2015.05.12
信任されたネタニヤーフ政権――中東政治におけるイスラエルの一人勝ち
2015年3月17日、イスラエルで第20期イスラエル国会(クネセト)選挙が行われた。大方の予想に反して、与党ネタニヤーフ・リクードが第一党になった。だが、2015年5月6日の組閣期限ぎりぎりで、右派・宗教・中道の諸政党から構成される連立内閣の組閣にようやくこぎつけた。
異例中の異例の組閣工作であった。というのも、本来なら選挙後45日以内に組閣されなければならないのであるが、一度組閣期限を迎えて、リヴリン大統領によって1週間、期限が延ばされた上での、議会で過半数ぎりぎり確保できる瀬戸際の組閣だったからである。このような延期はイスラエル政党史上でも初めての出来事である。それだけ、連立内閣の組閣が難航したわけである。
もともと、この総選挙はネタニヤーフ首相が昨年12月、4年任期の途中2年目で国会解散を決意したため実施されたものであった。解散の直接的な原因となったのが、極右勢力のイニシアティブの下で基本法「ユダヤ国家」法案が閣議に提出されたことである。
この提案を受けて、同法案に反対する中道政党の「イェシュ・アティード(未来がある)」(19議席)と「ハ・トゥヌア(運動)」(6議席)がリクードとの連立内閣から離脱することを表明した。このため、ネタニヤーフ政権は議会で過半数を維持できなくなったのだった。
3ヶ月の選挙戦を経て投票が行われたわけだが、これまでのイスラエル選挙史上ではかつてみられなかったSNSが威力を発揮する現象が起こった。これまた異例の事態であった。
事前の各新聞社やTV局での事前世論調査では、労働党とハ・トゥヌアの選挙リストであるシオニスト連合が、リクードに対してかなり優勢であるという結果が出ていた。また、投票日当日のテレビ局3局による出口調査でも、リクードとシオニスト連合は互角あるいは若干リクードがリードしているという結果であった。ところがふたを開けてみると、リクード党が120議席中30議席を獲得して第一党になったのである。投票率は72.3%で史上最高であった。
投票日当日の出口調査と異なって、なぜ大方の予想を裏切る結果になったのか。きちんとした選挙結果の分析がまだできる段階ではないので推測の域を出ないが、投票日当日にネタニヤーフがフェイスブックに流した「右派政党支持の有権者に危機を訴えるメッセージ」だといわれている。
というのも、ネタニヤーフは「アラブ有権者が大挙して投票所に押しかけている、右派の政権が危うい!」といった右派有権者に危機を煽る緊急メッセージを流したため、右派支持の有権者が多数、当日になって投票所に向ったと思われるからである。投票率が史上最高になったのも、このメッセージの影響かもしれない。
このアラブ市民を攻撃対象とした緊急メッセージは、イスラエル国籍をもつアラブ市民の有権者への露骨な人種差別だとして内外から厳しく糾弾されており、オバマ米大統領もその批判の隊列に加わった。だが、選挙当日の選挙運動におけるSNS利用に関しては、まだ十分な法的整備ができていないので、ネタニヤーフのメッセージは合法的だとみなされており、イスラエル・メディアではネタニヤーフの緊急メッセージについてほとんど法的には問題にしていない。
右派、宗教、中道の諸政治勢力による連立内閣
イスラエルは議院内閣制をとっており、クネセトと呼ばれるイスラエル国会は全国一選挙区の完全比例制である。解散がなければ4年である。イスラエル政党史を振り返ると、建国以来、単独政党だけでの組閣は一度もなく、常に連立内閣であった。1980年代以降、多党化現象が顕著になっていたため、1996年から2001年まで、首相公選が導入され実際に三度首相公選が行われた。
しかし、二大政党制をめざす首相公選制の試みも、議会の多党化の流れを押しとどめることができず、結局、2001年シャロン内閣の時に廃止された。今回は国会議席が獲得できる最低得票率を3.25%まで引き上げて、多党化現象を食い止めようとした。
さて、冒頭で述べたように、ネタニヤーフ・リクード党首は右派政党と宗教政党中心の連立内閣を組閣した。ネタニヤーフが連立先として選んだのは、極右、宗教(超正統派ユダヤ教)、中道の諸政治勢力である。
極右勢力からは、まず、組閣期限当日まで粘りに粘った「ユダヤの家」(8議席獲得)である。この政党は宗教シオニズムの流れを国家宗教党が極右政党と糾合して成立したもので、政策としてヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地建設を強行している極右政党だ。[※1]
[※1]もう一つの極右政党に、前内閣の外相であったリーベルマン党首率いる「イスラエル我が家」(6議席獲得)がある。この政党は元々ロシア系移民政党で、人種主義的スローガンとしてイスラエルからのアラブ排斥を唱える極右政党であるが、リーベルマン党首はネタニヤーフ首相との個人的確執から外相を辞任し、今回の連立内閣には加わらない決断を下した。
超正統派ユダヤ教の宗教勢力からは7議席のシャス党(スファラディー・トーラー護持党、非欧米出身の超正統派ユダヤ教徒が支持)、6議席のユダヤ教統一律法党(欧米系の超正統派ユダヤ教徒が支持)が連立内閣に加わった。[※2]
[※2]そのため、ユダヤ教宗教政党と犬猿の仲の世俗主義を唱えるラピード党首の率いるイェシュ・アティード(未来はある)党は連立内閣に今回は加わらなかった。
中道勢力からは、リクードから離脱して今回初めて10議席を獲得した、カハローン党首の新党クッラヌー(「われわれすべて」、日本風にいえば「みんなの党」)である。
以上のように右派、宗教、中道の諸政治勢力で連立内閣を組むと合計61議席となり、120議席の議会においてぎりぎり過半数を確保できるわけである。したがって、基本法によって組閣者を指名する権限をもつリヴリン大統領(リクード出身)はネタニヤーフ・リクード党首を指名し、何とか期限内に組閣に成功した。
ただ、同大統領はリクード以来、ネタニヤーフとは政治的確執があったため、かねてからリクードとシオニスト連合(労働党)の大連立を望んでいたと報じられ、最後の最後まで組閣については予断を許さない状況が続いた。
選挙前の世論調査では、左派のシオニスト連合が第一党になるだろうと報じられていた。しかし、労働党と中道政党ハ・トゥヌア(運動)党の統一会派であるシオニスト連合は前回に比べて6議席を伸ばしたものの、結果的に24議席を獲得するにとどまり、30議席のリクードには及ばなかった。
労働党優勢という事前の世論調査の背景にはネタニヤーフ前政権下での経済政策の失敗があった。家賃等の物価高騰への無策に対する国民の不満が高まっていたからである。つまり、選挙の争点は経済だった。
前回の選挙で19議席を獲得したイェシュ・アティード(未来はある)党が11議席まで減らしたのも、争点が経済だったからである。というのも、同党党首ヤイール・ラピードはネタニヤーフ政権の経済相であったため、その失政が有権者から厳しい判断が突き付けられたのだ。
逆にカハローン・みんなの党党首は、かつてリクード政権の通信相として携帯電話料金の大幅な値下げを実現したという実績があったため、大胆な経済政策への大きな期待が膨らみ、同党は10議席を獲得したのであった。実際、カハローンはネタニヤーフ新連立内閣で経済相に就任するだろうと報じられている。
イスラエル政党史を振り返ると、諸政党は合従連衡の選挙戦術のため、選挙のたびに統一会派(選挙リスト)の形成をめぐって離合集散を繰り返してきており、傍目にはひじょうにわかりにくい。しかし、実は今回の選挙結果を2013年に実施された前回の選挙結果を政治勢力ごとに比較すると、右派勢力の総議席が44議席、左派勢力が29議席、中道勢力が21議席を獲得しており、それぞれ1~2議席の増減以外はその勢力図はほとんど変わっていないことがわかる。
それでは今回の選挙でどのような議席の変化が起こったかというと、ユダヤ教超正統派の二政党(シャス党およびユダヤ教統一律法党)の合計が18議席から13議席に減少したことと、アラブ諸政党の議席合計が11議席から13議席に増加して議会第三党に躍進したこととなる。前者の場合は、シャス党の精神的指導者であったオヴァディア・ヨセフ師が2013年10月に死去してシャス党が分裂したため。後者の場合はアラブ諸政党が選挙史上初めて統一会派を作って選挙に臨んだため、アラブ市民の投票率が一挙に上がったからであった。
ただ、アラブ統一選挙リストの場合、共産主義者、アラブ民族主義者、そしてイスラーム主義者の「呉越同舟」であり、政党としての綱領の一体性に欠けている。とはいえ、ユダヤ人国家イスラエルにおいて人口の約20%を占めるアラブ有権者が統一会派を作って選挙に臨み、しかもアラブ有権者の投票率がこれまでになく高かったことは歴史的事件でもあった。
これまでは多くのアラブ有権者は棄権していた。したがって、今回のアラブ統一選挙リストの躍進によって、ネタニヤーフがイスラエル国家のユダヤ性が危うくなるといった危機感を持ったのも、むべなるかなといったところである。
他方、右派緒政党内においては「ユダヤの家」が12議席から8議席に減り、「イスラエル我が家」がリクードから分離して6議席になった。「イスラエル我が家」は前々回、単独で出た時には15議席を獲得していたので、今回は半減したといえる。
要するに、今回右派支持層の票はほとんどリクード党に流れたことになる。このことからも、アメリカの反対を押し切ってのユダヤ人入植地拡大、そしてネタニヤーフ連立内閣瓦解の原因となったイスラエルはユダヤ国家であるという基本法の制定の問題を含めて、極右諸政党の強引な政治手法に、国民は一定程度の不信任を表明したということになる。【次ページに続く】
混迷する中東政治と一人勝ちするイスラエル
しかし、ネタニヤーフ首相が和平に消極的な右派・宗教・中道の諸勢力を糾合して新連立内閣を組むとすると深刻な問題が残る。すなわち、対米関係である。ネタニヤーフは選挙前、選挙戦術のため強硬なタカ派的な姿勢を明確にして、自分が政権を獲得したらパレスチナ国家樹立はありえないとまで明言した。
和平交渉仲介でイスラエルの強硬姿勢のため和平が停滞してきたことに業を煮やしたオバマ米大統領は、リクード勝利後、対イスラエル政策の大幅な転換をも示唆した。アメリカ・イスラエル関係は最悪になったのである。ネタニヤーフ政権下ではイスラエル首相と米大統領とのホットラインも途絶えてしまった。
ネタニヤーフ首相は米大統領や米国務省の頭越しに、米共和党や米議会、軍との関係を一方的に強めているため、相手国の政権政党と関係を持たないという変則的な関係になってしまっている。ネタニヤーフ新政権がこれからも入植地拡大を続け、対米関係が悪化していけば、和平交渉もまとまらない。このまま対米関係が悪化し続けると、それはネタニヤーフ政権のつまずきの原因になるかもしれない。
イスラエルとアメリカ関係は、アメリカ国内における強いイスラエル・ロビーの政治的影響のため、外交問題というよりも、国内問題であるかのように機能しているからである。
さらに、「アラブの春」以降の中東情勢の、液状化ともいっていい政治的混迷状態がある。そのような周辺諸国の政治的混迷は、イスラエルにその矛先が向かないという意味においては、イスラエルにとってはむしろ歓迎すべきことである。「アラブの春」で最大の懸念であったエジプトにおけるムスリム同胞団のムルスィー政権は、スィースィー将軍による事実上の「クーデタ」で瓦解し、その後、スィースィー政権が成立し、再びイスラエル・エジプト間の同盟関係は盤石のものに戻った。
その上で、たとえシリアで内戦が勃発し、イラクのマーリキー前政権のシーア派優遇政策のためイラクおよびシリアにおいて「イラク・シャーム・イスラム国(以下、ダーイシュ)」がその勢力を伸ばして、2014年6月末に「イスラーム国」がカリフ制を復興したところで、ダーイシュはイスラエルにとって当面直接的な脅威にはなっていない。
むしろネタニヤーフ政権下のイスラエルとしては、イランの核の脅威の方がはるかに重大な問題である。そして、イスラエルによる「イランの脅威」論は、2013年夏以降のアメリカによる対イラン関係の改善によって、たしかにいっそう高まってはいる。とはいえ、他方ではアメリカの立場も一貫性を失いつつある。
ダーイシュへの空爆を開始したアメリカにとって、シーア派を第一の敵とするダーイシュの潰滅のためには、イラクのアバーディー・シーア派政権と同政権を支えるシーア派大国イランの協力が不可欠である。シリアにおけるアル・カーイダ系のヌスラ戦線およびシリア・イラクにおけるダーイシュの拡大を抑えるためにも、アメリカはイランと友好関係にあるシーア派の一派であるアラウィー派のアサド・シリア政権も容認せざるを得ない状況に置かれている。
さらに、サウジアラビアの存在もアメリカにとっては悩ましい。アメリカはイラクでは対ダーイシュのためシーア派勢力を支援しながら、イエメンにおいてはサウジアラビアによるシーア派(イエメンの約半数を占めるザイド派)攻撃を支持するという矛盾した対応を取らざるを得なくなっている。
2015年3月にサウジアラビアは、イエメンのシーア派の一派であるザイド派の中の政治グループのフーシー派が、イランによって支持されているということを理由に、その潰滅のためイエメンへの空爆を開始した。サウジアラビアにとって不倶戴天の敵で、イエメンに拠点を置くスンナ派テロ組織「アラビア半島アル・カーイダ」とフーシー派が対立しているにもかかわらず、である。
このイエメン空爆を機に、スンナ派が圧倒的多数を占めるアラブ諸国内において、シリア及びイラクと同じように、対シーア派という宗派レベルにおけるスンナ派の共同戦線が組まれつつある。
伝統的にペルシア湾での覇権をめぐってイランと激しく対立してきたサウジアラビアの存在が、対イラン関係の改善に伴ってアメリカにとってもお荷物になりつつある。アラブ世界の覇権をめぐってサウジアラビアと敵対してきたスィースィー・エジプト政権も、今回はサウジアラビアを支援している。
以上のような敵・味方関係が錯綜した中東政治情勢の液状化は、イスラエルにとって有利な方向に動いている。オバマ政権から嫌われても、「イランの脅威」論をテコにしつつ、中東域内政治においては対米関係の悪化を埋め合わせるに足る政治的状況が生まれつつあるからである。
中東政治におけるアメリカの政治的影響力の低下は、中東域内政治の地域大国(イラン、サウジアラビア、トルコ、エジプト、イスラエルなど)の自律的な動きを促進し、アラブ・イスラエル紛争というこれまでの対立軸は後退する。代わって、アラブ世界では、スンナ派とシーア派の宗派レベルの政治的対立が激化しているのである。
加えて、イスラエルは中長期的には同国の国益には反するものの、中東域内政治においてはとりあえずアメリカから相対的に自由な外交的フリーハンドが与えられつつあることも意味することになる。
イスラエル総選挙におけるネタニヤーフ政権の事実上の信任は、中東政治におけるイスラエルの一人勝ちと、その政治的安定性の印象をより一層強いものにした。今後、イスラエルがパレスチナ国家建設断固拒否の姿勢を貫き、イスラエル・ボイコットとパレスチナ国家承認がどんどんと進んでいるEU諸国との関係を悪化させても、その代償として中国・インドなどのアジア諸国との関係強化によってその関係悪化を補填すればよい。
また、エジプト、ヨルダン、サウジアラビア、アラブ湾岸産油国などのスンナ派のアラブ穏健派諸国との事実上の関係改善を通じて、イスラエルは皮肉なことに中東の政治的混迷に乗じて外交的・政治的孤立からも事実上、脱却する道筋がほのかながら見えてきたというのが現状であろうか。
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プロフィール
臼杵陽
1956年6月、大分県中津市生まれ。大分県立大分上野丘高校を経て、1980年3月に東京外国語大学アラビア語学科卒業。同年4月に東京大学大学院社会学研究科国際関係論専攻修士課程に進学、1988年3月に東京大学大学院総合文化研究科国際関係論博士課程単位取得退学。京都大学博士(地域研究)。在ヨルダン日本国大使館専門調査員を経て、1988年4月に佐賀大学教養部専任講師、助教授(社会学アジア社会論担当)。1990年11月から約2年間エルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所客員研究員。1995年4月より国立民族学博物館地域研究企画交流センター助教授、教授。2005年10月に日本女子大学文学部教授に就任。