2022.05.02

ロシアによる非合理的な軍事侵攻とプーチンの「世界観」

溝口修平 比較政治学、現代ロシア政治外交

国際 #安全保障をみるプリズム

はじめに

2022年2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻から約2ヶ月が経過し、戦争被害の悲惨さが連日報じられている。この間、さまざまなところで「プーチンの狙いは何か」が議論されてきた。本当の「プーチンの狙い」を知るのはプーチン自身のみであり、どのような議論も結局は推測の域を出ないものになってしまう。しかし、この小論では、次の2つを目標に定めて議論を展開することで、「プーチンの狙い」に接近していきたい。1つ目は、「プーチンの狙い」は合理的には説明できないという点を明らかにすることであり、2つ目は合理性に基づかない決定が今回の悲劇を招いているとすると、何がそのような決定をもたらしていると考えられるかを検討すること、である。

ここでの仮説は「利益」ではなく「価値」の実現こそがプーチンの目指すものではないかということである。これはあくまで仮説に過ぎない。しかし、ロシアの行動を合理的に説明できないのだとすれば、何かしらの「価値」や「世界観」が意思決定に影響していると考えられる。

以上を論じるために、ここでは次のような手順で議論を進めていく。まず、今回の軍事侵攻に至る経過を時系列にたどる。ここでは2021年春に危機の起点を据えることにする。2021年3月から4月にかけてもロシア軍はウクライナ国境付近に軍隊を展開した。その際には、米国から首脳会談の働きかけがあり部隊は撤収したが、この頃からウクライナをめぐる緊張は高まり始めた。その後、どのような経過をたどって軍事侵攻が始まったのかを改めて整理する。

次に、緊張の高まったこの1年間に、プーチンをはじめとするロシア政府高官がどのような主張をしたかを検討する。「プーチンの狙い」をめぐる議論が混沌としている原因は、ロシアがウクライナに対する要求とNATOに対する要求を同時に行っているためである。実際に、ウクライナ国境付近に軍を展開しながらロシアが要求したのは、NATOがさらなる東方拡大を行わないことを保証せよというものだった。また、その後侵略を開始すると、今度は「ウクライナ政府によるジェノサイドからロシア系住民を保護すること」を「特別軍事作戦」の目的に据え、ウクライナの「中立化」「非軍事化」「非ナチ化」を要求した【注1】。プーチンの頭の中ではこれらの問題は繋がっているのだろうが、厳密に言えばそれらは別々の問題である。ここでは、それぞれの問題の背景を説明しつつ、一つ一つの問題に解きほぐしていくことで、問題を整理することを試みる。混み入った問題の交通整理をしておくことは、今後の議論にとって有益であろう。

第三に、それぞれの問題に照らし合わせた時に、ウクライナへの軍事侵攻は、ロシアの要求を実現する上でどのような意味を持つのかを検討する。もしロシア政府が合理的に意思決定を行っているのであれば、ロシアの国益を実現するために最も効果的な(=便益が最大化され、費用が最小化される)方法をとるはずである。しかし、軍事力を用いること、そしてウクライナ全土に全面的な侵攻をすることは、ロシアが要求してきた利益の実現に有効でないばかりか、ロシアに不利益にすらなる行動だといえる。ここでは、ロシア側の要求から逆算すると、軍事侵攻がいかに非合理的な決定であるかを論じる。

第四に、そうだとすると、プーチンは何を目指しているのかということが改めて問題になる。現在メディアでは、プーチンが病気であるとか、治安機関がプーチンを恐れてプーチンに「都合の良い」情報ばかりを報告していたことなどが原因で、プーチンが正常な判断をできていないと指摘されている。もっとも、たとえば情報の偏りがプーチンの判断を誤らせたということは、プーチンは合理的だったけれども、判断の材料となる情報が不正確だったと解釈することもできる。しかし、プーチンが軍事侵攻を最初から志向し、それがうまくいくだろうという予測がプーチンにとって「都合の良い」情報だったとすると、やはりそのような認識は何に基づいているのかが問題になる。冒頭で述べたように、プーチンの「世界観」が軍事侵攻の決断に大きく影響しているというのがここでの仮説である。そこで、プーチンの言説を拾いながら、彼の世界観がどのようなものなのかを改めて検討してみる。

1.軍事侵攻までのタイムライン

2014年以来ウクライナ東部のドネツィク州とルハンシク州(ロシア語ではドネツク、ルガンスク)では、ロシアが支援する分離独立派勢力とウクライナ政府との間で紛争が続いていた。2014年2月のマイダン革命後の権力空白状態を衝く形で、いわゆる「親露派」勢力がこの地域に「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を立ち上げ、ウクライナ政府との間で紛争状態となった。2014年9月、2015年2月と2度結ばれた停戦協定(ミンスク合意)は機能せず、2020年末頃からは停戦違反の銃撃や砲撃も増加した。

2021年に入ると、さらに緊張状態が増した。4月には、10万人規模のロシア軍がウクライナ国境に集結し、ウクライナや米国はロシアの行動を非難した。ただし、この時は、米ロ首脳会談の開催に向けて両国が動き出し、ロシアは部隊を撤収させた。しかし、10月になり再びロシア軍がウクライナ国境付近に集結した。これに対し、米国はロシア軍のウクライナ侵攻があった場合には、「重大な結果を招くことになる」と警告した。

このような中で、ロシアは12月15日に、モスクワを訪問したドンフリード米国務次官補に安全保障に関わる提案を行った。17日にロシア外務省が公開した提案内容は、米国との条約案とNATOとの協定案の2つであり、その双方でNATOの東方拡大停止を求めた。そして、米国との条約案では中・短距離ミサイルや核兵器を自国外に配備しないことを、NATOとの協定案では欧州における軍隊の配備を1997年5月27日以前の状態に戻すことを求めた。1997年5月27日というのは、「NATO・ロシア基本文書」が調印された日である。この文書によって、NATOとロシアは互いを敵視しないことを確認しつつ、ロシアはNATOの東方拡大を事実上受け入れた。したがって、ロシアが提示したNATOとの協定案は、欧州の安全保障環境をNATOの東方拡大以前にまで巻き戻そうとするものであった【注2】。

米国は、このようなロシアの要求を「回答に値しない」と退けた。ロシア側の要求が事実上、米国およびNATO加盟国に一方的な譲歩を迫る内容だったことを考えれば、ロシアの要求が拒否されたのは当然である。その後、米国はウクライナへのミサイル配備や周辺地域での軍事演習についてはロシアと議論の余地があるとしたが、NATOの東方拡大停止に関する要求については受け入れられないとした。そして、ロシアに対しウクライナ国境付近からの軍隊の撤収を要求した。

2022年1月26日に米国はロシアの条約案に正式に文書で回答した。これに対しロシアのラブロフ外相は、米国の回答は二次的な問題に関するものばかりで、ロシアの主要な懸念事項であるNATOの東方不拡大とロシアの脅威となる兵器の撤去についてはポジティブな反応はないと言及した。そして、OSCEが採択した2つの文書(1999年の欧州安全保障憲章と2010年のアスタナ宣言)を引き合いに、他国の安全を犠牲にして自国の安全を強化することはしないという「安全保障の不可分性」の原則を守るように要求した【注3】。

その後、ロシアはウクライナへの軍事侵攻はしないと繰り返したが、英米両国はロシアの軍事侵攻が近いことを度々警告した。その間、フランスのマクロン大統領やドイツのショルツ首相らがプーチンと会談し、事態の打開を目指したがうまくいかなかった。

大きな転機となったのが、2月21日のロシアの安全保障会議である【注4】。通常は非公開の安全保障会議がこの日は生中継され(録画であったという噂もある)、安全保障会議の構成メンバーが一人ずつ、ウクライナはドンバスを必要としておらずミンスク合意を履行するつもりがないこと、ドンバスで砲撃が増え多くの住民がロシアに避難していること、ウクライナが核保有国になろうとしていることなどを報告し、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を承認するようプーチンに求めた。

プーチンはこれを受けて、両「人民共和国」の独立を承認する決定を下した。NATOの脅威がロシアに迫っている上に、ウクライナとNATOの軍事的協力が強まる中で、ウクライナはミンスク合意を遵守せず、この地域に居住する400万人が直面している恐怖とジェノサイドを西側が無視してきたというのがその理由だった。プーチンは、安全保障会議の様子を国内外に中継するという演出をして、「特別軍事作戦」の正当性をアピールした。そして、翌日の上院での承認を受けて、24日からウクライナへの全面侵攻を開始した。

2.ロシアの2つの要求

以上のような経緯で始まった軍事侵攻だが、それに先立ちロシアが提示した要求には、前述のとおり2つの問題が混在している。それは米国・NATOに対する要求と、ウクライナに対する要求である。2月21日や24日の演説を見ればわかるように、プーチンの中では両者は結びついている【注5】。彼のロジックでは、2014年以降のウクライナ政府は極右ナショナリストとネオナチに支配されており、それらの勢力をNATOが支援して、「ロシアと対立する道具としてウクライナを利用」しているというのだ。しかし、これらは厳密には別個の問題であり、軍事侵攻の理由を考える上でもこれらは分けて理解する必要がある。

米国・NATOに対するロシアの要求は、①NATOの東方拡大停止、②ロシアを脅かす軍や兵器の配備の撤収という2つにまとめられる。①については、冷戦終結直後の東西ドイツ統一交渉の中で、ベイカー米国国務長官がゴルバチョフソ連共産党書記長に対して「NATOの管轄範囲は1インチも拡大しない」と発言したことをたびたび取り上げ、NATOが約束を反故にしてロシアを脅かしていると主張した【注6】。そして、NATOが更なる東方拡大を行わないこと、特に旧ソ連諸国のNATO加盟を拒否することを要求した。

②については、欧州の軍や兵器の配備を「NATO・ロシア合意文書」が締結された1997年5月25日以前の状況に戻すことや、ロシアを標的としたミサイルや核兵器の配備禁止や撤去を求めた。

ロシアがウクライナ国境に軍を集結させた際に要求したのは以上のような点であった。要するに、ロシアはウクライナを軍で包囲しつつ、欧州の安全保障秩序全体の見直しを米国とNATOに要求したのである。プーチンは、2月24日の演説でも、NATOの軍事インフラのさらなる拡大とウクライナへの軍事拠点建設の試みは、ロシアの主権を脅かすものであり、NATOはロシアにとっての「レッドライン」を踏み越えたと主張した。

一方、「特別軍事作戦」の直接の理由は、「ドンバスにおけるジェノサイド」であった。プーチンは、2月21日の演説において、ウクライナがミンスク合意を履行せずに、ドンバスでドローンやミサイルを使用した電撃作戦が準備されていること、そしてゼレンスキー政権による「ジェノサイド」に400万人が直面していることを、2つの「人民共和国」の独立を承認する直接の理由として挙げた。このようなことは24日の演説でも繰り返され、ジェノサイドを止めるために「他に手段はない」ことが強調された。そして、「特別軍事作戦」の目的として、ウクライナの「中立化」「非軍事化」「非ナチ化」という3つが挙げられるようになった。

このように、ロシアは当初は米国とNATOに対して欧州の安全保障秩序の再編を求めていたが、軍事侵攻に際しては、ウクライナの安全保障政策の見直し(中立化、非軍事化)とゼレンスキー政権の退陣(非ナチ化)がその主要な要求となった。実際、3月18日のクリミア併合8年を祝う式典では、「特別軍事作戦の目的は、ドンバスをジェノサイドから救うこと」と述べており、NATOの問題については言及しなかった【注7】。

もちろんこうした発言は、以前から繰り返されていた。2014年2月の「マイダン革命」以来、ロシアはウクライナ政府を「ネオナチ」が支配しているという言説をばら撒いてきたし、21年12月にもプーチンは「ドンバスで起きていることはジェノサイドに非常に似ている」と述べていた【注8】。しかし、ウクライナ東部紛争の停戦合意であるミンスク合意の遵守を求めることと、「ジェノサイド」を止めるように要求することは、NATOを中心とした欧州安全保障秩序の見直しとは直接的には関係がない。そこには一種の断絶があり、そのことにこの戦争の目的をわかりづらくしている一つの原因がある。

3.非合理的な軍事侵攻

プーチンの戦争目的をわかりづらくしているもう一つの要因は、上記のNATOとウクライナに対する要求を額面通りに受け取ったとしても、ウクライナへの軍事侵攻、ましてや東部だけでなく首都キーウを含んだ全面的な軍事侵攻を行うことはロシアの利益になるどころか、逆効果であると考えられるからだ。この点を、前節で整理したロシアの要求に沿って見てみよう。

まず、ウクライナがNATOに加盟するのは「時間の問題」だとプーチンは述べたが、実際にはウクライナが短期間のうちにNATOに加盟する見込みは高くなかった。その最大の理由が後述するウクライナ東部紛争の存在である。ウクライナが国内に紛争を抱える限りは、NATOがウクライナの加盟を認める可能性は低かった。たとえロシアが長らくNATOを脅威とみなしており、ウクライナとNATOの接近に対して警戒を強めていたとしても、軍事侵攻というリスクを負ってまでそれを防ごうとすることは合理的であると言えない。

同様のことは、ロシア周辺からの軍やミサイルの撤収についても言える。近年、ロシアの脅威を訴える中東欧諸国やバルト諸国に対し、NATOが派遣部隊の増強を進めてきたが、それは2014年のクリミア併合以降、これらの国々における脅威認識が高まったことによる。つまり、この状況を招いたのは他ならぬロシア自身である【注9】。したがって、ウクライナに対し軍事的な圧力をかければ、NATO部隊がさらに増強されることは容易に想像できる事態であった。実際に、これまでNATO加盟に慎重だったスウェーデンとフィンランドが、2022年5月に同時に加盟申請する意向を示している。

以上のように、NATOに対する要求を実現する上で、軍事侵攻という手段がロシアの利益に見合わないことは明らかである。では、ウクライナとの関係においてはどうであろうか。こちらもやはり軍事侵攻はロシアの利益になるとは考えられないし、ましてや全面侵攻は逆効果であり、ロシアに不利益となるとすら言える。

まず、軍事侵攻はミンスク合意をめぐる状況にいかなる影響を及ぼすか。ミンスク合意は、2014年のマイダン革命後に生じたドンバス地域の分離独立派勢力とウクライナ新政権との紛争(ウクライナ東部紛争)の停戦合意である。2014年9月に最初のミンスク合意が締結されたが、締結後すぐに破綻したため、独仏の仲介で第二次ミンスク合意(ミンスク2)が2015年2月に締結された。その内容は、即時停戦とその監視の他に、ウクライナ憲法を改正し、ドネツィク、ルハンシクの両州に大幅な自治権を与えるというものである。

ロシアの狙いは、この「脱集権化」によって自治権を獲得した両州を通じて、ウクライナの政策決定に間接的に影響を及ぼすというものだった。しかし、「人民共和国」を「テロリストによる被占領地域」とみなすウクライナにとって、この地域を再び国内に取り込むことは困難であり、その履行には消極的だった。加えて、独立やロシアへの編入を果たせなくなる「人民共和国」にとってもミンスク合意は不都合だった【注10】。そのため、ロシア、ウクライナ双方が互いに「ミンスク合意」に違反していると非難し合う状況が続いた。

確かに、ミンスク合意が機能しない期間が長引くにつれ、「人民共和国」を支えるロシアの経済的負担は増していた。しかし、この状況は「人民共和国」をコントロールしつつ、ウクライナを不安定化させるというロシアの目的からすれば、それほど悪いものではなかった。反対に、「人民共和国」の独立を承認しても、経済的負担から解放されるわけではない上に、これらを通じて間接的にウクライナに影響力を行使することもできなくなる。そして、クリミアを併合した時以上に国際的な非難を浴びることになる。つまり、「人民共和国」の独立を承認して、ミンスク合意を反故にすることは、これまでのロシアがとってきた政策に反する行動であると言える。

しかも、「人民共和国」に対する統制を強化するだけであれば、キーウも含めたウクライナ全土への侵攻は必要なかった。クリミア併合時と同様に、住民投票を実施して現地住民がロシアへの編入を望んでいるという既成事実を作り、それを受け入れるということも可能だったはずだ。

ウクライナ東部での「ジェノサイド」についても同様である。ウクライナ東部紛争によってこれまでに約14000人が死亡したとされるが、それはウクライナと分離独立派の戦闘によるもので、ジェノサイドと呼べるようなものではない。国連の発表では、民間人の犠牲者は2021年9月までに3095人となっているが、マレーシア機撃墜事件の犠牲者298名を含め、その大半は2014年と15年のものであり、近年そのような状況が悪化しているわけでもない。これも、軍事侵攻をするためのこじつけと言わざるを得ない【注11】。

要するに、どのような観点から見ても、ロシアによる軍事侵攻はロシア自身が行ってきた要求に見合うものではないと言える。したがって、ロシアの行動を「利益」という観点から合理的に説明することはできない。それでは、なぜこのような非合理的な決定がなされたのか。米国は、側近がプーチンを恐れて誤情報を伝えているということを発表し、プーチンがそのような誤った情報に基づいて楽観的な見通しを持っていた可能性を示唆した。そこから類推すると、プーチンはかなり早い段階からウクライナへの軍事侵攻を志向しており、そのような狙いにとって「都合の良い」情報を側近がプーチンに上げていたということになる。

4.誤算を生んだプーチンの「世界観」

(1)「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」

ここでまた我々は、プーチンが軍事侵攻を必要だと考えた理由は何かという最初の問いに立ち戻ることになる。そして、ロシアの軍事侵攻が東部に限定されたものではなく、首都キーウを含むウクライナ全土に及んだことを考えると、その最大の狙いはゼレンスキー政権の打倒にこそあったと類推できる。実際、2021年11月には、ゼレンスキー自身が、ロシアはウクライナ人オリガルヒのアフメトフと協力してクーデターを計画していると記者会見で発表した。また、戦争開始直後には、ロシアはウクライナに親露的な傀儡政権を樹立しようとしているのではないかということが盛んに言われた。このようなことからも、ウクライナに対する3つの要求のうち、「非ナチ化」すなわちゼレンスキー政権の転覆こそがプーチンの狙いであり、それが短期間のうちに実現できるという計算がプーチンにはあったと考えられる。

ゼレンスキー政権の転覆によってプーチンは何を実現しようとしたのか。前節で見たように軍事侵攻がロシアの「利益」に見合わないとすると、その決定にはプーチン個人の「価値観」や「世界観」が影響していると考えられる。そして、そのヒントになるのが、プーチンが2021年7月にロシア大統領府(クレムリン)のウェブサイトに発表した「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文(以下、「歴史的一体性」論文とする)である【12】。

この論文では、キエフ・ルーシ以来の千年を超える歴史が概観され、表題のとおり「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」とは何かが説明されている。その要点は、(1)かつて大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人と呼ばれた3つの支族からなるロシア民族が存在した、(2)ソ連時代の民族政策により、この3つの支族がそれぞれロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という別の民族であるという考え方が生み出された、というものである。つまり、元々はロシア人とウクライナ人は一体であり、「ウクライナ人」という民族はソ連時代に作られたものに過ぎないという解釈が示されている。

論文の後半では、プーチンはソ連解体後のウクライナ政権を批判している。プーチンによれば、ウクライナは経済的なポテンシャルが高いが、ロシアとの良好な関係を維持しなかったせいで、現在は欧州の最貧国に甘んじている。そして、欧米諸国にそそのかされたウクライナ政府はロシアとの対話を拒んでおり、そのせいで、ウクライナ国民も苦しんでいる。特に2014年2月のマイダン革命以降、ウクライナ政府はロシアとの関係悪化の方向に進んでおり、その背後には欧米諸国が関与している。こうした動きをプーチンは「反ロシア」計画と呼んだ。そして、ウクライナの主権はロシアとの協力関係によってのみ実現できると結論づけている。

この論文で描かれる「ロシア人とウクライナ人の一体性の回復」が軍事侵攻の目的だと考える理由はいくつかある。まず、「歴史的一体性」論文の内容が、軍事侵攻開始直後に国営通信社RIAノーヴォスチが誤配信した「ロシアの勝利」を伝える論説記事と奇妙なほどに合致しているということである。ピョートル・アコポフによる「ロシアの攻撃と新世界の到来」と題するこの論説によれば、「ロシアの勝利」によって到来しつつある「新世界」では、反ロシア的なウクライナはもはや存在せず、大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人からなるロシア民族がその歴史的一体性を回復しつつある。そして、「ウクライナ問題を解決すること」の意義は、何よりも「分裂した民族のコンプレックス」に関するものであり、安全保障の問題はあくまで二義的であるとされている【注13】。アコポフの論説にプーチンの思惑が反映されているとすると、軍事侵攻は「ロシアの国益に関する計算」よりも「ウクライナを取り戻し、ロシア民族の歴史的一体性を回復する」という「世界観」(なわばり意識と言ってもいいかもしれない)の実現こそに重点が置かれたものだと言える。

また、プーチンの「世界観」の実現が軍事侵攻の真の目的だと考えると、ウクライナを全面攻撃してゼレンスキー政権を打倒しようとしたことの説明もつく。上述したように、「ウクライナ東部のロシア系住民の保護」のためには首都キーウに侵攻する必要はなかった。それに対し、「ロシア、ウクライナ、ベラルーシの一体性の回復」のためには、ロシアから離れて欧米諸国に接近しようとするゼレンスキー政権は何としても排除されなければならない対象となる。

ここで注目すべきは、「特別軍事作戦」の名目と「歴史的一体性」論文との民族観の違いである。前者で言及される「ロシア系住民」とは、ロシアが周辺国への介入を正当化する際にしばしば持ち出される概念であり、ウクライナにおいては東部や南部に多く居住するロシア語話者がその中心である。それに対し、「歴史的一体性」論文で述べられる「ロシア民族」は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3カ国にまたがるかつてのロシア帝国領に居住する人々を指している。このように、後者の民族観はより拡張主義的な考えに繋がるものである。

(2)プーチンのナショナリズムの変化

このような考えをプーチンがいつ頃から持つようになったのかは、今後検討すべき課題である。ただし、たとえばプーチンが2012年に発表した論文では、現在とはかなり異なる考えが提示されていた。

2012年は、2008年に一度大統領職から退いたプーチンが、再び大統領に復帰した年である。同年3月の大統領選挙に先立ち、プーチンは新聞各紙に7本の論文を発表した。そのうちの1つが、『独立新聞』に発表した「ロシア:民族問題」という論文(以下、「民族問題」論文)である【注14】。そこでプーチンは、移民の増大などにより世界的に民族間・宗教間の緊張が増しているという現状認識を示し、国家の統一を維持・発展するためには愛国主義的な教育が必要だと述べている。

この「民族問題」論文でも、プーチンのロシア民族中心主義を垣間見ることはできる。ロシアという国家を結びつけてきたのはロシア民族やロシア文化であるが、「さまざまな扇動者や我々の敵が、それらをロシアから奪おうとするだろう」とも述べられている。しかし、同時にロシアが多民族国家として発展してきたことも強調されており、ロシアという国家への忠誠を求める「市民的愛国主義」の必要性が述べられている。

このように、プーチンの2つの論文を比較してみると、プーチン自身のナショナリズムに変化を見出すことができる。表1は、ロシアのナショナリズムの類型を示したものである。横軸は、エスニック・ナショナリズムとシヴィック・ナショナリズムの違いを示している。これはよく使われるナショナリズムの分類であり、前者はエスニックな共通性に基づくネイションが想定されるのに対し、後者は、エスニックな共通性ではなく、一定の領域(国家)内に居住し、同一の政府と法のもとに結びついた人々の共通意識に基づくものである。ここではそれに加えて、領域の拡張を求めるか否か(帝国志向か中心志向か)という軸も加えて、ロシアのナショナリズムを4つに分類している【注15】。

表1 ロシアのナショナリズムの四類型

出典:Pål Kolstø, “The Ethnification of Russian Nationalism,” in Pål Kolstø and Helge Blakkisrud, eds. The New Russian Nationalism” Imperialism, Ethnicity and Authoritarianism 2000-15, (Edinburgh: Edinburgh University Press, 2016), p.23を一部修正して作成。

この類型に基づくと、2012年の「民族問題」論文におけるプーチンのナショナリズムは、ロシア民族中心的な思想を含みつつもロシア連邦のシヴィック・ナショナリズムの要素が強かったのに対し、2021年の「歴史的一体性」論文は「ロシア民族至上主義的ナショナリズム」を主張していると解釈できる。このように、プーチンのナショナリズムは、シヴィックな要素が後退しエスニックな要素が強まっただけでなく、ロシア連邦の領域的一体性を志向するものから領域の拡張を求めるものへと変化してきたのである。プーチンの中で強まったロシア民族至上主義的なナショナリズムが、ウクライナへの侵攻という非合理的な選択につながったと考えられる。

終わりに

本稿はロシアの軍事侵攻の狙いをロシアの「利益」とプーチンの「世界観」を対比することによって検討してきた。ここまでの議論を要約すると次のようになる。第一に、ロシアは軍事侵攻に先立ち、NATOへの要求とウクライナへの要求を行ったが、そのいずれを実現するにもウクライナ全土への軍事侵攻は効果的ではない。その意味で、ロシアのウクライナによる軍事侵攻は極めて非合理的なものである。第二に、にもかかわらずロシアが軍事侵攻を行ったのは、プーチンが2021年7月の論文に記したような「世界観」を実現するためだったと考えられる。そこでは、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人がかつては一つの「ロシア民族」であり、ウクライナという国家はソ連時代に作られたものに過ぎないとされている。ロシアがウクライナ全土へ軍事侵攻したことを踏まえると、プーチンは安全保障上の利益よりも自身の考える「なわばり」を確保しようとしたと考える方が納得がいく。第三に、このようなプーチンの考えは、以前よりもエスニックな要素が強調されているだけでなく、より拡張主義的な特徴を持つようになっている。

もっとも、プーチン自身が、本稿で行ったような「利益」と「世界観」をどこまで区別しているかは定かでない。彼の頭の中では両者が密接に結びついているとも考えられるし、長年積もったNATOへの不満などが、「世界観」に影響を及ぼしているかもしれない。ただし、軍事侵攻を決断するにあたっては、「利益」よりも「世界観」がより大きな役割を果たしたと考えられるというのが、ここでの結論である。

ロシアの安全保障上の利益よりもプーチン個人の世界観が優先されているという結論には、2つの含意があると考えられる。一つには、軍事侵攻がロシアの利益にどういった影響を及ぼすかということが組織的には検討されておらず、その意思決定がプーチンを中心とする非常に狭いサークルで行われている可能性が高いということである【注16】。このことは、ウクライナに対して圧倒的な軍事力を有するにもかかわらず、ロシアの軍事作戦が計画通りに進んでいないという状況とも符合する。

二つ目の含意は、軍事作戦がうまく進まないときに、プーチンが妥協よりも戦争のエスカレーションを選択する危険性があるということである。国家全体の利益を考えているのであれば、軍事侵攻に伴うロシア軍の損害や経済制裁による経済的ダメージが、プーチンの決定に影響を及ぼすかもしれない。しかし、そうした計算よりも「世界観」が優先されるのであれば、プーチンはあらゆる手段を使って戦況を打開しようとする可能性がある。また、ロシアに安全保障上の「利益」を保証したとしても、それは軍事侵攻の停止につながらないかもしれない。このように、ロシアの軍事侵攻の非合理性は、戦況の行方にも暗い影を落としている。

【注1】「非ナチ化」という言葉が使われる理由については、浜由樹子「プーチンはなぜウクライナの『非ナチ化』を強硬に主張するのか? その『歴史的な理由』」『現代ビジネス』、2022年3月13日 (https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93337?imp=0)を参照。

【注2】«Соглашение о мерах обеспечения безопасности Российской Федерации и государств-членов Организации Североатлантического договора» 2021.12.17 (https://mid.ru/ru/foreign_policy/rso/nato/1790803/); «Договор между Российской Федерацией и Соединенными Штатами Америки о гарантиях безопасности» 2021.12.17 (https://mid.ru/ru/foreign_policy/rso/nato/1790818/)

【注3】«Ответ Министра иностранных дел Российской Федерации С.В.Лаврова на вопрос СМИ, Москва, 27 января 2022 года» 2022.1.27 (https://www.mid.ru/ru/foreign_policy/news/1796041/)

【注4】Заседание Совета Безопасности. 2022.2.21. (http://kremlin.ru/events/president/news/67825)

【注5】筆者は別稿で、「米国がカラー革命を扇動している」というイメージと「NATOがロシアに迫っている」というイメージがプーチンの中で重なりあっていることを指摘した(溝口修平「ロシアがNATOに強硬姿勢をとる理由」『外交』Vol.71、2022年、67-72頁)。

【注6】この点については、「密約」の存在を否定する研究が多いものの、「密約」が存在したと主張する歴史家もいる。近年の研究成果については吉留公太『ドイツ統一とアメリカ外交』晃洋書房、2021年、第1章に詳しく述べられている。

【注7】Концерт по случаю годовщины воссоединения Крыма с Россией. 2022.3.18

(http://kremlin.ru/events/president/news/68016)

【注8】«Путин заявил о геноциде на Донбассе» Российская газета. 2021.12.9.

(https://rg.ru/2021/12/09/putin-zaiavil-o-genocide-na-donbasse.html)

【注9】同様に、ウクライナの西側志向が強まったのも、14年のクリミア併合とウクライナ東部紛争の勃発がきっかけであり、ロシア自身が招いた事態である。松嵜英也「ウクライナにとって『西欧』とは何か――独立後の外交政策の変遷を手がかりに」『外交』Vol.72、2022年、62-67頁も参照。

【注10】藤森信吉「ドンバス紛争――『ドンバス人民の自衛』か『ロシアの侵略』か」服部倫卓、原田義也編『ウクライナを知るための65章』明石書店、2018年、293-296頁。

【注11】“Conflict-related civilian casualties in Ukraine as of 8 October 2021” United Nations, 2021.10.8 (https://ukraine.un.org/en/151093-conflict-related-civilian-casualties-ukraine-8-october-2021)

【注12】Статья Владимира Путина «Об историческом единстве русских и украинцев» 2021.7.12 (http://kremlin.ru/events/president/news/66181) この論文については、溝口修平「解説 プーチン論文――ロシアとウクライナは『一体』都合の良い歴史観が下敷き」『週刊エコノミスト』2022年3月29日号、76−77頁も参照。

【注13】Петр Акопов «Наступление России и нового мира» РИА Новости. 2022.2.26. (https://web.archive.org/web/20220226051154/https://ria.ru/20220226/rossiya-1775162336.htmlで閲覧可能)。また、この論説の内容については、池田嘉郎「『ロシアの攻勢と新世界の到来』解題」(https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/108227/8427b5b7c42c9a7d3544e08382c6bb15?frame_id=561056)も参照。

【注14】Владимир Путин «Россия: национальный вопрос» Независимая газета. 2012.1.23. (https://www.ng.ru/politics/2012-01-23/1_national.html)

【注15】ロシアにおける愛国主義とナショナリズムの関係については、溝口修平「ロシアを束ねるものは何か?――ソ連解体後のロシアにおける歴史と愛国主義」『国際政治』(近刊)でも論じている。

【注16】ロシアの政策決定過程において、部局間の調整がなされていないという点については、大串敦「ウクライナ侵攻――『勝者なき紛争』がなぜ起こったか」『世界』2022年4月号を参照。

本稿は、科研費21K01306、櫻田会第39回(令和2年度)政治研究助成の成果の一部である。

プロフィール

溝口修平比較政治学、現代ロシア政治外交

法政大学法学部教授。専門は比較政治学、現代ロシア政治外交。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科助教、中京大学国際教養学部准教授を経て、現職。主な業績に『ロシア連邦憲法体制の成立-重層的転換と制度選択の意図せざる帰結』(北海道大学出版会、2016年)、『入門講義 戦後国際政治史』(分担執筆、慶應義塾大学出版会、2022年)、「大統領任期延長の正統性―旧ソ連諸国における長期独裁政権の誕生」『国際政治』(第201号、114-129頁、2020年)など。

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