。また、編集作業の過程で誰の氏名を削除したかもわかる(ニューヨーク・タイムズ紙と朝日新聞の間に同一公電で異なる編集作業が施されていた事件もあった。詳しくは以下を参照 http://togetter.com/li/132733)。不幸にして公開された未編集公電だが、こうした点には一定の価値を見出せるだろう。

リークメディアの今後

筆者は今回の事件をもってウィキリークスやリークメディアが「終わった」とは考えていないし、また「リーク」が社会に与える影響力とその価値についても過小評価してはならないと考えている。ウィキリークスもその他のリークサイトも、ジャーナリズムに新たな活路を切り開いた点では、依然として評価に値するからだ。

ウィキリークスは外交公電以外にも多くのリーク情報を掴んでいることは間違いない。したがって、新たなリークを世に公表することで失った信頼と人気を取り戻すことも可能だ(ただし、無編集公電が原因で実際に人命が絶たれた場合、その信頼の回復は絶望的であるが)。他のリークサイトにしても、地道なリーク活動が結果的に世界に影響を与えることにもなるだろう。今回の事件をもってリークメディアそのものを全否定する必要はないのだ。

では今後、どうすれば「リークメディア」はその正統性と影響力を回復・発展させることができるのだろうか。本稿は最後にこの点について少々考察をしてみたい。

筆者は、リークメディアの発展にはアサンジのような強烈な個性を有する「アイコン」的存在が欠かせないと考える。アサンジはその振る舞いによって世界中から賛否の議論を呼び、良くも悪くもウィキリークスを印象づけ、「リークメディア」の存在感をアピールした。リークは世界に効果的に発信できなければ、それが持つ本質的な破壊力を十分に発揮できない。

ウィキリークスを脱退して新たに創設された「オープンリークス」は、アサンジのように独裁的に振る舞う「アイコン」の存在を否定する。リークメディアはリークに徹すればよいというのだ。しかし、ただでさえアンダーグラウンドな印象を受けるリークメディアが、「リークシステム」に忠実に振る舞うだけでは、世界にリークを伝えることは難しいように思われる。

今回の事件でふたたび「リーク」=「アンダーグラウンド」といった印象を与えてしまったリークメディア。リークメディアが起死回生を図るのであれば、「メディアとの協調」「ジャーナリズム」に加えて、リークを伝える象徴的「アイコン」が必要なのではないか。それこそが、ウィキリークスと他のリークサイトの影響力を分けていたのではないか。もちろん「アイコン」はしばしば感情を刺激して人びとを扇動するといった危険な要素もある。注意は必要であるが、同時にやはり注目に値する要素であることも間違いない。

ウィキリークスは今後どうなるか、リークメディアはさらに発展するのかしないのか。まだまだリークメディアから目が離せない。

プロフィール

塚越健司情報社会学・社会哲学

1984年生。拓殖大学非常勤講師。専門は情報社会学、社会哲学。ハッカー研究を中心に、コンピュータと人間の関係を哲学、社会学の視点から研究。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップレギュラー出演中。

この執筆者の記事