2013.05.18
いま、アフリカ映画がアツイ!
「アフリカが語るアフリカを日本へ」。アジア・太平洋地域唯一のアフリカ映画祭「シネマアフリカ2013」が5月17日~23日、オーディトリウム渋谷で開催される。代表の吉田未穂さんに、直前インタビューを行った。(聞き手・構成/山本菜々子)
アフリカのリアルがここにある
―― アフリカの映画祭を開催しようとおもったきっかけを教えてください。
そもそもわたしは、大学でアフリカの研究を行っていました。当時はインターネットなどがなかったので、アフリカを知るためには、研究書などにあたるしか方法がなく、座学としてアフリカの伝統的な家族制度や、牧畜での生計の立て方などを学んでいました。
しかし、はじめてケニアに調査へいったとき、衝撃をうけます。首都ナイロビに降り立つと、高層ビルが並び、OLが街を歩き、いわゆるエグゼクティブな人たちが忙しそうに働いていました。わたしがそれまで思い描いてきたイメージとは違う世界がそこにはあったんです。
アフリカには一人で乗り込み、牧畜では暮らせなくなった人たちが、都市で出稼ぎをする状況について調査をしていました。研究者という以前に一人の生活者として四苦八苦しながら、毎日の生活を成り立たせるため必死の毎日でした。そうして生身のアフリカに裸で接することで、現代アフリカの姿に興味を持つようになったんです。そのとき感じた衝撃は、学問の枠には入りきらないもので、大学の研究では自分が満足できるような答えはなかなか見つからなかったんです。
そんなときにみたのがアフリカ映画でした。そこには、わたしが現実にみたような、ありのままのリアルなアフリカがありました。わたしにとって現代アフリカを教えてくれる最大の教科書がアフリカ映画だったといえます。
―― 吉田さんは映画上映の交渉を、現地で一人で行っていると伺いました。映画祭にあたり苦労したことはなんでしょうか。
日本という存在がアフリカではメジャーではないので、「わたしは本気」だということを示すことが大事ですね。ことあるごとにお金と労力をかけてアフリカにいく。顔を繋いで、信頼を得るということを意識しています。
むこうにいくと、7割8割はアフリカの方、残りはヨーロッパの方です。「ここでアジア人がなにしているの?」という世界なんです。そんななか、年寄りで権力がある感じにもわたしは見えませんので(笑)。「この若い子になにができるんだ」と、アフリカの方も感じてしまうのは仕方がないことです。だからこそ、熱意で動かすことは大事ですし、少しずつたしかな実績をつくっていていくことも必要です。日本で映画をやることが利益になりますよ、日本がマーケットに将来なるかもしれませんよ、と説得を重ねていきます。
健全な経済サイクルのなかで
―― 大変な労力ですね。海外で上映できるのは、「名誉なこと」というイメージがあるのですが。
それは逆なんですよね。日本では慈善活動として、アフリカの映画をみるという感覚の人が非常に多いのではないでしょうか。先進国の人が、かわいそうなアフリカの映画を「みてあげる」という構図になってしまいがちなんです。
でも、それは彼らにとっては上から目線におもえるし、メリットにならないんですよね。日本で上映会を開いて、「アフリカは大変だね」となっても、行動に移さなければ結局みている人の自己満足と言われてしまうかもしれません。それで、上映料も払わない、みてやるから無料で上映してくれ、となると、それはかたちを変えた「植民地主義の再来」と言われても仕方ないですし、差別を増幅しているだけだとおもいます。
だから、慈善活動ではなく、作品として面白いからお金を払って上映することを意識しています。お客さんにもきちんとチケットを買ってもらう。対価を払うというのは、作品へのリスペクトですから、この売り上げが彼らの次の映画の資金になるわけですよ。だから、たとえばお金というかたちで、日本でやる映画の成果をアフリカに返したいなとおもっています。
お金を払う代わりに、面白い話や、勉強になるドキュメンタリーを受け取る、そのお金で彼らは次の作品をつくっていく。アフリカ映画という大きな経済サイクルの一部に日本人も入れたらなとおもうんです。ですので、啓蒙や慈善活動ではなく、みたいからみるし、そのためにお金も払うという、「健全な」経済サイクルのなかでやっていきたいですね。もちろん、そのためには上映する側も意味のある映画を選んでこなければいけません。
―― 映画を選ぶ基準はありますか。
いままでのアフリカの概念やイメージをひっくり返して、驚きを与えるようなものを選んでいます。それは悲劇であるのかもしれないし、コメディなのかもしれない。映画の表現方法は多種多様だとおもうんですよ。
今回であれば、アフリカとヨーロッパが逆転した「アフリカ・パラダイス」(http://www.cinemaafrica.com/?p=662)という作品を上映します。ヨーロッパが貧困に陥って、超大国のアフリカに移民が押し寄せるという話です。自分のいままでの価値観がひっくりかえるような映画だとおもいます。
そういう面白くて驚くようなものをみると、考えるきっかけができるとおもいます。驚いたり悲しんだり、感情が動くと、もっとアフリカに興味を持てたり、実際にいってみようだとか、具体的なアクションにつながるとおもうんです。ですので、人の感情を動かすものを選ぶというのも、大事な基準にしていています。
―― 日本で上映するにあたり、字幕はどうしているんでしょうか。
ボランティアの方たちに英語やフランス語から日本語に直してもらっています。それと、どうしてもアフリカの話は現地事情がわからないと難しいので、アフリカから日本に来た留学生に手つだってもらっています。なるべく現地と近い感覚に近づけることは意識していますね。
世界最先端の「おもしろい」を
―― 今回の映画祭のみどころを教えていただけますか。
ナイジェリア映画ですね。ナイジェリアでは最近、映画制作が盛んです。ハリウッド、ボリウッド(Bollywood インド映画の通称)につづいて、「ノリウッド(Nollywood)」という言葉も生まれています。いまとっても人気なんです。新しいデジタル技術で格段に安くなったのと、アフリカ国内の需要の高まりによって活発になりました。アフリカの人がアフリカの身近な問題をアフリカの目線で描く。現地の人から熱い支持を得て大ヒットしているんです。
ナイジェリアだけではなく、東アフリカや南アフリカでも盛んに上映されていますし、アフリカ系の移民の方を通じてヨーロッパでも爆発的な人気がでてきています。今回、シネマアフリカで上映される作品は世界の最先端の「おもしろい」ものなんです。たとえば、「恋するケイタイinラゴス」(http://www.cinemaafrica.com/?p=1383)などはいま大ヒット中の映画です。ノリウッド映画の特徴はハッピーエンドで終わる人間ドラマです。呪術であったり、村の生活だったりアフリカ的なものを取り入るところもポイントです。
また、アフリカのカンヌ映画祭「FESPACO」でグランプリを受賞した「テザ 慟哭の大地」(http://www.cinemaafrica.com/?p=671)にも注目していただけたらと思います。つまり、アフリカの方たちが、アフリカでナンバー1と認めた映画です。これは、エチオピアの混乱のなかでの人間の苦悩や、そのなかでもかすかな希望をつかんでいく人間の話です。
―― 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
選りすぐりのアフリカ映画17作品を集めていますので、ぜひ、みに来ていただければとおもいます。発展途上国だから映画を「みてあげる」のではなく、世界の最先端の「おもしろい」を楽しんでください。
●CINEMA AFRICA 2013 上映作品 ⇒ https://synodos.jp/international/3957/2
CINEMA AFRICA 2013 上映作品
●長編映画
(ドラマ/コメディ/110分/ナイジェリア/2012年/監督クンレ・アフォラヤン)
傲慢なビジネスマンのアキンと、心優しいデザイナーのメアリーは携帯電話ブラックベリーの愛用者。二人は空港ですれ違いざまにぶつかって携帯を落とし、お互いの携帯が入れ違ってしまい、そこから運命が変わりだした。入れ替わった携帯のせいで……。
(ドラマ/スリラー/120分/ナイジェリア/2010年/監督クンレ・アフォラヤン)
青年フェミは、就職前の義務である青年勤労奉仕部隊の研修に参加するが、あるとき、親友ショラと雨宿りした森の廃屋で埃まみれの女神像を見つける。それを手にした者には7年間の幸運と、続く7年間の破滅がもたらされるという伝説の女神アラロミレだった……。
(ドラマ/85分/ベナン・フランス/2007年/監督シルベストル・アムス)
西暦2033年。超大国「アフリカ合衆国」が隆盛を誇る一方、EUが瓦解した欧州は紛争・疫病に悩まされる発展途上国になり果てた。フランスで食い詰めたあるカップルはアフリカへ密航するが、憧れの大陸ではヨーロッパ人移民を取りまく厳しい現実が……。
(ドラマ/90分/UK・南アフリカ・ルワンダ/2008年/監督デブス・ガードナー・パターソン)
W杯にいきたい!その一心でルワンダから南アフリカまで5000キロを自力で旅した子どもたちの物語。W杯開会式に招待される”エスコート・キッズ“の選考会に参加するため、3人の子どもたちが首都キガリをめざしてバスにこっそり飛び乗った…が、着いたところはコンゴの難民キャンプ!それでもあきらめきれない子ども達は、一路南アフリカを目指して歩き始めた。
★2009年Fespaco最優秀作品賞
(ドラマ/140分/エチオピア・ドイツ・フランス/2008年/監督ハイレ・ゲリマ)
故郷の医療進歩を夢見て、留学先のドイツから戻ったアンバーバが目撃したのは、マルクス主義メンギスツ政権の下で疲弊した祖国エチオピアの姿だった。粛清の波は医師にも及び、ドイツに逃げ戻るが、外国人襲撃の標的になってしまう。心身ともに傷だらけで戻った故郷でアンバーバが見つけた希望とは……。
(長編ドラマ/140分/エリトリア/2007年/監督ゼライ・ミスグン)
冗談好きの人気者アブレルだが、小さな誤解が元で学校を追われ、やむにやまれぬ罪で刑務所へ。刑期が明け恋人とまだ見ぬ娘に会いにいくが、エチオピアからの独立闘争は激化し、アブレルもついに解放戦線へと身を投じることに。知られざるエリトリア現代史を駆け抜けた一人の男の物語。
●ドキュメンタリー映画
創作の旅―5人の監督が語る映画製作/Creation in Exile: Five Filmmakers in Conversation
(ドキュメンタリー/53分/フランス/2012年/監督ダニエラ・リッチ)
アフリカ映画の著名な5人の監督が、人生について、映画について、アフリカについて、自らについてを赤裸々に語るドキュメンタリー。
★巨匠が描く「アフリカ映画の父センベーヌ」★
( ドキュメンタリー /56分/ 2012年/マリ/監督スレイマン・シセ)
「アフリカ映画の父」と呼ばれるセネガルの映画監督ウスマン・センベーヌのポートレイト。冒頭、トレードマークとなったパイプをくわえたセンベーヌが、友人達とロンドンのブティックに現れる。このスレイマン・シセの作品は、センベーヌの真の弔いとなるだろう。巨匠スレイマン・シセがユッス・ンドゥールの音楽を使い、センベーヌを描いた話題の新作。
シネマ・イン・スーダン:ガダラ・グバラの回想
CINEMA IN SUDAN: CONVERSATION WITH GADALLA GUBARA
(ドキュメンタリー/52分/2008年/監督フレデリック・シフエンテス)
「映画の為には何でも売った、家も先祖伝来の宝も、妻さえも……」と豪語するガダラ・グバラは88歳になり失明したが、なおメガフォンを握り続ける。検閲と資金不足と闘った60年の不屈の映画人生に迫る。
森のこども ウォレ・ショインカ
WOLE SOYINKA: CHILD OF THE FOREST
(ドキュメンタリー/52分/南アフリカ/2009年/監督アキン・オモトソ)
アフリカ初のノーベル文学賞受賞者であるナイジェリアの詩人・劇作家ウォレ・ショインカ。ビアフラ内戦時の22ヶ月間の投獄生活など波乱の人生を友人や作家たち、そして本人のインタビューで描く。
キューバのアフリカ遠征
CUBA: AN AFRICAN ODYSSEY
(コンゴ編91分)(アンゴラ編98分)
(ドキュメンタリー/フランス・エジプト/2007年/監督ジハン・エル・ターリ)
マンデラが釈放されて最初に会いにいったのはカストロだった。ルムンバ暗殺への報復に燃えるコンゴ革命軍を指揮したチェ・ゲバラ、アミルカル・カブラルへの支援など冷戦時代のアフリカでのキューバの影響を描く。
●短編映画
★カンヌ・インディペンデント最優秀短編作品賞
(短編/20分/南アフリカ・ケニア/2009年/監督ワヌリ・カヒウ)
第三次世界大戦の後の東アフリカ。自然は破壊し尽くされ、人類は外界から隔絶されたコミュニティを作りかろうじて生き延びていた。研究所の学芸員アシャは、ある日、古い種と土壌を見つけ、この植物を養える土を探して、居住区を抜け出し禁じられた外界へと旅立った。
ぼくらも月面を歩いた
Nous aussi avons marché sur la lune
(短編/16分/ベルギー・DRコンゴ/2010年/監督バルフ・バクパ・カニンダ)
1969年、アメリカ人宇宙飛行士が月面におりたったとき、あるアフリカン・マジックが起こった。
(短編/7分/ルワンダ/2009年/監督アユーブ・カサッサ・マゴ)
アサドはぼろぼろのカバンが恥ずかしくてたまらず、弟マリクの新しいカバンを羨んで弟を置き去りにしてきてしまう。
(短編/17分/ウガンダ/2004年/監督キャロライン・カムヤ)
ウガンダの青年ミルトンは三度のマトケよりもロックンロールが好き。外交官の父の望み通りに歯医者になるが、音楽の夢はあきらめられず、夜になると白衣を脱ぎ捨て、スパンコール輝くスーツに身を包む。カンパラを舞台に、昼は歯医者、夜はプレスリーとして生きる青年を追った短編ドキュメンタリー。
Mr.カトー 踊る魔術師/The Dancing Wizard
(短編/10 分/ウガンダ/2004 年/監督キャロライン・カムヤ)
ウガンダ唯一の社交ダンスの踊り手は1924 年生まれのミスター・カトー。カウボーイ映画でダンスにはじめて出会い、見よう見まねで踊り、第二次世界大戦が終わり兵士が帰還してくると今度は彼らをまねて踊った。「踊る魔術師」の名で愛される得意なダンサーを追ったドキュメンタリー。