2012.05.14

今月5日に国内の原発全50基の発電が停止し、再稼働をめぐって慎重な議論が続いている。日本のエネルギー政策が抱える問題とは何なのか。東日本大震災以降、日本の復興と発展のため自然エネルギー推進に取り組んでいる、自然エネルギー財団理事長のトーマス・コーベリエル氏に伺った。(聞き手/環境エネルギー政策研究所研究員・古屋将太)

太陽光発電3ヶ月導入で原発10基分相当

―― 今日は具体的な政策の話というよりは、あなたのエネルギー政策に対する考え方についてお聞きしたいと思っています。まず、現在の日本のエネルギー政策の状況についてどういった見解をお持ちですか。特に原発再稼働問題について、枝野経済産業大臣の発言など、政策プロセスに対する信頼がほとんど失われています。

少なくとも、彼はいまのところ1基の原子力発電所も再稼働させてはいません。彼は震災後の政治システムの中で福島原発問題に直接関与した人物なので、その経験を政策の実行に活かす機会をもっています。そういった人物がいるというのは大事なことだと思います。

ただし、政策決定としては、既存の電力会社による地域独占を解体し、新規のエネルギー設備、特に自然エネルギーに投資が流れるように市場を開くことを早急におこなうことが重要だと思います。

また、もし原発の再稼働が許可されるのであれば、「電力会社が原発事故のコストを自らすべて支払うことができること」を条件とする法律を制定することが重要です。

もっというと、実際には原発を再稼働させる必要はありません。日本は原発なしでも大丈夫だと私は理解しています。平年並の夏であればもちろんのこと、追加の発電設備が必要になる猛暑になったとしても、電力需要は自然エネルギー、特に太陽光発電の急速な普及によって満たすことができます。

猛暑によって10基の原発を再稼働させることが必要になったとしても、ドイツが昨年12月の1ヶ月間で達成した導入量と同じペースで太陽光発電を導入すれば、3ヶ月で原発10基分を達成できます。

ドイツは1ヶ月(4週間)で3GWの太陽光発電を導入しました。日本でも同じペースで3ヶ月導入すると9GWの導入が可能で、これは原発約10基分に相当し、またピーク時の電力需要に対応します。

そのため、太陽光発電で同量の電力供給を達成できるので原発を再稼働する必要はなく、もし再稼働するのであれば、電力会社は想定される原発事故の経済的リスクをすべて引き受けることが条件にならなければなりません。

「競争力」という優れた指標

―― あなたはいつも「競争力(Competitiveness)」という言葉を使います。一般的には価格が安く品質の高い製品・サービスを提供する「経済的な競争力」がイメージされますが、この言葉には「技術的な競争力」や「経営的な競争力」など、他にも広い意味があると思います。また、3.11後は、世界の中でも原子力や放射能のリスクを心配する必要のない地域は、ある種の「地域競争力(Regional competitiveness)」をもつのではないかと思う部分もあるのですが、あなたは「競争力」という言葉をどのような意味で考えていますか。

例としてあげてもらったように、原子力や放射能のリスクを心配しなくても済むということは非常に重要なことだと思います。

そして、前述のように、もし原発の再稼働を許可するのであれば、電力会社は原発事故の被害者すべてに賠償金を支払わなければなりません。それはつまり、原発事故で影響を受けたすべての人々のすべての被害が電力会社によって補償されることを意味します。

福島原発事故によって明らかになったことは、東京電力には被害にあった人々を補償する能力がなかったということです。そのため、増大するリスクやさまざまなストレスに曝されることを、僅かな補償で受け入れざるをえない状況にあります。また、日本政府はそういった放射能のリスクに曝されている人たちを退避させることもできませんでした。

そのため、もし原発の再稼働を許可するのであれば、同じような大惨事が再び起こったときは、人々は同じような被害に遭い、リスクに曝されなければならないことは明らかです。そこには人々が心配するのに十分な理由があると同時に、彼らがそういったリスクを引き受けなければならない理由はありません。

経済的には、原因者がコストを負担するということが重要です。そして、私たちがそういった原子力のコストの分析を算入すると、誰一人として「原子力に競争力がある」などということは期待できないのです。そして、他のエネルギー源についても、環境負荷のコストを原因者が負担するという面で同じことが当てはまります。

そういった前提が満たされたときにはじめて「経済的競争力」は、どのエネルギー源が利用するに値するのか、また、どのエネルギー源が利用するに値しないのかを判断する上での優れた「指標」となるのです。

そして、原子力の事故コストや石炭の大気汚染コストを算入して、建設・運営コストを比較すれば、今日、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーのコストは下がってきており、競争力をもちはじめています。

新規参入者に対して市場を開き、投資家が風力や太陽光の発電事業に投資できるようにして、それら自然エネルギーが既存の発電設備と競争することは、環境の側面からだけでなく、経済的な面でも多大なメリットが生まれます。もし現在の古く、非効率な大規模集中型の発電設備による地域独占を続けるのであれば、電力消費者は今後も高い電力価格を支払い続けることになりますが、健全な競争がなされることで、より効率的で競争力のある開発がおこなわれ、その結果として、消費者、特に産業界が公平で安い価格を享受することができるのです。

次世代に対する責任の欠如

―― 日本の電力市場を日本の外から見た場合、さまざまな面で不透明に映るところがあるかと思います。そのひとつとして「責任の所在が不明確である」ということがあげられるかと思います。

国の委員会では「今後も原子力が主要な電源となる」というオプションを出す委員もいて、それが意味するところは今後も放射性廃棄物が生み出され、その処分にかかる政治的・経済的コストは明らかに現在世代の若年層や将来世代にまわされるということです。そして残念なことに、そういった政策の議論に若年層の意見が汲み取られることはほとんどありません。

このような観点から見ると、日本のエネルギー政策の議論は不透明かつ不公正に感じられるのですが、どう思いますか。

たしかに不公正だと思います。現在世代においても電力会社は原子力発電の事故コストを自ら支払いきっていません。

また、残念ながら原子力発電はいまや時代遅れであり、他の安価な電源との競争に勝つことはありません。原子力発電をおこなう電力会社は破産することになるでしょう。そして、将来の納税者は放射性廃棄物の処理費用や原子炉の廃炉費用を支払わなければなりません。また、事故が起こった際の除染費用も支払わなければなりません。

経済的に言えば、これから引退するであろう世代がこれまでおこなってきた原子力発電への取り組みは、彼らの孫世代に対してきわめて高い代償を強いることになるでしょう。

その意味で将来世代への責任が不在であると言えますが、しかし、そういった費用を現在世代も支払わねばならないということも理解しておく必要があります。

私自身は、原子力への取り組みをはじめた上の世代と、その結果に苦しまざるをえない世代のちょうど中間にあり、この先数十年と限定的ではあるものの、そのコストを支払うことになります。このことは私たち世代にとってまったく誇れることではありません。

同時に、将来かかるであろうコストの増大を防ぐために、いますぐにでも方向性を変えることが必要であり、現在、政府や電力会社の幹部として権力をもつ立場にいる人たちにはそれを実行する責任があるということを、彼ら自身が認識しなければなりません。

原子力産業の歴史に残る影

―― スウェーデンやデンマークなど、スカンジナビア諸国のエネルギー政策は、政策立案者や政治家などが責任や民主主義といった原則を共有し、公平・公正・透明な議論の上に形成されているという印象があります。その上で、政策が市場や技術や金融を進化させているのではないかと思うのですが、一方で日本ではそういった原則を欠いたまま政策が作られているように感じます。政策形成における政治・政策文化の違いをどのように考えていますか。

日本の政治文化について、私にはよくわからないことがたくさんあります。それは、日本の人たちがスカンジナビアや欧州の政治文化においてよくわからないことがあることと同じだと思います。そのため、日本の政治が特に不透明なのか、私がまだ熟知できていないからなのか、それはわかりません。

しかし、エネルギー政策一般について言えば、この20年でスカンジナビアの国々が達成してきたことは、誰にでも価格が見えるように透明な市場を開き、新たな投資が多く流れ込むことを可能にしたことであり、これは非常に意義があることでした。

しかし、原子力発電に関連する問題については、いまだに不透明な部分があり、民主的でない意思決定がなされてきた部分があります。

歴史的には、スウェーデンもそうであるように、原子力発電の開発というのは、核兵器開発への野心に動機付けられておこなわれてきたことはよく知られています。 これが原子力発電に密室主義や不透明性の起源を与えることになり、それはいまだに原子力産業に影を落としているのです。

今日、原子力や放射性廃棄物処理の本当のリスクの多くは秘密にされたままであり、それは「もし原子炉がどれほど不安定なものであるのかが知れ渡ってしまえば、テロリストに狙われてしまい、甚大な事故を招くことになってしまう。だからこそ、一般の人々には原子力発電所が危険なものであると知られてはいけないのだ」という議論が背景にあるからです。

その結果、原子力の安全性についての誤ったイメージが人々にもたれてしまいました。本当に重要な原子力の安全基準を検証する民主的なプロセスの中で、十分な情報にアクセスできないままになってしまいました。

そのため、必ずしもスウェーデンやヨーロッパが完璧というわけではなく、原子力に関わる政治には、現在世代や将来世代に影響する多くの失敗が残されているのです。

意思決定と政策運営を明確にわける

―― あなたは3月9・10日におこなわれた自然エネルギー財団の国際会議で、「自分はまだ日本の政治運営のメカニズムに慣れていない」ということを発言されていました。日本の政治運営のメカニズムに関して、どういったところがよくわからないと感じますか。

政治プロセスを理解する上でもっとも重要なことは、政治家の発言の中にある「細部(Fine details)」を理解することです。そのため、日本語を話さない私が日本の政治の細部まで理解することはなかなか難しいところがあります。

もうひとつ、スウェーデンと比較すると、日本では官僚と大臣のやりとりが多く、政府の政治的存在があまりクリアではないということが見えてきました。スウェーデンでは政治的意思決定と行政による政策運営の間に明確なボーダーラインがあります。

私がスウェーデン・エネルギー庁長官を務めていたときには、私には強力な権限が付与され、政治の意思決定に対して高潔であることを求められました。

政府が私に影響力を行使できるのは、予算と共に1年に1度出される「年次指令」のみであり、与えられた指令を遂行する上で、もし政府が違った方向に干渉するようであれば、私はそれに反対することさえ命じられていました。

そして、私が政府に対して政策提言をおこなう場合には、公式な文書を送付するによってのみ実行され、その文書は送付され次第、直ちに公表されます。そのため、国民の誰もが、私が政府に送ったレポートの内容を見ることができ、また、誰もが政府と長官の間でどのようなコミュニケーションがおこなわれたのかを見ることができます。これは、政府と長官および行政がどのように政策運営をおこなっているのかを理解できる明確で透明な良い方法だと思っています。

そういったスウェーデンでの経験を踏まえると、日本の政治的意思決定のプロセスはスウェーデンほど透明ではないように感じます。そして、行政が政治の意思決定プロセスに多大な影響を行使している様子は、政治のリーダーシップにネガティブな影響を与えていると感じます。

また同様に、大臣が省庁の行政運営プロセスのあまりに詳細にまで影響力を行使するのも良くないと感じます。それは、本来は国会での立法で決定されるべきことです。

さらに、民主的におこなわれた政治的意思決定に行政官僚が従わない場合は、政府が一般市民と明確にコミュニケーションすることが重要です。そうすることで一般市民が起こっていることを理解できます。日本では、そういった政府と行政のコミュニケーションがあまり明確に伝えられていないように思いますし、はっきりと見えません。

―― 透明性ということに関連して、日本ではメディアにも課題があります。インターネットや独立メディアの成長によって、電力会社によるメディアへの影響力が少しずつ一般にも知られるようになってきました。

この半年間、日本で新聞を読み、電力会社が記者クラブなどを通じてジャーナリストたちに影響力をおよぼしていたことを知りました。そして、いまではそういったことが一般にも知れ渡るようになり、電力会社がメディアを通じて政治的な影響を行使する力は大幅に減少しているように思います。

すべての世代に与えられた課題

―― 最後に、私はエネルギー政策や事業に関わる会議に出席すると、いつも若者の視点が欠けていることに気がつきます。若者へのメッセージはありますか。

エネルギー問題について、若者だけに当てはまる議論というのは立てにくいように思います。なぜなら、ほぼすべての議論が上の世代にも当てはまるのであり、彼らもこの先数十年にわたって起こるであろうことを相応の責任をもって考えるべきであるからです。

以前、論文で読んだ記憶があるのですが、民主的な意思決定をおこなっている国々で、原子力を利用している国は、高齢世代が過半数を占める人口構成となっている傾向があるとのことです。この説に同意しない人もいますが、一般市民への世論調査を見ると、原子力利用をはじめた高齢世代がもっとも原子力推進の意見を示すことがよくあります。また、反原発の運動を展開してきた世代はいまでも強く反対していて、意見は変わっていないという結果もよくあります。

若者の方がこの問題に対する感受性が高く、彼ら・彼女らがこの問題に取り組む動機付けは強いと思います。ただ、若者にとって重要というよりは、すべての世代にとって重要な課題であると考えています。

プロフィール

古屋将太環境エネルギー社会論

1982年生。認定NPO法人環境エネルギー政策研究所研究員。デンマーク・オールボー大学大学院博士課程修了(PhD)。専門は地域の自然エネルギーを軸とした環境エネルギー社会論。

この執筆者の記事

トーマス・コーベリエル自然エネルギー財団理事長

自然エネルギー財団理事長。スウェーデン・エネルギー庁元長官。スウェーデン・シャルマーシュ工科大学で物理工学の修士号を取得。バイオ燃料会社副社長、大学教授を経て、2008年からエネルギー庁長官を務めた。2011年8月に長官を退任し現職。

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