2013.12.17

安保理改革を要求したサウディアラビアの非常任理事国辞退

中村覚 中東安全保障、サウディアラビア地域研究

国際 #イラン#サウジアラビア#パレスチナ問題#非常任理事国辞退#バンダル王子#サウード外相#アブドゥッラー国王#ロウハーニー大統領

衝撃の辞退表明

2013年10月18日、サウディアラビア外務省は、サウディアラビア国営通信を通じて、国連安全保障理事会(安保理)の非常任理事国の席への就任を辞退するとの声明を発表した(以下、「辞退表明」と略す)。前日に安保理は、五カ国の非常任理事国の任期満了にともなう改選選挙を実施し、サウディアラビアは初選出されたばかりであった。

選挙過程は問題なく進められており、また安保理非常任理事国の席への就任を辞退した前例はなかったことから、国連関係者の間に衝撃が駆け巡った。

サウディアラビア外務省は、辞退を表明する10月18日付声明の中で、辞退の理由を説明した。同声明は、安保理の仕組みと二重基準が憲章に定められた国際の平和と安全を維持する義務の遂行を妨げてしまっていると批判した。そしてパレスチナ問題、中東における大量破壊兵器の拡散問題、シリアのアサド政権による殺戮の三つの問題の解決に失敗してきたと批判した。そこでサウディアラビアは、安保理が改革されるまでは、安保理の席に付く意思がないと表明していた。

サウディアラビアの辞退表明は、中東における国際紛争の中には、大国の都合によって解決が試みられる「関与される紛争」と「放置される紛争」が二分されてきたことへのアラブの立場からの抗議である、と言い換えることができる。

選出決定直後には、アブドゥッラー・ムーアッリミー・サウディアラビア国連大使が、当選に関して、「サウディアラビアにとって歴史的瞬間である……当選は喜びである」との見解を表わしていた。それから、わずか17時間後に辞意表明が発せられたこととなったわけである。中東政治の複数の専門家が、辞退表明の真意に関して「不可解」との見解を示した。

辞退表明を行ったサウディアラビアの真意についてはさまざまな憶測が広がっていたが、11月12日にサウディアラビアは、辞退の正式な申し入れに必要な通告文書を国連事務総長に提出した。これにより、サウディアラビアによる辞退の意思は、事実であると確定されることになった。

立候補し、当選

サウディアラビア政府は、とくに2年前から非常任理事国の座を射止めるための準備を開始した。その一環として選挙の一年以上前から、選挙活動を本格化し、当選に備えてサウディアラビアの外交官は準備してきた。

それだけに今回のサウディアラビアによる突然の翻意は、いくつかの国や地域機構が称賛や理解を示したにも関わらず、サウディアラビアの行動は予測しがたいと各国外交官や中東政治専門家の間に印象付ける結果となってしまった。

サウディアラビアは辞退表明で安保理を批判したが、おそらく国連の諸機関は、サウディアラビアと以前と同様に共同で業務を継続するであろう。国連は批判を受けやすいが、批判者に対して報復的な行動をとることはない。国連諸機関は、各国にメンバーシップの場を提供し、国際協力を推進し続けるだろう。だが辞退表明が安保理非常任理事国の席に穴を空けたことに関する国連関係者や各国外交官の心象は悪い。

それでも日本はサウディアラビアと友好関係を必要としている。日本の石油供給源としてサウディアラビアを代替できる国は、当分、見当たらない見込みである。米国がシェールガスやシェールオイルの増産を目指しているが、日本への輸出がどの程度の規模となるかは未知数である。またサウディアラビアと日本の両国政府は、戦略的パートナーシップとして、石油の輸出入のみに留まらない多層的な両国間関係の構築を目指している。

そこで以下では、サウディアラビア外交の目的や特徴を読み解くこととする。同国の外交政策を左右する要因は、中東域内情勢と国内政治の両面にある。現在、サウディアラビアは、イランを第一の脅威と認識している。イランがサウディアラビアの周辺国に反サウディ派の組織を拡大しようとしていると怖れている。その企ての一部が、アサド政権への軍事支援や、バーレーンでのデモの扇動であると見ている。またサウディアラビアは、イランによる核兵器開発を阻止するために全力を尽くす方針である。

またイランの脅威と同じ程度にサウディアラビア政府が政策立案の際に考慮する要因は、国内と中東域内での名声の維持の問題である。日本は、中東におけるさまざまな紛争が、サウディアラビア政府の安定性に影響するリスクを正確に理解する必要がある。

米国の中東政策を方向付ける必要性

今回の辞退声明は米国に関して言及していなかったが、サウディアラビアが辞退した理由として報道で数多く指摘されたのは、サウディアラビアの抱く米国への不満であった。サウディアラビアは、とくに2011年以降にシリア危機に関して拒否権を行使してきたロシアと中国にも不満を持ってきた。だが、今回の辞退表明が、米国に対する抗議の意味が強いという見方は妥当であろう。

なぜなら、サウディアラビアが辞退表明で指摘した三つの問題、パレスチナ問題、中東における大量破壊兵器拡散の問題、シリアでの殺戮の解決では、米国が鍵を握る国となっているからである。そして、以前からサウディアラビアは、それらの問題での米国の取り組みに関して不満を持っているのが明らかであった。

辞退表明の後、サウディアラビアは、米国宛のメッセージを明確にした。10月21日にケリー米国務長官は、パリでサウード外相と会談する機会をもった。だが翌22日にサウディアラビアのバンダル総合情報庁長官は、ヨーロッパ諸国の外交官と会談し、米国が中東政策でサウディアラビアが望む成果をあげないのなら、「米国との関係で大転換」があり得ると発言したと報じられた。サウディアラビアは、米国の代わりとなる国がヨーロッパにある、とのメッセージを発したことになる。

サウディアラビアは、以前にも同様の外交的圧力を米国に対して行使したことがある。2011年3月、湾岸協力会議(GCC)の数カ国がバーレーンでのデモを暴力によって制圧したとき、オバマ米国大統領はアブドゥッラー国王に自制を要請したが、するとサウディアラビアはすぐにバンダル王子(当時は国家安全保障問題国王顧問)を中国に派遣し、サウディアラビアのパトロン候補は米国以外にもいるという外交上のサインを発した。なぜそこまで強硬にサウディアラビアは米国に圧力をかけるのか。

それは、サウディアラビアの焦りのためである。焦りの原因の一つは、中東の紛争解決に関与する残り時間の少なさである。もしも米国が中東産石油への輸入に依存しなくなれば、中東の紛争への選択的関与政策を強化することとなる。米国は、すでにイラクから撤退し、さらにアフガニスタンからの撤退を2014年に予定し、シリアについては限定的な関与政策に留めている。今後、米国の財政危機は、米国の中東離れをさらに加速する危険がある。

サウディアラビアと米国の脅威認識のズレ

米国は、火急の際には、湾岸(ペルシア湾ないしアラビア湾)の安全のために部隊を派兵し、戦うであろう。だがサウディアラビアにとっての死活的関心事項は、湾岸で武力紛争が発生する場面だけではない。このような両国間の温度差が、両国間の摩擦を生む要因である。

サウディアラビアの生存にとって、パレスチナ問題やシリア問題は死活的な関心事項である。また、ロシアやイランが国家間戦争という直接的な手段を用いずに、つまり絶対的優位に立つ米国の軍事力を使わせないようにしながら、次第に中東で影響力を高めてきていることがサウディアラビアにとってのリスクを高めている。2013年9月に米国は、アサド政権による化学兵器使用に対する対応としての軍事攻撃を中止したが、ロシア外交の巧みさは際だっていた。米国の関与なしで、中東における諸紛争がサウディアラビアにとって適切な解決に向かう見込みはない。

サウディアラビアは、米国の問題は、米国のパワーの低下のためでは必ずしもなく、米国による中東戦略の立案が失敗してきたと見なしている。ブッシュ政権のイラク侵攻は、サウディアラビアにとっては、イランのイラクへの影響力を拡大させた点で大失敗であった。つまり米国は、圧倒的な軍事力を要しているが、域内政治の力学は理解し切れていないために、戦略を間違えたのである。サウディアラビアは、米国の中東政策が一貫性を欠いていることに不満であると解釈することもできる。サウディアラビアにとっては、米国がサウディアラビアにとって適切な政策へ向かうよう、強く働きかけ続けることが肝要となっているのである。

米・サウディアラビア関係は総合的には極めて良好

2011年以降、サウディアラビア政府は、米国の中東政策に関して一段と憂慮を深めてきた。とはいえ、現在の米サ二国間関係は、貿易、金融、教育交流、医療、査証協定などを鑑み見ると総合的には非常に良い。そして米国政府もサウディアラビア政府も良好な関係が持続することを願っている。

米国の広報官は、サウディアラビアによる辞退表明の後、サウディアラビアと米国の良好な関係を強調し、さらに各国には異なる見解があると付け加えて、サウディアラビアの辞退表明の衝撃を和らげようとする立場を示した。21日のケリー・サウード会談と22日のバンダル発言の後、11月4日にケリー国務長官は、辞退表明後に初めてリヤドを訪問し、アブドゥッラー国王と会見した。

会見後、同長官とサウード外相は共同記者会見を開催し、両国関係の「特別な関係」を演出して見せた。両国関係は、75年という長期にわたっており、この間に幾度もの危機を乗り越えてきた。たとえ両国関係が新たに危機に陥ったとしても、関係回復のために想起できる過去の逸話のリストが、強固な関係を演出してみせるための「雛形」として確立している強みがある。サウード外相は、両国間の相違について「戦術に関わること」と発言した。

だが合同記者会見でのサウード外相による発言の後半は、手厳しいものでもあった。同外相は、国連批判を展開し、パレスチナ問題、中東の大量破壊兵器拡散の問題、シリアでの殺戮の解決を訴えた。

国連による地域紛争解決の限界?

今回の辞退表明を文字通りに解釈するのなら、サウディアラビア政府は、安保理改革を要求できる最初の公的な機会を最大限に利用して、それら問題を提起したと解釈できることとなる。

辞退表明の中でサウディアラビアは、安保理改革の具体案を提示してはいなかったと指摘されている。具体案の欠如は、サウディアラビア外交の射程を浮き彫りにしてしまっている。サウディアラビアは、中東域内の武力紛争の解決や予防には強い関心を有するものの、国際社会全体の仕組みをデザインする意図ないしは能力を欠いている。ただ、安保理改革は、過去にさまざまな案が提示されては実現していない難題である。サウディアラビアのみが実行力のある国際社会の仕組みをデザインしなかったと批判を向けるのは言い過ぎの感がある。

安保理は、常任理事国に拒否権を付与する制度によって、世界大戦の発生を予防する機能を果たしてきた。シリアでの殺戮について言えば、米国、ロシア、中国の関係冷却化が大国間の戦争にまでエスカレートするのを予防している。だが、その代償として安保理は、常任理事国が関与を望まない場合には、地域紛争を放置する仕組みとなってきた。世界大戦と地域紛争を同時に予防する仕組みは、まだ世界の誰も考案できていない難解な課題である。

国王の性格が起因?

サウディアラビアの外交政策決定過程に注目した場合、今回の辞退表明は、国王や外相など、特定の政治家の名の下には発せられなかったことに気付く。辞退表明は、国際社会の強い反発を予め想定していたので、外務省名で発せられた可能性を指摘できる。辞退表明の発出は、サウディアラビアの国連代表部には予定外であり、サウディアラビア政府の中でトップダウンにより下された決定だったことは間違いない。

アブドゥッラー国王は、しばしば厳しい対米観を明示してきた。2001年8月、中東和平交渉が行き詰まり、第二次インティファーダが激化した際には、米国に対して、「あなたたちはあなたの道を、私たちは私たちの道を行く」と発言した(当時は皇太子)。2007年にリヤドで開催されたアラブ連盟年次首脳会議では、イラクでは「正当性を欠く外国による占領」と宗派主義の下で流血が続いていると発言したこともある。アブドゥッラー国王が米国に対して強い発言をできる理由は、米国はサウディアラビアを必要とすると理解しているからである。また、米国が、アラブ人なら誰もが認める失策を繰り返してきたからでもある。

辞退表明を報じたり論評したりするサウディアラビアの新聞記事では、2012年2月10日にアブドゥッラー国王が国連を批判した演説を引用するようになった。「少数の国々が世界を統治するのは不可能」、「国際連合に対する世界の信頼は失われた」との発言が頻繁に引用されることとなった。アブドゥッラー国王によるこの演説は、シリアでの殺戮の停止に関する決議案が安保理で二度目に否決された後にされていた。

アブドゥッラー国王が辞退表明の発出に関して最終的な決断を下した人物であるのは間違いないと見られるとしても、サウディアラビアの国王が誰の見解にも左右されることなく、一存で何についても好きなときに気まぐれに決定できる等と見なすのは見当違いである。サウディアラビア政府は、世論の動向に対して敏感である。しばしばサウディアラビアは「絶対王政」と見なされるが、その見方は以下で論ずるように間違いである。

国際政治学の偏見

そもそも国際政治学では、権威主義国家の政府が世論の動向に敏感である実態について十分に確認してこなかった。

権威主義体制は、完全普通選挙や欧米式の表現の自由を制度化してはいないが、世論の動向に配慮している。というのは、政権を支えるエリートの支持が揺らぐと、行政や軍の働きぶりに悪影響が生ずる。また権威主義制度にとって、世論の支持の低下は反体制運動の土壌と成り得る危険なものである。権威主義政権の政府は、暴力を行使して国民を抑圧すると、反体制派が拡大するリスクを熟知している。

サウディアラビアの名声獲得外交

サウード家は、正当性を保つために、イスラームやサウディアラビア国民に奉仕し、偉大な功績を積み重ねて誇示し、名声を保ち続ける必要がある。近年、サウディアラビア国民の間ではソーシャルネットワーキングサービスの利用が急速に拡大しており、このためにサウディアラビア政府は、以前にも増して、世論の動向に細心の注意を払う必要性が高まっている。正当性問題が、辞退表明を行ったサウディアラビア政府の動機の根幹に隠れている。

サウディアラビア政府は、世論対策を重視している。民主国家の政権は、世論の支持率が低下する失敗を犯しても任期を終えるまで業務を遂行することができるが、権威主義政権にはそのような甘えは許されない。サウディアラビア政府は、政府と国民の名声を高く保ち続けなければならない。

サウディアラビア政府は、パレスチナ問題やシリアでの殺戮に関しては、サウディアラビア政府の取り組みにもかかわらず、国際社会の失敗のために、問題の解決が放置されているという認識を国民に信じ込ませ続けなくてはならない。サウディアラビア政府は、国民の自尊心や愛国心を満足させるために、サウディアラビア政府がアラブの人道問題に貢献する政策を実施しているとアピールし続けなければならないからである。

道徳的外交と現実主義外交の調和

サウディアラビアは、道徳的外交と現実主義外交の調和を図っている。サウディアラビアの道徳的外交とは、普遍的価値、イスラーム、人道への貢献を果たすことである。道徳的外交は、政府への世論の支持を高く保つ効果がある。現実主義外交は、サウディアラビアの安定性を確保するために、脅威に対抗したり宥和したりする安全保障戦略に基づいて遂行される。パレスチナ問題やシリアの人道的危機の解決を模索する際には、サウディアラビアの道徳的外交と現実主義外交は矛盾なく調和する。

どんな国にとっても、道徳的外交と現実主義外交が緊張関係に陥る局面は、武力を行使する際である。近年のサウディアラビアの場合は、シリア反体制派に対する武器支援政策がリスクを内包している。だがサウディアラビアは、外交の道徳性と現実主義的目標の調和を図ってきた。サウード外相は、2012年2月、「反体制派への武器支援は、彼らが自衛しなければならないので、素晴らしい考えである」と発言した。

サウディアラビアが、安保理の非常任理事国の席を辞退した理由には、道徳的外交と現実主義外交の調和が崩れる危険が関わっている。

パレスチナ問題

サウディアラビアによる辞退表明を契機として、シリア政策やパレスチナ政策を大きく変化させる大国はないだろう。だがパレスチナ問題とシリア問題は、サウディアラビアの威信に関わる繊細な問題であることに配慮が必要である。

サウディアラビアはイスラエルに対してパレスチナとの和平を強要できるパワーを有しているわけではない。かといってサウディアラビアがイスラエルと国交を回復してイスラエルに直接に関与したとしても、イスラエルがパレスチナ政策を改善する見込みはないであろうから、この選択肢はサウディアラビアには政治的なリスクが高すぎて不可能である。サウディアラビアがパレスチナ問題の解決のために直接に関与できる手段は限られている。

イスラエル・パレスチナ紛争は、パレスチナを占領し、パレスチナ国家の独立を妨害するイスラエルに第一の責任がある。だが、もしもサウディアラビアの世論が、イスラエルを阻止できないことを理由にサウディアラビアを含むアラブ諸国に対する批判を展開し始めた場合、サウディアラビア政府には正当性の危機が発生してしまう。そこでサウディアラビア政府は、パレスチナ問題の原因はイスラエル、米国、国連などにあると国民が語り続けるように国内世論を誘導し続けなければならないこととなる。サウディアラビア政府が、第一に警戒するのは国内世論であるが、アラブの世論にも配慮している。

シリア人道支援を提唱する説教師

サウディアラビアで、シリア危機に対する人道支援を提唱し、世論に強い影響力を及ぼす説教師が現れている。ムハンマド・ウライフィー師である。師は、2011年5月、シリアへの人道支援を唱道するモスクでの演説で脚光を浴びた。彼のツイッターのフォロワーの数は、2012年初めに300万人を突破し、その後でミャンマーで迫害されるムスリムを訪問した行動力なども追い風となり、2013年11月には700万人を超えている。

ウライフィー師の演説は、ますます強硬になっている。2013年7月22日には、「アラブの統治者たちは、NATOや安保理の決定を待たず、戦闘機や陸軍を派兵するべきである」と主張した演説がYouTubeにアップロードされている。演説そのものがいつされたものなのか正確には不明である。

彼は、サウディアラビア政府を直接には批判しない点で巧妙なレトリックを駆使している。アラブ各国政府は、自国の軍をシリアに派兵するのは無理である等とは言い訳しにくい点で、ウライフィー師の発言への対応に苦慮することとなる。

もとよりサウディアラビアでは、イスラーム知識人は、直接的にサウディアラビア政府を批判しない限りで一定の言論の自由を享受してきた。ウライフィー師は、サウディアラビアのみならず、今やアラブを超えてイスラーム世界で注目される評判を獲得している。もしもサウディアラビア政府が同師に対する迂闊な対応をとれば、かえって政府の名声を傷つける恐れがある。

そこでサウディアラビア政府としては、強硬に傾く世論を宥和する政策が不可欠となっていた。実際のところサウディアラビアの大衆は辞退表明を高く評価したので、サウディアラビア政府は国内世論対策では成功を収めたと評価できる。

イランやヒズブッラーとの名声獲得戦争

サウディアラビアが名声獲得政治に注力する理由は、アラブにおける人気の重要性を過去約十年におよぶ、イランやヒズブッラーとの闘いから「学習」した結果でもある。

サウディアラビアは、ヒズブッラー(ヒズボラ) の人気に対して手痛い失敗をしたことがある。2006年のイスラエル・ヒズブッラー戦争で、ヒズブッラーがイスラエルの攻撃を撃退する戦略的な勝利を収め、アラブ大衆から高い支持を集めていたときに、サウディアラビアのイスラーム学者が、ヒズブッラーを支持しないように呼びかけたため、サウディアラビアに対する支持がアラブ大衆の間で低下したと言われる。

また2011年以降、アラブ各国で街頭政治が展開されているが、大衆の世論が、アラブ各国の政治動向に直接的に影響することとなったとも言える。サウディアラビアにとっては、名声をめぐる国際政治の新局面として、イランに対する攻勢が必要となっている。イランは、アラブ諸国で親イラン派集団を育成しようとしているとサウディアラビアは怖れているからである。サウディアラビアは、名声獲得が地域政治の「ゲームのルール」であると理解し、メディア戦争で積極的政策に転じる兆しが現れていると言える。

アラブ諸国で低下するサウディアラビアへの支持率

米国に拠点を置く世論調査機関ピューリサーチセンターが2013年10月17日に公表したアラブ諸国での世論調査結果によると、サウディアラビアへの支持率が、2007年から2013年にかけて低下傾向にある。ピューは、支持率が低下した理由を示していない。

だが、時期を考慮すると、2006年のイスラエル・ヒズブッラー戦争が一因として考えられる。また「アラブの春」以降、アラブの世論が二極化したために、サウディアラビアへの支持が高い支持率から中程度の支持率へ低下したのかもしれない。アラブにおける世論の二極化が原因だとしたら、今後は、サウディアラビアへの支持率は下げ止まる可能性がある。だが例えばサウディアラビアにおけるアラブ人労働者の雇用問題が原因だったりした場合には、支持率はさらに低下していく危険がある。

シリア危機のインパクト

シリアが化学兵器を実戦で使用した事実が判明した2013年8月にオバマ大統領は、シリア攻撃開始を一度は決意したが、翌月、攻撃案を撤回した。その結果、米国のシリア政策は、よく考え抜かれていないとの印象をもたれることとなった。

その後、9月末の国連総会でサウード外相は、国連総会演説を辞退した。サウディアラビアは、シリアの化学兵器廃棄に関する国際措置がシリアでの殺戮を停止する問題を置き去りにしたことに関して、演説辞退によって抗議しようとしたのだった。だが、演説辞退はほとんど国際社会の注目を集めることはなかった。この事件でサウディアラビア政府のプライドが傷ついたことが、辞退表明につながるインパクトをもった可能性を指摘できる。ただし、サウディアラビア国内で、演説辞退に関して言及されることはもはやないだろう。

サウディアラビアの現実主義外交にとっては、シリアは以下の点が課題である。(1)イランによる軍事支援を停止させたい、(2)ヒズブッラーがアラビア半島でテロ組織をつくろうとしているのではないかと怖れており、シリアがその拠点や補給路とならないようにシリア政府の政策を転換させたい、(3)ロシアが巧みに米国のシリア攻撃を断念させ、アサド政権の延命に成功していることを警戒している。

サウディアラビアは、シリアの反体制派を勝利させる戦略を描けるのであろうか。シリアの反政府武装闘争派は弱体であり、迅速に強化する有効な戦略が見当たらない。またシリアの反体制派は、シリア国内外に分散し、政治的に分裂しているが、サウディアラビアはシリア反体制派の連合を強化する戦略を欠いたままである。オバマ政権は、2013年4月に軽火器に限定してシリア反体制への武器支援政策を開始すると決定し、夏に段階的に実施し始めたが、武器がイスラーム過激派に流出したために、今後の武器支援は限定的規模に留まる可能性がある。サウディアラビアがシリア反体制派をアサド政権に対して勝利させる戦略は見えていない。

交渉によるシリア政府と反政府派の和解は実現可能な選択肢であろうか。トルコ政府は、トルコ国内への難民流出の負担を懸念しており、交渉によるシリア政府と反政府派の早期和解に期待を繋いでいる。しかし、アサド政権は殺戮の停止にも辞任にも応ずる意思がないことから、これまでシリアの反政府派がシリア政府との交渉を受け入れる余地は狭いものとなってきた。今後も、血塗られたアサド政権に抗して闘いたいというムスリムが世界各地からシリアに駆けつけ続けるだろう。

サウディアラビアは、シリア政府と反政府派の和解の可能性が低い点を重視する立場をとってきた。サウディアラビアにとっては、シリア反体制が勝利する戦略を描ききれない中、シリアの殺戮に対してのサウディアラビアの人道的な立場をアピールし、道徳的外交の立場を誇示することが不可欠となっている。

イラン問題

サウディアラビアのイラン政策は、イランに対する孤立政策で固定化されてきたわけではない。1997年のハータミー大統領の当選の際にも、2005年のアフマディネジャード大統領の当選の際にも、サウディアラビアは、イランに対する宥和政策の用意があると外交的メッセージを発した。また2013年11月24日に、安保理とドイツを加えた六カ国とイランは、イランが核兵器開発に転用する危険の高い高濃度ウランを製造する濃縮作業を凍結するプロセスに合意したと発表したが、翌日サウディアラビア政府はこれを歓迎する意向を表明した。

アブドゥッラー国王は、2013年6月にロウハーニー大統領に対して、大統領当選を祝するメッセージを送り、その後でさらに聖地巡礼を招待した。巡礼への招待は、サウディアラビアの常套手段である。サウディアラビアは、しばしば敵対していたムスリムのリーダーを聖地への巡礼に招待し、和解のきっかけを得ようとする。

だがロウハーニー大統領は、日程の都合を理由にアブドゥッラー国王からの巡礼の招待に応じなかった。冷戦に喩えると、サウディアラビア政府は、ロウハーニー政権は、「ゴルバチョフではなくフルシチョフ」ではないかと警戒している。サウディアラビアは、イランの真意に関して、米国とは和解を進める一方で、サウディアラビアに対しては域内政治で優位に立とうとしていると受け止めている。したがってサウディアラビアは、米国に対して、イランとの交渉ではイランの手練手管に警戒するようにと釘を刺し続けるであろう。

トゥルキー元駐米大使は、政府の公的な役職からは離れているが、サウディアラビアの外交政策に関して積極的にメディアで発言している。彼は、辞退表明後のインタビューで、イランに対しては、同国によるアラブ諸国への内政干渉主義を放棄することを求めている。またアブドゥッラー国王がリヤドに設置すると2012年8月に公約した宗教対話センターに、イランが協力することが関係改善のための踏み絵である旨を示唆している。さらに、中東の非核地帯構想に関しては、違反に対する軍事制裁措置を組み込むべきであると発言している。トゥルキー元駐米大使の発言は、サウディアラビアのイラン政策の目標を考える上で示唆に富んでいる。

国内の大衆の間では名声を獲得

今回の辞退表明によって、サウディアラビア大衆は、彼らの自尊心が満足させられた様子である。サウディアラビアの現地紙では、「辞退」よりも強い「拒否」という語が使われた。また、辞退表明に関して、「歴史的」であり、「倫理的」であると描写された。辞退表明を報ずるウェブ記事への読者による書き込みは、サウディアラビアの辞退表明に概ね好意的である。サウディアラビアの大衆は、辞退表明に関して、サウディアラビアによる勇気ある異議申し立てとして高く評価している。

大衆の間の高い支持は、サウディアラビアのエリートが、今後の国際社会におけるサウディアラビア外交の信頼性に関する評判に関して懸念したこととは対照的である。突然の辞意表明には、サウディアラビアのエリートの中で戸惑いが広がっていた、と10月18日付のニューヨークタイムズ紙は伝えた。ただし、サウディアラビアのエリートは、政府の決定と大衆の見解が一致した方向に従うしかないのであり、両者との見解の差は既に埋められたであろう。

サウディアラビア国内では「国際的支持」の印象

サウディアラビアによる辞退表明の直後には、辞退表明への賛意も相次いだ。フランスの国連大使は、サウディアラビアは安保理に前向きな貢献を果たしたし、サウディアラビアの不満を理解できると発言した。

GCCのザヤーニー事務総長も、すぐにサウディアラビアを称賛する声明を発表した。トルコのギュル外相は、サウディアラビアによる辞退声明に関して敬意を払うよう呼びかけた。またイスラーム諸国会議機構(OIC)やアラブ連盟の事務総長が国連批判に同意を示した。OICによる支持は、サウディアラビアがムスリム諸国全てから支持されているとの印象を付与することとなる。また、パキスタンが、サウディアラビアの辞退表明と国連改革に理解を示した。

サウディアラビアを支持したのは、サウディアラビアと親しい国や地域的機関に限られていた。辞退表明後、アラブ諸国の国連大使がサウディアラビアに辞退を撤回するよう呼びかける声明を発した。だがサウディアラビア国内紙では、上述の国際的な支持表明のみが報じられ、サウディアラビアが国際的威信を高めたかのような印象が醸し出された。

サウディアラビア外交の射程に見合った政策に回帰?

サウディアラビアは、2011年3月までは、「静かな外交」と評価されてきた。国際社会で目立つ言動を避け、多国間外交では受動的立場に甘んじて、できる限り国際的な注目を浴びないようにしてきた。その理由は、サウディアラビアには、国内の政治・宗教体制に国際社会からの干渉を受けることなく静かに暮らしたいという発想があった。

サウディアラビアにおける独特のイスラーム解釈や王政は、欧米からも他のアラブ・イスラーム諸国からも異論を受けがちである。そこでかつてサウディアラビアは、内政干渉を受けにくくするために、国際社会では目立つ言動をしないように努めていた。従来のサウディアラビア外交を知る観点からは、サウディアラビアが辞退を表明したことよりも、そもそもサウディアラビアが立候補したことの方が驚きである。

サウディアラビアは、2011年以降のアラブ諸国での政治動乱によって加速している中東域内のパワーシフトに対応するため、主体的な域内政策を始めた。その一環として、安保理の非常任理事国に立候補する政策を推進したのかもしれない。

安保理のメンバーシップは、常任理事国と非常任理事国に分けられた包摂と排除の二重性が特徴となっている。サウディアラビアは、もしも安保理の非常任理事国に就任し、安保理の審議に参加していた場合、シリア政策やパレスチナ政策に関して持論を提言しなければならない場面が来たかもしれない。だが、それらに関する提案は否決されるリスクを伴ったはずである。サウディアラビア外交にとっては、否決を甘んじなければならない場面は、屈辱となっていたかもしれない。つまりサウディアラビアが安保理の非常任理事国となり、安保理での議論に加わっていたとすると、サウディアラビアが安保理加盟国に対して一方的に批判を展開するという図式は保てなくなるリスクが生じていたと言えよう。

辞退表明は、国連に対する強い批判に見えたが、安保理に参加することが不利と理解したサウディアラビア政府のなりふり構わない方針の転換だったと解釈することができるだろう。安保理の非常任理事国の席に付かない選択は、サウディアラビアの過去と現在の政策に適している。辞退表明でサウディアラビアは、安保理が改革されるまでは、国連安保理の席に付く意志がないと表明していた。サウディアラビアが安保理非常任理事国に立候補することは当分ないであろう。

さいごに

サウディアラビアの辞退表明が出されなくとも、中東に利害を有する諸国家は、日本を含めて、パレスチナ問題、中東における大量破壊兵器の拡散、シリアでの殺戮、安保理の二重基準問題に関心をもち、実効的な解決策を模索するべきであった。

米国が中東の諸紛争に関心を喪失したり、影響力を低下したりする危険について、日本人はまだ十分に理解を深めていない。米国が中東で影響力を低下している原因は、物理的な力の低下のためだけではない。むしろ米国による中東政策の立案で限界が多く、また一貫性を欠いてきたことによる。

サウディアラビアが辞退した安保理非常任理事国の席には、ヨルダンが立候補する運びとなっている。ヨルダンは、安保理改革を国連総会で提唱してきたスモールファイブ(S5)の一カ国であり、もしも非常任理事国に当選した際には活躍が期待される。他方、サウディアラビアはヨルダンが出馬を見送った国連人権理事会理事国の席に着くこととなった。サウディアラビアとヨルダンが、外部には公開されない理由により、安保理非常任理事国の席と国連人権理事会理事国の席を取引したのではないかと憶測する記事が報道されてしまっている。

2009年に開始された安保理改革政府間交渉は、サウディアラビアの辞退表明によって短期間で加速するようなものではないだろう。辞退表明後のサウディアラビアの行動や国内紙の報道は、サウディアラビア外交の道徳性をアピールした。サウディアラビア政府は、国内での名声を確保することに成功し、辞退表明にともなうダメージを緩和したと言える。だがサウディアラビアは、自国の外交政策に関し、国際社会に対してわかりやすく説明する姿勢が求められていることに留意する必要がある。

サムネイル「Riyadh Water Tower postcard」Dennis Harper

http://www.flickr.com/photos/dennisharper/11285751716/

プロフィール

中村覚中東安全保障、サウディアラビア地域研究

神戸大学大学院国際文化学研究科 准教授。東北大学博士(国際文化、2002年)。1970年北海道生まれ。東京外国語大学外国語学部アラビア語学科卒業。参議院第一調査室、客員調査員などを経て、2002年より現職。吉川元・中村覚共編著『中東の予防外交』信山社, 2012年。アンソニー・H・コーデスマン『21世紀のサウジアラビア: 政治・外交・経済・ エネルギー戦略の成果と挑戦』中村覚監訳、明石書店, 2012年。「サウディアラビア迫られる抜本的改革」、水谷周(編著) 『アラブ民衆革命を考える』国書刊行会、2011年。中村覚編著『サウジアラビアを知るための65章』明石書店,第二版、2009年、ほか。

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