2010.10.26

「赤いエド」なのか?

イギリス労働党の党首にエド・ミリバンドが選出された。「ミリバンド」と聞いて、政治学者がまず思い浮かべるのは、マルクス主義研究者のラルフ・ミリバンド。エドはラルフの次男である。

エドと党首選で争った長男デイヴィッドも、ブレア政権を盛り立て、つづくブラウン内閣で外相を務めた政治家である。ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」ほどではないにしても、ドラマティックな展開である。

9月に行われた党首選では、ブレア流の「ニューレーバー」路線の象徴たるデイヴィッドと、ブラウンのブレーンでもあった「赤いエド」の実質的な一騎打ちとなった。そしてエド・ミリバンドは、労働党のコアな支持者や労組の票をまとめ、僅差で兄を破った。

エドは、党首としてはじめての演説で、「労働党の新しい世代は違う。違った態度、違ったアイディア、違った政治手法をとる」と宣言した。

「赤いエド」と巷で喧伝されるほどには、エドは左派色を鮮明にしているわけではなく、演説でも「社会民主主義」という言葉は一度も使われることがなかった。演説を受けて、英フィナンシャル・タイムズ紙は、ミリバンドの労働党は「中道で統治する意思を明らかにした」と論評している。

しかし、若き党首がロンドンでのゲイ・パレードを引き合いに出しつつ、労働党政権下で同性婚が認可されたことを、同政権の成果として誇ったように、より個人主義的で開かれた政治を目指していることはたしかである。

いずれにしても、「ニューレーバーの終わり」を唱えたエドが選出されたことは、もしかしたらヨーロッパの左派にとって大きな意味をもつかもしれない。

「ニューレーバー」とは、周知の通り、1990年代からつづいたブレア元首相による「オールドレーバー」からの脱却の試みであり、ここから生まれた「第三の道」を唱えたことが、1997年の18年ぶりの政権奪回につながった。

このブレア路線に異議を唱えるエドが、このままつぎの総選挙で政権交代をもたすとすれば、それは新たなヨーロッパ社民主義のモデルの誕生を意味するかもしれないのだ。

「ソリッド」vs「リキッド」な近代

乱暴を承知で、社民主義を一言で表現すれば、「生産関係を基盤にした政治における改革主義」のことだといえるだろう。したがって、1970年代のオイルショックによって戦後の経済産業構造が転換するのと同時に、多くの国で左派勢力が勢いを失い、ついで80年代に新自由主義勢力の台頭をみたのは偶然ではない。

反対に、80年代の新自由主義は、「個人主義を基盤にした自由市場主義」である。ここでかつての社民主義の核となっていた、生産関係を基礎にした連帯や進歩主義は崩壊することになった。

社会理論家のバウマンは、現代が経済成長・集団・組織・教育・共同体・長期性といった要素から成り立っていた「ソリッドな近代」から、解放・消費・自由・選択肢の増大・短期性を所与とする「リキッドな近代」へと移り変わったと論じる(森田典正訳『リキッド・モダニティ』)。

規型や形式はもはや生活政治(ライフ・ポリティックス)にさきだち、生活政治の枠組みを決定するようなものではなく、逆に生活政治を追いかけ、生活政治の変化にあわせて形づくられるものになった。液状化の力は「体制」から「社会」へ、「政治」から「生活政治」へおよび、社会生活の「マクロ」段階から「ミクロ」段階へと降りようとしているのである。

もちろん、「ソリッド」な近代は、流動性が低いから閉鎖的で抑圧的な側面がある。それに対して、「リキッド」な近代はより開放的ではある。だが、共同体や所属から放出されて個人化が全面化し、これにリスクや不安が付随する。

「ネオリベ」の承認

90年代後半は、ブレア労働党だけでなく、ドイツのSPD(社民党)、フランスの社会党などを中心として、ヨーロッパ主要国で左派政権がつぎつぎに誕生し、「バラのヨーロッパ」(バラは社民・社会主義の象徴)などと呼ばれた(当時の雰囲気は、高橋進『ヨーロッパ新潮流―21世紀を目指す中道左派政権』に伺うことができる)。

その背景には、戦後体制のなかで完成し、70年代に破綻した社民主義/社会主義レジームを左派政党が捨て去り、80年代の新自由主義レジームと妥協する姿勢が評価されたことがある。

当時、英ブレア首相と独シュレーダー首相が共同で発表した宣言、「新たな中道/第三の道」はつぎのように謳っていた。

われわれの政治を、今日の現代的で新たな経済の枠組みに適応させなければならない。それは、企業に付随するものではないが、しかし政府は企業を支持するためにあらゆることを遂行するということを意味する。市場の本質的な機能は、政治行為によって妨げられるのではなく、補完され促進されなければならない。われわれは市場経済を支持はするが、市場社会は支持しない。

つまり、80年代に新自由主義が誕生した前提を受け入れて、より「マーケット・フレンドリー」で「ビジネス・フレンドリー」な政治を行うことを約束したことで、90年代の社民は信頼をふたたび獲得、政権与党としてリバイバルすることができたのである。

しかし2000年代後半に入り、オセロのように情勢がひっくり返り、ふたたびドイツやフランス、北欧諸国で保守政権による政権交代が、相次ぎ実現された。

その理由を知るには、バウマンの区分がまたしても参考になる。すなわち、「リキッド」な近代にあって、個人化が不安やリスクを促進するのであれば、世界不況や9.11同時多発テロを背景とした、漠然としたセキュリティ意識の高まりは、「個人概念」をベースにした保守派に有利に働くからだ。

さらに福祉国家の揺らぎは、移民が自国人の権利を侵害しているという「福祉ショーヴィニズム」を招き寄せる。以下にみていくように、21世のヨーロッパ保守も、やはり新自由主義の承認によって、その性質を変化させたのである。

「極右」の台頭

個人化の不安にもっとも適応的なのは、極右勢力である。そうした意味では、ヨーロッパの極右政党は復古主義ではなく、むしろ時代精神を体現する政治勢力でもある。そして極右の台頭にともない、従来の保守政党も右傾化せざるをえない。

ミリバンド労働党誕生とほぼ同じタイミングで、しかしまったく異なる意味でヨーロッパ各国を唖然とさせたのは、スウェーデンの選挙結果だった。この選挙で、中道右派・穏健党を中心とする連合が勝利すると同時に、同国ではじめて極右政党(スウェーデン民主党)が議席を獲得したのだ。

ちなみに戦後のスウェーデン・モデルをつくり上げてきた社民労働党は、史上初めて二回連続で総選挙に敗北、しかも史上最低の得票率に甘んじる結果となった。デンマークもまた、極右・国民党の閣外協力なしに、議会での安定多数を確保できない状況に追い込まれている。

その他フランス、イタリア、ハンガリー、オランダ、ノルウェー、ベルギー、スイスといった国々において、極右政党は無視できない政治勢力として定着している。

こうしたなか、最近では、フランスのサルコジ政権は不法占拠するロマ人の追放に着手した。また、オランダでは選挙の結果、自由民主国民党(VVD)と労働党(PVDA)による連立政権は、極右政党・自由党(PVV)の閣外協力に支えられることになり、フランスと同様、イスラム女性のブルカ(スカーフ)禁止法案を成立させようとしている。

かくして、極右政党の台頭は、その支持者の不満を和らげるために、既存保守政党の右傾化をうながす。だが他方で、彼らを政権から締め出すために不自然な連合政治を行わざるをえないことで、支持者の不満をさらに高めるという、悪循環を生み出すようにもなっている。

「議会勢力となった極右は、他の政党の行動と発言を変化させるようになった」のである( Denis Macshane,Rise of the Right,Newsweek,september 24,2010.執筆者は英労働党政権の元大臣)。

「恐怖の社民主義」

こうした状況に対して、社民政党をはじめとする左派政党は、極右台頭の原動力となっている移民政策やセキュリティ政策で譲歩を重ねることで、多くの場合、労働者や年金生活者である極右支持層を懐柔しようとする。だがそのことで、今度は既存の都市中間層の支持を失い、他方で極右の勢いも削がれないというディレンマに直面している。

左派はどうしても、移民政策やセキュリティや社会保障に対して、確固とした方針を打ち出しにくい。というのも、先に、指摘したように「生産関係を基盤にした政治における改革主義」を基盤にするかぎり、思考枠組みは「個人」を単位とするのではなく、むしろその個人が活きる社会的リスクや社会問題に支配されるからである。

要するに、左派の場合は、個人の不安や苦境の背後には、つねに「格差」や「不平等」といった「ソーシャルな問題」がつきまとい、それがゆえに社会改革を行わなければならない、というロジックをとる。新自由主義による「個人主義を基盤にした自由市場主義」を潜り抜けた21世紀の保守主義の方が、個人主義の定着と移民政策/セキュリティ問題に対応しやすいのだ。

さらにリーマン・ショックによって、政権についていた保守政党は、もともと左派のお家芸だった公共支出と需要喚起策を採用することになった。その結果、それまでの経済的なネオ・リベラリズム的政策と袂を分かち、経済政策においては社民政党と変わらないようになった。

残存した文化的なネオ・リベラリズムを梃子とした右派のヘゲモニーが、こうして完成することになったのである。

先に逝去した歴史家トニー・ジャットは、常連だった「ニューヨーク・レビュー・オヴ・ブックス」のコラムで、ネオリベ時代によって「良いか悪いか」が「効率的か否か」によって駆逐されたと指摘しつつ、もはや「楽観的な進歩主義」ではなく「恐怖」にもとづく社民主義が構築されなければならない、と述べたことがある。

「恐怖の社民主義(Social Democracy of Fear)」とは、シュクラーの「恐怖のリベラリズム(Liberalism of Fear)」の転用(大川正彦訳、『現代思想』01年6月号)だが、ともに「恐怖」こそが悪であるとの政治的確信から生まれる。違いといえば、後者(リベラリズム)が圧制に対する恐怖に、前者(社民主義)は「ソーシャルなもの」の解体の恐怖に、それぞれ力点が置かれるところにある。トニー・ジャネットの文章を引用しよう。

左派には、簡単にいって、まだ維持すべきものがある。右派は、普遍的なプロジェクトの名のもとに、破壊と革新を行う野心的な近代主義を受け継いだ。スタイルにおいても、野心においても、より控えめ目な特徴をもつ社民は、過去に獲得してきた利得についてもっと声高に主張すべきである。社会的サービス国家の発展、われわれの共同意識と目的の共有を可能にせしめてきた、世紀をかけてつくられた公共部門によって提供されてきた公共財やサービス、受給する権利と提供する義務を定めてきた制度としての社会保障など、である。これらは、すべて獲得されてきたものなのだ。(What is Living and What is Dead in Social Democracy, in The New York Review of Books,December 17, 2009)

しかし、このジャットの処方箋は、「ソーシャルなもの」そのものが解体しつつある現代において、リベラリズムが懸念した圧制に対する恐怖と同様に、どこか虚ろに響く。

「モジュラー」ゆえの不安

ジグムント・バウマンは、ネオリベ時代における世俗改革によって誕生した個人を、「モジュラー人間」と命名している。この個人は、環境が流動的であり絆が失われた世界に生きるがゆえに可変的な存在であり(「厳密ではなくアドホックな絆」)、孤独であると同時に自由である(「『全体的権力』の基礎となる『全体的個人』は存在しない」)。

したがって、こうした個人が織り成す社会では、「不決定、二律背反、矛盾」を「吸収し、再利用し、行動の手段として作り直すことさえできる」のである(中道寿一訳『政治の発見』)。ここに介在するのは、「恐怖」というよりは「不安」である。

こうしたバウマンの時代判断は、たしかに両義的である。彼は、ポスト・ネオリベ時代を個人の解放と自由が実現された時代であると同時に、個人が彼自身に投げ返されてしまっている孤独の時代でもあると評価する。

しかし、ややもすればこの「モジュラリティー」は、不安定性や危険性や安全性の欠如を招き寄せ、マルクスのいった「疎外」とは異なる次元に位置づけられる、新たな「不安」を個人に植えつける。

その結果生じるのは、もはや形式的に、あるいは短期的にしか存立し得ない「所属」を求める心性である。これが具体的には、極右政党支持につながるような「イスラマフォビア(イスラム嫌い)」となって表れる。

そして、この「自由」と「所属」は、文化的ネオリベと極右政党によって保証されるようになった。本来的には社民政党にとっての追い風になるはずの低成長の継続と失業率の上昇が、むしろ極右政党の伸長につながっている理由は、ここにある。

したがって、これに抵抗する戦略とはむしろ、自由と孤立をトレードオフのままにするのではなく、両者をいかに両立させるかにあるといえるだろう。

「ケア」と「近接」の社民

フランス社会党は、ヨーロッパ社民ファミリーのなかでも、きわめてラディカルな政党に分類される。

共産党やトロツキスト政党の支持者を吸収せねばならず、同時に選挙制度の特性から遠心的な競合を強いられ、これに長い野党経験が加わったことにより、どちらかといえば社会改革に力点をおいたグランド・デザインを重視する傾向をもった政党である。左派と保守との経済政策の差異が狭まるにつれて、ラディカルさはむしろ潜在的政権与党としての信頼性の低下につながり、2002年から野党の座に甘んじたままだ。

その社会党の女性党首のマルチーヌ・オブリーは、最近「ケア」の概念を同党の政治方針として採用することを提唱した。

「ケア(care)」は、もともとレーガン時代(すなわちネオリベ全盛時代)のアメリカで、心理学者キャロル・ギリガンが提唱した概念だ。彼女の代表作『もうひとつの声(In a different voice)』(1982年)は、女性は男性と異なり、「ケア」や「関係性」をもとにした倫理感をもつことを論証して、話題を呼んだ。

社会党はこの概念を政治的言語に翻訳し、「物質主義と個人主義」が支配する社会に対して、「社会が個人をケアすると同時に、個人が他者と社会をケアする相互ケアの精神」であると再定義した。

この方向性が成功するかどうかは未知数だが、ポスト・ネオリベ時代に定着した「自由」を保持しつつ、「孤立」とその反作用としての「所属」のポリティクスを回避する戦略といえるだろう。

繰り返しになるが、社会党がこうした「柔らかい」テーマとスローガンを採用するようになったのには、現代社会の根本的な変容がある。

フランスのもっとも注目すべき知識人のひとりであるロザンヴァロンは、選挙による代表性の凋落の著しいポスト・ネオリベ時代におけるデモクラシーは、「公平さ(impartialité)」「再帰性(reflexivité)」「近接さ(proximité)」を実現できなければ、正統性をもはや維持できないとしている(La Legitimité Démocratique,2008)。

喪失や崩壊の感覚がある一方で、再構築へと向かう静かな動きがある。(略)それは公平や複数性、共感や近接性といった価値に象徴される。これらは、民主主義に不可欠な全体概念、そして正統性の形式や結果に対する危機感の現れである。

ロザンヴァロンがここで強調しているのは、もはや代表制概念を通じたルソー的な一般意思は、現代の民主制では実現されえず、個人概念を軸とした民主制を再構成しなければ、民主制そのものが失われる、ということにある。

個人への「近接性」をベースにした民主制は、「身体的かつ精神的次元での立会い、関心、同調、共感」を体現するのであって、統治者と被統治者は「一体」となるのではなく、これらを通じた「対話」と「相互批判」によって、獲得されるべきものとしての民主主義の構築が必要だという。

70年代に中央労組のブレーンでもあった、このロザンヴァロンの構想は、革命や体制転換の展望が完全に失われるなか、少なくとも「生産関係」や「所属」を超え、そして新保守のヘゲモニーに対抗する民主主義のあり方を指し示している。

ロザンヴァロンの提言の奥底には、手間隙はかかるかもしれないが、民主主義のなかに生きる個別的でアドホックな個々人のライフコースに、政治と社会が丁寧に対応することでもってでしか、民主主義は新たな正統性と機能性を獲得しえない、という現状認識がある。どこかフェミニンで柔軟な色合いは、マッチョで頑なな政治と対照的だ。

「自由」を前提にして、そのまま「不安」や「所属」をベースにしたポスト・ネオリベ政治は、これらを原動力とするがゆえに、永遠に解を導き出せない。

そればかりか、相互不信と敵対の対象は、いつしか社会を構成するわたしたちに順番が回ってくるかもしれない。排除されるものと排除するものが相互に入れ替わるゲーム、すなわち永遠のババ抜きゲームは、破綻するのでなければ、社会という概念そのものを破壊することになるだろう。

こうした政治社会状況は、多くの先進国に共通したものだ。「新しい公共」や「友愛」といったテーゼが立ち消えとなった日本でも、ポスト・ネオリベの時代にどのようにして「ソーシャルなもの」を再構築すべきか、早急に議論に着手すべき段階に来ているように思う。

推薦図書

トックヴィル研究者で、話題を呼んだ「希望学」のプロジェクトメンバーでもあった政治学者によるこの本は、「デモクラシーのみならず、およそ現代社会の特徴を捉えるために、〈私〉という視点が欠かせない」と冒頭で宣言する。「私」と「社会」の接点をどこで求め、どのように構築していったらよいかについての丁寧な思考の足跡でもある。

プロフィール

吉田徹ヨーロッパ比較政治

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。

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