2014.08.06

2014年インドネシア政変――ヘビメタ大統領・ジョコウィの誕生と「新しい風」

本名純 インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学

国際 #インドネシア#ジョコウィ

ヘビメタ州知事

「対話です。対話から全ての解決策が生まれます。洪水対策も、露天商立ち退きも、労働賃金の問題も。すべて同じです。対話が、これまでのトップに欠けていたものなのです」

もの静かに、しかし自信に満ちた口調で筆者に説明するジョコ・ウィドド氏。通称ジョコウィ。インドネシアの首都ジャカルタ特別州の知事である。彼と初めて会ったときの会話を思い出した。

このときのジョコウィはイメージ通りの人だった。現場主義、庶民派、反エリート、クリーンで改革派……。横浜のスマートシティに関心を示しつつ、ジャカルタの発展ビジョンを淡々と語るその姿は、これまで見てきた政治家とは全く異次元の雰囲気を醸し出していた。胡散臭さがまったく感じられない珍しい人だった。

次に会ったとき、ジョコウィは半日の州内視察に誘ってくれた。事前予告なしでジャカルタ州内の役所を突然訪れ、末端の行政サービスに問題がないかを視察する。朝から昼過ぎまで各地を訪れ、サボっている役所はないか、怠けている役人はいないか、住民本位の行政を心がけているかをチェックする。まず待合室に座っているおじいさん、おばあさんに声をかけ、役所のサービスに不便はないかを訪ねる。みんなびっくりする。「ジョコウィが来た」と歓喜の声が上がり、あっという間に人だかりになる。住民は四方八方から彼にいろいろ語りかける。ジョコウィは聞く側に徹する。それを、カウンターの向こうの役場の職員たちが、緊張度マックス状態で眺めている。そんな光景が行く先々で見られた。

「抜き打ち視察」の理由を道中の車内で聞いてみた。「今までトップが末端組織をチェックしてこなかったから、行政組織は堕落したのです。緊張感を持たすには、抜き打ち視察が最も効果的です」ヘビメタ・バンド「メガデス」をカーステレオから流しながら、彼は両手の指でドラムを叩く仕草で次の移動先を運転手に告げた。この人が大統領になったら政治は大きく変わるだろうな。そう思った瞬間だった。

抜き打ち視察中のジョコウィ(筆者撮影)
抜き打ち視察中のジョコウィ(筆者撮影)

ジョコウィ勝利の「安堵」と「脅威」

7月22日、インドネシアの選挙管理委員会は、同月9日に実施された直接大統領選挙の結果、ジョコウィの勝利を発表し、彼を次期大統領に認定した。

戦った相手はプラボウォ。彼は、スハルト元大統領の長期独裁時代(1966-98)の国軍幹部で、人権侵害のシンボルだった陸軍特殊部隊の司令官として軍内に君臨していた人物である。軍人時代は、反政府活動家の拉致・失踪や、東ティモールでの住民虐殺への関与など、黒い過去が目立つ。さらにはスハルトの元娘婿でもある。プラボウォには、スハルト時代への回帰や反民主主義といったイメージがピッタリくる。実際、選挙キャンペーンでは、スハルト時代の栄光を語り、選挙ばかりの今の民主主義は国民を消耗させていると主張した。

ジョコウィとプラボウォの一騎打ちとなった大統領選挙で、苦戦を強いられながらもジョコウィが勝利を収めたことに、多くの人たちがほっと胸をなでおろした。インドネシアの民主主義は、守旧派勢力の脅威に勝った。そういう評価が国内外のメディアを賑わした。

勝ってよかった。私も心からそう思った。ただ、もっと正確には「プラボウォが負けてひと安心」という意味合いが強い。ジョコウィの勝利は、プラボウォという反民主主義のウィルスからインドネシアを救った。しかし、この「プラボウォとの戦い」という劇場選挙の裏で、ジョコウィは密やかに別のものと戦ってきた。それは、この国に深く根ざす権力エリートの政治文化から自律しようという奮闘である。その戦いは、「新たな風」を政治に吹き込もうとしている。その風が強くなるにつれ、ジョコウィを脅威に思う政治エリートが増えていく。こういう勢力とどう戦うか。その前途は多難である。

談合と馴れ合いの政治で、利権のパイを分けあい、権力関係の均衡と民主政治の安定を維持してきたのがポスト・スハルト時代のインドネシアである(前回のエッセイを参照)。このような政治システムを築き上げてきた民主化時代の政治エリートたちにとって、実は反民主主義を掲げるプラボウォよりもジョコウィのほうが長期的には脅威になる可能性がある。なぜか。それを理解するためにも、今回の大統領戦におけるジョコウィの戦いを振り返ってみたい。

選挙キャンペーン中のプラボウォ(プラボウォのフェイスブックから)
選挙キャンペーン中のプラボウォ(プラボウォのフェイスブックから)

プラボウォの台頭

そもそも、なぜジャカルタ州知事が大統領選に出馬することになったのか。その背景にはプラボウォの台頭がある。そこから見ていこう。

今のユドヨノ政権の船出が2004年。その後10年に渡って安定政権を維持してきた。第一次ユドヨノ政権は2004年からの5年間。2009年の大統領選で再選を果たし、今の第二次政権が2009年10月からの5年間である。この10年間の政権安定の秘訣は、なんといっても巨大な連立与党体制を作って維持してきた点にある。連立与党で国会議席の7割を占めるので、野党の批判にはびくともしない。内閣ポストも連立のパートナーたちに配分して、パワーシェアリングを大事にしてきた。慎重で石橋を叩いて渡るタイプのユドヨノらしい安定政権の作り方である。

しかし、この巨大連立による安定には大きな代償が伴った。改革の停滞や汚職の蔓延である。「虹色内閣」と呼ばれるように、ユドヨノ政権は、政治的方向性やイデオロギーのまったく違う政党の「ごった煮」状態で歩んできた。例えば、スハルト時代の翼賛政党であったゴルカル党が反改革の先鋒となり、急進イスラム勢力の福祉正義党が各地でイスラム勢力の強化をテコ入れする。カラーの違う政党同士が一緒に政権運営をできる大きな理由は、パワーシェアリングで利権の旨味を離したくないからである。各省庁に絡む公共事業の利権は、担当大臣の所属政党に落ちてくる。この仕組みが10年間で強化されてきた。

こういう問題が年々顕在化していくなかで、ユドヨノのリーダーシップに対する国民の不満も蓄積していく。特に2つの汚職事件が政権不信を決定的にした。ひとつは、ユドヨノ率いる民主主義者党の若手幹部たちによる汚職である。同党は、「ユドヨノ新党」ということで、当初はクリーンで改革派のイメージを売りにしてきた。それにも関わらず、2010年以降、党首のアナスを含む次世代のリーダーと言われてきた党のメンバーが、次々と大型収賄容疑で逮捕されていった。「政党政治家はやっぱり信頼出来ない」そういうムードが国民に充満するのは当然である。

さらに2013年、今度は憲法裁判所の長官が巨額の贈収賄容疑で逮捕された。憲法裁は、違憲立法審査や大統領の罷免、選挙結果の有効性を決める重要な機関で、いってみれば政治的公正性の砦である。その長官さえも汚職まみれだった。これで国民の怒りと政治不信は頂点に達した。

このような政治的失望感を、うまく自分の売り込みにつなげたのがプラボウォである。彼はスハルトの娘婿として、90年代の半ばには、国軍で最大の影響力を持つ将校だった。1998年のスハルトの退陣に伴って彼も失脚する。勝手に陸軍特殊部隊に秘密工作チームをつくり、反政府活動家の拉致を命令したという理由で、同年、軍籍も剥奪された。その後、雲隠れのごとく、ヨルダンに渡ってビジネスをやっていたが、6年後には政界復帰の可能性を試すために、2004年のゴルカル党の党大会に参加し、党の大統領候補者選挙に立候補した。この党内選挙では最下位だったが、政界へのカムバックに対して国民の反発がさほど強くないと読み、以後、本格的に大統領への野心を持つようになる。

その足場として、2008年にグリンドラ党を設立した。大資本家である弟のハシムが政党立ち上げの資金を出し、党のコンセプトは右腕のファドリが考えた。右翼ナショナリズムとポピュリズムを融合したようなスローガンを掲げ、強い意志と決断力に長けたプラボウォが、強いインドネシアを復活させる、というイメージ戦略を重視した。

これがユドヨノ政権の末期になって、国民のハートに響くようになっていった。新党であるグリンドラ党はユドヨノ政権に参加していないので、今後の期待ができる。強いイメージがあるプラボウォなら、今の閉塞感を打破してくれるかもしれない。他党の党首をみても、例えばゴルカル党のバクリ党首は、自ら率いる財閥バクリ・グループの悪評でうんざりだし、イスラム系政党の党首たちも汚職疑惑で信頼ならない。野党第一党の闘争民主党のメガワティ党首も一度大統領をやっている。次を期待できる候補がいない。であるならプラボウォに賭けてみたい。そう考える人が急速に増えていった。

SMRCという信頼度の高い世論調査機関がインドネシアにある。2012年に行われた5回の世論調査を見ると、「次にどの大統領がよいか」との問いに「まだわからない」とする回答者が多いものの、選んでいる人のなかでは、プラボウォが常に一位を占めるようになっていた。当時、上述のファドリ(グリンドラ党副党首)も、「この勢いでいけば2014年は勝てる」、「これから2年かけて周到に党とプラボウォの両方を売り込んでいく」と筆者に自信を語っていた。

以上のことからわかるように、「プラボウォの台頭」という現象は、ユドヨノ時代の政治に対する国民の失望の裏返しである。パワーシェアリング政権を作って、安定にこだわってきた代償として、汚職は深刻化し、行政改革は進まず、大統領は決断力も発揮できない。ポスト・ユドヨノ政権に、その打破を期待したい。それができるのはプラボウォだけかもしれない。こういう声が徐々に広がっていったのである。

強い男プラボウォをアピール(グリンドラ党のフェイスブックから)
強い男プラボウォをアピール(グリンドラ党のフェイスブックから)

ジョコウィ現象

そんな状況が一変したのが2013年である。「ジョコウィ現象」といってもよい。彼は2012年9月のジャカルタ州知事選挙で現職を破って当選し、翌10月に州知事に就任した人物である。前職はソロというジャワ島中部にある古都の市長を務めていた。2005年にソロ市長に選ばれ、2010年に圧倒的な人気で再選し、任期半ばの2012年に、所属する闘争民主党(党首はメガワティ元大統領)からジャカルタ州知事選への出馬を要請され、トントン拍子で政界の階段を登ってきた。

ソロ市長の前は、地元ソロ市で木材家具の輸出業を営む普通の人だった。いわゆるエリートの出ではない。金持ちでも軍人でもない。いってみれば庶民である。こういう人がソロの市長になり、住民に対する行政サービスの向上で人気が上がり、今度はジャカルタの州知事になった。その彼が、ジャカルタで何をするかが注目された。

期待を裏切らず、ジョコウィは州知事就任後、すぐに様々な難問に取り組んだ。大量の露天商が道を塞いで渋滞が慢性化している問題や、洪水対策用の貯水池に無許可で住み着いている人たちに立ち退いてもらう問題など、これまでの知事が野放しにしてきた難問に取り組み、対話と説得で解決策を出していった。さらには、州独自の無料診療や教育無償化を導入し、貧しい人たちの健康と教育の充実を図ってきた。渋滞の緩和に向けた地下鉄の建設も、彼の時代になってようやく動き出した。行政改革にも早急に取りかかり、公共事業の決定過程の透明化や、入札のインターネット化、さらには区長の選出に公募制を導入するなど、「奉仕する行政」への変革を訴えた。

明らかにこれまでと違うタイプの州知事の誕生に、ジャカルタ市民は大いに喜んだ。「実行する知事」、「仕事ができる知事」、「庶民目線の知事」といった評判が広がり、連日メディアが彼の「抜き打ち視察」を追っかけてニュースにする。それが5ヶ月も続いた時点で、ジョコウィはすでに単なる州知事としてではなく、有力な次期大統領候補としてメディアが意識するようになっていた。SMRCの2013年3月の世論調査では、初めてジョコウィの名が大統領候補として登場し、支持率10%でプラボウォの8%を抜いた。

このジャカルタでの「ジョコウィ現象」を、いち早く政治的に利用できると閃いた人たちがいた。野党第一党である闘争民主党の若手議員や、闘争民主党の党首メガワティにあまり近くない党内非主流派の議員たちである。

彼らの一番の心配は、翌2014年4月の議会選挙にあった。このままでいくと、党は何の新しいアピールもなく、「独立の父」スカルノ初代大統領の娘であるメガワティの弱々しいカリスマに頼る選挙になろう。それでは多くの地域で負けが多発する。そんな事態になったら、全国各地でイスラム主義政党が幅を利かすことになり、これまで大事にしてきたインドネシアの世俗主義や多様性が衰退してしまう。それは許されない。そうならないためにも「メガワティ以外」で選挙を戦う必要がある。こういう論理を掲げて、ジョコウィの擁立に向けて動くグループが党内に出てきた。

この党内運動のピークが2013年9月の全国集会でみられた。会場に集まった各地の党州支部の幹部たちは、「次期大統領選挙にジョコウィを擁立すべき」という要請を執行部に伝えた。そのアピールに乗らなかったのは中ジャワ州支部くらいである。同州はメガワティの娘のプアンの地元であり、母親の後継者になりたいプアンに気を遣っていた。

メガワティも、この地方支部のジョコウィ擁立要求はショックだった。彼女は大統領選挙に過去2回負けている。そのため、もうこれ以上出馬したくないという思いも強い。かといって、ぽっと出のジョコウィを「人気者」というだけで大統領候補にしていいのか。党内の秩序が乱れないか。いや、もっと大事なのは自分を女王様扱いしてきた党の人間が離れていくのではないか。自分の党内影響力が低下しないか。メガワティに保身の心が芽生えた。党全国集会の夜、彼女は州支部幹部を別邸に呼び出し、「大統領候補を決めるのは党首の私ですから」と念を押し、これ以上ジョコウィのことをメディアで喋るなと箝口令を引いた。

これに便乗したのがメガワティの取り巻き達である。この人たちは、彼女のおかげで党内の影響力のあるポストを得て、それを元にビジネスも上手くやってきた。彼らの心配は、党内求心力がジョコウィに移り、メガワティの影響力が薄れることである。この取り巻き達が、「理想のシナリオ」として模索したのが、正副大統領候補としてメガワティとジョコウィをペアで擁立する案である。人気のジョコウィを副大統領候補にすることで、メガワティの大統領への復帰を実現させるというシナリオである。

ジョコウィはまだ早い。党は伝統的にスカルノ家の血筋でやってきたからこそ根強い支持基盤があるわけで、それを裏切ることになる。そもそもジョコウィは党内でも新参者だ。このような意見がメガワティの側近たちから出された。娘のプアンも、自分が母親の後を継ぐつもりでずっとやってきた立場から、ジョコウィ擁立には消極的だった。こういう人たちが、メガワティをヨイショして、「勝てる勝てる」と吹き込み、大統領選に再度立候補させる目論見を立てていた。

一方のジョコウィは何を考えていたか。彼は、机の上に置いてある各種世論調査のレポートを筆者の前に差し出し、いくつかのページを示しながら、次のようにつぶやいた。「メガワティでは負けるでしょう。プラボウォの人気は高まっています。若い人に支持が広がっています。彼らは軍人時代のプラボウォを知りません。危険です」

筆者も彼に言った。「ジョコウィさんを擁立すれば、来年4月の議会選挙で闘争民主党は躍進します。10年の野党生活から抜けだして国会第一党に返り咲きです。それが党首メガワティのためにも党のためにもベストだ、ということを直接伝えてはどうですか」ジョコウィは姿勢を正し、こう返した。「メガワティの思考回路は複雑です。まずは彼女の信頼を勝ち取ることです。一緒に出かけ、ご飯を食べ、自分を理解してもらう。野心は絶対見せてはいけません」そう言いつつも、「来年1月の党設立記念日のタイミングで擁立を発表してもらえれば、議会選挙まで3ヶ月あるので十分準備ができます。うまくいけば得票率35%も夢じゃない。その勢いで7月の大統領選に突入する。これが理想です」と野望を覗かせた。

しかし、メガワティのほうは、なかなか態度を決めなかった。人気のジョコウィに託すか、やはり自分が出馬するか。取り巻きは後者が良いという。でも自分は本当にプラボウォに勝てるのか。ジョコウィは自分を裏切らないか。メガワティの不安は尽きなかった。

メガワティのジレンマを理解するジョコウィは、極力彼女と会う時間を増やし、裏切るようなことはないというメッセージを送り続けた。それでも2014年1月の党設立記念日に、メガワティの発表はなかった。いよいよジョコウィ周辺も焦り始める。ここで一歩踏み込んだ。ジョコウィが承認するボランティア団体が各地で発足し、草の根運動として、「ジョコウィ大統領の実現」を街頭でアピールするイベントが繰り広げられた。ツイッターやフェイスブックでイベント参加者を募り、メディアもこれを大々的に取り上げ、ジョコウィの出馬を支持する一般世論も高まっていった。その結果、当時の世論調査でも、約50%の回答者がジョコウィとプラボウォの対決では前者に投票すると答え、後者(20%)を大きく引き離していった。

このトレンドを見て、いよいよ党内も動いた。2月の半ば、メガワティ直属のアドバイザリーチームは、彼女にチームの調査結果を伝えた。党のためにも彼女のためにも、ジョコウィ擁立がベストなシナリオであるという結論だった。これでメガワティの腹も決まった。発表は、4月9日の議会選挙のキャンペーンが始まる3月16日の直前にしようという話になり、「ジョコウィ旋風」を活かして大幅な議席増大を狙う作戦を練った。そして3月14日、メガワティはジョコウィを党の大統領候補に指名すると公に発表した。これで勝負あり。多くの人がそう思った瞬間だった。

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メガワティと仲良く植樹するジョコウィ(筆者撮影)

誤算の議会選挙

予想しないことが起きるのが政治の醍醐味であろう。メガワティは、ジョコウィを大統領選に擁立することを議会選挙前に発表したものの、議会選での闘争民主党の得票率は予想をはるかに下回るものだった。同党の選対部長であるプアンが示した目標は27%である。得票率27%という目標は、大統領選を睨んだ目標である。選挙法の規定で、25%以上の得票率、もしくは国会の議席保有率で20%以上を獲得した政党か政党連合のみが7月9日の大統領戦に候補者をノミネートできる。できるだけ党は単独で候補を擁立したい。だから25%を若干上回る数字が、獲得すべき得票率の目標となる。

この数字は夢ではなかった。15年前、民主化後初の99年選挙で同党は33%取っている。当時よりもメディアやSNSの影響が大きい今なら、もっと浮動票を取れると考えていた。とりわけ、ユドヨノ率いる国会第一党の民主主義者党が、幹部の汚職事件の連発で世論が呆れ果てているなか、大量の浮動票がジョコウィ支持で闘争民主党に流れることを期待していた。

メガワティ自身も、4月9日の議会選で党が大勝し、10年間の野党生活から抜け出し、これから来るインドネシア経済の黄金期に、与党の党首として君臨したいと考えていたであろう。そのためにも、世論人気のジョコウィを大統領に担ぎ上げ、長期政権を狙う。1期5年の政権を2期やって2024年。その後はスカルノの血を引くメガワティの息子か娘を大統領候補に据える。それが上手くいけば、今から少なくとも15年は闘争民主党が国政を牛耳れる。こういう夢を描いていた。

ところが、蓋をあけてみたら、第一党にはなったものの、目標の27%どころか20%にも届かない19%という得票率だった。大番狂わせといってよいだろう。なぜそうなったのか。

「キャンペーンは完全に失敗だった」ジョコウィの特別補佐は、筆者にそう嘆いた。闘争民主党は、ジョコウィを選挙キャンペーンの先頭に立たせることなく、遊説先でも彼の国家観や政策ビジョンを語ることを禁じた。政策議論は党内コンセンサスを得てから、との理由であるが、おかげでジョコウィの演説は「党に勝利を」とか「一致団結しよう」とか、誰でも言えるようなお粗末なアピールに終始してしまった。おまけにテレビコマーシャルも、票取り役のジョコウィが出て訴えるものではなく、選対部長のプアンを全面に出す何とも退屈なものを使い、有権者を完全にしらけさせた。

ジョコウィ陣営は、こういう「キャンペーンの失敗」を、議会選で闘争民主党が大躍進できなかった理由として説明する。もっとジョコウィの好きにやらせていたら、目標の27%は実現できた。そう主張する。そうかもしれない。だが「ジョコウィ効果」が大方の予想より小さかった理由は、それだけではない。党もメディアも世論調査も認識しきれていなかった大事な現実があった。それは、議会選の主役はジョコウィでもプラボウォでもなく、国会や州議会や県・市議会の議席を争う全国約20万人の議員候補たちであるという現実だった。

彼らは地縁や血縁、その他もろもろのローカル・ネットワークを駆使して、自らの当選に向けて一年前から準備してきた。地元の様々な集会に顔を出しては寄付金を出し、自分こそが地元に有益な候補であることを訴えてきた。議会選は候補者間の戦いであり、他党候補者はもとより、同じ党から出馬する候補者さえも競争相手となる。自分を有権者に売り込まないと勝てない。党がどうだとか、大統領候補が誰だとかではなく、自分の人気を固める。これが全国各地の議員候補者の行動原理となった。その結果、有権者も、党より候補者を一義的に考え、より魅力的な候補者に票が集まった。ここに闘争民主党の皮算用が大きく外れる理由があった。「ジョコウィを大統領に」と言って騒ぐだけで、地元の発展ビジョンを語れない議員候補は、各地で総スカンをくらったのである。

また、議会選のキャンペーン期間中、ジョコウィが何を語るのか、どのようなビジョンを示すのか、それを聞きたいと期待していた有権者は多かった。それがなかなか出てこないことに対して、沢山の人が失望感を持った。他方、プラボウォは、なりふり構わず大統領への野望むき出しで、がむしゃらに支持を訴えた。無茶苦茶ではあるが、排他主義的な政策ビジョンを怒鳴り散らし、強いインドネシアを作るために自分について来いとアピールした。その姿に、少しずつ着実に有権者の支持が高まっていった。

信頼できる世論調査の結果が5月4日に発表されている。それによると、二人が7月の大統領選で一騎打ちの場合、ジョコウィ支持率は昨年12月の段階で62%だったものの、今年3月には56%、そして議会選挙後の4月14日の調査では52%まで下降した。逆にプラボウォ支持率は23%、26%、36%と上昇した。差はじわじわと縮まっており、嫌なムードが社会を覆いつつあった。

議会選の投票に向かうジョコウィ、メガワティ、プアン(左)
議会選の投票に向かうジョコウィ、メガワティ、プアン(左)

分水嶺となる大統領選挙

それから一ヶ月後の6月4日に、大統領選に向けての選挙キャンペーンがスタートした。7月9日の投票日に向けて、ジョコウィ陣営とプラボウォ陣営が、それぞれ各地で候補者の売り込み合戦を行う最後の機会である。世論調査の多くは、両候補の支持率の差が縮まりつつあり、接戦が予想されると解説するようになった。伸びているのはプラボウォ側である。6月末の調査では、差はほとんど無くなった。このトレンドからすれば、彼が勝利しても不思議ではなかった。

歴史に「もし」はないが、仮に接戦の末、プラボウォが逆転勝利していたら、インドネシアに何が起きていたか。それを考えることで、この大統領選がいかに大事な分水嶺だったかを確認したい。

プラボウォは、副大統領候補にハッタ・ラジャサ(国民信託党党首)を迎え、5つの政党の連合に擁立され、それらと密接な関係にある社会団体の支持を受けた。これらの勢力が、プラボウォの勝利に最も貢献したとして、次期政権下で優遇されることになったはずである。それはどういう人たちか。

まず人権侵害の容疑者たちである。プラボウォ自身が反政府活動家の拉致監禁の過去があるが、その拉致部隊にいた「お仲間」たちも、彼が率いるグリンドラ党や、連立に加わる開発統一党などにいる。こういった退役軍人たちは陸軍特殊部隊の出身者が多い。この特殊部隊は、スハルト時代に秘密工作を専門にしてきた人権侵害の温床である。その人たちが、プラボウォ陣営で大統領選を支えてきた。

軍人に限らない。民間のゴロツキたちもプラボウォ支持で動いてきた。あのヒット映画「アクト・オブ・キリング」に出てくる「パンチャシラ青年団」や、イスラム擁護の名の下で暴力的なデモ活動を各地で行う白装束の集団「イスラム防衛戦線」、さらにはジャカルタの土着民族の利益保護を訴える名目で威嚇行為を繰り広げる黒装束の「ブタウィ統一フォーラム」。これらは皆、毎年何件も暴力事件を起こしているものの、ユドヨノ政権は弱腰で対応してきた。プロボウォ政権が誕生したら、彼らは今まで以上に存在感を増すことになったであろう。

人権侵害や暴力に寛容なだけでなく、おそらく汚職への取り組みも、過去にないほど鈍くなろう。そもそもプラボウォ個人の企業が、石炭や森林や製紙業界に多数あり、公職に就けば利益相反は目に見えているが、それはさておき、彼の選挙陣営は疑惑の人たちが牛耳る。

例えば、プラボウォ支持を真っ先に表明した開発統一党の党首スルヤダルマは、ユドヨノ政権下の宗教大臣だが、巡礼預金不正流用の疑惑で容疑者に指定されている。同じくプラボウォ陣営に入ったゴルカル党のバクリ党首も、自らの財閥に絡む汚職や脱税疑惑を抱える。同じく陣営の福祉正義党の党首アニス・マッタも贈収賄疑惑が後を絶たない。

もちろんジョコウィ支持の政治家たちが全てクリーンなわけではない。ただ、支持政党の党首がこぞって「疑惑持ち」というプラボウォ陣営は、やはり異様である。選挙に勝ったら、こういう党首たちが影響力を持つことは明白で、それに伴い汚職への取り組みが骨抜きになることは想像に容易い。人権侵害や暴力、汚職といった問題に寛容になることで、インドネシアの過去16年の民主改革は大きく後退するであろう。

プラボウォの攻勢

プラボウォ陣営は、ユドヨノ大統領が率いる民主主義者党も最後に加えて6党の大連合を形成した。傘下に5つのテレビ局を擁し、それらが大々的にプラボウォを宣伝する。資金力も抜群である。また、全国の州・県知事の大多数が、この6党の支援を受けている。こういう知事が、露骨にプラボウォの選挙キャンペーンを手伝う。もしくはジョコウィ陣営の妨害をする。こういう政治環境をみると、プラボウォがいかに強力かがわかる。その力は、6月4日に始まった選挙キャンペーンで猛威をふるった。

まずネガティブキャンペーンによる誹謗中傷で、ジョコウィ支持率を落とすことに成功した。プラボウォ陣営は、SNSを駆使してジョコウィ攻撃を繰り広げ、SNSに疎い田舎の村々にはタブロイド誌をばらまいた。特にジョコウィ支持の強い中ジャワ州と東ジャワ州で集中的に行われた。「ジョコウィは偽イスラム教徒である」、「ジョコウィは華人である」、「ジョコウィはイスラエルの手先である」、「ジョコウィは共産主義者である」、「ジョコウィはメガワティの人形にすぎない」などの風評が組織的に村々に伝えられていった。

プラボウォ率いるグリンドラ党も、各地方支部がせっせと地域住民にジョコウィの悪口を吹き込んでいた。その仕事を怠けているのが発覚すると、党本部から破門が宣告される。だから一生懸命にやる。運動資金も中央から潤沢に投下された。それで末端党員も頑張って働いた。「末端の教育と訓練に、ずいぶんお金と時間をかけたのが今回の選挙の特徴だ」とグリンドラ党副党首は筆者に説明した。その結果、おそらく今回の選挙は、これまでで最も汚い選挙となった。

また、5つのテレビ局は、プラボウォに強い決意と決断力があり、ナショナリストで「闘う男」というイメージを植え付けていった。プラボウォ自身も各地での演説で、英雄のイメージを演出し、馬に乗り、感情をむき出しにして「強いインドネシアの復興」を訴えた。「豊かなインドネシアは外国に搾取されており、国のあらゆる貴重な資源が外国に漏れている。この漏れを止めればインドネシアは豊かになる。それを強い意志で実行するのが私である」このように、仮想敵を外国に設定して、ナショナリズムを煽り、闘争的なデマゴーグで人々を沸かせる右翼ポピュリズムが、プラボウォのシンボルとなった。

誰が彼を支持しているのか。おおまかに言えば、若い世代、そして高学歴・高所得者層にプラボウォ支持者が多い。若い人たちの特徴は、昔のプラボウォを知らない点にある。また、高学歴・高所得者にプラボウォ支持者が多い理由は、ジョコウィの庶民派スタイルをよく思っていない点にある。ジャカルタでもソロでも、貧しい人たちの救済策を手厚くしてきたジョコウィの姿は、エリートにとって面白くないだけでなく、場合によっては脅威を抱く対象となる。いわゆる富裕層の政治的保守化であり、彼らが時に非民主的な政治を支持する傾向は、インドネシアに限らず、タイやインド、トルコやエジプトでも見られる。勿論、政治的な背景はすべての国で違うので、一般化できるような話ではない。

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ジョコウィを誹謗するタブロイド誌

奇跡の再浮上

さて、こういうプラボウォの攻勢に、ジョコウィ陣営はなかなか対抗できずにいた。まず、一番頼りの闘争民主党が、末端で動かなかった。大統領選は自分の利害にあまり関係ないと思っている地方党幹部が多く、敵陣営の誹謗中傷を末端でブロックする努力を怠った。彼らにとって、ジョコウィは議会選で党の票を持ち上げるのに必要なマスコットだったが、それが終われば用はない。自腹をはたいてジョコウィの選挙運動をする義理もない。

さらには、党がジョコウィの副大統領候補として選んだユスフ・カラは、事もあろうにゴルカル党の元党首であり、ユドヨノ第一次政権の副大統領である。言ってみれば、かつての敵である。なぜ、そんな人の選挙を手伝わないといけないのか。そういう論理が働いた。

そのため、ジョコウィ自身が遊説先で誹謗中傷を否定することに追われ、防戦一方でフレッシュなアピールに乏しくなった。遊説スケジュールを過密にしすぎたために、予定の場所に来ないということも起こり、待ちぼうけを食った人々のジョコウィ離れも進んでいった。予定通りに遊説が行われなければ、テレビ中継の予定も狂ってくる。せっかく魂のこもったスピーチをしても、テレビ・クルーの到着が間に合わず、放送されないというお粗末な事態も発生した。こういう展開の末、6月末には両者の支持率はほぼ拮抗する。「国家情報庁筋の分析が入ってきた。このままでは我々は負ける」ジョコウィ陣営は、筆者にそう嘆いた。

しかし、ここから奇跡の巻き返しが起こった。ジョコウィ陣営は、怠慢な党に頼るのではなく、これまで真剣に支えてくれたボランティアの運動に最後の望みを託した。7月の第一週、彼らは各地で怒濤の戸別訪問を行い、ジョコウィの魅力を訴え、誹謗中傷を否定し、ジョコウィが掲げる福祉政策や雇用政策を分かりやすく売り込んだ。ツイッターやフェイスブック、BBM、ワッツアップといったSNSを総動員し、ボランティア人数を一気に増やし、全国で100万人を超えた。「一人が一日2人のジョコウィ支持者を増やす」という目標を掲げて、1週間の草の根キャンペーンを行った。もし目標達成なら1400万人の支持を確保することになる。

そのクライマックスが、7月5日にジャカルタで行われた10万人規模の大コンサートだった。200人を超える芸能人やミュージシャンが集まり、ジョコウィへの投票を呼びかけ、市民の力で政治を変えようと訴えた。海外からも、スティングなどの大物アーティストがジョコウィを応援するツイートを発信した。この日は、ジョコウィ運動の復興として大きなアピールとなり、これで4月からずっと下降してきた支持率が再上昇した。このミラクルの一番の貢献者はボランティアである。特に女性ボランティアが運動をリードした。この「新しい風」が政治を大きく動かしたのである。

7月5日のジョコウィ応援コンサートの模様

インドネシアン・ドリーム

7月9日、約1億5千万人の有権者が投票日を迎えた。大きな混乱もなく、朝から投票が行われ、即日開票作業が始まった。過去2回の直接大統領選挙でも、世論調査機関による開票速報が随時伝えられ、かなり正確に公式集計結果に近い数字を示してきた。そのため、今回も大勢はすぐに判明し、両者の対決にピリオドが打たれるものと思われていた。

その開票速報の多くが、ジョコウィの勝利を示していた。約52%の得票率で、プラボウォの47%に5ポイント差をつけた。地域別で見ても、ジャワ人のジョコウィは、やはり最大票田のジャワ島を中心に票を集め、副大統領候補のカラは、スラウェシ島の盟主だけあり、同島での集票に大きく貢献した。このペアで全国の票を狙うという陣営の作戦は、見事に的中した。メガワティは、目に涙を浮かべながら勝利宣言を行い、ジョコウィ支持者たちもお祭りムードとなった。

しかし、プラボウォ陣営は、あっさり負けを認めるほど、まともな勢力ではなかった。開票速報が出て、敗北が決定づけられないように、彼らは詐欺師に近い調査機関を雇って、陣営に都合のよい「開票速報」を発表させた。当然プラボウォ優勢となる。この「お手盛り速報」を根拠に、ジョコウィ陣営の勝利宣言にクレームをつけ、勝負は実際の票集計が終わるまで分からないと訴えた。

選挙管理委員会の公式な集計結果発表は7月22日を予定していた。この間に、各地で手作業の集計作業が行われ、全国で40万を超える投票所の開票結果を村、郡、町、市、県、州と集約していき、最後に中央の選管が全国の数字を発表する。ジョコウィ陣営の懸念は、プラボウォ勢力がこのプロセスに介入し、途中で投票用紙や票の改ざんを試みる可能性だった。地方選管の職員を買収か脅迫することで、数字の書き換えが行われ、最悪の場合、勝敗がひっくり返るシナリオが懸念された。実際、4月の議会選では地方選管職員の買収が大きな問題となっていた。

とはいえ、5ポイントの差を埋めるのは並大抵の介入ではない。3ポイント入れ変えれば勝敗が逆転するとはいえ、それでも300万以上の票を盗む必要がある。それは不可能に近い。そんな大規模な不正は隠し通せるものではない。当然、有権者も黙ってないであろうから、大きな混乱を招く可能性がある。そうなったら最悪である。それを回避するためにも、集計作業を透明にしないとダメである。どうやったら透明になるか。そう考えたボランティアたちは、今度はITに詳しい青年を中心にフェイスブックで仲間を募った。独自の全国集計システムをネットに構築し、末端の投票所の開票結果を写真でアップし、その集計が村から州まで上がってくるプロセスをすべて透明化させた。もちろんこれは公式な集計ではないが、投票所の開票結果自体は公式なデータなので、それをきちっと集計していく作業は、誰がやろうと問題はない。

こうしてボランティアたちは、「選挙を守ろう」というサイトを立ち上げ、誰でも票集計を監視できるシステムを2日間で作り上げてしまった。選管が技術的に難しいと何年も言い続けてきた集計の可視化システムである。このボランティアの活躍で、懸念されていた事態を防ぐことができた。そして選挙結果の正統性を大きく高めることができた。またしても「新しい風」が政治を動かしたのだった。

7月22日、選管はジョコウィの正式な勝利を認定した。得票率53.15%。プラボウォは46.85%。開票速報とほぼ同じ結果である。この日、インドネシアの政治に新しい歴史が刻まれた。軍人でも富裕層でもなく、庶民の出の人が初めて大統領に選ばれたという歴史である。一般庶民でも大統領になれる。インドネシアン・ドリームが実現した日である。

勝利宣言をするジョコウィとカラ(ジョコウィのフェイスブックから)
勝利宣言をするジョコウィとカラ(ジョコウィのフェイスブックから)

もうひとつの戦い

ジョコウィの「プラボウォとの戦い」は、ほぼ決着がついた。プラボウォ陣営は「選管はインチキだ。集計に不正があった。勝者は我々だ」と逆ギレし、選挙結果に対する異議を憲法裁判所に申し立てた。そのため、憲法裁が判決を下すタイムリミットである8月21日まで、選挙結果の最終的な判定は持ち越される可能性がある。しかし、ジョコウィの勝利が憲法裁でひっくり返ることは、ほぼありえない。得票の差が開きすぎている。逆転を正当化するだけの証拠は揃えられない。ただ、悪あがきをしていれば、陣営の政党連合が自分から離れていくのを食い止められる。憲法裁がダメだったら選管を刑事告訴してもいい。同時に、次期国会で特別調査委員会を立ち上げて、選管の不正を追及する。拳を振り上げた以上、徹底抗戦でいく。こういう思惑であろう。

しかし、プラボウォ陣営は脆く崩れていくと思われる。まずプラボウォ連合にいるゴルカル党が寝返る可能性が大きい。臨時党大会を開いて、党首のバクリを解任し、新党首の下でジョコウィ政権に協力して、再び与党の旨味にありつこうと考える党幹部は多い。その手引をするのが、副大統領になるユスフ・カラ元ゴルカル党首である。今のところ、ジョコウィ連合は、次期国会での議席保有率が37%に留まっている。しかし、ゴルカル党が寝返れば過半数となる。次期政権の政策を国会で安定的に通過させるためには、ゴルカル党の取り込みが最も現実的な選択となる。国会第一党の党首になるメガワティは、間違いなくその安定を望むであろう。

こういう従来の党利党略がはびこる日常政治の駆け引きが、「プラボウォとの戦い」という選挙フィーバーの後に待ち構えている。これがジョコウィの「もうひとつの戦い」の相手である。これまで、プラボウォという「民主主義への脅威」と戦うために、ジョコウィ陣営は結束してきた。そのため、陣営内部の問題に、メディアのスポットライトが当たることは少なかった。ジョコウィに群がる人たちは、これから「勝利の配当」を当然とし、政治的な影響力を駆使して既得権益の増大を図るであろう。それはどういう人たちか。

まずメガワティを取り巻く退役軍人たちである。プラボウォとライバル関係にある退役軍人たちが彼女を通じてジョコウィ陣営に入っている。守旧派・反改革で知られる彼らは、ジョコウィ政権の発足で、閣僚や国営企業の監査役など、権力と利権につながるポストを求めている。こういう圧力をはねつけることができるか。

また、闘争民主党の議員も、「庶民派ジョコウィ」とは感覚的に程遠い人たちが多い。彼らの大きな関心は、議会選挙で使った大量のお金をどう回収するかであり、任期中にいかに稼ぐかである。10年間の野党生活から抜け出し、これから与党の旨味を堪能しようと考えている人たちは少なくない。ジョコウィ陣営の他の政党も、同じような傾向にある。

このような勢力は、プラボウォに象徴される「反民主主義」ではない。むしろ今の「質の悪い民主主義」を謳歌したい人たちである。彼らにとって、ジョコウィはすぐに煙たい存在になる。既得権益にメスを入れる行政改革の数々や、汚職撲滅運動、市民の政治参加など、ジョコウィが重視する政策を、国会の内外で妨害しようとするであろう。彼の後ろ盾になっているメガワティでさえ、ジョコウィの感覚と大きな距離がある。彼女も副大統領になるカラも、エスタブリッシュされた政治エリートであり、その世界の「常識」に沿って、ジョコウィに政権運営を期待するであろう。

「利害関係を遠ざけるのです。これが市民に信頼されるリーダーになる秘訣です。私に失うものはありません。政治に負けたらソロに帰るだけです」選挙前、ジョコウィは筆者にそう語った。そして選挙期間中、ジョコウィは極力ボランティアに頼って選挙キャンペーンを進めてきた。この「ボランティアをしたい」と思う市民のハートが彼の唯一の武器であり、今後もそうであろう。既存のエリート政治の力学から自律するためにも、彼は意識的に草の根の政治参加を重視し、市民の声をバックに政権のリーダーシップを発揮しようと試みるはずである。

この「ボランティア主義」と「草の根主義」が、これから「新しい風」としてジョコウィを支え、政治に変革をもたらし、民主主義の質的向上につながる可能性がある。「ヘビメタ大統領」の戦いは始まったばかりである。

プロフィール

本名純インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学

1967年生まれ。立命館大学国際関係学部教授。インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学。1999年、オーストラリア国立大学で博士号取得。2000年から現職。インドネシア戦略国際問題研究所客員研究員・在インドネシアJICA専門家・インドネシア大学社会政治学部連携教授などを歴任。著書に『民主化のパラドックス―インドネシアからみるアジア政治の深層』(岩波書店)、Military Politics and Democratization in Indonesia (Routledge)、『2009年インドネシアの選挙―ユドヨノ再選の背景と第2期政権の展望』(アジア経済研究所)(川村晃一との共編)などがある。

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