2011.06.09
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)はなぜ必要なのか
今回は、『経済セミナー6・7月号』特集の「TPPと日本の農業」の中から、慶應義塾大学教授の木村福成氏の論説(『環太平洋連携協定(TPP)とは何か』)を取り上げつつ、私見を交えながら論じてみましょう(*1)。
(*1)TPPに関しては拙稿「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が投げかける「古くて新しい課題」」(https://synodos.jp/international/1785)もあわせてご参照ください。
TPPとは何か
TPPは2006年にブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの間で発効した経済連携協定(P4)を母体として始まり、2010年3月に広域経済連携協定を目指すTPPの交渉が開始されたものです。現在、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアを含む9カ国で交渉中です。2011年11月にハワイで開かれるAPEC首脳会議までに合意を目指すとされています。日本の対応は震災の影響もあり、交渉参加をめぐる議論は先送りとなっていますが、できるだけ早期の交渉参加が求められるところです。
さて、日本にとってTPPの持つ意味は何でしょうか。木村教授は大きく三点あると述べています。
「仲間作り」としてのTPP
一点目はTPPが持つ「仲間作り」としての意味についてです。2000年代以降の中国をはじめとするアジア新興国の急速な台頭は、東アジア及びアジア太平洋の地政学的構造を大きく変革させています。日本企業の国際競争力を維持し、成長活力を取り込むために東アジアとの連携は今後も必要でしょう。図表1は1990年を1とした場合の中国・NIEs・ASEAN及び米国・EUのGDPの推移と日本、米国、ドイツ、韓国の輸出の推移を比較したものです。
図表からは、2000年に入るとアジア新興国のGDPが急速に拡大している一方で、日本の輸出はその動きにキャッチアップできていないという状況が見てとれます。2002年以降の日本の経済成長には輸出と設備投資が寄与してきましたが、図表1からは輸出をさらに拡大させる余地は十二分にあることがわかるでしょう。
そして日本においては、東アジアとアジア太平洋のバランス、特に中国とアメリカの間の距離感をいかにとるかが現在喫緊の課題になっています。こうした中で近年アメリカの関心が部分的に東アジア、アジア太平洋に回帰していますが、日本は民主党政権発足以来、自らの立ち位置を明確に表明していませんでした。一方でアメリカは、日本との同盟関係を再確認したいとの意図を明確にしています。
図表2からアジア太平洋地域の先進国(日本、韓国、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、ペルー、メキシコ、アメリカ、カナダ)における2国間FTAの締結状況を見ると、アメリカとのFTAが署名に至っていないのは日本とニュージーランドのみという状況です。ニュージーランドはTPP交渉のテーブルについているため、日本がこのままTPPの参加を見送れば、アジア太平洋地域での日本の孤立感は格段に高まるでしょう。
「ルール作り」としてのTPP
二つ目の論点は何でしょうか。それはTPPが持つ「ルール作り」としての意味についてです。TPPについて反対論を述べる方は、農業分野、かつモノの貿易についての関税撤廃を主題にしていることが多いように思われます。確かに農業分野、そしてモノの関税撤廃の論点は重要です。しかし、TPP交渉はモノの関税撤廃のみならず、広範な政策分野を含んでいるという事実があります。
図表3はTPP交渉で設置されている作業部会を示していますが、モノの関税撤廃のみならず、SPS、TBT、サービス貿易、投資、環境、知的財産権、政府調達といった様々な分野が対象となっていることがわかるでしょう。
そして現在のTPP交渉国の中で先進国に関して言えば、既にかなりの自由化と規制緩和が進んでいる状況です。アメリカが入っているため、交渉は厳しいものになることは予想されますが、それでも多国間交渉ですので、2国間交渉と比べて合意できる要素は限られることになるでしょう。日米間でも長年の交渉を経て主要サービスの自由化や規制緩和は進んでいるため、論点は絞られるものと考えられます。
木村教授が指摘するように、重要なのは、将来TPPに参加する可能性がある国々に対して国際ルールを示すことが可能になるという点です。例えば中国をはじめとする新興国にどのような自由化・規制緩和をして欲しいのか、どのような国際ルールを遵守して欲しいのかという点を提示することが、TPPの狙いの一つでもあるのです。
また見方を変えれば、TPP交渉の作業部会の情報から透けて見えるのは、モノの貿易自由化に止まらないTPPの枠組みは、国内経済制度の改革及び国際間のルールの標準化を要求している点です。中国がこれまで締結した2国間FTAは、国内経済制度の改革まで踏み込んだ約束はしていません。2国間FTA交渉やASEAN+3のFTAで中国の譲歩を引き出すのが困難なのであれば、TPPの枠組みで何ができるかを検討するのも一案であろうと思います。
「貿易自由化」としてのTPP
第三の点は、「貿易自由化」としてのTPPの持つ意味についてです。TPPは例外なき貿易自由化を目指しています。自由化の度合いで言えば、9割超の自由化度(全品目に占める関税撤廃を行う品目の割合)が達成されるでしょう。日本が過去締結したFTAは品目ベースで見て9割未満の低い自由化度に留まっています。低い自由化度に留まっている主な理由は、農産品の関税が温存されているためです。農業保護を行うのであれば、関税や国家貿易といった国境措置から国内補助金に切り換えるべきでしょう。この点に異論を唱えるエコノミストは少ないと思われます。
なぜ国境措置から国内補助金という形に保護政策を切り換える必要があるのでしょうか。理由は、国境措置により保護を行った場合には、消費者が高い農産品を購入するという形で保護コストを負担してしまうためです(*2)。国内生産者に対して同額の保護を行うとしても、国内補助金という形で行えば、輸入品の国内価格は下がり、消費者の厚生は上昇します。木村教授が指摘するとおり、アメリカとヨーロッパは関税から国内補助金への保護政策の切り替えを終了しました。日本は関税から国内補助金への保護政策の切り換えを先送りにしてしまっていることも留意すべきです。
(*2)貿易保護が消費者余剰に与える影響についての部分均衡モデルに基づいた試算については、例えば片岡剛士・久野新「貿易保護のコスト試算」(http://www.murc.jp/report/ufj_report/802/32.html)をご参照ください。
なお、TPPによる関税撤廃の経済効果は、内閣官房が公表したGTAPモデルに基づく試算結果(*3)を参照すると限定的(実質GDPを0.48~0.65%押し上げる効果)とも言えますが、これはTPP参加国、特に先進国の関税率が既に低い水準であるためです。しかしこの結果からTPP参加の是非を判断することはできないでしょう。
(*3)内閣官房による試算については農水省試算・経産省試算の特徴と比較しつつ拙稿「政府試算から考えるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の是非」(https://synodos.jp/international/1821)で取り上げております。あわせてご参照ください。
まず一つ目の理由は、先の第二の点でも見たように、TPPはモノの貿易自由化を含む広範な領域の自由化を含んだものであるという点です。モノの貿易と合わせて、世界のサービス貿易は大きく拡大しています。特にサービス貿易の自由化がもたらす経済効果は大きいものと考えられます。貿易円滑化や投資ルールといった分野を加味すると更に影響は大きいでしょう。
そして二つ目の理由は、木村教授が述べるように、後に新興国がTPPに加わった場合に要求される貿易自由化度を設定できるという点です。たとえば中国がTPPに後で加盟する場合に、90%台後半の自由化度を実現するということになれば、そのことで得られる経済効果は大きなものとなるでしょう。
三つ目の理由としては、TPPがもたらす貿易創造効果に関するものです。現状のTPPの枠組みに日本が入った場合、その影響はTPP域内国にまず及びますが、日本企業は東アジアの生産ネットワークの中で事業を行っています。例えば日本からの最終財の輸出が進めば、それは部品を提供する他国からの購入が進むことも意味しますし、米国の輸入が増加すれば日本の輸出のみならず最終財調達先としての中国の輸出も増えるでしょう。中国の最終財輸出が増えれば、東アジアの生産拠点における資本財や部材の生産も拡大します。以上のようにFTAは域内国のみならず域外国も含めた間接的効果があります。この間接的効果も合わせて考慮する必要があると考えられます。
貿易自由化を梃子にした活性化を進めるための方策こそ議論すべき
日本で自由貿易協定に関する議論を行うと必ず農業保護の是非が話題に上がります。ただし農業保護の是非論で注意すべきは、自由貿易協定を進めるという話は「農業をつぶす」議論に直結しないという点です。
つまり、自由貿易協定を進めていくという議論は、農業の国境措置を撤廃して代替案として何もしないのではなく、農業の国境措置を撤廃し、代わりに国内補助金による保護政策に切り換えようという議論を行っている点に留意すべきでしょう。むしろ論点とすべきは、日本の農業の現状と将来を冷静に見つめながら、貿易自由化を梃子にして農業を含む全ての産業を活性化させるために短期的、中長期的に何をすべきかという点ではないでしょうか。
推薦図書
本書は、日本の農林水産業の生産性を引き上げ、これらの産業を諸外国のように「若者が参入する産業」にする方策を、経済学の視点から体系的に分析した本である。市場と政府の役割分担を明確化し、市場と政府が各々の役割を十分果たすような制度設計が必要という本書の視点は、TPPをはじめとする自由貿易協定を考える際にも有用だろう。
プロフィール
片岡剛士
1972年愛知県生まれ。1996年三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社。2001年慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程(計量経済学専攻)修了。現在三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済政策部上席主任研究員。早稲田大学経済学研究科非常勤講師(2012年度~)。専門は応用計量経済学、マクロ経済学、経済政策論。著作に、『日本の「失われた20年」-デフレを超える経済政策に向けて』(藤原書店、2010年2月、第4回河上肇賞本賞受賞、第2回政策分析ネットワークシンクタンク賞受賞、単著)、「日本経済はなぜ浮上しないのか アベノミクス第2ステージへの論点」(幻冬舎)などがある。