2018.01.24

国際政治とローマ教皇

松本佐保 国際政治史

国際 #バチカン#教皇フランシス#平和外交

教皇フランシスコは、その初代聖ペテロから266代目、約2100年の長い歴史の中で生じた教会内の腐敗を一気に改革しようとしている。神の子イエスは救い主で貧しい人々に寄り添ったというキリスト教の原点に立ち返り、清貧の聖人フランスシコを教皇名とした。

ローマ教皇とは神の代理人だが、かつて王権を凌ぐ権力を掌握、近代化の逆風で力は衰退したが、現在でも世界12億人の信者を通じて影響力を持つ。しかし約4年前の前教皇ベネディクト16世の時に、金融スキャンダルや子供の性的虐待問題などが表面化、信者が激減、教会は刷新を迫られた。この教会を建て直すべく颯爽と登場したのが、フランスシコである。

就任直後、送迎用の高級車を廃止してバスなどの公共交通を利用、別荘など前任者が使用していたいくつかの身の回りの贅沢品を廃し、洗足式では少年院に出向きイスラム不法移民を含む未成年の収監者の足を洗い接吻し、話題をさらった。

こうしてフランシスコのスタイルを確立し、日常的には貧しい者、弱い者の味方というイメージを、そして国際的にはグローバルなテロや環境問題解決にコミットしようとする存在感を見せてきた。その人気は老若男女問わず絶大であり、ツイッターのフォロワー数もトランプを上回る。

本論では主に後者のバチカンの国際政治への関与について述べるが、前者の日常レベルでの活動についても少し触れながら、単なる宗教リーダーの枠を超え、より普遍的な民主主義などの国際的な規範、また道徳的な規範を提示しようと試みていることを論じる。

教皇と国際政治

クリスマス恒例のバチカンでのミサで、教皇フランシスコは、Urbisi et Orbiのスピーチで、イスラレル・パレスティナ間の緊張関係が再び悪化していることをうけて、二国の平和共存を呼びかけた。

12月の初めにトランプ大統領が、米国の在イスラエル米国大使館をテラビブからエルサレムに移転する決定を発表し、世界的に大きな波紋を呼び起こし、すでに当該地域では一部武力衝突が起きている。これを受けて、クリスマスの直前には国連総会が緊急に招集され、この米国の決定を撤回する決議案を採決することになり、この決議案に賛成した国は日本や英仏独などの主要国を含む全128国に及ぶ多数派となり、反対9、棄権35であった。

この採決にあたってトランプ大統領は、賛成に投じた国に対しては援助を打ち切るなどの脅しをかけたことで、反対に回る国も一部見られたが、それよりもこうした脅し行為は米国のモラル・リーダーとしての凋落を国際的に示したことにもなった。ロシアは、アメリカのエルサレム首都認定には反対し、上記の投票でも賛成に回った。国際的なモラル・リーダの元祖が信頼を失う中、バチカンは米国に代わってモラル・リーダーになり得るのであろうか?

この問いに答えるための、米国のエルサレム首都問題に対するバチカンの立場なり対応については、理想主義外交と現実主義外交の両側面からバチカン外交を見る必要がある。

イスラエル・パレスティナの間で

まず理想主義的側面についてであるが、基本的にバチカンは国連決議に賛成の立場である。ただしバチカンは完全に政治的な中立性を維持するために、あえて国連では投票権を持たない選択をしていることから、今回の決議案についても投票はしていない。

イスラエル・パレスティナ問題に関してバチカンは、1993年のオスロ合意Iと1995年のオスロ合意IIを現在でも尊重する立場である。つまりイスラエルを国家として、PLOをパレスティナの自治政府として相互に承認し、イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退、自治政府による自治を認め、今後の詳細を協議する内容である。

ただしその後、この合意に署名したイスラエルのラビン首相が暗殺され、同協定内容のオスロ合意および後の協定で明文化されたイスラエルとアラブ国家の関係正常化の期待は未だ解決されていない。エジプトとアメリカが仲介したオスロ合意IIなる試みもあり、ヨルダン川西岸をA、B、C地区に分け、A地区はイスラエルの支配下、B地区はパレスティナ自治政府の完全自治、C地区はイスラエルのコントロール下に置いて、パレスティナ国家樹立に向けた和平が試みられたが、2006年7月にイスラエルによるガザ地区とレバノンへの侵攻により、事実上崩壊したとアラブ連盟からは見做されている。

バチカンがイスラエルを国家承認し、正式な外交関係を開始したのが、実はこの1993年のオスロ合意によるもので、これ以前はバチカンとイスラエルの間には正式な外交関係がなかったことになる。これについては、バチカンが反ユダヤ主義だからではないかという批判を受けてきたが、パレスティナやアラブ諸国との関係に配慮してきたからである。

イラエル・パレスティナ紛争の歴史的経緯や現状については、著者はアラブ諸国やイスラム教の専門家ではないので踏み込んだ考察は行わないが、アラブ諸国側もエジプトやサウジなどのように必ずしも米国と対立しない諸国や、パレスティナ難民問題についてはその受け入れをめぐる確執があったり、また非アラブであるシーア派のイランの存在が絡むなど、北アフリカを含む中東の入り組んだパワー・バランスがこの問題にも関わってくる。

こうしたイスラエル・パレスティナ問題、さらには広い意味での中東問題に対してバチカンが取っている政策は、すでに述べたように二国家共存を基盤とし、エルサレムの帰属はキリストが埋葬されている聖墳墓があることもあり国際管理の継続、中東全体に関してはカトリックを含む他の正教会系のキリスト教徒の命を守ることにある。特にフランシスコ教皇が就任して以来イスラム教徒との対話を重視し、そうした意図もあり就任するやいなやパレスティナの国家承認に乗り出し、昨年パレスティナを訪問して正式な国交の樹立を行った。

このことをめぐっては、イスラエル側から反発の声も上がったが、基本的にこの両国の対立について二国家共存で、バチカンが仲介するとしても、イスラエルに対してもパレスティナに対しても全く同等に扱うことを改めて表明したことになる。これにはこの対立する二国の紛争解決を促す意義以外にも、パレスチィナ在住のカトリック教徒及び正教会系のキリスト教徒の保護という思惑も当然ある。

他宗教とも積極的に交流

2015年の2月に教皇とロシア正教会のリーダーが1000年ぶりに会見したニュースがあったが、これは実は中東問題、特にシリア問題と深く関わっている。

5年間に渡るシリア内戦では実に30万人を超える死者と400万人を超える難民を生み出し、ヨーロッパ諸国にも押し寄せる難民にテロリストが紛れていてテロ事件を引き起こし深刻な国際問題となっている。泥沼化した本問題に突破口を見出そうとする努力にはバチカンも深く関与し、プーチン大統領とロシア正教会は密接な関係にあることから、キリル総主教との繋がりを通じてロシア政府に影響を及ぼそうという戦略が見て取れる。

レバノンやエジプトなどと同様にシリアにはシリア正教会という東方キリスト教徒が人口の10%がおり、彼らはISISなどイスラム過激派の真っ先のターゲットになることから、アサド政権の擁護下にあり軍事的には同政権を支えるロシア軍によって命が守られている。

このアサド政権を支持するロシアと反アサド勢力を支持する米国とNATO諸国の間の対立が続き、ロシアと米国の新冷戦とも言われ両者の溝は埋めがたいと思われたが、結局しぶしぶと両者は歩み寄りに合意した。もちろん教皇がプーチンに直接影響力を持っているわけではないが、ロシア正教会との関係構築によって接近し米国との仲介役を果たそうとしていると言う解釈は、十分に成り立つ。

冷戦時代東西の対話の仲介的な役割を果たしてきたバチカンが、新冷戦と言われる今日のウクライナやシリアをめぐる米ロ対立緩和にも関与しようという試みだ。こうしたバチカン外交は地政学すら意識した現実主義側面を呈している。

バチカンは他の中東諸国やイスラム教徒への働きかけにも余念がない。2014年の5月の中東訪問時にはエルサレムでは東方正教会のコンスチノープル全地総主教とも会見し、両教会長の会見は1965年の第二バチカン公会議閉会式以降、パウロ六世などの前教皇達によって行われてきたが、これでもイスラム教徒が多数派を占める中東諸国の少数派のキリスト教徒擁護のための協力が強調された。

ローマ教会(西方カトリック)と東方(正)教会の分断はローマ帝国の東西分裂によって395年に起きたが、1965年に和解した。しかし東方正教会は18~19世紀に国別にロシア正教、ギリシア正教などが独立したため、各国正教会とはそれぞれ交渉し和解する必要があった。

そして昨年5月に教皇は、イスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルの指導者アフメド・タイブ師とバチカン内で会見を行い、「平和と暴力やテロの排斥」で同意、双方が平和会議を開くことで合意した。2000年にヨハネ・パウロ2世がカイロで、当時のアズハル指導者と会談しているが、バチカン内での会見は歴史的であり、またこの直後に9・11が発生し、その後両者の直接対話は困難になっていた。

また前任者教皇ベネディクト16世はイスラム教との対話を試みたものの、2006年9月に母国ドイツで行ったスピーチで、イスラムは暴力的と解釈されかねない表現を使用したことで、イスラム教徒の反発を買い、中東ではキリスト教徒への攻撃にも繋がったと言われる。

一方フランシスコ教皇は就任以来中東やアジア・アフリカ諸国などイスラム教徒が多数派を占める国々の歴訪や、フランスやベルギーでのISISによるテロ事件発生後も、「イスラムは暴力とは無縁の平和を重んじる宗教」の発言を繰り返し、イスラム世界に好印象を与える努力をした。それがこのイスラム教スンニ派の指導者との会見に繋がったと言う。

このカトリック指導者とイスラム教指導者の歴史的な会見には、エジプトの古代キリスト教コプト教の聖職者で教皇の秘書が通訳を務める形で行われた。コプト教徒といえば2015年2月に出稼ぎ先のリビアで、21人がISISによって捕らえられ海岸での残虐な集団斬首刑の動画が発信され世界を震撼させた。

また中東よりさらにキリスト教徒の少ないミャンマーとバングラデシュを昨年11月に訪問し、サンスーチー氏が確立した脆弱な民主主義国家ミャンマーにあって彼女を批難することなく、ロヒンギャ難民の人権を擁護し、バングラデシュではこれら難民やイスラム・リーダーとも会ってバランスを取った。ミャンマーの民主主義擁護には、キリスト教徒の信仰を弾圧している中国に対するけん制という側面もあった。

地球は人類共通の「家」である

地球温暖化問題のパリ合意形成にも教皇は一役買っている。

2015年5月に教皇が出した地球温暖化に関する200頁以上に渡る回勅Laudato Si(あなたはたたえられますように)は、化学の学位を持つ教皇にして、実際に温暖化問題の専門家の科学者のアドバイスによって書かれた本格的なものとなった。実際この回勅の内容はカトリックだけでなく、プロテスタント系や宗教とは直接関係ない人道や救貧活動を行っているNGOや国連の専門機関にも即座に届けられて、それらの活動に反映された。同内容の要約版は2015年9月25日に国連にて行った教皇のスピーチにも含まれた。

同内容を要約すると以下のようになる。

私たちの共通の家を守るための緊急の課題とは、人類が家族であるかのように共に協力して持続可能で不可欠な発展を追求することです。創造主は私たちを見捨てません。なぜなら私たちを創造されたからです。人類は今でも共通の家を建てるために一緒に働く能力を持っています。私たちが共有する家の保護を保証するためにあらゆる努力をしているすべての人々に対して、励まし、感謝したいと思います。

世界最貧国の人々の生活が環境悪化によってさらに悲劇的な状況にあり、これを解決しようとしている人たちに、特に感謝の意を表します。自然環境が危機に直面しそれによって排除された人々の苦しみを考えることなしに、誰がどのようにより良い未来を築くことができましょうか? 若い人たちに希望が持てる未来とは、我々の家、つまり地球環境を危機から守ることなのです。

教皇は地球を「家」に見立てて、環境問題を論じたのである。自然環境の破壊が洪水などの自然災害の頻発を齎して貧しい人を直撃し、貧富の格差がさらに拡大すると警告したのである。

こうして第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)が開催されたパリにて、2015年12月12日に採択された、「気候変動抑制に関する多国間の国際的な協定」パリ合意に至った。同合意は、2020年以降の地球温暖化対策を定めている。2016年4月22日のアースデーに署名が始まり、同年9月3日に温室効果ガス二大排出国である中華人民共和国とアメリカ合衆国が同時批准し、同年10月5日の欧州連合の法人としての批准によって11月4日に発効することになった。2016年11月の時点での批准国、団体数は欧州連合を含めて110である。

また、2017年5月には教皇がトランプと会見して直接パリ合意から離脱しないように説得も行ったものの、残念ながらトランプはアメリカの離脱を表明した。ティラーソン国務長官はトランプに比べて国際協調を重視する立場からパリ合意に戻る可能性もゼロではないと言うものの、見通しは立っていない。

日常レベルの活動では、シングルマザーや離婚歴のある者に洗礼を授けたり祝福したり、家族計画に理解を示したり、同性愛者に対しても寛容な態度を見せるなどのカトリック教会の伝統を覆すようなリベラルな態度を提示し、カトリック教会内の保守派の反発を買うなどの困難にも直面している。

こうした困難や、トランプ就任以降の米国との対立はみられるものの、中東政策にしても環境対策にしても、米国以外の多数の国連の構成員の国際的な規範を提示してきている。教皇フランシスコは、カトリック教会のリーダーという枠にとどまらない普遍的な価値観を提示することで、「家」であるところの「地球」全体の改革に乗り出す決意すらあるのかも知れない。

プロフィール

松本佐保国際政治史

名古屋市立大学人文社会学部教授。慶応義塾大学大学院修士課程修了、英国ウォーリック大学大学院博士号(PhD)。専攻は国際政治史、主に英米、イタリア、バチカンの政治・外交・文化史の観点から近現代の国際関係を読み解く作業を続けている。著書に米大統領選をキリスト教の視点から見た『熱狂する「神の国」アメリカ』文春新書2016、バチカン秘密文書を発掘した『バチカン近現代史』中公新書2013、その他日本語及び英語による著書、共著書や論文多数。

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