2011.07.12

ロシアのWTO加盟問題の政治化とジレンマ  

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #世界貿易機関#グルジア#WTO#関税及び貿易に関する一般協定#GATT

ロシアの悲願、WTO加盟

ロシアは1993年から、世界貿易機関(WTO)の前身である「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」への加盟申請を開始し、GATT、ついでWTOへの加盟を目指してさまざまな交渉や準備を進めてきた。だが2008年8月のグルジア紛争で、ロシアのWTO加盟問題は一旦白紙となる。プーチン首相のほうからWTOに決別を表明したかたちであったが、ロシアにとってWTO加盟は長年の非常に重要な課題であったことを考えれば、それは国際社会で孤立することへの覚悟と強硬さの表われだったといえる。

この決断はロシアの大国としての意地によるものだろう。つまり、ロシアにとってもっとも重要な外交課題だからこそ、大国の威厳を維持するために、WTO側から加盟を拒否される前に、自ら距離をおいたと考えられる。実際、WTO加盟国であるグルジアは、グルジア紛争前からつねづねロシアの加盟に強く反対してきたし、米国サイドもグルジア紛争後にロシアのWTO加盟について否定的なコメントを多々出すようになっていた。しかし、2009年にオバマ政権が誕生し、オバマ大統領が「米ロ関係のリセット」を宣言すると、米国はロシアのWTO加盟も支援するようになった。

米国によるグルジアの説得

そこでグルジアは、ロシアのWTO加盟問題を外交カードとしてきた。WTOに加盟するためには、貿易の自由化を進めつつ、WTO加盟国と多国間交渉および二国間交渉を終了させる必要がある。つまり、ロシアはグルジアともWTO加盟交渉を行う必要がある。だがグルジアは、現在、事実上、ロシアの支配下におかれている南オセチアとアブハジアとロシアのあいだの国境の税関を、グルジア税関の管理下におくよう主張し、それが満たされないあいだは交渉に応じないとしてきた。

ロシアにとってはこのような要求に応諾することは、アブハジアと南オセチアに及んでいるロシアの事実上の「主権」を放棄することになる。やすやすと受け入れることはできなかったため、米国の説得に期待せざるを得なかった。

そして、米国も「リセット」後に、ロシアのWTO加盟を認めるよう説得すると宣言し、グルジアに対してさまざまな援助プログラムや対欧州貿易交渉の支援、(ロシアが2006年からグルジアに対して禁輸してきた)ワインやミネラルウォーターの禁輸措置がロシアのWTO加盟によって解除される、などの「アメ」を並べながら、ロシアのWTO加盟を認めるよう圧力をかけてきた。

しかし、今年の3月と5月に行われたロシア・グルジア間の交渉は2度とも決裂している。そのような状況下で、米国の担当者のなかからは、最終的にグルジアが応諾しなくても、ロシアのWTO加盟は論理的には可能だと主張する者が出てきている。歴史的にはこれまで、新規加盟国はすべての既加盟国の合意を取りつけてきたが、WTO協定によれば、加盟国の3分の2の承認をとればよいとされている。つまり、これまでの慣例には反するが、ロシアはグルジアの承認が得られなくとも、論理的にはWTO加盟できるという主張が出てきているわけである。そうだとすれば、グルジアが握っているとされていたロシアに対する外交カードの重みはぐっと低下する。

グルジアが無条件に応諾?

そのようななか、今年の6月上旬、衝撃的な情報がグルジア野党「自由グルジア」のカハ・クカワ党首によって暴露された。ローマで行われたジョセフ・バイデン米副大統領とサアカシュヴィリ大統領の会談で、サアカシュヴィリがロシアのWTO加盟を無条件で支持することに同意したというのである。また、グルジア軍はすでにアフガニスタンに約1000人を派兵しているが、バイデンから駐留兵力の倍増を求められ、それにも応諾したという。

クカワによれば、同情報は「大統領府の信頼すべき筋」から出たものであり、(1)米軍のアフガニスタン駐留兵力が削減されている一方で、グルジア政府が兵力を増強する準備をしている、(2)スイスで予定されていたロシアのWTO加盟に関する交渉が公式発表では延期され、それはスイス側の要請で延期されたことになっているが、じつはグルジア・ロシア関係の事情が変わったために、交渉担当者が準備時間を必要としたから、という2点の論拠から、この情報は正しい可能性が高いという。ただし、これらはクカワの意見であり、関係筋がこの発言を支持しているわけではない。

なお、同会談後、バイデンは、グルジアに圧力をかけることはやめるので、WTO加盟の問題はロシアの自助努力に任せると発言している。これに関し、もしクカワの暴露した内容が真実であった場合は、グルジアが独自にロシアのWTO加盟支援を決定したことを演出するためではないか、とすら推測されている。つまり、米国はグルジアが米国の支配下にあるかのような、もっといえば、内政干渉をしているような印象を国際的にもたれないように、事前に根回ししたというのである。

グルジアの内政の混乱

それでは、クカワの目的は何か? もちろん、グルジア国民に対して、グルジア現政府がグルジアの国益より対米関係を重視し、そのためには愛国心すら捨てるということを知らしめ、国民からの批判を強めたいからであろう。

実際、最近、グルジアでは内政の混乱がひどくなっている。アラブ政変の影響もあり、今年に入って野党による抗議デモが頻発するようになったが、拙稿「旧ソ連諸国で実らぬ中東民主化運動の「模倣」」でも述べたように、あまり大きな運動には発展していなかった。

しかし、ニノ・ブルジャナゼが主導したサアカシヴィリの退陣を求める5月26日の抗議行動は悲劇的な結果を生んだ(ニノ・ブルジャナゼは2003年の「バラ革命」の立役者のひとりであったが、のちにサアカシュヴィリと袂を分かち、現在は野党「民主運動・統一グルジア」の党首である)。

抗議行動は21日から連日行われ、初日には1万人が集まり、警官とのもみ合いの末、36人が拘束され、内、14人が投獄された。そのあと参加者は減少していったが、26日には、軍事パレードを阻止しようと前夜から約2000人の群衆が集まり、治安部隊数千人が投入され、催涙ガス、ゴム弾、放水などによって群衆を排除した。その際、デモ参加者と警官が1人ずつ死亡、デモ隊の150人が逮捕されたほか、約40人が負傷により入院し、500人以上が催涙ガスによって医療処置を必要とする状況になった。

大きな被害が出たことで、内外から政権側の対応を非難する声が高まるなか、ブルジャナゼは運動が高じてエジプトのような展開になることを期待した。しかし、政権側は2人が死亡したのはブルジャナゼのジープに轢かれたことによるとして、ブルジャナゼの責任を追及している。また、「いかにしてエジプト的なシナリオに持っていくか」について議論するブルジャナゼと彼女の26歳の息子との電話の盗聴記録をリーク。彼女が騒動の黒幕であることを確実な証拠をもって暴露する一方、その抗議行動をロシアが支援しているとほのめかした。

このように、グルジア野党の反政権的な運動が多方面で高じていたなかでのクカワ氏の暴露は、その政治性を強くにじませることにもなり、多くの疑問も寄せられている。

実際のところは?

実際、いまのところ(7月初旬現在)、政府から公式な発表はなされていない。また、6月7日には、ベーラ・コバリア経済発展相が本問題について、グルジアの既定路線は変わらないと明言しており、「暴露」された内容の真実味は怪しい状況だ。

他方、グルジア内にも、ロシアのWTO加盟を支持すべきという声があるのも事実だ。ロシアがWTOに加盟すれば、ロシアがグルジアに対して行っている経済封鎖を解かせることができるため、グルジアは市場を拡大し、経済を改善できるのではないかというのがその理由である。グルジアは、ロシアがワイン、ミネラルウォーター、農作物に対する禁輸を決めたあと、大きな経済損害を被った。とくに、ワインの輸出先として、ロシアはかつて70%のシェアを占めていたのだ。グルジアは新たな市場を主に欧州に開拓しようとしたが、それほど大きな成果が上がっていない。

だが、そのような見立てを甘いとする議論も多い。そもそも、ロシアはグルジア産品が粗悪品であるという理由で禁輸を開始したのであり、WTOに加盟したところで、粗悪品に対して市場を開放する義務はなく、ロシアがグルジア産品を輸入するようになる保証は全くない、というのがその主張だ。

いずれにせよ、もし、グルジア政府が実際にロシアのWTO加盟を無条件に容認したとしたら、国民から激しい反発が起きるのは必至だ。2008年のグルジア紛争のロシアに対する「復讐」が、グルジア国民の納得するレベルまで行われなければ、グルジアにおける支持は得られないだろう。本件は、現時点では、おそらくロシアとグルジアのあいだでの深刻な問題でありつづけると考えられる。

関税同盟とWTO

しかし、ロシアはロシアで複雑な動きをみせている。

7月1日には、ロシアとカザフスタン、ベラルーシの3ヶ国の国境で税関検査が廃止された。それについて、プーチン首相は、ソ連崩壊(1991年)後、旧ソ連域内での最大の出来事だと強調しているという。ロシアとカザフスタン、ベラルーシは、ロシアの主導で2010年7月に関税同盟を発足させていたが、税関検査の廃止により経済統合が本格化したかたちだ。なお、今後、キルギスとタジキスタンの関税同盟の加盟も検討されているほか、メドヴェージェフは共通通貨の導入にも意欲をもっているという。

そうしたなか、プーチンは「WTOに関税同盟として加盟したい」という考えをもっているという。しかし、そうなるとロシアのWTO加盟問題はさらなる複雑さを帯びることは間違いない。

なぜなら、関税同盟を発足させるプロセスのなかで、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンは「関税同盟としてではなく、各国が個別に」WTOと加盟交渉を行うことで合意していたからだ。2009年6月に三国は一度「関税同盟」としてWTO加盟を目指す意向を示したが、同年10月に、各国が個別にアプローチするほうが、交渉を柔軟に進められるとして立場を変更していたのである。

しかも、本稿では詳述を避けるが、ベラルーシは今年5月24日に通貨の切り下げ(デノミ)を行ない、危機的な経済の混乱と悪化が発生し、6月半ばからは国民の抗議行動が拡大している(ただし、民衆はプラカードをもったり、何かを叫んだりということは一切せず、ただ歩きながら定期的に手をたたき、道行く車が呼応してクラクションを鳴らすという「無言」の抗議である)。国民に対する政府の弾圧も高まっており、政治経済ともに混迷を極めている。そのようなベラルーシとWTO加盟問題で運命を共にする決断を最近したというプーチンの考えには疑問をもたざるを得ない。

ロシアの立場は?

それではロシア自身のスタンスはどうなのだろうか。

まず、ロシア側は自国の加盟の準備は整っているが、米国側がそれを受け入れる体制を準備していないという主張をもっているようだ。

たとえば6月9日に、プーチン首相は関税同盟の問題など、ロシアはWTO加盟に関する懸念がすべて解決し、すでに多角交渉による文書制定の段階に入ったと表明した。なお、プーチンは、ロシアがWTOに加盟したとしても、そのことがロシア市場の完全開放を意味するわけではなく、ロシアは特殊分野では高関税による保護をつづけるとも発言し、WTOの精神に反する反ダンピング措置や補助金政策などを維持する可能性があることも述べた。その一方、ロシアの法律はほとんどがWTOの原則と基準に合致しており、不必要な行政的障壁の取り消しと魅力ある投資環境の構築に役立つとも述べているが、これらの発言に関しては、ロシアのWTO加盟準備が整っていないとみる向きもあるだろう。

他方、6月17日に、メドヴェージェフ大統領はサンクトペテルブルグで行われた「国際経済フォーラム」で演説し、WTO加盟問題について「不利な条件の下では加盟しない」と述べ、米国などへのいら立ちを示した。メドヴェージェフは、米国などとの政治的ゲームが再発しなければ、ロシアのWTO加盟の年内(2011年末まで)実現は可能な目標であるのだが、ロシアは多くの譲歩を迫られており、そのようなやり方は受け入れられないと発言したのである。

じつは、ロシアはアメリカとの二国間交渉も決着しておらず、ロシアはロシアで「リセット」後に、欧米が進める欧州ミサイル防衛(MD)計画やイラン核問題での譲歩もしていることから、本件では米国に対する譲歩は避けたいところだ。つまり、本件について、ロシアは対米姿勢を硬化させ、自国の外交カードとしての意味を強くもたせはじめたのである。

ロシアの力不足の点も

このように、対外的には強気であるが、ロシアの加盟準備はまだ整っていないという意見もある。ロシアには、まだ市場経済に関する専門家や法律家、WTO関連での問題を解決できる専門家が十分に育っておらず、WTOに見合う水準での経済活動が行なわれていないだけでない。プーチンが開き直っている部分でもあるが、保護主義が根強く残っている。

WTOに加盟した場合は、ロシアの保護主義に対する風当たりは強くなり、少なくとも現状のやり方を維持することは難しい。そうなると、天然資源の輸出に多くを依存してきたロシアの今後の経済戦略にも大きな変更が迫られるだろう。関税同盟の意味も当然、空虚になってくる。

このように、ロシアのWTO加盟問題は、米国やグルジアとのあいだで政治問題化する一方、ロシア自身の政治的、経済的ジレンマもあり、一筋縄には進みそうもない。欧米や周辺国の動きもあわせた今後の動向が注目される。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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