2017.07.27

ISから迫害を受ける少数派「ヤズディ教徒」とは?

玉本英子×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#IS#イラク#ヤズディ教徒#第54回ギャラクシー賞

過激派組織「IS」から迫害を受ける少数派・ヤズディ教徒とは? およそ20年にわたり中東各地の紛争地帯を訪れ、ヤズディ教徒、イラク軍、ISの元戦闘員へなどの取材も行ってきたジャーナリストの玉本英子氏にお話を伺った。2017年6月22日放送TBSラジオ・荻上チキ・Session-22「ISから迫害を受ける少数派ヤズディ教徒 第54回ギャラクシー賞・報道活動部門・優秀賞を受賞したジャーナリスト玉本英子さん取材報告」より抄録。(構成/大谷佳名)

■ 荻上チキ・Session22とは

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あるクルド人男性の焼身決起をきっかけに

荻上 ゲストを紹介します。今回、「第54回ギャラクシー賞」報道活動部門で優秀賞を受賞された、ジャーナリストの玉本英子さんです。よろしくお願いします。

玉本 よろしくお願いします。

荻上 玉本さんはここ数年、ヤズディ教徒、イラク軍、IS関連などを取材し、現地リポートや記事などでその実情を発信されています。これまで、イラク、シリア、レバノン、コソボ、トルコ、アフガニスタン、ミャンマーなど、さまざまな地域で取材を続けられていますが、こうした活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

玉本 私はもともとデザイン事務所に勤めている普通の会社員でした。ジャーナリズムを勉強したこともなかったですし、自分が記者になるとは考えてもいませんでした。それがたまたま、ある日テレビニュースで、ドイツで起きたある事件を見ました。それは、一人の男性が自分の体にガソリンをまいて火をつけて、機動隊に突っ込むという映像でした。

それを見て、衝撃を受けました。その男性は自分の体に火をつけてまで何を訴えたかったのか、すごく気になったんです。当時は90年代前半、日本はバブル後期で多くの人たちが豊かな生活を楽しんでいました。しかし、別の国ではこんなことが起きている。

その焼身行動を起こした男性は、クルド人でした。クルド人とは、トルコ、シリア、イラク、イランなどにまたがる地域に暮らす人々です。私はこのニュースをきっかけに、彼らのことを知りたい、会ってみたいと思ったんです。

およそ半年後に、事件が起きたドイツ、そしてその後、隣の国のオランダを訪れました。アムステルダムにクルド人が集まるカフェがあり、そこに何度か行ったのです。ある日、驚くことに、日本のテレビで見た、焼身決起をした男性が店に入ってきました。私はびっくりして彼に近づき、「なぜ自分の体に火をつけたのか」と聞いてみました。するとその男性は、「私の故郷で起きていることを知れば、あなたも同じことをするはずだ」と答えたんです。それで、次は彼の故郷であるトルコの南東部に行くことを決めました。

荻上 はじめは取材をしてどこかで発表しようという動機ではなく、純粋に知りたいという気持ちからだったんですね。

玉本 はい。ただ、まったくの素人だったので、はじめは現地のどの団体とコンタクトをとれば良いのか、どこのホテルに泊まれば良いのかすら、分かりませんでした。そのため少しずつ情報を集めながら、まずはオランダでトルコの人権団体を紹介していただいて、またその団体の方からクルド地域現地に詳しい人を紹介していただいてという形で関係を作って、取材を始めました。

しかし現地に入ってみると、そこには想像以上に厳しい現実がありました。当時、南東部ではクルドゲリラがトルコ軍と激しい戦闘を展開していました。そのため、トルコの治安当局は、クルド人の一般市民がクルドゲリラに協力しているとして、逮捕や拷問を繰り返していました。私が出会った人で、街でパンを売っていた男性は、電気拷問を受けたため、爪がすべて真っ黒になっていました。こうした現実を目の当たりにして、ただ知りたいという気持ちだけで現場に行ったことを恥じました。これは人に伝えるべき問題だ、このことを他の人にも知ってもらいたいという気持ちが高まり、記者になる道を考えはじめたのです。

荻上 記者の活動を始められたころは、どのようなかたちで取材をされていたのですか。

玉本 そのころはすでにデザイン事務所は退社していたので、派遣社員として働きながら、お金が貯まったら現地に行って取材する、ということを繰り返していました。当時は小型のビデオカメラを持って一人で取材する、ビデオジャーナリストというスタイルが始まった時期でもあり、これなら私もできそうだと思いました。それで映像に詳しい方に教えてもらいながら撮影に行ったわけです。

しかし、そもそも取材には「何を伝えたいのか」というはっきりとした視点が必要です。そこがあやふやなまま、ヨーロッパに行ってクルド人のデモの様子を撮影したり、聞き取りを行ったりしても、何も伝えることはできませんでした。

荻上 背景や実情を把握し、そこにある矛盾点や隠れた構図などをピックアップするためには、やはり土地勘が必要ですよね。

玉本 そうですね。ただ、何度も通ううちに、現地の友人も増え、言葉や文化だけでなく、考え方やどう行動すれば良いのかなど教えてもらうことができたので、今考えると無駄な経験ではなかったんじゃないかなと思っています。

コソボ紛争、アフガン戦争の取材

荻上 ヨーロッパからスタートし、トルコに移り、その後はどのような取材をされたのですか。

玉本 コソボ紛争やアフガン戦争の取材に行きました。そんな中、1999年にカブールのサッカー競技場で、ザルミーナという名のアフガニスタン人女性がタリバンによって公開処刑される事件が起きたのです。私は彼女の家族を追って取材しました(http://www.asiapress.org/apn/site-war/post_3178/)。

荻上 ジャーナリストとして問題を取り上げる際に注意する点や報道倫理などについて、どのように身につけていったのですか。

玉本 私は幸いなことに、今所属しているアジアプレスとの出会いがありました。メンバーの一人が友人だったんです。彼の紹介があって、その後アジアプレスに入ってからは、ジャーナリズムとは何なのか、伝えることの意味などについて勉強させていただきました。当時はまだ危険地帯には立ち入っていなかったので、とにかくまずは事実をきちっと取材する。何を伝えるのか、そのために何を取材しなければいけないのか。撮影の仕方や原稿の書き方など技術的なことに関しても、多くの方からの協力を得て少しずつ学んでいきました。

荻上 コソボ紛争やアフガン戦争も取材されたとのことですが、紛争地域の取材に行く際、全体の構図はなんとなく理解できていても現地で何が起きているのかは行ってみないとわからない。そもそも事前調査が難しい部分もあるのではないでしょうか。

玉本 そうですね。たとえばコソボ紛争の時は、あるテレビ局が現地で取材する女性記者を探していると聞き、そのとき私はたまたまトルコにいたので引き受けることにしたんです。ただ、私は現地のことをよく知らず、当時はインターネットも今のようには普及していなかったので、事前に情報を集めるため、コソボの状況に詳しい人に話を聞く必要がありました。それでトルコの大手新聞社でコソボ取材経験豊富な記者にアポなしで会いに行きました。その方はとても親切な方で、現地の人を紹介してくださったり、必要な情報を教えていただいたので、無事に取材を進めることができました。

荻上 体当たりで人と会い、紹介を受けて繋がっていくというスタイルなんですね。玉本さんはご自分から関心を持って取材に行く場合もあれば、大手メディアやNPOなどから声をかけてもらうケースもあるのですか。

玉本 私の取材は危険地帯も含むため、責任問題が関係します。そのため取材の前に企画が通ることは、私の場合はありません。ですから、自分で計画して取材して、まとめたものをメディアに提案するというかたちになりますね。

「ヤズディ教徒」とは?

荻上 今回、玉本さんは「ヤズディ教徒」の取材において、その女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢が高く評価され、ギャラクシー賞を受賞されました。ISから迫害を受けている少数民族のヤズディ教徒ですが、彼らに関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

玉本 フセイン政権崩壊後の2004年、取材に同行してくれる通訳の方を探しにイラク北部のモスルにある、モスル大学通訳学科を訪ねました。そのときに出会った学生の一人が、たまたまヤズディ教徒だったんですね。私はそれまでクルド問題を取材していたので、クルド語を話すヤズディ教徒のことは聞いたことがありました。ただ、具体的なことは知らなかった。そこで、彼に案内してもらってヤズディ教徒が住む村や宗教施設を見て回ったんです。

荻上 ヤズディ教とはどういった宗教なのですか。

玉本 ヤズディ教はイスラム教とはまったく別の宗教で、古くからあるゾロアスター教やミトラ教などさまざまな宗教の影響を受けています。イラクを中心に、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らしており、全体で60万人ほどと言われています。ヤズディ教徒は、ヤズディ教徒から生まれた者しかなれないので非常に少数派なんです。

荻上 どのような信仰スタイルなのですか。

玉本 それが非常に複雑で分かりにくいです。たとえばイスラム教にはクルアーンがあり、キリスト教なら聖書を通して教えを学ぶことができます。しかしヤズディ教にはそうした教典の文言をもとに信徒が教えを実践する形をとっていないのです。基本的に親から子へ、口承によって教えが伝えられてきました。ですから、家庭によっては厳しく教えを守らないといけない人もいれば、またある家では親があまり熱心ではなかったりと、非常にばらつきがあります。そうした分かりにくさから、他のイラクの人々からは誤解されている部分が多いように感じます。

荻上 たとえばキリスト教ではイエス・キリスト、ムスリムの場合はアッラーがいますが、ヤズディ教の共通の信仰の根幹というのは存在するのですか。

玉本 ヤズディ教でも神様(ホェダ)はいるのですが、その使徒の一つである孔雀天使というものを信仰の対象としています。しかし、この孔雀天使の存在が、ISからヤズディ教徒が迫害を受けている原因の一つでもあるんです。ISはこれを「悪魔崇拝だ」と決めつけています。

ヤズディ教は文化的にはキリスト教に近い部分もあります。たとえば、イースターの時期にヤズディではセルサラというお祭りがあり、玉子を使った催しがあったりするんですよ。

荻上 ヤズディ教徒の生活スタイルはどうなのですか。

玉本 服装について言うと、イスラムとは違って女性がスカーフを被らなければいけないという決まりはありません。しかし、宗教的な意味はなくても地域的な意味でスカーフを被る方は年配の方に多いです。白が体を清めるということで、白いガーゼの下着を着る人がけっこういます。

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玉本氏

ISによる虐殺、人身売買、強制結婚

荻上 ヤズディの方々が暮らす地域をはじめて訪れたとき、通訳の方にはどのようなところを見てくれと言われたのですか。

玉本 まず「ヤズディ教徒という人々がいることを知ってほしい」と言われました。当時はジャーナリストでもヤズディ教徒のことを知っている人は少なかったのです。しかし、アルカイダなどの武装組織によるヤズディ襲撃は頻発していました。2007年にはヤズディの村の入り口に大きな車爆弾が仕掛けられ、300人以上が命を落とす事件もありました。現場に行きましたが、ひとつの区域が完全に破壊されていました。

荻上 なぜISやアルカイダなどは、ヤズディ教徒の方々を差別するだけでなく、虐殺を行うにまで至っているのですか。

玉本 さきほど言ったように「ヤズディ教は『悪魔崇拝』だ」という認識があるからです。ですから、ヤズディ教徒はイスラム教徒に改宗すべきだ、改宗しなければ殺すしかない、と彼らは主張するわけです。ヤズディ教徒を迫害したのはISのような組織だけではありません。イラクのヤズディには、肌が白かったり、目が青かったり、金髪の人もいるのですが、多くは、オスマントルコ時代に起きた虐殺事件でトルコから逃れてきた人たちと言われています。

荻上 玉本さんがイラクで取材を始められた2004年以降、ヤズディ教徒に対する迫害の状況はどう変化してきましたか。

玉本 その前、フセイン政権時代にもヤズディ教徒は弾圧を受けてきました。クルド人として、そしてヤズディ教徒としてです。移住政策では畑のある地域から土漠地帯に追いやられました。産業もなく、多くが貧しい生活を強いられてきました。ですからフセイン政権が崩壊したとき、「これで自由になれる」とみんな喜んだんですね。ところが、彼らは抑圧どころか殺害対象とされ、ますます過酷な状況に追いやられてしまいました。

荻上 フセイン政権の崩壊は「民主化」と言うよりは秩序の変化で、具体的にその後の変化が民主的で安定していると言えるかどうかは別問題なんですよね。

玉本 そうですね。フセイン政権下での秩序が崩され、ヤズディ教徒の置かれた状況がむしろ厳しい方向に変化してしまったのは、イスラム武装勢力の出現がありました。

ISに関連してお話ししますと、2014年8月にイラク北西部にあるシンジャルという地域をISが一斉に襲撃する事件がありました。そこには多くのヤズディ教徒が暮らす村や町があったのです。そして、私のところに「ISが自分たちの村に来た。助けてくれ」と電話が来ました。「なんとか山まで逃げてきたが、女の子たちが捕まっている」と。

目撃者によると、ISは、村を包囲し、逃げられなかった人びとを男と女に分け、男性に対しては「イスラム教に改宗しろ」と迫ったといいました。しかし、これまでずっとヤズディという小さなコミュニティの中で生きてきた人たちです。急に改宗しろと言われてもそれは出来ません。すると、ISは男性たちを銃殺したのです。

一方、女性や子どもは、彼らにとってはいわゆる「戦利品」でした。彼女たちは、あらかじめ用意されたミニバスに乗せられ、ISの支配地域であるモスルやシリアのラッカなどに連れて行かれ、大きな結婚式場のようなホールにいっぺんに押し込まれました。そこで「奴隷」として、ISの男性たちに買われていったわけです。戦闘員たちは、結婚をしていないと性的関係を持てないので、強制結婚させるのです。イスラム教では4人まで奥さんを持てますが、ISではすでに奥さんがいても3人までは強制結婚しても良いという考え方なので、若い女性から順に、子どもがいる場合は子どもも一緒に買われていきました。私が取材した男の子たちの中には、十代前半で少年兵としてISの戦闘訓練所に入れられた子もいました。

ISの拉致から脱出したヤズディ教徒の人々

荻上 ISの少年兵としての訓練はどのようなものなのですか。

玉本 銃の扱い方を習ったり、クルアーンを読み、ジハード(聖戦)とは何なのかについて教えられる授業があると聞きました。

5人ほど取材しましたが、ある子は弟と呼び出され、「兄弟どうしで戦え。戦わなければ殺すぞ」と命令されたそうです。仕方なく素手で戦い、弟の歯を折ってしまったと話していました。彼らはその後脱走し、シリアからトルコに逃げ、クルド自治区までたどり着くことができました。またある子は、ISの宣伝映像を何度も見せられて、人の首の切るときはこうするんだ、と教えられたと言っていました。

荻上 最終的にはISの兵士として前線に送られたり、自爆テロの当事者となるなど、捨て駒にされることになるのですか。

玉本 はい。実際今年2月に私がイラクに行ったときにも、拉致されたヤズディ教徒の十代前半の男の子らが洗脳されIS戦闘員になり、爆弾を積んだ車に乗って自爆し2人とも亡くなりました。たとえヤズディの生まれであっても、戦闘員としてISのために戦わせることを前提に訓練をしているのだと思います。

荻上 ISから逃げてきた元少年兵の子どもたちは今どのような生活をしているのですか。

玉本 多くはドイツに移住しています。というのも、数年前にドイツ政府が、ISに拉致され、逃げてきたヤズディの女性や、子どもなど約2000人を庇護し、2年にわたる精神ケアをするというプロジェクトを行ったのです。そのため、私が取材した女性や、子どもたちの多くはドイツへ行きました。これ以上の人数は厳しいということで現在、ドイツは受け入れをストップしてしまいましたが、すでに移住した子たちは一生懸命ドイツ語を勉強したり、学校に通ったりしています。ただ、去年4月に彼らを取材したときは、「いまだに夜はなかなか眠れない」「こわい夢をみる」と話していました。

荻上 ヤズディの若い女性たちへの取材はいかがでしたか。

玉本 脱出してきた女性たちの取材もしていますが、一言ではとても言い表せないほどの凄まじい現実がありました。ある18歳の女の子は、拉致されたときにはすでにヤズディ教徒の男性と結婚しており、8ヶ月の子どもと、おなかにも赤ちゃんがいたんです。しかし、彼女の夫は村が襲撃された際にISに殺害されてしまいました。そして彼女は他の女性たちと一緒にモスルに連れて行かれ、そこで強制結婚をさせられました。

しかし、その2週間後の夜中に子供を抱いて、自力で脱出したのだそうです。そして明け方まで、モスル市内を彷徨っていたときに、たまたま早朝に通りで水を撒いている地元の男性と目があいました。彼女はその場で助けを求めました。すると、彼自身はイスラム教徒だったのですが、ヤズディ教徒だからと言って差別をせずに、彼女を匿い、それどころか彼女の親族に電話をしてクルド自治区に逃げる手配までしてくれたそうです。

その後、私はこの男性に連絡を取ることができました。「なぜ彼女を助けてあげたのですか」聞きました。すると、「だって人間ですから」と普通におっしゃったんです。というのも、じつは彼の家の両隣はISの関係者が住んでいたんですね。そのため「これは危ない」と思って家に入れたんだ、と言っていました。

荻上 助けを求める先が一軒違っていたり、少しでも時間がずれていれば、彼女は大変な目にあっていたかもしれないですね。

玉本 はい。実際に、逃亡した先で市民に密告されたり、ISの関係者に見つかったりして、連れ戻され殴る蹴るの暴行を受けたという話も何人かに聞いています。そうした中で、命懸けでヤズディを助けたイスラム教徒の男性の勇気に心が震えました。

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「被害者が加害者になる」紛争の現実

荻上 玉本さんはISの戦闘員も取材されていますよね。

玉本 はい。ISの支配地域に直接行くことはできませんので、クルド自治区の治安当局に許可をもらい、前線で拘束された地元のIS戦闘員に会いに行き、取材をしました。

ISと言うと、黒いマスクをかぶり人の首を切ったりする、まるで悪魔のような怖い人たちだ、という印象があると思います。でも、実際に会ってみると、ごく普通の人でした。私にとっては非常に衝撃でした。

私が取材した2人はモスル出身の男性でした。彼らになぜISに入ったのかと聞くと、1人は「家族を養わなければいけなかった」と言いました。それまで彼は文具店で働いていたのですが、ISが襲撃し、オーナーが逃げてしまったということでした。仕事を失った彼は行き場もない。それでも家族を養わなければなりませんでした。そんな中、「ISの戦闘員になればお金が貰えるぞ」と誘われて、入ったのだそうです。ただ、戦闘の前線に立つのはすごく怖かったと言っていました。

そしてもう1人に話を聞くと、彼の兄たちはアルカイダのメンバーで、イラク軍や米軍に殺され、恨みを持ち、銃を持ったと言います。イラク戦争後、駐留米軍の政策に反対する人びとが武装勢力に関わるなどして、反米武装闘争を繰り広げました。その流れからです。

その後、イスラム教、スンニ派とシーア派との宗派間抗争が激化しました。モスルに多く住むスンニ派の人々は、シーア派が主体であるイラク治安部隊などからさまざまな弾圧を受けていたのです。こうした恨みと、やはり金銭的にも困窮していたので、ISに入るしかないと思ったのだそうです。

そう考えると、彼らも以前は被害者だったのだと分かります。拷問を受けたり、家族を殺されていたり、でもそれが次の加害者になってしまうんですね。

荻上 その連鎖をどう食い止めるかが難しい課題ですよね。現在のような状況は、もともとの統治に欠陥があったこと、宗教の対立や貧困の問題が根深く存在していたことなども合わせて考えなければいけませんね。

玉本 はい。ただ、それだけではなく、やはり国際社会の無関心が大きかったと私は思います。イラク戦争が始まったときは、あれだけ報道で取り上げられ、日本でも反戦デモが起こるなど議論が盛り上がりました。しかし、その後はどうでしょうか。本当に人々の関心は減ってしまいました。私たちの無関心が、彼らを追い込んだという面もあると思います。これはISの地元の戦闘員だけではなく、ヤズディ教徒の人々についても言えることです。

荻上 今、モスルの奪還作戦で再び注目を集めている面もありますが、これについてはいかがですか。

玉本 実際にモスルからISがいなくなったとしても、それで簡単に解決する状況ではないと感じています。

なぜなら、一つは「スリープセル」と呼ばれるISの関係者が地区に潜んでいる可能性があるからです。モスルは大都市ですし、普段は一般市民を装って暮らしながら、いざとなれば隠していた武器などで攻撃することを考えています。実際、今年2月にモスルに行ったときに、ISから解放された東部の地区で、隠れていた女性2人が自爆する事件が起きていました。

そしてもう一つは、これまでISの支配下におかれていた人々どうしによる「リベンジ」(報復)です。ISの支配地域では、さきほどの地元の戦闘員のようにISに協力する地元の人たちがいました。彼らは、ISが一般市民に命じていた生活上のさまざまな取り決めに関して、それを破った者を密告したり、捕まえて刑罰を与えたりしていたのです。すると当然、地元の人々は恨みを持ちますよね。ですからISがいなくなると今度は、地元の人々が彼らに対してリベンジする。じつはこれが今、増えていると聞きます。

モスルの住民に話を聞くと、ある若者がISに入ったが、大きな事件には関わらなかったので、イラク軍に捕まった後、解放されたそうです。しかし地元に帰ると、その次の日には、彼に密告されて刑罰を受けた人たちに殺されてしまったとのことです。

荻上 秩序が変わるということは、それまで抑えていた感情が爆発するということになるわけですね。

玉本 はい。やはり、これまでの宗派対立などとは異なり、地元の住民どうしが日々の暮らしの中で折り重なっていった恨みによって対立する。それは私にとって非常にショックでした。

荻上 暴力は、それが生じたタイミングでコミュニティを分断させるだけではなく、時限爆弾のように残りつづけ、さらなる断絶に働きかける。こうした点は軽視できないですね。

「ISがいなくなれば平和」?

荻上 さきほどお話にあったように、こうした問題に対して国際社会が積極的に関心を持っていかなければ、衝突の芽は断つことができない。これまで20年近く紛争地帯を取材されてきた玉本さんにとって、「無関心からの脱却」は重要な課題だったのだと感じました。今後、テロや紛争の問題について、メディアにはどういった取り上げ方をしてほしいとお感じですか。

玉本 私たちは紛争や戦争について、「加害者」対「被害者」という構図で見がちです。しかし現実には、被害者が加害者になったり、加害者が被害者になることが非常に起きやすいんです。その様子は、私もこの目で散々見てきました。戦争はそういうものなんだと知り、その現状に向き合わなければならない。

今後、モスルからISはいなくなるかもしれません。しかし、かつての場所に人々は戻ることができるでしょうか。それは、壊れた家を建て直せばすぐに戻れるのとは違うんですね。これまでのコミュニティは破壊されてしまったのです。例えばヤズディ教徒の人々は、イスラム教徒の人を信用できなくなっています。また、モスルの市民どうしでも信頼し合えない部分ができてしまった。こうした状況で、かつてのコミュニティを取り戻すことは非常に難しいのです。

私がいま危惧しているのは、「ISがいなくなったから、もう平和だ」と、再び人々の関心がなくなってしまうのではないかということです。むしろこれからが、モスルの市民にとって非常に厳しい状況なのです。ですから、より多くの人に関心を持ち続けてほしいと思います。

荻上 イラクに関しては、単純に他の国が介入すべきかどうかという問題ではなく、こうした現状をまずは知り、向き合っていくことが重要だということですね。玉本さん、ありがとうございました。

※「アジアプレス・ネットワーク」玉本英子氏・記事一覧

http://www.asiapress.org/apn/category/author-list/tamamotoeiko/

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プロフィール

玉本英子ジャーナリスト

デザイン事務所で働く会社員だったが、ビデオ取材を始める。当初はトルコのクルド問題、その後、2001年のクルドゲリラ取材をきっかけにイラク国内での取材を開始。現場は他にシリア、レバノン、ミャンマーなど。テレビの報道番組でのリポートや、新聞連載、ネット記事、講演会などを通して伝える。99年タリバンに公開処刑されたアフガニスタ女性を追ったドキュメンタリー映画「ザルミーナ」を監督。売春女性 や女子刑務所などを取材した。京都精華大学非常勤講師。

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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